昨日は堺市極楽寺さまへの17回目の紙芝居法話の出講だった。
今、檀家さんが一番気に留めておられる事は、ロシアの武力侵攻との事。
この戦いは我々に無関係ではないのだ。
法話はタイムリーで生き物でなければいけないと僕は常に思う。
そこで紙芝居は、与謝野晶子さんを演じて、皆で「君死にたまうことなかれ」の詩をご一緒に読んだ。
地元堺市での法要でもあり、皆さん大きな声で読んでくださった。
記事一覧
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堺市:極楽寺様の永代経法要への出前
春の紙芝居出前イベントとセミナー
春の紙芝居出前イベントとセミナーのご紹介をします。
4月21日(木)18時30分より[八尾の魅力セミナー]
会場:アリオ八尾光町スクエア/アリオ八尾一階
受講料:無料 先着30名
テーマ:中甚兵衛と八尾にゆかりの人々が紙芝居でよみがえる
主催:八尾市観光ボランティアガイドの会・共催:FM八尾
電話:072-934-2081
4月29日(金)14時より
会場:国指定重要文化財[旧杉山家住宅](富田林市富田林町14-31)
入館料:大人400円子供200円 20名
テーマ:土間でおはなし・住職さんの紙芝居~富田林の縁のある人物について大人も子供も紙芝居で楽しく学ぼう
管理運営:富田林市寺内町4施設 指定管理者(株)アスウェル
電話:0721-23-6117
お墓参り写真展
今年で11回目となる全国公募『お墓参り写真展』。
お寺の檀家の石屋さんが、石屋産業青年会で立ち上げたプロジェクト、今年もやるらしい。
「院主さん、今年もポスターが出来たのでお寺で貼ったください!」と元気よく頼まれた。
「コロナ禍なので効果薄いと思うで〜」と言いながら、頑張っている青年店主に応援のつもりで、今年も院内に貼らせていただきます。
びじゅチューンEXPO!リターンズ展に行ってきました
世界情勢が不安定な時ではありますが、前売り券を買っていたので、梅田へ『びじゅチューンEXPO!リターンズ』展へ行ってきました。
知る人ぞ知る、NHK教育テレビの人気美術?番組のマニアック展です。
僕も紙芝居を描くので、このミニ番組が好きなのです。録画して見ています。
案外、展覧会は空いてました。
余談ですが、昔、僕の中学校に、そろばんで絵を描く有名な美術の先生がいました。僕は尊敬していました。が、教育者では無かった。・・それはこんな事があったからです。
誰が見てもヘタな絵というか?上手くない絵を描く友人がいました。
彼はその先生に、自分の絵を「先生、僕の絵うまいでしょう!通知表で4を(5が最高)付けてください!お願いします!」と誰が見ても才能が無いような絵に高得点を願い(相手がしつこいから、それに負けて)先生は付けてました。その事を実際、先生から「あいつはしつこいから面倒やねん」と聞いてしまったのです。絵に点数を付けるという方針もおかしいですが、僕はがっかりしました。
先生はアーティストであるが、教育者では無かった。
さて、僕も「お前は紙芝居ばかり描いていて、本当に宗教者なのか?」と聞かれたら自信はありませんが、「坊主が宗教的境地を少しでも絵でお話しで表したい為に紙芝居を描いている変な宗教者なのです」と答えたい。
決して力(権力、圧力)に妥協したくない。そんな事をいつも思っているのです。
楠木正儀(まさのり)の故郷を訪ねて~金剛山と正儀公の墓
紙芝居:『楠木正行もここにあり!』(その7 最終回)
紙芝居:『楠木正行もここにあり!』(その6)
時代はここでワープする。
・・正行(まさつら)公が亡くなって、五百と三十年が経ちました。
ここに、[正行]生き様感動し、行動起こした一人の男が現れた。
その名は[適塾(てきじゅく)]出身の『赤十字(せきじゅうじ)社』をこしらえた、[佐野(さの)の常民(つねおみ)]でありました。
明治の十年、佐賀県出身[常民]は、国内最後の戦争の[西南の役(鹿児島で起こった内乱)]の後を見る。
「戦争、なんと悲惨なものか!」と、涙流した常民は、
「敵と味方の区別なく、負傷者助ける病院を、あぁ作らせてくださいな!」
彼は政府に訴えた。
・・・そして[正行]公を思い出し、「今も負傷者泣いている。苦しい痛いと泣いている。敵と味方は違えども、彼を全て救いたい。昨日の敵は今日の友。あぁ川で溺れた敵兵を、救ったサムライ正行の、如くに我は助けたい!」
この熱意、政府の心は動いたぞ!
ニッポン赤十字社前身の、ここに「博愛(はくあい)社」出来ました。
この時、負傷者千四百、多くの命が救われた。
正行公の生き様は、ここでも確かに輝いた!
後世で、ピカッと輝いた。 つづく(次回最終回)
紙芝居:『楠木正行もここにあり!』(その5)
「目指すは大将、首一つ!
我らの勝ち目はそれしかない!
皆の者、命を惜しむな、名を惜しめ!」
敵は五万の大軍に、こちらは一千わずかな兵。
ここは大阪、[四条の縄手(なわて)]。(※現在の四條畷市か?隣町:東大阪市か?東大阪にも同じような名前の場所があり、こちらにも[正行公]の首塚がある。京都や九州(落ち延び説)にもあるらしい。いったい首塚、楠公いや、何個(ナンコ)あんねん!以上余談)
楠木兄弟[正行・次男:正時]、ひたすらに敵陣めざして進みます。
されど、敵の矢雨あられ!嵐のように襲います。
さすがの楠木兄弟も、鎧全身矢を受けて、ついに最後を迎えます。
「・・我が弟、正時よ。残念ながらここまでじゃ。共にあの世で父に会おう。そこで父に報告じゃ!」
そして兄弟果てました。
この時、正行二十三。
・・若い最後でありました。あぁ合掌・・つづく
(正行公を祀る四條畷神社)
紙芝居:『楠木正行もここにあり!』(その4)
「正行(まさつら)公よ、ようやった!・・ところで、わし等は明日にでも、京の都に帰れるか⁈」
「お公家の皆さま、敵はまだ何十万も居るのです。そんな楽にはいきません。おそらく次は奇襲では、通じぬ軍で来るでしょう。我らはここで今一度、お山に籠って機会待ち、おびき寄せる戦法を・・、」
「何をたわけた事いうか!今を逃して何とする。ここが我らの絶好機会。正行、すぐに出陣し、敵をやっつけ帰還せよ。そして我等を都に戻せ!」
「・・それは無理でございます。」
「何を武士の分際で!‥わし等のいう事逆らうか!」
「・・・・・わかりました。」と正行は伏し目ながらに御所を去る。
「家来たちよ、聞いてくれ。おそらく我等は死ぬだろう。どうやら幕府は威信を掛けて、数万以上の大軍で、攻めてくること違いない。それに比べて、我らは数千。奇襲で勝てる訳がない。
帝(みかど)は『死ぬな』と云われたが、それは当然無理な事。今まだ生きている皆の名を、この過去帖に書いておく。これをお寺に奉納し、今生別れとするとした。」
その後正行、矢じり持ち、辞世を扉に彫りました。
そして出陣したのです。
その姿、そっと見つめる[弁内侍(べんないし)]=(正行の恋人か⁈)
正行慕った初恋なれど、叶わぬ恋と涙を拭いて、去り行く姿に分かれを告げる・・。 つづく