今日は久々の北御堂での法話会。
題名も『日曜講演』[紙芝居で味わうちょこっと法話]。
ほんと久々の法話会なので、1時間30分の間も喋れるか心配でありました。
が、なんとか乗り切れました。
紙芝居は6本ほど。
会場には、お顔を存じている方も居られ嬉しかったです。
北御堂の職員さんに、「私も、もっと話を聞いていたかった。又今年も色々と北御堂の行事で講演して下さいね。』と言われ、お世辞でも嬉しかったです。合掌
[管理用]
記事一覧
※画像をクリックすると拡大されます。
『紙芝居で味わう、ちょこっと法話』in北御堂
紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その4 最終回)
その薬と筆を動かすリハビリが、いつしか北斎を元に戻して行きました。
その後、メキメキと回復し、北斎は復活しました。
まぁ、甘いものも少し控えるようにもなりました‥。
そして、倒れた翌年には新しい作品を描き始め、出版もできるまでになりました。
その後、北斎は一人旅が出来るまで歩行能力も回復します。
日本のあちこちを歩いて、有名な『富嶽(ふがく)三十六景』などを描き、大傑作を残します。
又、新しい千円札のおさつで有名なった「神奈川沖浪裏」、いわゆるビッグウェーブの絵も北斎が脳卒中を起こした後の作品である事を、あまり現代人は知りません。恐るべし!北斎!努力人北斎!
北斎は当時として長生きでした。
彼の辞世の句とは別に、有名な最後の言葉が残っています。
『天が後、五年俺を生かせてくれれば、必ず誠の絵師になってみせたのになぁ。』であったそうです。
死に際まで、絵の上達を願った天才絵師のは生涯でした。
最後に、脳卒中に気づく現代のチェック方法を少し書きます。
FAST(ファスト)と言います。
Fは、顔の麻痺。
Aは、腕の麻痺。
Sは、スピーチ。言葉の障害。
Tは、タイム。発症時間です。
これらに気づいたら、すぐ救急車を呼びましょう。僕もこれに救われました。
(山梨県から見た富士山)
余談ですが、北斎ファンの僕は富嶽三十六景の富士山をどうしても見たくて、紙芝居完成直前に取材に行って来ました。やっぱり、富士山はどこから見ても良いですねぇ。
おしまい
紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その3)
その後、意識を取り戻した北斎は、娘につぶやきました。
「おっお栄、腕が上がらねぇ‥。筆も上手く持てねぇ‥。力が入らないんだ。あぁ、俺はこのまま絵が描けなくなるのか!?ちくしょう!死んでも死にきれねえぜ!」
と苦しみ悩みました。
それは脳卒中の後遺症なのでした。
そんなある日、『葛飾北斎、脳卒中!』の噂を聞いた古い友人が訪ねて来ました。(一説では、それは滝沢馬琴ではなかろうか?と言われています。知らんけど)
「おい、北斎。中風に効くという薬の作り方を聞いたので、紙に書いて持って来てやったぜ。これを調合して飲んでみろ。‥いいかよく聞け。
①まず、果物のゆずを用意しろ。それを細かく木のヘラで刻む。
②次に、それと酒一合を混ぜてよく煮詰める。その時大事なことは、鉄鍋で煮てはダメってことだ。必ず土鍋で煮る事。鉄分が入っちゃダメなんだ。
③それと煮たゆずと白湯を混ぜて飲む。
それを毎日飲む事。効くらしいぞ。やってみろ。」と友人は言いました。
「それは本当か、効かなかったらただじゃおかねえぞ。」
と北斎は言って、その薬を毎日飲み始めました。
毎日毎日、北斎はその薬(?)を使って飲みました。
現代の医療では、それはヘスペリジンという柑橘系に多く含まれる栄養素で、それは高血圧を下げたり、末梢血管を強化する効果があると言われています。
まさに、北斎の病気には良く効いたのでした。(これも、知らんけど)
※余談ですが、脳卒中(脳出血)で、北斎と同じ症状になった私も、この実験をやってみました。‥効いたのかなぁ‥。馬琴に感謝!それこそ知らんけど。 つづく
紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その2)
「頭が痛えっ‥。どうも最近、よく頭が痛くなるんだ‥。」
「親父どの、働き過ぎなんだよ。私が代わりに描いとくからさぁ‥。休んどきなって‥。』
と、跡取り娘のお栄が言った次の瞬間、
「あぁっ‥、めまいがするぜ、お栄‥」
と言って、そのまま北斎は倒れたのでした。
「親父どの!しっかりおしよ。今、医者を呼んでくるからな!」
北斎の病気は中風(ちゅうふう)、今でいう脳卒中でした。
医者は娘のお栄に言いました。
「これは中風です。命に別状は今の所ありませんが、意識は戻っても、手足が動きにくくなるかもしれません。‥今は安静にして下さい。」
「親父どのっ!大変な事になっちまったな。もう絵は描けなくなるかもしれないよ。』
つづく
紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その1)
平和が続いた江戸時代後期。
浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)は、江戸の下町に生まれました。
彼は持って生まれた絵の才能と努力で、当時一流の絵師になっていました。
そんな北斎、お酒は飲めませんが、甘い物が大好きで不規則な生活、食事もたたり、今でいう高血圧でしょうか?‥それがやがて脳卒中(のうそっちゅう)という病気を引き起こす原因を作り出してゆきました。
さて、このお話は67才で脳卒中で倒れた北斎が、やがてその病いを、リハビリと独自の薬で乗り越えて、やがて後世に名を残すような絵師になってゆくまでを描いた物語です。
それでは、はじまり、はじまりー
北斎の大好物は大福餅でした。
この日も散らかった部屋の中で、娘のお栄(えい)と共に、餅を食べながらお客からの注文の絵を描いておりました。
「あっ、痛たたた‥、」 つづく
『紙芝居を基に講談』と新聞に紹介されました
『紙芝居を基に講談』と、中外日報新聞に紹介されました。嬉しい限りです!
少し文を読んでみます。
『大阪府河南町‥(中略)の宮本住職が制作した紙芝居『星に願いを〜岩橋善兵衛物語』を基にした講談話を、なみはや講談協会の旭堂南華会長がこのほど創作し、江戸時代に独力で望遠鏡を完成させた岩橋善兵衛の出身地・貝塚市のコスモシアターで披露した。
住職も客席の50人の聴衆にまじって講談に聞き入った。(中略) 旭堂会長は泉州弁を織り交ぜながら熱演。
宮本住職は「講談は仏教の説き聞かせから始まったとの説もあるが、まるで見てきたかのようにリズミよく話す方法に驚かされた。違う世界に引き込まれて、楽しませていただいた。」と語った。』
紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その4 最終回)
一休さんは、蓮如上人からの手紙を開けました。
そこには、
『極楽は十万億土と説くなれど、近道すれば[南無(ナム)]の一声(ひとこえ)』と書かれていました。
これを見て一休さんは声を出して笑いました。
「はっはっはっ、さすが蓮如上人。
極楽は遠すぎるというが、『南無(阿弥陀仏)』という念仏一つで、すぐに行ける。
そうじゃ、いかに極楽は遠くても、念仏一つでハイ、一っ飛び!じゃ‥とお経に書いてある。知らんけど。
蓮如上人はお経の意味がよーくわかっておられる。
この一休、蓮如上人に完敗じゃ。今からすぐにお酒を持って詫びに行くぞ!」
と、その足で蓮如上人のお寺に向かいました。
こうして二人は、生涯渡って大親友となりました。
宗派の違いこそあれ、このお二人、そんな事はまるで関係無し。
お釈迦さまの教えが結んだご立派な名僧たちでした。めでたし、めでたし。おしまい
紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その3)
ページ移動
- 前のページ
- 次のページ