(観念寺本堂 阿弥陀如来像)
新年、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。合掌
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沖縄旅行
商人から僧侶へ‥、そして紙芝居師も兼ねて
僕は、小売酒屋の三代目に生まれた。
大学は、仏教の学校であったが、卒業後は後を継いで商人になった。
が、ご縁あって僧侶になり、そしてお寺の住職になった。
その後、仏教法話の一つの方法として、紙芝居を作り出し、気がつけば、お寺やご縁ある場所で演じる紙芝居師になっていた。
紙芝居を演じた場所は、老人施設、震災仮設住宅、ホスピス、病院。看護師研修会、新入社員研修会。子供施設、お寺、キリスト教会、葬儀場、演芸場、保育所。小、中、高等学校、学者塾、地域老人会、地域婦人会、あいりん地区、商店街の店先、動物愛護団体‥エトセトラetc。
どの場所もボンさんの法衣で演じ、受けた場所もあるが、罵声を喰らった場所もある。
作った紙芝居も、仏教の話からキリスト教の話、神道の話。日本昔話から西洋の話まで、面白い話から悲しい話まで、236本(令和6年の段階で)。
‥これも、ご縁。いや御法縁。ボンさんらしくないと言われようが‥悔いはない。いや、紙芝居師をさせて頂いている時は楽しくてたまらん‥です。
これからも、ご縁をもらえれば、時間の許す限り出前させて頂きます。これからも紙芝居法話をよろしくお願い致します。合掌
紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その5 最終回)
紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その4)

‥その後、[阿国歌舞伎ロス]になった京の都はどうなったでしょう。
知恵のある?都の商売人たちは、こう思いました。
「女性の肌を露出する踊りが、風紀上良くないのなら、男性が肌を見せるなら良いだろう。」と言って‥、
都の商売人たちは、次に若い超美男の男性を集め、今でいうイケメンの若者を募り、歌い踊らせ芝居をさせました。(‥あまり現代と変わらないような‥?)
これは『若衆歌舞伎(はたまた野郎歌舞伎)』と呼ばれて、大ヒットしました。
‥しかし、これも江戸幕府に目をつけられ『これも風紀上良くない!』と禁止にされてしまいました。
そしてその後、歌舞伎は(お堅い真面目な?)大人の男性だけが、男役、女役を演じる芸能芝居に形を変えて全国に広がり、日本の文化になってゆきます。(幕府の風紀係はもうあまり介入しませんでした‥)
さらに、阿国歌舞伎から、もう一つ新しく分派した商売がありました。それは‥.つづく











