住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その3)

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その後、意識を取り戻した北斎は、娘につぶやきました。
「おっお栄、腕が上がらねぇ‥。筆も上手く持てねぇ‥。力が入らないんだ。あぁ、俺はこのまま絵が描けなくなるのか!?ちくしょう!死んでも死にきれねえぜ!」
と苦しみ悩みました。
それは脳卒中の後遺症なのでした。
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そんなある日、『葛飾北斎、脳卒中!』の噂を聞いた古い友人が訪ねて来ました。(一説では、それは滝沢馬琴ではなかろうか?と言われています。知らんけど)
「おい、北斎。中風に効くという薬の作り方を聞いたので、紙に書いて持って来てやったぜ。これを調合して飲んでみろ。‥いいかよく聞け。
①まず、果物のゆずを用意しろ。それを細かく木のヘラで刻む。
②次に、それと酒一合を混ぜてよく煮詰める。その時大事なことは、鉄鍋で煮てはダメってことだ。必ず土鍋で煮る事。鉄分が入っちゃダメなんだ。
③それと煮たゆずと白湯を混ぜて飲む。
それを毎日飲む事。効くらしいぞ。やってみろ。」と友人は言いました。
 「それは本当か、効かなかったらただじゃおかねえぞ。」
と北斎は言って、その薬を毎日飲み始めました。
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毎日毎日、北斎はその薬(?)を使って飲みました。
現代の医療では、それはヘスペリジンという柑橘系に多く含まれる栄養素で、それは高血圧を下げたり、末梢血管を強化する効果があると言われています。
まさに、北斎の病気には良く効いたのでした。(これも、知らんけど)
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※余談ですが、脳卒中(脳出血)で、北斎と同じ症状になった私も、この実験をやってみました。‥効いたのかなぁ‥。馬琴に感謝!それこそ知らんけど。 つづく

紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その2)

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「頭が痛えっ‥。どうも最近、よく頭が痛くなるんだ‥。」
「親父どの、働き過ぎなんだよ。私が代わりに描いとくからさぁ‥。休んどきなって‥。』
と、跡取り娘のお栄が言った次の瞬間、
「あぁっ‥、めまいがするぜ、お栄‥」
と言って、そのまま北斎は倒れたのでした。
「親父どの!しっかりおしよ。今、医者を呼んでくるからな!」
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北斎の病気は中風(ちゅうふう)、今でいう脳卒中でした。
医者は娘のお栄に言いました。
「これは中風です。命に別状は今の所ありませんが、意識は戻っても、手足が動きにくくなるかもしれません。‥今は安静にして下さい。」
「親父どのっ!大変な事になっちまったな。もう絵は描けなくなるかもしれないよ。』
 つづく

紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その1)

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平和が続いた江戸時代後期。
浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)は、江戸の下町に生まれました。
彼は持って生まれた絵の才能と努力で、当時一流の絵師になっていました。
 そんな北斎、お酒は飲めませんが、甘い物が大好きで不規則な生活、食事もたたり、今でいう高血圧でしょうか?‥それがやがて脳卒中(のうそっちゅう)という病気を引き起こす原因を作り出してゆきました。
さて、このお話は67才で脳卒中で倒れた北斎が、やがてその病いを、リハビリと独自の薬で乗り越えて、やがて後世に名を残すような絵師になってゆくまでを描いた物語です。
それでは、はじまり、はじまりー
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北斎の大好物は大福餅でした。
この日も散らかった部屋の中で、娘のお栄(えい)と共に、餅を食べながらお客からの注文の絵を描いておりました。
「あっ、痛たたた‥、」
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(東京・すみだ北斎美術館)
 つづく

紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』の取材

紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』の取材の為に、富士山周辺に行って来ました。
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(静岡県から見た富士山)
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(山梨県から見た富士山)
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(神奈川県から見た富士山)
割と天候にも恵まれ良かったです。

『紙芝居を基に講談』と新聞に紹介されました

『紙芝居を基に講談』と、中外日報新聞に紹介されました。嬉しい限りです!
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少し文を読んでみます。
『大阪府河南町‥(中略)の宮本住職が制作した紙芝居『星に願いを〜岩橋善兵衛物語』を基にした講談話を、なみはや講談協会の旭堂南華会長がこのほど創作し、江戸時代に独力で望遠鏡を完成させた岩橋善兵衛の出身地・貝塚市のコスモシアターで披露した。
 住職も客席の50人の聴衆にまじって講談に聞き入った。(中略) 旭堂会長は泉州弁を織り交ぜながら熱演。
宮本住職は「講談は仏教の説き聞かせから始まったとの説もあるが、まるで見てきたかのようにリズミよく話す方法に驚かされた。違う世界に引き込まれて、楽しませていただいた。」と語った。』

紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その4 最終回)

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一休さんは、蓮如上人からの手紙を開けました。
そこには、
『極楽は十万億土と説くなれど、近道すれば[南無(ナム)]の一声(ひとこえ)』と書かれていました。
これを見て一休さんは声を出して笑いました。
「はっはっはっ、さすが蓮如上人。
極楽は遠すぎるというが、『南無(阿弥陀仏)』という念仏一つで、すぐに行ける。
そうじゃ、いかに極楽は遠くても、念仏一つでハイ、一っ飛び!じゃ‥とお経に書いてある。知らんけど。
蓮如上人はお経の意味がよーくわかっておられる。
この一休、蓮如上人に完敗じゃ。今からすぐにお酒を持って詫びに行くぞ!」
と、その足で蓮如上人のお寺に向かいました。
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こうして二人は、生涯渡って大親友となりました。
宗派の違いこそあれ、このお二人、そんな事はまるで関係無し。
 お釈迦さまの教えが結んだご立派な名僧たちでした。めでたし、めでたし。おしまい

紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その3)

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「よしっ、蓮如!
それではもう一つ、わしの問いに答えてみよ!」
と、一休さんはもう一通手紙を出しました。

「何っ!又一休さんから手紙が来たと。今度は何と書いて来たか?」と、蓮如上人が封を切ってみるとそこには‥.
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『阿弥陀経』の[極楽浄土(ごくらくじょうど)]について、述べられていました。
『極楽は、十万億土(じゅうまんおくど)と説くなれば、足腰立たぬ婆(ババ)は行けまじ』と。

『ふむふむ、極楽浄土は(十万億土と)ものすごく遠すぎて、足腰の弱いご老人には、とても行けないぞ。さぁ、どうする?』と聞いてきたか。
 あのトンチ老人め!よし、これがわしの答えじゃ!』と、蓮如上人はすぐに返事を書きました。
つづく

紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その2)

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‥再び一休さん。
「おっ、蓮如さんから返事が来たぞ!
どれどれ、何と書いて来た。」と一休さんは封を切りました。
‥そこには一首の詩のみが書かれてありました。
『阿弥陀には、隔(へだ)てる心なけれども、蓋(フタ)ある水に月はやどらじ。』と。
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一休さんは思いました。
「つまり、輝く月の光は、この世のどのような容器の水にも、その影を写(うつ)す。
だが、蓋(フタ)をしてしまった容器には‥、
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水は映(うつ)らない。
それは月が悪いのではない。
我々の方が、月の光を受け入れないのだ。
つまり、阿弥陀さまの慈悲を疑って受け入れないのだ。
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その蓋(フタ)を開ける、すると月影は映る。
‥つまり、『自力(じりき)』を思いを捨てると、『他力(たりき)』の阿弥陀さまは、たちまち救いとってくださるという事か。
はっはっはっ、蓮如上人見事な返答!そう来たか!」と一休さんは言いました。つづく

紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その1)

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昔むかしのお話。
とんちで有名な一休さん。
わかりやすくお念仏の教えを説かれた蓮如上人。
この二人、歳は20才程[一休さんの方が年上]離れていましたが、大変仲が良く熱い友情で結ばれていました。
‥でも最初はそうでもなく、激しい手紙のやり取り‥つまりバトルが繰り広げられていたようなのです。‥知らんけど。(いやいやそうらしいのです⁉︎)
それでは、その対決の模様を見てみる事にいたしましょう。はじまり、はじまりー。
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ある日、一休さんは思いました。
「‥最近、都でメキメキと人気が出てきた蓮如という坊主。
この京の都で一番人気はこの一休じゃ!‥このままではわしは二番になってしまうわい。二番はダメなんですっ!嫉妬するわい!
いつも阿弥陀さま、南無阿弥陀仏と称えておる蓮如とやらめ!一度、阿弥陀如来の教えを皮肉ってやろう。」と、一休さんは手紙を書きました。
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さてこちらは蓮如さま。
「何っ!あの一休さんから手紙が届いた。何であろうか?」
と、早速その手紙の封を切ってみると、そこには短い詩が一首書かれておりました。
『阿弥陀(アミダ)には、誠(まこと)の慈悲(じひ)は無かりけり。頼む衆生(しゅじょう)のみぞ助ける。』と。
「うーん、これは手厳しい詩じゃ。『阿弥陀様は慈悲深い仏様と言われるが、『南無阿弥陀仏』とお念仏を称える人だけ助けて、称えない人には知らんぷり、‥本当は無慈悲な仏様ではないのか⁈知らんけど。これはいったいどういう事かのう。』と皮肉っている。フーン、さてどう答えるか。どう返事を出すか。どうする、どうする‥」と蓮如さまは筆を持ち考えられました。つづく

『広報たいし』12月号に載りました

『広報たいし』の12月号に載りました。
太子町の皆さま、お世話になりありがとうございました。合掌
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