住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居『悲劇の英雄ヤマトタケル』(その4 最終回)

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そして伊勢神宮の叔母の元に寄り、草薙の剣を無事に返しました。
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(草薙の剣を祀る熱田神宮)
しかし、この神の剣を早々に返してしまった事が、ヤマトタケルの油断になりました。
タケルの命を狙う者がまだ居たのです。
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それはヤマトタケル達が、滋賀県の伊吹山まで帰って来た時、タケルを怨む山賊達が突然襲って来たのです。
もう戦さは無いと油断していたタケルは、この戦さで大怪我をしてしまいます。
一説には、この敵をうまく誘導しタケル達を襲わせたの、タケルが無事帰って来る事を知った父や弟の仕業ではなかったか?と言われています。
結局、ヤマトタケルは家族からあまり好かれていなかったのでしょうね。‥と思います。知らんけど。
この大怪我が元でヤマトタケルは(三重県亀山市の)[のぼの]という所で死んでしまいます。
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伝説によると、ヤマトタケルが亡くなった時、白鳥に生まれ変わり、奈良の都へ飛び立ち、そして河内の古市(大阪府羽曳野市)で一度舞い降り休まれたと言われています。今も羽曳野市にはヤマトタケルの墓があります。現代の大阪の『羽曳野(はびきの)市』とは、「白鳥になったタケルが羽を曳(ひ)くようだった」と(まるで見て来たかのように?)言われる伝説が残り、今も『羽曳野市』という町の名前になっています。
又、白鳥が休んだ場所は実はもう一つあり、奈良にもタケルの墓があるのです。‥ヤマトタケルは奈良の都までどうにか生き延びて帰って来たのかも知れない‥と思いました。
それでは、悲劇の英雄ヤマトタケルが亡くなる時に、故郷奈良の大和を慕って歌ったと言われている詩を紹介して紙芝居を終わるとしましょう。
『ヤマトは国のまほろば、たたなづく青垣、山ごもれるヤマトしうるわし』(意味)「奈良のヤマトの国は素晴らしく良い国だ。重なりあう青い垣(かきね)山々に囲まれたヤマトの国よ、なんと美しい国なのか!」 おしまい

紙芝居『悲劇の英雄ヤマトタケル』(その3)

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その草薙(くさなぎ)の剣が、ヤマトタケルを助ける時が来ます。
それは相模の国(今の神奈川、静岡県辺り)に入った時、山賊達が罠を仕掛けてタケル達を草原に追い込み、火を掛けたのです。
「もうダメか!」と思った時、草薙の剣がビカリと光って炎を敵に向かって追いやったのです。
山賊達は驚き逃げて行きました。
それからこの場所は、『焼けた所』という意味の『焼津(やいず)』と呼ぶようになったそうです。
余談ながら、日本各地にヤマトタケルが足を運んだ場所がその土地の名前となっていることが多くあります。
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ヤマトタケルには多くの妻がおりました。
その一人『弟橘姫(おとたちばなひめ)』は、タケルの旅について来ておりました。
関東から東北へと、一行が船を使って上総の国(今の千葉県)に向かっていた時、大嵐にあってしまいます。
その時、弟橘姫が「私が海の神様の怒りを鎮めて参ります。」と言って、突然一人海へと飛び込んだのです。
タケルは驚き涙流しますが、不思議とそれから海は収まり、皆は無事に陸地に着く事が出来ます。
妻を亡くし、その悲しみのあまり、上総の国に着いたタケルは、しばらくその地を離れませんでした。それで、この地は『この地は君の為に去らずにいた』という意味の『木更津(きさらず)]と名付けられたそうです。
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やがて一行は、東北地方に到着しこの遠征は、無事に終わります。
長い旅はようやく終わったのです。
「さあみんな、都へ帰るぞ!今度こそ父上は私を誉めてくれるだろう。」とタケル達は帰還することになりました。つづく

紙芝居『悲劇の英雄ヤマトタケル』(その2)

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「そこの女、初めての顔じゃのう‥。もうちょっとこっちへ来い。」と酔っ払ったクマソは油断しました。
「今だ!」と、オウスは短剣を取りクマソの腹に突き刺しました。
「グググワァー!』と倒れるクマソ。オウスはとどめを刺そうとした時、クマソは虫の息で言いました。
「お前はヤマトの国の顔じゃのう‥。このわしを狙うとは、なかなかの奴。‥わしの名はクマソの国の勇者という意味の[タケル]じゃ。
わしを倒したお前は、ヤマトの国の勇者[タケル]じゃ。これからお前は[ヤマトのタケル]と名乗れ!クマソの国は、これからヤマトに従おう‥。」と言って倒れました。(虫の息ながら、よーく喋るやっちゃなぁー。余談)
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クマソを倒し、ヤマトタケルの名前をもらったオウスは、九州全土を従わせて、意気揚々と奈良の都に帰って来ました。
そして父の天皇に誉めてもらおうと報告すると、返って来た返事はそっけないものでした。
「お前、この父の許しも得ず、ヤマトの勇者『タケル』という名前をもらったそうじゃのう。勝手な事をしおって‥。それではヤマトタケル、次の命令を与える。明日から、関東、東北へ行って、我らに逆らう者達を征伐してまいれ!すぐに行くのじゃ!」と言われました。
「はっはい、父上‥」とヤマトタケルは頷きました。
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「父上はわたしを嫌っている。』と、涙を溜めて関東に向かったタケルは、休む間もなく再び出発したのでした。
その途中、叔母が巫女をしている伊勢神宮に立ち寄りました。
「叔母上、どうして父は私を嫌うのでしょうか?」
「お前の父は、そなたを嫌っているのではない。そなたが怖いのじゃ。‥いつかそなたに倒されるのではないか‥。」
「そんなバカな!?」
「きっと、いつの日か分かり合える日が来るでしょう。それまで、お前は元気でおらねばなりませんよ。
‥そうそう、お前に神の力が備わった『草薙の剣』を授けましょう。きっと、そなたを守ってくれるでしょう。」
「ありがとうございます。叔母上!」つづく

紙芝居『悲しき英雄ヤマトタケル』(その1)

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『英雄』って、どんな人でしょう!?
華々しく活躍し、カッコいい人!
今で言えば、二刀流の大谷翔平選手!?
ところで、日本初の英雄といえば、この人、ヤマトタケルの命。‥この人しか居ません。
それはまだ、日本が一つにまとまっていなかった西暦72年頃‥。
ヤマトタケルはその実力(武力)で、九州から東北まで行って日本の国を統一させました。
 しかし、それは大変辛いものでした。
それでは、その悲しき英雄の生涯を紙芝居で見てみましょう。はじまり、はじまりー
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ヤマトタケルは若い頃、オウスの命(みこと)と呼ばれていました。
オウスは、第12代景行(けいこう)天皇の息子として生まれました。
しかし、父の天皇はオウスの性格が荒々しい為嫌い、いつも遠ざけておりました。
そんなある日、天皇はオウスを呼んで言いました。
「オウスよ、今から家来を連れて、九州征伐に行け!肥後の国にクマソタケルという暴れん坊が居る。そやつは、わしの言うことを聞かんのじゃ!お前は、クマソタケルをやっつけて来い。」
「はっはい、父上。わかりました。」と返事して、出発しました。
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オウスは、九州の肥後の国(今の熊本県辺りか?)に着きました。
そしてクマソタケルの屋敷にこっそり忍び込みました。
‥が、警戒厳重でなかなかクマソタケルに近づけません。そこで、
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オウスは女装して、踊り子に変装してクマソに近づくことに成功しました。つづく

旭堂南華さんの創作講談『岩橋善兵衛』

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講談師[旭堂南華]さんによる創作講談『岩橋善兵衛』が、今年の11月2日(土) 公演されます。
‥原作は恥ずかしながら私です。よろしければ入場無料ですので、お越しください。
(日時) 令和6年11月2日(土) お昼12時10分から
(場所) コスモスシアター中ホール 貝塚市畠中1-18-1 電話072-436-5031
※入場無料 自由席です。
 [注意] チラシ上の段「なみはや演芸会スペシャル」は有料です。
(主催) 貝塚市、貝塚市教育委員会、貝塚市文化振興事業団

北斎の脳卒中と薬の話(後編)

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柚子(ゆず)は細かく木の小刀で切る。
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それを土鍋に入れて、お酒を一合近く入れて、グタグタになるまで煮る。(完全に酒は煮詰めて飛ばしてしまう。余談ですが、北斎は一滴も酒が飲めなかったそうだ。)
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煮詰めた柚子に、白湯を混ぜる。
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完成!完成までに50分程掛かった。部屋の中は酒と柚子が混ざった変な匂い。この薬もどき?を北斎は一日二度に分けて飲んだらしい。‥このまめな調合が北斎のリハビリにもなったのだろう。知らんけど(笑)
僕もこのドロドロの柚子を飲んでみた。お酒の味はしない。味は苦い。決して飲みにくいものではないが、かと言って美味しいものではない。これを毎日飲むのは僕には無理だ。しかも、秋以降しか柚子はない。僕もスーパーに出るまで探し回った。ようやく無農薬の柚子を見つけた時は嬉しかったが、木の小刀で細かく切るのは難しかった。
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さて、北斎はこのギトギトな柚子薬?を毎日作り、かつ飲み、脳卒中を克服し数々の名作を描かれ歴史に名を残された。(どうやら現代医学では柚子のポリフェノールのような栄養素が効いたのではないかと言われている。‥が、僕にはよくわからない。)
が、北斎の脳卒中の後遺症を治そうとする、創作意力努力が並の人ではなかったのだと改めて思う。
僕も北斎には遥かに及ばないが、脳卒中の後遺症を乗り越えて、紙芝居をこれからも作って行きたいと思う。‥後、ギトギトになった土鍋をきちんと洗って返さないと妻にギトギト?と叱られる。それが怖い。(笑)

北斎の脳卒中と薬の話(前編)

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(北斎と娘.お栄)
今注目の人、新千円札の裏に刷られて『ビッグウェーブ』の作者浮世絵師『葛飾北斎』。
でもこの絵は、北斎が脳卒中を起こしてから描かれた絵である事を知る人は少ない。
北斎は、絵描きの致命傷というべき腕が効かなくなる脳卒中の病気を乗り越え、あの絵を描かれたのだ!
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(『葛飾北斎伝』より)
では、どうして医学も進んでいない江戸期に、卒中を直したのか?
それは、今でも伝説となっている『北斎の卒中の薬』のおかげと言われているのだ。
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(完成間近の「葛飾北斎と脳卒中の話」)
その誰にでも作る事が出来るという、この薬を紙芝居にした物語は、もう少し後日に発表するとして、まず、その薬もどきを調合した実験結果を2回に分けて発表する。‥ただしそんな大層な物では無い。簡単なのだ。
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(脳卒中の薬材料)
そもそも北斎自身、誰にこんな漢方薬のような物を誰に教えてもらったのかは、はっきりとわかっていない。(一説によれば、滝沢馬琴と言われているがわからない?)
 さて、くすりの材料だが『柚子』と『日本酒』と『土鍋』と『木の小刀』、後、少々の白湯。これだけ‥だ。ほんま簡単!
さあ、作ってみよう!
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まず、『キューピー3分間クッキング』の音楽を頭の中で鳴らす。‥もちろん、それは僕だけだが‥(笑)。
まず一個の柚子を木の小刀で細かく切る。(これが硬くて難し!) 北斎曰く、鉄製の包丁はダメなのだそうだ。‥鉄分が付着するからか?僕にはサッパリわからない。が、北斎の言う通りにやる。(僕は小刀を百均ショップで、土鍋を妻から借りて使った。) つづく

人の善意と優しさに命を救われた話‥昨日の出来事

昨日の出来事。‥実話である。
私は昨日、人の『善意』と『優しさ』に命を救われた。
それは、朝の通勤列車内での出来事であった。
場所は、南海電車難波行き『天下茶屋駅』に近づいた時。
僕と妻は、前から計画していた旅行に出発する為、少し蒸し暑い列車に立って乗っていた。
僕は目の前が霞み、突然意識を無くして後ろに倒れた‥。僕の顔は白く鼻水が流れていびきをかき始めた‥らしい。(直接の原因は熱中症だったもしれない。3分程意識はなかったそうだ。)
妻は驚き、必死で僕に声を掛け、満員電車の中で「誰か助けて下さい!」と叫んだそうだ。
それを聞いた二人の男性が、一人は「今、携帯で救急車に連絡しました。もうすぐ『天下茶屋駅』に来ますから。」と言って励ましてくださり、もう一人の方は、「今、私は後ろの車掌を呼んで来ますから、待ってて下さい。」と、満員電車の中を掻き分けて呼びに行って下さったそうだ。
電車は駅に着き、ホームで救急隊が担架と車椅子を持って待っていてくださった。その時、すでに僕の意識は戻っていた。
ホームに降りた僕は車椅子に乗せてもらい、外で待っていた救急車に乗り、近くの病院へ向かった。そこまで先程の二人の男性は、列車を降りて改札口まで僕を見送ってくださったそうだ。
「あの二人の男性、会社には遅刻されたのではないかな?‥でも心強くありがたかった。もう一度お礼を言いたい」と救急車の中で何度も妻は言っていた。僕も改めてお礼を言いたいが、どこのどなたか分からないので、自坊の寺の仏さまに手を合わせている。‥分かればお礼に伺いたいのだ。
救急病院では、色々と検査をしてくださったが、結局これと言った原因はわからず、その日の内に退院した。おそらく、前にした心臓手術の時の血管が細くなり、脳まで血が行かず熱中症もあって気を失ったのではないかと、お医者様から言われた。
今、普通通りの生活に戻ったが、本当に人の善意と優しさに改めて驚き、感謝している。
旅行はキャンセルになってしまったが、もっと大きなありがたい人の心を頂けたような気がしている。
支えて下さった数々の列車内の皆様、駅員の皆様、救急隊の皆様、本当にありがとうございました。合掌

今年のお盆の出前!

今年もお盆の出前は盛況でした。
例年の如く、近隣のお寺3カ寺へ紙芝居法話で回らせていただきました。
その時の一つ、今日は富田林の西徳寺様に行って参りました。
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(西徳寺さま)
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こちらのお寺は、住職のリクエストがあって紙芝居は『お盆の話』やら『観無量寿経の話』など、阿弥陀さまの話を挟みながらさせていただきました。…来年もご依頼をお受けしたので、来年の8月も忙しくなりそうです。

9月1日.『本願寺津村別院(北御堂)「日曜講演」』に出ます!

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9月1日.『本願寺津村別院(北御堂)「日曜講演」』に出ます! 無料ですので是非お越しください。

(日時) 令和6年9月1日(日)午前10時30分より〜正午頃まで
(場所)大阪市中央区4-1-3 本願寺津村別院(北御堂)2階 二尊堂
(電話)(06)6261-6796
(講題)『紙芝居で味わうちょこっと法話』
(内容) 難し〜いご法話を 優しく楽しく面白く、そして短く味わい深く そんなお話してみたい、悩み考え筆を持ち 描いて出来たが紙芝居。
 気がつきゃ二百を越したその中で、この度『一休さんと蓮如さま』、その他『妙好人』のスター方、主人公にて演じます。
それでは皆さま、当日に拙い話でありますが、紙芝居にて逢いましょう♪ 合掌

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