住職のつぼやき[管理用]

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観念寺永代経法要・2024

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昨日は、当山観念寺の『永代経法要』の日。
 今回も(お昼の座)と(夕方の座)の2回に分けて、法要を行いました。
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お昼の座は、雨もあり少ない目の御門徒さんでした。
その分、夕方の座は、ご夫婦で来られた方も多くとても賑やかな満座法要でした。

法座の導師は若院主が勤めました。
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最後の短い法話は、私が紙芝居法話をさせて頂きました。
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最後の〆は総代様にご挨拶をして頂きました。
皆さん、ようこそのお参りでした。合掌

豊中市[法雲寺]様の永代経法要への出講

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昨日、豊中市「法雲寺」様の『永代経法要』にお招きいただき、紙芝居法話をさせて頂いた。
 法雲寺様とのお付き合いは長い‥。
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長いお付き合いなので、お寺の雰囲気の受ける安心感もあるが、慣れ合いになってしまってはいないかと、そこに気をつけて新作紙芝居ばかりを持って(一週間の練習と紙芝居内容の修正を行い)この日に望んだ。
 なんとか、テーマをしぼれて時間内に話を収める事ができました‥。
法雲寺の皆様、お世話になりありがとうございました。合掌

『絵解きの出前』太子街人(ガイド)の会メンバー来院

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今日、大阪府太子町から「絵解きの出前します」と銘打った『太子街人(ガイド)の会のメンバーが、紙芝居の見学に来られた。
このほど、ボランティアであるガイドの会のメンバーの方々は、太子町の史跡や伝承を、昔ながらの絵解きで紹介する活動を始められたそうで、大きな掛け軸に、たくさんの絵を散りばめて紹介し、太子町をより知っていただこうとされているそうなのだ。
 隣町に、このような活動団体がおられるとは、一匹狼の僕は夢にも知らなかった。
 これからも、紙芝居制作に役立つ情報をください。よろしく!合掌

紙芝居『まは、さてあらん‥』(その3 最終回)

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「そんな事もございましたねぇ‥」と恵信尼様は答えられた。
親鸞聖人は続いて、「恵信尼よ、あれから18年が経つ。わしの他力の信心も確固たるものになったと思っていた。
‥が、しかしじゃ、この風邪の高熱の苦しみの中、わしは夢の中で必死でお経を読んで仏様に救ってもらおうとしていた‥。
 お経の文字が一文字一文字、光り輝きはっきり見えたのじゃ。
 その時、わしは気がついた。
『ああ、又やってしもてる。』と。
 あれだけ(18年前に)反省したのに、又同じような事をしている自分がいる。
‥なんと、まだ『仏様の功徳にすがろうとする』自分が残っている。
 人間の煩悩、いやわしの煩悩とはなんと強いものか!と思い知った。
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それでわしは『まは、さてあらん』=(また、やってしまった。でもこれからは、絶対止めなあかんな)とつぶやいた訳なのじゃ。
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「このような強い煩悩があっても、阿弥陀仏という仏様は必ず我々を救ってくださる。
煩悩あるがままに、救いとって下さる阿弥陀仏さま、我々は喜ばねばのう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」
そして親鸞聖人は、それからしばらくして風邪の症状も改善され、お元気になられたそうです。
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そしてこのお話は、妻の恵信尼様が、お手紙として娘さまに書かれて、後世に『親鸞聖人の寛喜の内省』と呼ばれて大事に残されております。
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(稲田御坊西念寺 茨城県)
※『まは、さてあらん』という言葉は、いろいろな解釈があります。
 浄土真宗聖典註釈板などには、「やはり、そうであったか」と現代語に訳されていたり、又、「これからはそうしよう」と現代語解釈されていたりもします。あまりに短い文なので、解釈が難しいそうです。ちなみに、ぼくは、拙我流で、『ああ、またやってしもた。これからはやめとかなあかんなぁ』としました。変な解釈訳ですんません。合掌
終わり

紙芝居『まは、さてあらん‥』(その2)

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親鸞聖人は昔話を思い出され、語り始めました。
「恵信尼や、お前も覚えていよう。‥あれは旅の途中であった。
わしらは越後(新潟県)から、関東(今の茨城県辺り)に入った時。そう、今の上野の国(今の群馬県辺りか)じゃったかのう‥。
そこは大変な飢饉で苦しむ村じゃった。
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食べる物も無く、餓死した人の山ができて、泣く子供が大勢居た。
村人たちは、旅の途中のわしらに物乞いしてきたが、元より何もないわしらは何もやれんかった。
そこで‥、
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わしは思いついた。
『この人達のために『浄土三部経』を、一千巻読んで仏様にすがろう!と。
それしかわしは何も出来ないのだから‥、と。』
そしてわしはお経を一心に読み始めた。
それから4、5日経った頃、わしは気がついたんじゃ。
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 『わしは間違っておった!』と。
わしは功徳を頂こうとして、仏様にお経をあげておった。
 しかし、すでに仏様は我々を救う為にお念仏という功徳を下さっていた。
この上、何を頂こうというのか!
わしのすべきは、仏様の有り難さと感謝を説く事。それだけだ。
 ああ、わしは間違えておった。まだわしの信心はぐらついておる。‥反省をせねばと経典を、読むのをやめた。
 ‥昔、このような事があった。
それを今、鮮明に思い出したのじゃ。 つづく

紙芝居『まは、さてあらん‥』(その1)

『まは、さてあらん‥(あかん、またやってしもた、これからはやめとかな‥)』〜寛喜3年 親鸞聖人59才のつぶやき〜
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『まは、さてあらん(あかん、又やってしもた、これからはやめとかな‥)』と突然、親鸞聖人は布団の中でつぶやかれました。
寛喜3年(1231年)4月、これは親鸞聖人が風邪をひかれて、何日も寝込んでおられた時のお話です。(『恵信尼消息(内容は恵信尼様から娘への手紙の一つです)』より)
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 寝床でつぶやかれたお聖人のこの一言、妻の恵信尼様は聞き漏らしませんでした。
「あなた、どうされましたか?夢ですか?‥寝言ですか?」と尋ねると、親鸞様は「いやいや、寝言では無い。(お漏らしでもない‥こんな事は言ってない、筆者失礼) 恵信尼や、夢を見てな。それで昔あったある事を、思い出していたんじゃよ。‥そう、それはこんな事じゃった。」とお聖人は昔話を語り始めました。
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「‥そう、あれは今から18年前の事。
わしが40才を過ぎた頃じゃった。」 つづく

羽曳野市『西向寺様』永代経法要への出講

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本日、初めて羽曳野市の西向寺様へ行かせていただき紙芝居法話をさせて頂いた。
 小雨の中、たくさんのご門徒様がお越しになり、緊張しました。
 さて、今日の失敗談だが、新しい紙芝居『一休さんの遺言』の練習不足で、枚数を何枚か間違えて読んでしまった。‥で、途中で話がつまり、何遍も読み違え大変恥ずかしい思いをしてしまった。これは、今後気をつけねば‥。反省!
 又今年の報恩講法要でも、お招き頂けることになったので、次回は万全の用意で臨みたいと思う。合掌

紙芝居:「恵信尼様の夢」(後編)

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それは我が夫、親鸞様ではありませんか!ほんと、びっくりポン!でございます。(ちょっと古い)
その時、空から威厳あるお声が、どなたか分かりませんが聞こえて来ました。
『そう、この観音菩薩はそなたの夫、親鸞じゃ。そなたの夫こそが観音菩薩の化身なのじゃ!』と。
私は身体が震えました。
そして、そこで夢は覚めました。
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そこで次の日、私は早速、その夢の話を夫に話しました。
勢至菩薩様の化身が、法然様であったことを。
夫は興奮して、「おおっ、それは正夢じゃ!‥法然様こそ、誠に菩薩様の化身のようなお方であった。」と涙ぐんでおられました。
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‥が私は、夫親鸞様も菩薩様の化身であったとは言えませんでした。
きっと夫は、否定すると思いましたので‥、ホッホッホッ(笑声)。
そして、この夢の話はずっと私の胸の奥に閉まっておく事にしたのです。
そう、この夢の話は後年、娘にだけ手紙でそっと知らせたのでございます。
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これは、ただの夢のお話。
しかし、この夢があって、私は改めて夫は聖なるお方(聖者)だと信じたのでございます。
 そして、私は仏様に寄り添うように、夫について行こうと思ったのです。
‥これから、どのような形になれど、私と夫親鸞とは、永遠に一緒でございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。おしまい

(終わりに) この紙芝居の題材となりました『恵信尼消息』というお手紙は、大正10年に西本願寺の、お蔵の中から発見されたものです。
 この発見により、恵信尼様は実在するお方だと改めて分かったといわれています。知らんけど。いやほんま。

紙芝居:「恵信尼様の夢」(前編)

恵信尼さまの夢 〜『恵信尼消息』より
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「私は恵信尼(えしんに)と申します。
はい、親鸞聖人の妻でございます。
えっ、自分の夫を『聖者の人』と呼ぶのはおかしいと?ホッホッホッ‥。それもそうですね。しかしながら、私は我が夫を観音様の化身だと思っていたのですよ。
だから、こう呼ばせて頂きたいのです。
それでは、今日はその訳をお話しさせて頂きましょう。‥それは私達夫婦が、関東(今の茨城県)に居た時の事でした。はじまり、はじまり〜。
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私はある晩、不思議な夢を見たのです。
それはこんな夢でした。
場所はどこかは分かりません。‥夢ですから。
くらやみの中、私は一人立って居ました。
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その目の前に、立派なお堂が見えました。
正面には大きな鳥居らしきものが立って居ました。
その鳥居の横木の所に、仏様の絵が二体掛かっていました。
よく見ると、それはお二人共、光輝く菩薩様でした。
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その一体の菩薩様は『勢至(せいし)菩薩』様でした。
そのお身体は光輝き、お顔はどなたかに似ておられるな?と思っていたら‥!そう、このお方は夫親鸞さまの師匠、『法然(ほうねん)様』にそっくりなのです。
‥そして、もうご一体のお方は、なんと?!
 後編につづく
 

『岩橋善兵衛物語』が貝塚市教育委員会から発行

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貝塚市教育委員会から、私の紙芝居『岩橋善兵衛物語』が発行されました。
府内の図書館や学校に配布されるそうです。

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