今作っている「二人の甚兵衛、中甚兵衛と加賀屋甚兵衛」という紙芝居が一段落したので、新しい紙芝居の企画に入っている。
その為、先日『奈良国立博物館』へ「中将姫と当麻曼荼羅展」を観に行って来た。
すでに、所縁のある当麻寺や中将姫のお墓参りは何度も済ませている。
・・で、あとは絵を描く段階だけなのだが、ここにきてストーリーを少しアレンジして、「新」という字を入れ「新・中将姫」として、外国の「白雪姫」の物語とリンクしたお話しにしたいと(とぼけた事を)考えている。・・似てるのですよ、この二つのお話。
もうすぐ(この何年も前から頼まれていた)この紙芝居を描き始めます!
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紙芝居「新・中将姫(ちゅうじょひめ)」の取材!
令和4年旧河澄家「郷土の人々紙芝居公演会」
東大阪市:旧河澄家『郷土の人々紙芝居画展』がはじまりました!
紙芝居:『金剛重光と宮大工「金剛組」』(その4最終回)
紙芝居:『金剛重光と宮大工「金剛組」』(その3)
金剛組の初代棟梁「金剛重光」が亡くなって、何百年もたちました。
この間、金剛組は聖徳太子の言葉を守り、何十代も四天王寺・五重塔を守り続けました。
しかし、その間お寺の守護が順風満帆であったという訳ではありません。
戦国時代の石山合戦や大阪冬の陣での塔の焼失。
又、江戸時代の落雷での焼失。昭和に入っての太平洋戦争での大阪大空襲での焼失もありました。
このような戦乱や自然災害を幾つも乗り越えて、不死鳥のように復活して、再建築をして甦ったのです。
そう、金剛組は頑張ったのです。
又「金剛組」会社内でも様々な苦難が襲い掛かります。
昭和に入っての経営難から37代目棟梁の自死。
その危機を乗り越えたのが、残された妻の史上初となる38代女棟梁の就任でした。
・・が、又もや襲い掛かったのが、室戸台風の五重塔破壊という自然災害でした。この時、再建を希望する四天王寺管長に、女棟梁は「私達は命をかけて再建築させてもらいます!」と言って、見事に再建したという事です。
そののち、金剛組の史上最大の危機となった経営不振による倒産危機が来ます。
がしかし、これも同じ難波の建築会社の社長が、「金剛組を潰したら大阪の恥や!」という一言で、金剛組は出資を受けて再出発出来ました。
正に大阪の義理人情が「金剛組」を救ったのです。
そして、現在も四天王寺境内に「全国宮大工発祥の地」として、『番匠堂』が建ち、大工の神仏とも言われている『曲尺(かねじゃく)を持った聖徳太子』が祀られています。つづく
紙芝居:『金剛重光と宮大工「金剛組」』(その2)
金剛たち3人は、この倭の国(日本)の難波の地(今の大阪)に、五重の塔を建てようと話し合い設計を開始しました。
「どうやら、この倭の国は地震が多いらしい。巨大な地震が起きても倒れないようなお釈迦様のお骨の埋まった宝の塔を作ろうではないか!我らの知恵と技術を結集して!平和を願う太子の為に!」
こうして、五重塔は組み立てられていきました。
それからおよそ15年が経ちました。
593年、この五重塔の建つ場所は、聖徳太子が[四天王寺]と名付け完成しました。
太子は言われました。
「ようやって下さった。金剛殿を中心とされた3人の宮大工の方々。おおそうだ。これから、そなた達を「チーム金剛・・いや『金剛組』と呼ぼう!
これからもこの倭の国に残って、多くのお寺を作ってくだされ。」と。
これが、会社組織「金剛組」の始まりでした。
金剛たち宮大工が作った四天王寺は、当時なにわの海(現大阪湾)に面した場所にありました。
ですので、朝鮮半島、東アジア諸国の船団との交易の窓口、つまり玄関口にこのお寺は築かれたのです。
海外から来られた外交官や商人達は、都へ向かう途中このお寺の五重塔を見て、さぞや日本という国の文化の高さに驚かれたでしょう。つづく
紙芝居:『金剛重光と宮大工「金剛組」』(その1)
(はじめに~)・・私が住んでいる『観念寺』という寺は、立て直す前は宮大工『金剛組(こんごうぐみ)』にお世話になって建ったらしい・・。
これは、うちのお寺にたまに来られる金剛組の営業マンの御方から聞いた話である。(昔の資料がうちの寺には残っていないが、金剛組には残っているということだ。)
まぁそれで、その営業の御方といろいろとお話をする中で、僕はその『金剛組』そのものに興味を持った。
‥それは[日本最古の会社]とか[聖徳太子のラブコールで、百済の国から建築士が招かれて、日本で初めて五重塔を作った]とか、いろいろ興味深いお話を一杯聞かせて頂いたのだ。
それで、この『金剛組』という宮大工の歴史物語を作ることにした。
ただし、現にこの会社は今も活躍されているので、プライバシーは考慮して(金剛組社員さんに一度見てもらい、フィクションを交え)作らせて頂いた。
それでは、はじまります。みて下さい。
昔々の大昔、今から1400年も前に、世界で初めての会社がここ日本で生まれました。
それは宮大工の組織『金剛組』という会社です。
その世界最古の企業「金剛組」は、現在もお寺や神社の建築会社として活動されています。
それでは『金剛重光(しげみつ)』という宮大工から始まり、現在も続く「金剛組」の歴史を紙芝居で見てみましょう。はじまり、はじまりー。
若き日の聖徳太子は悩んでいました。
「ああ、わが国にお釈迦様のお骨を祀る高い塔を建てたい・・。
その塔があれば、人びとはお釈迦様の偉大さを見て思い、争いを止め平和を願うだろう。
・・しかし、わが国にはそのような高い塔を建てられるような建築士がいない。‥そうだ!海の向こうの国からそのような建築士を招こう!」(笑っちゃうけど、歴史的にはこの時、聖徳太子はわずか4歳という事でした。・・ちなみにサザエさんの子・タラちゃんは3才だそうです。「ばぶー」とは言わんか。あれはいくらちゃんか(笑))
こうして聖徳太子の命を受け、578年、海の彼方[百済(くだら)]の国(現に朝鮮半島)から、[金剛(こんごう]、[早水(はやみ)]、[永路(ながみち)]の三人の建築士が招かれました。
太子は言われました。(以後、タラちゃんの声で)
「そなたたち、遠路はるばるよう来てくれたですー。そなたたちには、わが国らしい美しいお釈迦さまのお骨を祀る[宝の塔]を作ってもらいたいんですー。頼みますですー。困ったことがあったら、かつお兄ちゃん?違う違う、我が叔父[蘇我馬子]兄ちゃんの智慧を借りて決めてくださいですー。」と。
「はいー、わかりました。ばぶー」といくらちゃんが乗り移り、3人の宮大工は答えました。(次回からまじめにいきます)
つづく
当麻寺参道の民芸品店『和』さまとのご縁
世界かんがい施設遺産・寺ヶ池・寺ヶ池水路を学ぼう!
9月29日(木)14:00~16:00 於:河内長野市千代田公民館
世界かんがい施設遺産として登録された『寺田池・寺ヶ池水路』。
この郷土の歴史を学んで、どのように街づくりに活かすかを、高校生と一緒に考えてみよう!というテーマで3回にわたって講義を行います。
私は第一回目、「中村與次兵衛と寺ヶ池、他河内の人々」というお題でオリジナル紙芝居をさせて頂きます。
よろしければ、チラシの下記にて申し込んで下さい。合掌
令和4年「郷土の人々紙芝居画展」in旧河澄家
今年も8月から9月に掛けて、東大阪市指定文化財.旧河澄家で、「郷土の人々紙芝居画展」と公演会を行います。(チラシ参照)
今年は「ワカタケルとワカクサカ」.「神武東征記」.「楠木正行もここにあり」の三本です。
展示会は、8月26日から9月25日まで
又、公演会の日時は、令和4年8月28日(日)13時より15時までです。
場所は、旧河澄家 大阪府東大阪市日下町7-6-39 電話.ファックス072-984-1640
HP http://www.kyu-kawazumike.jp
定員20名
参加費は無料
画展は、午前9時30分より午後4時30分まで 月曜休館
申込は、8月2日(火)9時半より受付開始です。
どうぞ、皆様お時間ございましたらお越し下さい。合掌