住職のつぼやき

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ニューズレター『かわずみ家』21号に掲載されました

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ニューズレター『かわずみ家』21号に、[郷土の人々紙芝居画展]の模様が掲載されました。
 2021年8月27日〜9月26日までの長期間、東大阪市指定文化財 旧河澄家にて展示してくださり、大変お世話になりありがとうございました。
 又、来年度も続編企画でお世話になるようで、またまたよろしくお願い致します。新作も頑張ります!合掌

紙芝居『中村與次兵衛と寺ヶ池』の舞台地が[世界かんがい施設遺産]に登録されました

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 紙芝居201番『中村與次兵衛と寺ヶ池』の舞台地大阪府河内長野市の[寺ヶ池]が2021年『世界かんがい施設遺産』に登録されました。
 コロナ禍で明るい話題が無かった今日ですが、久々に良いニュースで僕もうれしくなりました。
 南河内に繁栄有れ!・・たくさんのお客様がこれから来られ、こちら(河内長野)で元気をもらえますように!
 同市の観光ボランティアガイドクラブの皆様、これから来られるであろうお客様に、イベントを通して、こちらで江戸時代に実際に起こった歴史的な奇跡を、宣伝を通して希望や優しさをお伝えくださいませ。ご期待しております。合掌

泉佐野市『光明寺』様の報恩講

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 20・21日と二日間、泉佐野市『光明寺』の報恩講にお招き頂き、[紙芝居法話]に行かせて頂いた。
 「去年はコロナ禍でお休みしましたので、今年はこのように賑やかに法要をお勤めさせて頂くことは本当に有難いです。」とご住職がおっしゃっておられました。・・本当にそうですよね。
 僕も一生懸命に二年分お話しさせて頂きました。
 光明寺の皆さま、大変お世話になりました。ありがとうございました。合掌

大阪の偉人紙芝居、制作中

 今、202作目から204作目までの(地元大阪舞台の)紙芝居制作に入っている。
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 ほぼ完成したのは、(202作目)若き日の雄略天皇と皇后を描いた『ワカタケルとワカクサカ〜皇后から見た雄略天皇』という作品。
 この作品は「古事記」と「日本書紀」を元にして描いてみた。
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 203作目は『神武東征記』。この作品も古代が舞台だ。九州から船出した伝説の神武天皇が近畿圏で活躍する姿を冒険活劇風に描いてみた。この作品は70パーセント完成している。
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 そして、204作目は地元の英雄「楠木正成」の息子「楠木正行」の短い一生を描いた楠木一族の続編『楠木正行もここにあり!〜大楠公に小楠公あり』という作品。これはまだ10%の出来である。この作品は日本赤十字社創設を入れた作品にしようと思っている。・・お楽しみに!

奈良県:広陵町『宝林寺』さまの[報恩講]&[永代経法要]

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昨日、一昨日と二日間。奈良県広陵町にある『宝林寺』さまにお招き頂き、『紙芝居法話』に行かせて頂いた。
 広陵町(こうりょうちょう)という町は、あの[かぐや姫]の物語『竹取物語』の舞台地になったところである。(竹取物語にモデル地があったのですね‥初めて知りました。その近くのお寺でした。)
 そちらに、『報恩講法要』の昼・夜の二座と、次の日の『永代経法要』の二座、合計四座の紙芝居法話をさせて頂いたのだ。
 さすがに、二日目の昼の座が疲れ果ててしまい(笑い)、マスクをしての公演もあり、紙芝居後の法話の部分がぐちゃぐちゃになってしまった。(反省・・)
 二日間で、計15本の紙芝居をしたことなる。(聞いて下さっている門徒さんもしんどかったやろな・・僕も限界でした。すんません)
 二日間、大変お世話になりました。宝林寺のお寺の御家族さま、ご門徒様、ありがとうございました。合掌

奈良県葛城市『聞名寺』さまの[報恩講法要]

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今日、奈良県葛城市の『聞名寺』さまの[報恩講法要]に、「紙芝居法話」でお招き頂き行って来ました。
 久々のお昼と夜の座の[二座]の紙芝居法話で、最後は声枯れ枯れになりながら、全力でお話させて頂きました。
 ご寺院の皆さま、ご門徒の皆さま、大変お世話になりました。
 ご法縁ありがとうございました。合掌

今年もコロナ禍での【報恩講法要】

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(講師の善林寺・石田先生)
今年もコロナ禍での報恩講法要をさせて頂いた。
 秋のお彼岸法要に引き続いて・・、今回もご講師の先生に二階本堂からテレビ中継で、一階にお集まりのご門徒さんにご法話をして頂いたのだ。
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 「人の顔が見れないご法話は難しいですねぇー。」と何度もおっしゃっておられた。
 石田先生、ご無理を申しましてすみませんでした。合掌

紙芝居:『中村與次兵衛と寺ヶ池』(その6・最終回)

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 新しくなった[寺ヶ池]完成後、與次兵衛さんはご領主から呼び出されました。
「與次兵衛、ようやった!あっぱれじゃ!褒美としてそなたに、今の家とは別に土地をやろう。そして、そなたをそこの代官にしよう。これからも励むよう!」
「ありがとうございます。」
こうして、河内郷代官となった與次兵衛さんはさらに励みました。
 そして、いつしかその新田開発により、昔の100倍のお米が取れるようになったそうです。
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 その後、與次兵衛さんは子供達に仕事を任せ、自分は父と同じように頭を丸めてお坊さんになりお寺に入ります。
「極楽にいる親父さま、いやご住職、私は万人の幸せの為に働く事ができました。住職が言われたように、人の幸せを願って働くことは、自分自身をも幸せにすることでした。皆は私に感謝し、私は私で今幸せを感じています。私は大事な事を学びました。これからはその心で、この水路(井路)を通って流れ来る清らかな水のように、悩める人の心にそっと寄り添いながら、仏様の教えを伝え生きてゆきたいと思います。」
お坊さんになった與次兵衛さんは寺ヶ池の前でそう思いました。
 與次兵衛さんは『祐和(ゆうわ)』というお坊さんの名前になり、晩年を過ごされました。
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 今も人々の為に豊富な水を満たしてくれている、河内長野市にある寺ヶ池。
 恩恵を受けた多くの人により、與次兵衛さんの活躍を讃えて、今も池の北に「祐和」の碑という石碑が建っています。
おしまい
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(中村與次兵衛さんのお墓)

紙芝居:『中村與次兵衛と寺ヶ池』(その5)

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こうして総年数16年、延べ約4万人が関わった大工事は、慶安2年(1649)ついに終わりました。
 その周囲2200メートル、深さ29メートルの大きさでした。
 石川上流から流れ来る大量の水を見て、大きくなった寺ヶ池が、水で埋め尽くされたのを見た與次兵衛さん達村人は、言葉にもできぬ程の感動があったでしょう。
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 こうして完成した寺ヶ池の周囲は2197メートル、南北650メートル、東西約108メートル、貯水量は60万トン。
 そして池より、南西の水源地の底までの水路(井路)は、約3.8キロメートル以上ありました。
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(写真右下が現在の水路(井路)。いまも現役なのです。)
つづく

紙芝居:『中村與次兵衛と寺ヶ池』(その4)

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 與次兵衛さんは、水が流れ来る道(井路)を考えねばなりませんでした。
 ここ(寺ヶ池)から、上流の大きな川(石川)まで繋がるコースを決めました。
 そして水がきちんと流れて来るように、土地の高い、低いを見極めるに、夜に提灯を並べて、その明るさを頼りに調べました。
 皆で交代しながら、その高い低いの印に従って、井路(水路)を掘って行きました。
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 その井路を掘り進めるのは大変でした。
 途中、硬い岩盤にぶち当たる事もあったからです。
 その場合は、皆でトンネルを掘って井路を作りました。
 そうこうしながら、與次兵衛さん達は井路を完成させたのでした。
 その長さは、結果的に約13.8キロという、途方もない長さになったのでした。
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 一方、池も大きなため池に広げなければなりません。
 そこでまず、池の西側と東側に元々あった、なだらかに続く丘を利用して広げました。
 そして北側と南側には堤防を作り、ダム式のため池を考えたのでした。
 これは、現代のように機械が無く、すべては人の手で作業をしなければならない為、大変な工事でした。つづく

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