金剛たち3人は、この倭の国(日本)の難波の地(今の大阪)に、五重の塔を建てようと話し合い設計を開始しました。
「どうやら、この倭の国は地震が多いらしい。巨大な地震が起きても倒れないようなお釈迦様のお骨の埋まった宝の塔を作ろうではないか!我らの知恵と技術を結集して!平和を願う太子の為に!」
こうして、五重塔は組み立てられていきました。
それからおよそ15年が経ちました。
593年、この五重塔の建つ場所は、聖徳太子が[四天王寺]と名付け完成しました。
太子は言われました。
「ようやって下さった。金剛殿を中心とされた3人の宮大工の方々。おおそうだ。これから、そなた達を「チーム金剛・・いや『金剛組』と呼ぼう!
これからもこの倭の国に残って、多くのお寺を作ってくだされ。」と。
これが、会社組織「金剛組」の始まりでした。
金剛たち宮大工が作った四天王寺は、当時なにわの海(現大阪湾)に面した場所にありました。
ですので、朝鮮半島、東アジア諸国の船団との交易の窓口、つまり玄関口にこのお寺は築かれたのです。
海外から来られた外交官や商人達は、都へ向かう途中このお寺の五重塔を見て、さぞや日本という国の文化の高さに驚かれたでしょう。つづく
[管理用]
記事一覧
※画像をクリックすると拡大されます。
紙芝居:『金剛重光と宮大工「金剛組」』(その2)
紙芝居:『金剛重光と宮大工「金剛組」』(その1)
(はじめに~)・・私が住んでいる『観念寺』という寺は、立て直す前は宮大工『金剛組(こんごうぐみ)』にお世話になって建ったらしい・・。
これは、うちのお寺にたまに来られる金剛組の営業マンの御方から聞いた話である。(昔の資料がうちの寺には残っていないが、金剛組には残っているということだ。)
まぁそれで、その営業の御方といろいろとお話をする中で、僕はその『金剛組』そのものに興味を持った。
‥それは[日本最古の会社]とか[聖徳太子のラブコールで、百済の国から建築士が招かれて、日本で初めて五重塔を作った]とか、いろいろ興味深いお話を一杯聞かせて頂いたのだ。
それで、この『金剛組』という宮大工の歴史物語を作ることにした。
ただし、現にこの会社は今も活躍されているので、プライバシーは考慮して(金剛組社員さんに一度見てもらい、フィクションを交え)作らせて頂いた。
それでは、はじまります。みて下さい。
昔々の大昔、今から1400年も前に、世界で初めての会社がここ日本で生まれました。
それは宮大工の組織『金剛組』という会社です。
その世界最古の企業「金剛組」は、現在もお寺や神社の建築会社として活動されています。
それでは『金剛重光(しげみつ)』という宮大工から始まり、現在も続く「金剛組」の歴史を紙芝居で見てみましょう。はじまり、はじまりー。
若き日の聖徳太子は悩んでいました。
「ああ、わが国にお釈迦様のお骨を祀る高い塔を建てたい・・。
その塔があれば、人びとはお釈迦様の偉大さを見て思い、争いを止め平和を願うだろう。
・・しかし、わが国にはそのような高い塔を建てられるような建築士がいない。‥そうだ!海の向こうの国からそのような建築士を招こう!」(笑っちゃうけど、歴史的にはこの時、聖徳太子はわずか4歳という事でした。・・ちなみにサザエさんの子・タラちゃんは3才だそうです。「ばぶー」とは言わんか。あれはいくらちゃんか(笑))
こうして聖徳太子の命を受け、578年、海の彼方[百済(くだら)]の国(現に朝鮮半島)から、[金剛(こんごう]、[早水(はやみ)]、[永路(ながみち)]の三人の建築士が招かれました。
太子は言われました。(以後、タラちゃんの声で)
「そなたたち、遠路はるばるよう来てくれたですー。そなたたちには、わが国らしい美しいお釈迦さまのお骨を祀る[宝の塔]を作ってもらいたいんですー。頼みますですー。困ったことがあったら、かつお兄ちゃん?違う違う、我が叔父[蘇我馬子]兄ちゃんの智慧を借りて決めてくださいですー。」と。
「はいー、わかりました。ばぶー」といくらちゃんが乗り移り、3人の宮大工は答えました。(次回からまじめにいきます)
つづく
当麻寺参道の民芸品店『和』さまとのご縁
世界かんがい施設遺産・寺ヶ池・寺ヶ池水路を学ぼう!
9月29日(木)14:00~16:00 於:河内長野市千代田公民館
世界かんがい施設遺産として登録された『寺田池・寺ヶ池水路』。
この郷土の歴史を学んで、どのように街づくりに活かすかを、高校生と一緒に考えてみよう!というテーマで3回にわたって講義を行います。
私は第一回目、「中村與次兵衛と寺ヶ池、他河内の人々」というお題でオリジナル紙芝居をさせて頂きます。
よろしければ、チラシの下記にて申し込んで下さい。合掌
令和4年「郷土の人々紙芝居画展」in旧河澄家
今年も8月から9月に掛けて、東大阪市指定文化財.旧河澄家で、「郷土の人々紙芝居画展」と公演会を行います。(チラシ参照)
今年は「ワカタケルとワカクサカ」.「神武東征記」.「楠木正行もここにあり」の三本です。
展示会は、8月26日から9月25日まで
又、公演会の日時は、令和4年8月28日(日)13時より15時までです。
場所は、旧河澄家 大阪府東大阪市日下町7-6-39 電話.ファックス072-984-1640
HP http://www.kyu-kawazumike.jp
定員20名
参加費は無料
画展は、午前9時30分より午後4時30分まで 月曜休館
申込は、8月2日(火)9時半より受付開始です。
どうぞ、皆様お時間ございましたらお越し下さい。合掌
紙芝居:『御文章(ごぶんしょう)聖人一流(しょうにんいちりゅう)の章』(後編)
紙芝居:『御文章(ごぶんしょう)聖人一流(しょうにんいちりゅう)の章』(前編)
『聖人一流の御勧化(ごかんけ)のおもむきは 信心をもって、ほんとせられ候・・・。』
・・で始まる、これは浄土真宗八代目門主、蓮如(れんにょ)上人のお手紙『御文章(ごぶんしょう)』の一節です。
これを『聖人一流(しょうにんいちりゅう)の章』といいます。
さて、今回はこのお手紙を(我流)紙芝居にして見て頂きましょう。はじまり、はじまりー
昔々の室町時代。
蓮如さまは、その昔浄土真宗を開かれた、親鸞(しんらん)様のみ教えをわかりやすくお手紙にして、ご門徒たちに[手紙型.説法]にして、出しておられました。
「うーん、よしっ!今日はご門徒たちに、浄土真宗で一番大切な教えである『信心』について書いてみよう・・。」と、蓮如さまは筆を取られました。
『ご門徒の皆さまへ
まず初めに・・
聖人・・、つまり親鸞様の事じゃな。
親鸞様の一流のご勧化のおもむきは・・、つまりこれは浄土真宗の流派で、もっとも私たちに伝えたかった教えの要(かなめ)は『信心』についてと、いうことなのじゃ。』
そのゆえは・・つまり、その理由は・・、もろもろの雑行(ぞうぎょう)・・、これは、いろいろな自分で出来る修行を一切止めるという事。
そして一心にただひたすらに、阿弥陀如来という仏様を心にとどめ・・、つまり一心に仏さまにお任せするんじゃな・・、すると、
不可思議な願力・・、つまり考えられないほどの仏様のすっごいお力で、
仏様の方から、我々を極楽浄土という世界へ連れて行ってくださる事を、お約束して下さるのじゃ。
その位(くらい)を・・、つまりその境地は、次の世で必ず仏様の仲間入りが決まった素晴らしいことなのじゃ。
これを難しい言葉でいうと『正定ジュの位』に入るというのじゃ。』 つづく
現在、制作中の紙芝居!
今日は現在制作中の紙芝居を5本、見て頂きます。
まず一本目。
仏教紙芝居『御文章 聖人一流の章のお話』。
この作品は、蓮如上人のお手紙『御文章』を紙芝居化したものです。
久々の仏教もの・・(笑)。
二本目、『金剛重光と宮大工「金剛組」』。
世界最古の会社組織と言われている「金剛組」。その1400年の歴史を紙芝居にしたもの。・・実は我が寺、観念寺もその昔「金剛組」にお世話になったそうです。その想いを込めて作っています。
三本目、『二人の甚兵衛 中甚兵衛と加賀屋甚兵衛のお話』。
以前、紙芝居にした大阪の大和川を作った中甚兵衛と、そしてその川を使って土地をより良く生まれ変わらせ、大阪の発展の為に尽くした商人、加賀屋甚兵衛。その二人を紙芝居にしてみたいと思っています。
4本目、『なにわの比類なき趣味の巨人 木村蒹葭(ケンカ)堂の話』。とにかく、変わった大天才です。江戸中期の大阪を調べていたら、必ずどこかで登場する天才暇人商人です。長い顔のこの笑顔が好きや。
5本目、『東井義雄先生』。
尊敬する教育者、東井先生。何故か、その最後はアラビアのロレンスを思い出してしまうのです。(涙)
今年はこれらの作品を作ります。合掌
紙芝居『夫婦善哉』取材、再び!
(紙芝居『夫婦善哉』の宣伝チラシ)
今年の11月6日(日)、富田林市[旧杉山家住宅]で、織田作之助原作の紙芝居『夫婦善哉』を披露する。
(道頓堀)
そこで、原作の舞台地の大阪難波、道頓堀へ取材に(再び)行って来た。
(法善寺・水掛不動)
取材先は二箇所。甘党のお店『夫婦善哉』と西洋レストラン『自由軒』である。
まずは法善寺・水掛不動さんでお参り。
(夫婦善哉)
そしてその真横にある『夫婦善哉』店で、そのまんま名物「夫婦善哉」を頂く。
(自由軒:ライスカレー)
そして、西洋レストラン『自由軒』で名物「ライスカレー」を頂いた。
織田作原作のそのまんまに、今も同じ味が味わえるのです。
今年の紙芝居公演も、これで気持ちが入ります!