さて次の日。
食事の時間がやって来ました。
今日もたくさんのご馳走です。
「おっおっ、これは楽しみ楽しみ!」と王様は食べようとすると・・、
侍従が「王様、ちょっとお待ちを!・・え~おっほん、お釈迦さまはおっしゃいました。
『人は自分の食事の適量を知るべし。すれば苦しみ少なく、安らかに日々を送り、長生き出来る』と。」
「おおっそうじゃった⁉・・ご馳走はこの半分で良いわ。トホホ・・。」と王様はしょんぼりして答えました。
すると侍従は、「王様、何かお忘れではございませんか⁈」と言いました。
「あぁそうじゃった。・・侍従、金貨一枚を受け取れ。」
「ありがとうございます!」と侍従はニッコリ。
そして次の日も、その又次の日も、侍従は金貨が貰えるものですから、決して忘れる事無く、王様にお釈迦様の言葉を伝え続けました。
それから三か月後。
王様はさすがに適量の食事が辛くなってきました。
「のう、侍従よ。たまには満腹になるまで食事を取ってみたいのう。」とつぶやきました。
すると侍従は、「それはなりません!王様。お釈迦様は言われました、『適量の食事は苦しみ少なく、安らかに日々を送る事ができる。』と。
確かに最近の王様は散歩に出られても、ゼェゼェと言われ無くなって来ました。良い事だと思われます。‥それに私も貯金がたまって来ました。・・こりゃ失礼!」。
しかし、さすがの王様も我慢ができず、ある日、こっそり袋にお肉を詰めて散歩に出ました。
「しめしめ、今日は侍従もついて来ないし、森の中でたっぷりお肉を頂くぞ。」と一人言を言っていると、突然!
『人は自分の食事の適量を知るべし!・・』と森の中の木の上から声がしました。
「その声は侍従!」
「そうです、私です!王様っ」と、木の上から侍従が降りてきました。
「王様、間食はいけませんぞ!こうゆう事もあろうかと、休みを返上して、森の中を見張っておったのです。はい、王様、金貨一枚頂戴いたします。」
「ぬっぬっぬっ、おそるべし、侍従!」つづく
記事一覧
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紙芝居:『ダイエットの王様』(その3)
紙芝居:『ダイエットの王様』(その2)
ハシノク王は、お釈迦さまの問いに顔を赤らめて答えました。
「はっはい、お釈迦様。お恥ずかしい話ですが、実は今日も無我夢中で食事を取っておりまして・・、大事なお説教の事を忘れてしまったのです。それで急いで参ったら、このように息が荒くなってしまいました。お許しください。とほほほっ。」
と。
お釈迦さまはそれに答えて、「はっはっはっ、そうであったか。・・がしかし、食事に夢中になって、大事な事を忘れるというのはいけませんな。それにまた、少し肥えられましたか⁈話をするのも苦しそうじゃし・・。」
そして、お釈迦さまはおっしゃいました。
「良いですか、ハシノク王よ、よく聞きなさい。
『人は自分の食事の適量を知ることが大切です。そうすれば、苦しみ少なく、安らかに日々を送り長生き出来るのです。』」と。
これを聞いてハシノク王は深く反省しました。
そして、この話を一緒に聞いていたお付きの侍従に、王は言いました。
「これ侍従よ。今お釈迦さまは私に大事な事を教えてくだされた。
侍従よ、今の言葉を暗記せよ。そして、これから私が食事をする前に、お前はお釈迦さまのように、この言葉を言っておくれ。そうすれば、その度ごとに金貨一枚をお前にやろう。」と。
侍従は、「えっ、それは本当でございますか⁉・・喜んで!」と答え、この言葉を暗記したのでした。つづく
紙芝居:『ダイエットの王様』(その1)
昔々、インドに[ハシノク王]という王様が居りました。
この王様、食べることが大好き!
・・ですから、超肥満体でした。
今日も今日とて、美味しい物を一杯食べておりました。
「あぁうまい、うまい!・・このお肉は超美味じゃ。いくらでも食べられるのぉ~。」
その時、「王様、お急ぎください!お釈迦さまのお説教が始まってしまいますぞ!」と、お付きの侍従が言いました。
「ああ、こりゃいかん!」
「皆の者、急げ!お釈迦さまのお寺に向かうのじゃー!」
王様と家来たちは、お釈迦さまのお寺に大急ぎで向かいました。
そぅ、今日はお釈迦さまのお説教の日だったのです。
王様はお釈迦様の大ファンであり、お説教を聞くのが大好きだったのです。
「よーし、何とか間にあったー!」と、お寺に着いた王様は「はぁはぁ」言いながらお釈迦様の部屋に入りました。
お釈迦さまは「おぉっ、よく参られた、ハシノク王よ。・・がしかし、えらく息が荒いのぉ~。いったいどうされた?」と聞かれると、ハシノク王は顔を赤らめて言いました。つづく
三宅裕司の故郷探訪、河内長野市アンコール放送
BS日テレ(4月22日・水曜、午後8時より)の[三宅裕司の故郷探訪]という(アンコール)番組の中で、出前メニュー120・「滝畑に磨崖仏あり」という紙芝居が少し出ます。
日テレ放送局から、連絡がありましたので、ここに宣伝させて頂きます!以上
なるべく楽しい話を、紙芝居を!
現在、ご法事などの仏事のキャンセルが多い中、今年どうしても年忌法要をお願いしたいと言われる方の所にはマスク着用の上、お参りさせて頂いている。
しかし、皆さんの雰囲気がどうしても重いので、僕は読経終了後、なるべく楽しい紙芝居法話をするように心がけている。
例えば、紙芝居をするにしても、「あわてもののウサギ メニュー35」とか、近々このブログでも発表予定の「ダイエットの王様」とか、大人も子供も楽しめて、しかも心安らぎ、より良い生活の智恵となるような仏様の教えを演じてお話しさせて頂いている。
皆さんが少しでも、心安らぎますように!合掌
紙芝居:『半ごろしと本ごろし』(後編)
それを聞いておばあさんは、キョトンとした顔をして・・、そして言った。
「そんなに急ぐなら、この出来立ての『半ごろし』を弁当に持って行きなされや。」と。
若者は「えっ弁当?・・半ごろし?」
若者が驚いた訳を話すと、おじいさんとおばあさんは、笑いながら説明した。
「あっはっはっ、旅の人。『半ごろし』というのは、この[ぼた餅]の事じゃよ。
この辺りではなぁ、ご飯を半分つぶして、小豆をのせて餅を作るので『半ごろし』というんじゃ。「つぶす」というのを「ころす」と言う方言なのじゃな。
又、ご飯を全部すりつぶして、餅を作るのは『本ごろし』というんじゃよ。わかったかのぉ・・はっはっはっ。」
「そっ、そうだったんですか⁈」と若者は恥ずかしいそうに言った。
こうして旅の若者は、おいしい『ぼた餅』をいっぱいよばれて、又旅に出たということじゃ。めでたし、めでたし・・いやまだ早い!
お彼岸のお供え物といえば、この『ぼた餅』。
なぜ、そういう名前になったかというと、春に咲く花は『牡丹(ぼたん)』。
春彼岸には、その牡丹に見立てて丸く作り、仏様にお供えしましょう、というので『ぼたん餅』が『ぼた餅』になったとか。
そして、秋彼岸は『萩(はぎ)』の花を餅の名に見立てて『おはぎ』になったとか。・・・知らんけど。いやほんと!
そして、小豆は赤色。それは邪気を払う縁起の良い色という言い伝えから、当時のご馳走であった御餅に小豆を合わせて仏様にお供えするということになったそうです。
ちなみに、ぼた餅の[本ごろし]は地方によっては[皆ごろし]とも呼ぶそうですよ。・・・おしまい
紙芝居:『半ごろしと本ごろし』(前編)
昔々のお話。
陸奥の国(今の東北地方)を、一人の若者が旅をしておった。
「あぁ、今日も日が落ちた。この辺りに宿屋はないかなぁ?・・あっ、あそこに明かりが見えるぞ。一夜の宿をおねがいしてみよう。」
トントン、トントン。と若者は戸を叩いた。
すると、
「どなたさまじゃ。」と一人のおじいさんが戸を開けて顔を出した。
「旅の者です。今宵泊まるところが無いのです。泊めて頂けませんか?」と若者は言った。
「おお、そうかえ。それはお困りじゃろう。さぁ、中に入って火にあたりなさい」と親切に家の中に招いてくれた。
家の中にはおばあさんもおって、「さぁ何もないけれど、かゆでも食べてけろや」と食事を振る舞ってくれた。
若者は深くお礼を言って、その夜はぐっくり眠ってしまった。
さて、その真夜中の事。
若者はおじいさんとおばあさんのひそひそ話で目が覚めた。
おじいさんは「なぁ、ばあさん。明日の朝、あの旅人さんは『半ごろし』がええかのう。」と言うと、おばあさんは、
「いいえ、おじいさん。私は『本ごろし』の方がええとおもいますよ。」と言った。
それを聞いて若者はギョッとした。
「あのじいさんとばあさんは、親切そうに見えるが実は[山賊]だったのだ!」と震え上がった。
そして、夜が明ける前にこっそり逃げ出そうと思った。
次の日、若者がこっそり出て行こうとすると・・、
突然後ろから、「旅人さん、もう出て行かれるのですか?」とおばあさんの声がした。
「わぁ⁉助けてくれ!半殺しにせんでくれー!」と若者は叫んだ。 後編へつづく
『花まつり』が無い!
大阪では「緊急事態宣言」が発動され、ご依頼を受けていた、お釈迦様の誕生日をお祝いする『花まつり』の行事が中止になった。
毎年この時期、僕はあちこちのお寺に『お釈迦さまの御一生』の紙芝居を演じに行くのだが、やはり今年は皆中止。
これは延期にはできないので仕方がない。
このような時期こそ、お釈迦様の教えが必要だと思うのだが・・、今は耐えよう。
不要不急とご法事とお葬式と
今日、御門徒さんのお葬式を行って来た。
今マスコミでは、不要不急(ふようふきゅう)、「今、急いでしなければならない重要な事以外(外出など)」は控えておきましょうと訴えている。
これはコロナウイルス感染対策で、人の命を守る大切な事だ。
が、お葬式は不要不急ではない。ご遺族さんの気持ちを考えると、今しなければならない事だ・・と思う。今日も規模を小さくして、時間を短くしてマスク着用の上行った。
それでは、ご法事はどうだろうか?
先日、「コロナ感染を考え不要不急の為、私の家のご法事は中止します」と電話があった。
ご法事、つまり故人を偲ぶ一周忌や七回忌の仏事は、この方の中では不要不急なのだ。
その気持ちわからないでもない。・・が、心の底は納得してないのだ。
他に何か違う方法はないのか⁈
その昔、聖徳太子は「世は虚しいもの。ただ、仏のみがまことである」と言われた・・らしい。
今、何を選択するのが良いか?我々は不要不急の意味をよく考えなければならないような気がする。
紙芝居:『正信偈の話(ダイジェスト版)』(後編)
いろいろと阿弥陀様の事を述べてきた・・が、阿弥陀仏の救いを信じる事は簡単なようで難しい。
そこで、ワシ親鸞は阿弥陀様を信じた『七人の偉いお坊さま』を、『正信偈』の後半で紹介しておるのじゃ。
その七人とは、インド・中国・日本の高僧方なのじゃ。
はじめは、イケメンで天才で金持ちの坊ちゃん僧侶だった『龍樹(りゅうじゅ)菩薩』さまじゃ。
龍樹菩薩さまは、次のようにおっしゃっておられる。
「目的地に行くには、厳しい道を徒歩で行くコースよりも、船に乗って安全に進むコースの方が良い。つまり、厳しい修行よりも、お念仏を称える安全なコースの方が良いのだ。わしはこの方法(コース)で救われた」と。
そして二人目も、インドのお坊様『天親(てんじん)菩薩』様じゃ。この方も、阿弥陀様の救いを信じた偉い仏教学者なのじゃよ。
そして、次の三人は中国の高僧さまじゃ。
このゴルゴ13のような濃い眉を持つ『曇鸞(どんらん)大師』様。
この方は初めは仙人について仙術を学んでいたが、お念仏の教えに出逢って『仙術』の本をみんな焼いてしまわれたという逸話を持ったお方じゃ。
そして次は『道綽(どうしゃく)禅師』。
この方は「今は末法の世(世も末という意味)じゃ。救いはお念仏しかないー!」と言われ念仏を称えられたお方じゃ。
そして、五人目が『善導(ぜんどう)大師』。
この方は、当時の仏教学者の中で抜きんでて、お釈迦さまの本当のお気持ちを明らかにされた。
善導さまは「悪人も善人もすべての人に、阿弥陀様は極楽行きを約束してくださった。」と言われのじゃ。
大急ぎで、後のお二人の日本の高僧を紹介しよう。
六番目は『源信(げんしん)僧都』。
ちょっとマザコンぽい、このお坊様。優しく信心熱いお母様に教えられることが多かったのじゃ。この方は、地獄極楽を事細かく表してくださったお方で有名じゃ。この方もお念仏を大切にせよと、最後まで言われたのじゃ。
そして最後の七番目がわが師『源空(げんくう)上人』、法然上人のことじゃな。
この方は「阿弥陀様を信ずる心を持ち、ただひたすらお念仏をするのじゃ。」と説いて下さったわしの師匠じゃ。
このように七人の高僧方は、我々に阿弥陀様の救いの働きを伝えて下さったのじゃ。
さぁ、超スピードで『正信偈』の意味をはっしょって見てきた。
我々は罪深い人生を送っている。
しかし、阿弥陀様はそんな私達をも、極楽浄土へ生まれる事を約束してくださったじゃ。
わしはその阿弥陀様の教えと、七人の高僧方をこの『正信偈』という書物に記したのじゃ。
皆さまも、この教えを大切にして広めてもらいたいのぉ・・。それではグッバイじゃ。 おしまい
※この紙芝居の[完全版]はお寺(観念寺)にあるので、縁ある方は一度見に来て欲しいもんじゃと、筆者の紙芝居屋主はいうておるぞ・・。まぁそういうことじゃ。