住職のつぼやき[管理用]

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上田秋成の生誕地『曽根崎・堂島新地』を訪ねる

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(私のような庶民には縁の無い曽根崎、堂島新地)

大阪の賑やかな歓楽街、曽根崎・堂島新地。
ここで江戸時代の『雨月物語』の作者「上田秋成」は生まれ、育った。
つまり、上田秋成の原点の場である。
その原点の場所を訪ねた。
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(上田秋成生誕地辺りか?)
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朝方に訪ねたので、曽根崎新地は静かだった。
残酒と生ゴミの香りが少しだけ香っていた。
ここで秋成は、割と裕福な商人の養子として育ったのだ。又、青春の場でもあり、大火事の災害にも遭って苦労もした。
そこから秋成は、文人として出発したのだ。
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(堂島アバンザ前、薬師堂)
今は江戸時代のものは何も残ってないが、堂島薬師堂は近未来型御堂になって見守っていた。

中之島美術館『醍醐寺国宝展』に行って来ました

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大阪・中之島美術館『醍醐寺国宝展』に行って来ました。
素晴らしい密教美術でした。
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そして、近くの御堂筋『ガスビル食堂』で、名物カレーを頂きました。
とても美味しかったです。
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紙芝居『一休さんの遺言』(その3 最終回)

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そこにはたった一言だけ、
『心配するな、何とかなる。 一休』
と書かれてありました。
『シーーン』と静まる部屋。
皆、目をパチクリ、パチクリ。
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その内、皆は大笑い。
『さすがは和尚さま!‥これぞ、素晴らしいお智慧!』
「そうじゃのう、心配し過ぎてもどうにもならん。又それで喧嘩は持ってのほかじゃ!」
「何とかなるか!?‥その境地が大事じゃ!」
『正にその通り。和尚さまらしいお言葉、遺言じゃ!あっはっはっはっ‥』
「これこそ、一休和尚の最高の最後の教え!」
『皆の衆、喧嘩などしておってはいかん。難しい顔をせず、笑顔で話し合って次の住職を決めおうではないか。はっはっはっ』
『そうじゃ、そうじゃ』
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こうして次の住職は、笑顔のうちに無事に決まったそうです。
めでたし、めでたし。
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それでは皆さまも、困った時には、この一休さんの『遺言?』の言葉を称えてみましょう。
『心配するな、何とかなる』
ほらほら、いろんな心配事が消えてゆく‥ような気がしますね。知らんけど。 おしまい

紙芝居『一休さんの遺言』(その2)

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その様子を見ていたと隣りのお寺の和尚さん。
「これこれ、見苦しいぞ!こういう時こそ、一休和尚の遺言状(遺書)ではないか!
これこそ、一休寺の一大事。きっと、遺言状にはこのような時は、どうすれば良いかを詳しく書いてくださっているに違いない。
‥又、お寺の大事な跡取りの事も書かれてあるかもしれん。
さぁ、皆で読経してから有り難くこの書を開こうではないか。」と言いました。
「そうじゃ、そうじゃ!和尚さまの遺言状じゃ。きっと素晴らしいお智慧が書かれてあるに違いない!」と皆は声を上げました。
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そして皆でお経をあげてから、恭しく一休さんの遺言状を頂き、隣の和尚様が代表してこの書を開いてみると‥、
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隣の和尚さま、この書を見て、ずるっとずっこけてしまいました。
皆はびっくりして、『どうされましたか?‥なっ何と書かれてあったのですか?』と聞くと、隣の和尚さまは、その書を皆に開いて見せました。
‥そこには。 つづく

紙芝居『一休さんの遺言』(その1)

※はじめに〜このお話はおそらく、いや絶対!フィクションでしょう。‥知らんけど。が、なぜか「さもありなん。」と思ってしまう?信憑性がある。
‥だから、紙芝居にする価値はあると思って、(一休ファンの僕は)思わず作ってしまったおちゃらかな作品です。
おそらく、このお話は一休さんの『有漏路(うろじ=この世)より 無漏路(むろじ=あの世)へ帰る一休み 雨ふらばふれ 風ふかば吹け』という有名な歌をヒントに、一休さんならおそらくこう書くだろうと、どなたかが作られたのでは?と僕は思っているのだが、それこそ、知らんけどや。
それでは、楽しんで見て下さい。はじまり、はじまり〜
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昔むかしのお話。
ここは、有名か無名かは知らんけど、一休寺(いっきゅうじ)。
とんちで名を馳せたお坊様、一休(いっきゅう)さんも.いつしか88才のご高齢になっておりました。
そしていよいよ、このお寺で臨終を迎えようとしておりました。
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一休さん、布団の周りに集まったお弟子たちに言いました。
「良いか、弟子たちよ。わしが死んだら困った事がいろいろと起こるかもしれん‥。知らんけど。こればっかりじゃ。
そこでじゃ、わしはここに『遺言状(遺書)』みたいな物を書いておいた。この「遺言状」には、どのような難題が起ころうとも、解決できる秘策を書いておいたんじゃ。
‥良いか、もうどうしようも無くなったら、(浦島太郎の玉手箱みたいに)皆でこの遺言状を開いて読むのじゃ。わかったな‥。」と言って一休さんは亡くなりました。
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そして、一休さんのお葬式は弟子たちによって、厳かに行われました。
その後、初七日も終わり、四十九日の満中陰法要も無事終わりました。
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そしていよいよ、お勤めの後、一休寺の次の住職を決める会議の時が来たのです。
まず、一番弟子の二休(にっきゅう)さんが.口を開きました。
「この一休寺の、次の住職は年齢の順番からいうと、このわしであると思うのだが、皆はどう思うか?」と言いました。
すると、その前に座っていた三休(さんきゅう)さんが、
「いやいや、兄弟子。お言葉ですが、年は若いですが、この三休は以前より、お師匠さまの一休さまより、『三休、後は頼んだぞ』と言われておりました。
このお寺を継ぐのは、やはり私ではないでしょうか。」と言い、中々決まりません。
そして、ついに大喧嘩になってしまいました。 つづく

現在制作中の紙芝居、2本!

今日は、現在制作中の紙芝居を2本紹介します。
まだどちらも50パーセントの出来です。
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『一休さんvs蓮如上人』
(仏説「阿弥陀経」に疑問を持った一休さん、蓮如さまにいちゃもんをつけます。さあ、どうする蓮如さま!?‥というお話です。)
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『悲劇の英雄ヤマトタケル』
(ヤマトタケルは英雄です。腕は立つし、頭は良い。‥がしかし、父に嫌われ悲しい家庭環境にあった。ジェームズディーンの映画『エデンの東』を想像しながら描いています。どうする?タケル?)
もうすぐ完成します。お楽しみに。

紙芝居『新・桃太郎の伝説』(その6最終回)

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‥という事で、現代も吉備津神社内で、ウラの言った『鳴釜神事(なるかましんじ)』は続いている。
余談ながら、どうやら江戸時代の怪奇小説家[上田秋成]もこの神事を知り、『吉備津の釜』という物語を書いている。‥有名になっていったのですね。桃太郎の昔話よりは度合いが小さいけど‥。
(※余談ながら、私もこの[鳴釜神事]を実際、三度程見た事がある。‥ほんとに不思議な事に、タネも仕掛けも無いお釜の蒸気の音がその場で、大小変化するのである。ホンマびっくりポンである!)
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(吉備津神社)
それでは、この紙芝居の最後は、有名な『桃太郎』の歌(桃太郎さん、桃太郎さん、という歌)‥で終わるとしようかのう。
‥ただし、あまり知られていない、4番と5番だけに‥。
4番『‥そりゃ進め、そりゃ進め、一度に攻めて 攻め破り 潰してしまえ 鬼が島』
5番『面白い おもしろい、残らず鬼を攻め伏せて、分捕りものを えんやらやー』
‥正義って、いったい何なのでしょうね。
平和の世が早く来ますように。合掌
おしまい

紙芝居『新・桃太郎の伝説』(その5)

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この大合戦の結果、桃太郎は都から褒美として、吉備の国の国守(今の知事のようなものか)を与えられた。
‥がしかし、桃太郎を悩ませたものが一つあった。
それはウラの首を埋めた地面から、夜な夜な聞こえる怨みの泣き声であった。
その声は、土の中から聞こえるような、妻たちが毎晩隠れて泣いているような、「おぉ〜ん、おぉ〜ん」と桃太郎の回りから聞こえて来た。
‥その声は13年間続き、桃太郎を苦しめた。
そんなある晩‥.
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桃太郎の夢に、ウラが現れた。
「桃太郎、オレの悲しみは果てる事が無い。この気持ちを癒すには、首を埋めた所をきちんと祀って、オレの女房に墓守をさせてくれ。そうすれば、オレは癒されるであろう‥。
もしそうしてくれたら、その礼として、そこでお釜にお米と水を入れ沸かせて、そこでシューシューと音を鳴らしてくれ。
その音の大小で、その年の稲作の吉凶を教えやろう。お釜の音が大きくなれば、その年は豊作。小さく鳴れば、凶作じゃ。」と言った。
桃太郎はその通りにした。
すると不思議な事に泣き声は止んだという。
又、その吉凶は不思議に当たった。そしてそこから色々な事の占いが始まったという。
桃太郎はその後、長生きして281歳まで生きたということじゃ。(長生きし過ぎや!)
※又余談だが、このウラの首を埋めた場所を吉備津神社内で今日も祀り、(今も⁇)ウラの妻の子孫たち?(今もウラの関係者が巫女をされているかどうかはわからない。)が巫女としてお祀りをされ、神社の神主さんが祝詞を上げ、共に様々な吉凶を占って下さる神事が続いているという事である。つづく
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(吉備津神社)

紙芝居『新・桃太郎の伝説』(その4)

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しかし、ウラたちは逃げも隠れもしなかった。
又、降参もせず、一通の手紙を桃太郎の元によこした。‥中身はこう書いてあった。
『わし等は、何も悪いことはしておらん。
なぜ、出て行かねばならん。
なぜ、降伏せねばならん。
むちゃを言うなら、わし等は戦うぞ!
かかって来いやー。侵略者ども!』と。
桃太郎はこれを読み、「我々を侵略者呼ばわりする気か!バカな!皆の者、ウラたちへ攻めかかれー!』と、ブチ切れた。
戦争は始まった。
この戦い、砦に籠るウラ達は予想外に強く、決着は中々つかなかった。
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そこで桃太郎は、得意の弓矢を2本放った。
その一本はウラに真っ二つに切られたが、残りの一本がウラの片目に命中した。
「ぐわぁー!」とウラは倒れた。するとたちまちウラ軍は総崩れになった。
こうして、ウラ兵は次から次へと倒れていった。
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やがてウラ達は力尽き、みんな捕らわれ、首を刎ねられ、晒された。
その後、後に残った砦から、ウラたちと結婚していた妻達が助け出された。
‥が妻たちは、桃太郎に感謝せず、反対に夫を殺した侵略者として、恨み言を言った。
「ウラは賢く優しかった。勇敢であった‥。我々に、便利な畑仕事の道具をたくさん作ってくれて楽をさせてくれた。‥お前たちはなんと殺した上に、首を晒すとは恨めしい!鬼とはお前たちのことだ!」と泣き叫んだ。
この言葉に桃太郎たちは呆然とした。
‥が、これでショックなことは終わりではなかった。つづく
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(吉備津神社)

紙芝居『新・桃太郎の伝説』(その3)

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「鬼と呼ばれた[ウラ]達は、こちらに住み続け、最初はおとなしくしておりました。
‥がその内、我々と仲良くしたいと言い出して、自分たちの便利な道具を分けてくれるようになり、そこから交流が始まりました。
やがて、わし等の娘たちと仲良くなる者もあらわれ、結婚する者も出て来ました。
それで、わし等はだんだんと疑わしくなって、「あやつ等、わしらの土地をすべて奪うつもりかもしれん⁈」と、帝(ミカド)に訴え出たのでございます。」と村長は言った。
桃太郎は「うーん、奴らは鬼では無かったのか!‥しかし、都から『鬼退治』と大軍勢を連れて来た手前、どうしたものか?」とつぶやいた。
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そこで皆は一度、会議をする事にした。
「さて、皆の者。この鬼達‥いや、ウラたちをどうしたものか?それぞれの意見を述べよ。」と桃太郎は言った。
お猿のような家来がまず口を開いた。
「大将、奴らは頭の良い民族です。このまま放っておくと、きっといつか大軍勢になって、我々を攻めて来るでしょう。今の内なら攻め滅ぼせます!ウッキキー!」と言った。
それに対して、犬のような家来が、
「いやいや、それでは多くの血が流れますだワン。穏便に話し合い、われわれの家来になってもらいましょう!‥話せば分かるワン!」と言った。(余談ながら、この家来の犬飼が、のち五一五事件で亡くなる犬養毅首相の先祖です。)
そして雉のような家来は、
「我々のこの大軍を見れば、きっと奴らは、怖がって逃げ去るでしょう。大丈夫ですよ。キッキッキッキー」と言った。つづく
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(吉備津神社)

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