住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

北御堂『大阪教区スカウト指導者会』への紙芝居出講

ファイル 2431-1.jpeg
先週に引き続き、今週の日曜は『大阪教区スカウト指導者会』へ、北御堂に出講する。
 ボーイandガールスカウト指導者達への紙芝居法話会である。
ファイル 2431-2.jpeg
「わかりやすい法話をお願いします。」と言われて、『阿弥陀仏物語』と『三尺三寸のお箸』の紙芝居をさせていただきました。
わかりやすかったかな?合掌

『善兵衛さんの望遠鏡』紙芝居原作者・宮本直樹

ファイル 2430-1.jpeg
昨日、貝塚市教育委員会の課長さんがお寺に来られた。
一年以上遅れていた、郷土の偉人『岩橋善兵衛さんの望遠鏡』の施本が[大版].[小版]二つ完成したとの事で、その見本を持って来られた。
その内、[小版]の方は、小さい子供向けに僕の絵ではなくパソコンを使って作った物になっているので、僕に原作者として了承して欲しいと言う事であった。もちろん、僕はその見本を見て出来が良かったのでOKした。
ファイル 2430-2.jpeg
又、[大版]の方は、原作も絵も僕の作った物になっているらしい・・、知らんけど。
 完成品は今年の春頃に、大阪府各図書館や学校などで配布されるらしいので楽しみにしている・・知らんけど。(ほんまに知らんねん!僕の知らんところで色々、動いていく。)

河南町『介護者家族の会さくらんぼ』新年交流会への出前

本日、河南町役場内で、『介護者家族の会さくらんぼ』様の新年交流会にお招き頂き、『新年紙芝居会』をさせていただきました。
 演目は『十二支のはじまり』などを中心に、楽しい物を演じ今日は、明るい雰囲気作りをさせて頂きました。役員の皆様、ありがとうございました。合掌

北御堂日曜講演、講題『み仏の心を絵に込めて』

ファイル 2428-1.jpeg
大阪市本町の北御堂(津村別院)に、本日『日曜講演』に行って来ました。
ファイル 2428-2.jpeg
朝の10時30分スタートなので、南河内を結構早く車で出ました。
極寒の日曜だったので、参拝者の方が少ないのでは心配しましたが、30人ほどのお方がおいでくださり、大変嬉しかったです。
ファイル 2428-3.jpeg
新作紙芝居『北御堂物語』など、途中休憩を挟んで、お昼までお話しさせて頂きました。合掌

紙芝居が活躍している様子です‥

ファイル 2427-1.jpeg

河内長野観光ボランティア倶楽部のMさんから、昨年の(私の紙芝居を使っての)ボランティア活動の様子をまとめた物を送って頂きました。
ありがとうございました。合掌

明けましておめでとうございます

ファイル 2426-1.jpeg

新年、明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。合掌

ニューズレター『かわずみ家』2023年27号に掲載されました

ファイル 2425-1.jpeg
2023年27号『ニューズレターかわずみ家』に、紙芝居公演の模様が掲載されました。
ファイル 2425-2.jpeg
楽しい公演会でした。

『北海道稲作の父を偲ぶ』記事が載りました

ファイル 2424-1.jpeg

中外日報に『北海道稲作の父を偲ぶ」と題した記事が載りました。
 この前の太子町の「竹内街道灯路祭り」で中山久蔵さんの紙芝居をした時の模様の記事です。
 大阪と北海道を結んだ楽しいイベントでした。合掌

泉佐野市『光明寺』様の報恩講!今年は大型ブック型紙芝居

ファイル 2423-1.jpeg

今年も泉佐野市の光明寺様にお招きいただき、報恩講の紙芝居法話に行って来ました。
 今年は『弁円』さんの紙芝居や二年前から『作って欲しいと言われていた『衣通姫』の紙芝居を披露する。
そして今回の目玉は、大型ブック型紙芝居『怨みを捨てて』。これは戦争に対する平和になる方法をお釈迦様がお話された事を物語にした物。
 大型だけに迫力があるが、持って行くのが大変だった。でも無事に披露できて良かったです。合掌

紙芝居:『華岡青洲物語』(その4 最終回)

ファイル 2422-1.jpeg
がしかし、やがてこの嫁と姑に不幸が襲いかかります。
度重なる劇薬の服用によって、体力を失った母は亡くなり、妻は視力を失ってしまうのです。
こうした犠牲に支えられ、人に効く麻酔薬『通仙散(つうせんさん)』と名付けられた全身麻酔薬は、ついに完成したのでした。
ファイル 2422-2.jpeg
それからしばらくすると、青洲の元に一人の老婆がやって来ました。彼女は重い乳がんでした。
老婆は「あなただけが頼りです。」と頼ってこられたのです。
青洲は「‥以前、妹を乳がんで亡くした。その時は手術が出来なかった。この機会、これは妹の弔い合戦かもしれん。」と思いました。
そして、青洲はここで麻酔薬を使っての乳がん手術を決意します。
かくして、1804年10月13日。ついに手術は始まりました。
この薬を飲んだ老婆は程なく眠りに落ち、青洲は彼女の患部にメスを入れ、一気に腫瘍を取り除きました。
こうして、世界で初めての全身麻酔手術は成功したのです。
ファイル 2422-3.jpeg
この手術成功の知らせは、たちまち世間に知れ渡りました。
こうして彼の元には、治療を求める多くの患者と教えを請う日本中の医者達が押し寄せました。
そしてその後、青洲は全身麻酔薬を使った手術を成功させました。
やがて彼の元には、全国から一千人以上の弟子達が集まり、青洲の医院は日本の最先端医療の中心地となっていきました。
ファイル 2422-4.jpeg
こうして青洲の功績は、和歌山のお殿様にも認められ、武士の資格と医者の最高位を頂くことにまでなります。
がしかし、彼は生涯、自分の住む紀の川の場所を離れませんでした。
そして診療の暇を見つけては、目の見えなくなった妻の側に行き、絵本などを読み聞かせたりして、夫婦で楽しむ時間を大切にしたそうです。
その後、青洲の妻は1832年、68才で亡くなり、青洲はそれから3年後、74才で亡くなりました。
現在、華岡青洲とその家族のお墓は彼が活躍した和歌山の紀の川市に建っています。
おしまい
ファイル 2422-5.jpg
(道の駅 青洲の里「華岡青洲顕彰記念公園」内)

上に戻る