住職のつぼやき

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堺市『極楽寺』さまの永代経法要in2021

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本日、堺市の『極楽寺』さまの[永代経法要]にお招き頂き、今年も紙芝居法話の出講をさせて頂いて来た。
 コロナ禍が再び拡大して来た中、ご門徒さんのご参拝状況はいかがなものだろうか?と心配していたが、お寺の中がコロナ対策をきちっと取っておられた事もあって、約20名ほどの門徒さんがお集まりになってくださっていた。
 お一人お一人がマスクをして、静かにお念仏をして法要に厳粛にご参加されているお姿は素晴らしく感動させて頂いた。
 毎年ご法縁を頂き、本当にありがたいことでした。合掌

納骨の儀式

今日、九十五才でお亡くなりになった檀家さんの満中陰(四十九日)法要があり、お勤めさせていただいて来た。
そしてお勤めが終わってから、近くのお墓にご一緒にお参りして、納骨させて頂いた。
 その時、息子の喪主さまが「先に亡くなった母の遺言で『私が先に亡くなったら、お骨は仏壇に置いておいて、主人が亡くなりその納骨の時に一緒に、混ぜてお墓に納めて欲しい』と言っておりまして、今日はそのようにさせて頂きます。」とおっしゃって夫婦二人のお骨を混ぜてお墓に納めた。
僕は「仲が良かったのですね。」と言うと、「そうでもないのですよ。晩年は良く喧嘩してましたから。夫婦ですからいろいろありましたしねぇ・・何考えてたのかねぇ。はっはっはっ」と笑って言われた。
 最近は夫婦で一緒にお墓に入りたくないと言われる方が多い中、良い話だなぁと、満開の桜の下で僕は思った。合掌

新年度(四月)の法話会・講演会の予定

 コロナ禍ではありますが、新年度(四月)の法話会と講演会の予定が入っています。
 四月七日に、堺市の浄土真宗極楽寺さまの「永代経法要」記念法話会。
 こちらには、毎年ご縁を頂戴しお招き頂いております。
 今年は、疫病についての宗教的な紙芝居を中心に、ご法話させていただこうと考えております。
 そして四月二十日は、「河南町食生活改善推進協議会・設立30周年記念式典」の記念講演を頼まれております。
 「大きな記念大会ではありますがコロナ禍なので、短い時間でインパクトのある(食事にまつわる)良い話を!又そんな紙芝居があればやって欲しい」と、(・・難しいお話ですよね)頼まれましたので、エエ話(笑)を今考えております。(よろず屋紙芝居演者です。なんでもお引き受けしております[笑])
四月二十三日は、「河南町介護者家族[さくらんぼ]の会・総会」の記念講演を頼まれた。こちらも会長様から「今このコロナ禍の社会状況を鑑み、家庭内の介護者家族達が、為になり、又元気が湧いてくるようなお話を頼みます!又そんな紙芝居があればやって欲しい」とお願いされましたので(無茶でっせ。笑)、今お話を模索中です・・。
 一生懸命考えたら何とかなるやろ!?の精神で、相手様の気持ちを良く良く考えてと今悩んでいます・・。でも、どないなるやろか?不安もあるわ。

紙芝居:『星に願いを〜岩橋善兵衛ものがたり』(その4 最終回)

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今や大人気となった善兵衛さんの望遠鏡。
京都・大阪・江戸の大名屋敷の武士や、又海運業の大商人からも「是非とも善兵衛殿の望遠鏡が欲しい!」と言われ、一つ一つ作っては納めました。
 又その精度の良さから、日本地図を初めて作った[伊能忠敬(いのうただたか)]公も、善兵衛さんの望遠鏡を持って、日本中を歩き測量したそうです。
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 もちろん当時、日本で望遠鏡を作ったのは善兵衛さんだけではありません。
が、自らレンズを磨き、望遠鏡作りを専門としたのは、日本においては善兵衛さんだけでした。 
 その為、性能では他を圧倒していたのです。
 がしかし、望遠鏡販売によって得たお金を、より精密な望遠鏡の研究費用に当てた為に、善兵衛さん家は常に貧しかったそうです。
 夜空の光輝く星々に興味を持ち、もっと知りたいという夢を持ち、勉強し努力を続けた善兵衛さん。
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 文化八年(1811)、行年56歳で亡くなりました。
 法名は[釈 義天]。辞世句「今死ぬる 既に燃火(もえび)の消え失せて 無量寿仏(=阿弥陀仏)と なるぞ嬉しき」
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現在、善兵衛さんの故郷であった貝塚市では、その偉大な功績を讃えて[善兵衛ランド]を開館しています。
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 ここは、ドーム式天体観測室のある大阪府下最大の天文台施設です。
 又もちろん、善兵衛さんに関する資料の展示や実際の望遠鏡も見ることが出来ます。
 星が好きで、星に夢を持った善兵衛さん。
 皆さんも一度、こちらの施設で、善兵衛さんと同じ夢を味わってみては如何でしょうか。おしまい

紙芝居:『星に願いを~岩橋善兵衛ものがたり』(その3)

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いつしか善兵衛さんは37才になっていました。
 今や一人前の科学技術者となった善兵衛さん。
 大阪貝塚の自宅に帰り、本格的な[望遠鏡]作りを開始しました。
 そして寛政五年(1793)、ついに新たな高性能の[望遠鏡]が完成したのでした。
 善兵衛さんは、それを『窺天鏡(きてんきょう)』と名付けました。
 そしてその年の七月・・・、
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 京都伏見の恩師の元(=『黄華堂(こうかどう)』)に、窺天鏡(望遠鏡)を持って行き、そこで当時の文化人たちと共に、日本初の『天体観望会』を開いたのです。
 その観望会に出席した文化人の一人の先生がこう記録しています。
(以下、現代語私訳)「・・この望遠鏡は普通の物より10倍は長い。・・木星を観ると本当に円形をしており、まるで満月のようである。・・これを作った大阪貝塚の善兵衛という男、世にまれなたくみ職人である。」と。
 この成功に自信を得た善兵衛さんは、この後さらに工夫を重ね、新たな望遠鏡を作り出していきました。
 又、模倣品の防止の為か、自分のオリジナルシンボルマーク(車の形)をあみ出して、望遠鏡に塗装しました。
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(貝塚市:善兵衛ランド)
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(善兵衛さんの窺天鏡(望遠鏡))
つづく

紙芝居:『星に願いを~岩橋善兵衛ものがたり』(その2)

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「よしっ、わしは学問をする!一生懸命勉強して、西洋にも負けない[望遠鏡]を作るぞ!・・そして、あの星の流れやその秘密を明かしてみせるぞ!」と、善兵衛さんは志をたてました。
 そして、メガネレンズを売って儲けたお金を、旅費と学問費に充てて旅に出ることにしました。
 善兵衛さんは、望遠鏡レンズの事をよく理解している自然科学・物理学の先生(医者で文化人・学者の[橘南谿(たちばななんけい)]師や儒学者・文化人の[皆川淇園(みながわきえん)]師)を探し出し、それらの先生が京都に居られる情報をつかんで旅立ちました。
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 が、もともと仕事が忙しく、学問をする時間も無かった善兵衛さんです。
 だから、先生の塾に入門しても、難しい言葉やその意味を必死で勉強しなければなりませんでした。
 が、頑張り屋の善兵衛さんは、長い時間を掛け、根気よく、熱心に勉強したのでした。
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(善兵衛の作った望遠鏡)
つづく

紙芝居:『星に願いを~岩橋善兵衛ものがたり』(その1)

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今からおよそ、200年ほど前の江戸時代のお話。
日本一優れた[望遠鏡]を作り、日本初の天体観望(かんぼう)会を開いた一人が、今からお話します、大阪は泉州(今の貝塚市)出身の岩橋善兵衛(いわはし・ぜんべえ)です。
 彼はメガネ職人からスタートし、独自の研究でやがて科学技術者の一人となりました。
 それでは、たぐいまれな科学技術者、岩橋善兵衛さんの生涯を紙芝居で見ていきましょう。はじまり、はじまりー。
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 善兵衛さんは海沿いの町、貝塚脇浜新町で生まれました。
 実家は魚屋で、次男坊に生まれた善兵衛さんは、長男が親の後を継ぐため、自分はもう一つの副業である(メガネレンズ)磨きの仕事をしておりました。
 そう、江戸時代にすでにメガネはあったのです。
 そしてこの頃、大阪でもガラス細工を加工する仕事が盛んだったそうです。
 善兵衛さんは、小さい頃から手先が器用で、この仕事が得意でした。
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一日の仕事が終われば、善兵衛さんは外に出て、夜空を毎日眺めていました。
 善兵衛さんは星を見るのが大好きだったのです。
「ああ、このメガネガラスを重ねたら、星が大きく見えるなぁ!今夜は月が綺麗が良く見えるぞ。・・でも、本当に月にはウサギがいるのかなぁ。・・月に行く事は出来ないけれど、このガラスを重ね工夫すれば、月の表面は見えるかもしれないぞ!」と、善兵衛さんは妄想にふけながら夜空を眺めておりました。つづく
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(岩橋善兵衛像・貝塚市[善兵衛ランド]より)

春季彼岸法要、終わりました!

コロナ禍の社会情勢を鑑みて、二座に分けて行った春季彼岸法要、無事に終わました!
 ようこそのお参りでした。合掌
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春季彼岸法要、準備中

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 明日は、観念寺の『春季彼岸法要』の日である。
 コロナの感染防止対策をしっかりとやって、只今法要の準備をしている。
 そういえば、二階本堂で大きな法要をするのは一年ぶり・・。
 去年からずっと、一階のホールでテレビ画面を通して、皆さんとお勤めをして来た。
 いよいよ、本格的に(読経時間は短くしてだが、)開始する。

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その4 最終回)

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 その後、猟師はこの近く寺で出家した。
 そして、ここに飼い犬の墓を作り、一生供養したということじゃ。
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 やがて、時の天皇である[宇多天皇]は、都でこの話を聞かれた。
 そして、この話に感動した天皇は「おおっ、それは主人の恩を忘れぬ立派な義犬じゃ。・・皆の者、これからその墓のある山を[犬鳴山(いぬなきやま)]と呼ぶようにせよ。」と言われた。
 それから、この山は『犬鳴山』と呼ばれるようになったんじゃと。
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(日本遺産『犬鳴山』)
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(猟師が出家した[七宝龍寺])
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(泉佐野市のゆるキャラ[イヌナキン]・・名前っそのままかい⁉)
 おしまい

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