住職のつぼやき[管理用]

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ヴォーリズ建築が好き(近江八幡)

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僕は京都の大学だったので、昔からヴォーリズ建築を見る事が多く、大変好きであった。
遠い昔になったが、大学を卒業してからも、(大阪はもちろん信州軽井沢など)ヴォーリズ建築をあっちこっち見て歩いた。
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ヴォーリズや彼の妻の生涯を描いた小説なども何冊も読んだ。(いつか紙芝居化しようと思っていたのだ。)
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それで今日、二度目となるがヴォーリズの第二の故郷と言っても良い滋賀県の近江八幡市に行って来た。
そう、子供の頃に火傷でお世話になった『メンソレータム(現在はメンターム)』社を作ったのも、ヴォーリズだったのだ。
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資料はある程度揃えたのだが、今、ヴォーリズの紙芝居を作る時間的余裕がない。
おそらく、製作開始は来年になると思うのだが、今のところ、わからない‥。
まぁとにかく、僕はヴォーリズが大好きなのだ!

現在、企画&制作中の紙芝居

今日は現在、企画&制作中の紙芝居を発表します。
226作目は『悲しき英雄ヤマトタケル』。
この作品は、ヤマトタケルの古墳のある羽曳野市に、最近仕事でよく行く機会があって、一度作ってみようと思い制作を開始しました。
日本最初の英雄でありながら、実の父親との折り合いが悪く悲劇的な最後をとげたヤマトタケルの一生を紙芝居で今、制作中。これはもうすぐ完成します。
そして、227作からその後の企画作品は
‥いつも何故、山の頂上に天皇の皇子のお墓があるのだろうか?と、お山に登るたびに思っていた作品で、題名は『大津皇子と二上山』という作品名にしようと思ってます。これも今制作開始をしています。
さらに続いて、これだけは作っておこうと思っていた『葛飾北斎と脳卒中』という作品や、
そして、これも絶対の作っておこう思っていた『アショーカ王物語』などが今企画中です。
まだ、元気でおらねば‥と思っています。

紙芝居『恩徳讃(おんどくさん)のお話』(後編)

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『恩徳讃』を書かれながら、親鸞聖人は思われました。
「阿弥陀如来さまは『我に任せよ!必ず救う!』とおっしゃられた。
この御恩は身体を粉にしても、返すことはできないほど、ありがたい事なのだ!」
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そして、
「その事をお伝えくださったお釈迦さまや、偉いお坊さま方に対して、私達はたとえ自分の骨を砕いても、返せない程ありがたいものなのだ!‥それを私たちは忘れてはならない。」
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「私たちは、その御恩に大きな感謝の気持ちを持ち、決して忘れてはならないのだ!
それが一番大事〜!」
と、親鸞聖人は心から思い、合掌をされました。
これが『正像末和讃』の中の『恩徳讃』の意味です。
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そしてやがて、この『恩徳讃』は仏教讃歌として、曲が付けられ、常に仏様への感謝の気持ちを持ちましょうと、今日では、お寺の法要、法座の最後や宗門学校の式典でも歌われるようになったという事です。 おしまい

紙芝居『恩徳讃(おんどくさん)のお話』(前編)

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皆さんは『恩徳讃(おんどくさん)』という、親鸞聖人の詩を知っていますか?
『如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし‥』
お寺の法要などで、この詩は曲をつけてよく歌われます。
親鸞聖人はこの詩を『正像末(しょうぞうまつ)和讃』という、詩を集めたものの中で発表されました。
それでは、紙芝居で『恩徳讃』の内容をお話させて頂きましょう。はじまり、はじまりー
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‥この詩集を作られるに当たって、このような逸話があったようです。
 ‥それは、昔むかしの鎌倉時代。
親鸞聖人ご高齢の85才の時‥。
この年、ご自分の跡継ぎと信頼していた善鸞(ぜんらん)という息子に教えを背かれた親鸞さま。
‥それで、悩んだ末に善鸞との親子の縁を切ります。
 それで毎日孤独を噛み締め、苦しまれます。
そんな時、親鸞さまは不思議な夢を見られるのです。
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夢の中で阿弥陀如来様が現れたのです。
阿弥陀さまは親鸞さまに言われました。
「親鸞よ、私は必ず皆を救うと誓ったな!私の言葉、南無阿弥陀仏を信じなさい。
私はその人々を必ず守り、悟りを開かせるぞ!」と。
この言葉を聞かれた親鸞さまほ、「おお、そうでございました。信じていた息子に裏切られ、この底なし沼に落ちたような私ですが‥、阿弥陀さまはこのような私にも、常に光を当てて救っていてくださっていた。
そのお心、この親鸞、改めて気づき頂きました。
そうじゃ、今のこの思いを、私は詩にして書かせて頂きます。」
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このような事があり、親鸞聖人はご自分の内面にある悲しみや世の中への嘆きをテーマにして、筆を取られました。
又一方、そのような自分であるからこそ、阿弥陀さまに救われるという喜びも、わかりやすい詩にして書こうとされたのです。
これが、悲しみと喜びの二面性を持った、和讃『正像末(しょうぞうまつ)和讃』なのです。
ちなみに『正像末』とは、正法・像法という時代が終わり、末法という絶望的な時代が今来た。この時代が来たからには、阿弥陀如来にすがるしかないのだ!という意味です。
『恩徳讃』も、この和讃の中に書かれた詩の一つなのです。 つづく

南郡組『仏教壮年会』への紙芝居法話

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(研修会場は南郡組『正永寺』様)
本日、南郡組『正永寺』様にて、仏教壮年会総会があり、そちらにお招きいただき紙芝居法話をさせて頂いた。
南郡組というのは、大阪府貝塚市が主なお寺さんの集まりという事で、会長さんからのご希望もあり、貝塚市が舞台の『岩橋善兵衛物語』という紙芝居を混ぜ込みさせて頂いた。
「地元の宣伝をありがとうございます。」という御礼のお言葉を会が終わってから多くいただき、嬉しい研修会でした。役員の皆さま、本当にお世話になりありがとうございました。合掌

奈良教区『大安寺』様がバスで研修に来られました

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本日、奈良教区『大安寺』様ご一行が、大型バスで研修に来られました。
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コロナ禍で中断しておりました当寺院での紙芝居法話研修会が、久々に行われたのです。
久々で緊張しました〜
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今回は当寺院研修後は、堺別院や利晶の杜記念館を見学されるとお聞きしたので、紙芝居は『阿弥陀仏物語』や『与謝野晶子物語』をさせて頂きました。
皆さん、笑顔でお寺を後にされて、とても嬉しかったです。
ようこそのお参りでした。合掌

観念寺永代経法要・2024

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昨日は、当山観念寺の『永代経法要』の日。
 今回も(お昼の座)と(夕方の座)の2回に分けて、法要を行いました。
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お昼の座は、雨もあり少ない目の御門徒さんでした。
その分、夕方の座は、ご夫婦で来られた方も多くとても賑やかな満座法要でした。

法座の導師は若院主が勤めました。
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最後の短い法話は、私が紙芝居法話をさせて頂きました。
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最後の〆は総代様にご挨拶をして頂きました。
皆さん、ようこそのお参りでした。合掌

豊中市[法雲寺]様の永代経法要への出講

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昨日、豊中市「法雲寺」様の『永代経法要』にお招きいただき、紙芝居法話をさせて頂いた。
 法雲寺様とのお付き合いは長い‥。
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長いお付き合いなので、お寺の雰囲気の受ける安心感もあるが、慣れ合いになってしまってはいないかと、そこに気をつけて新作紙芝居ばかりを持って(一週間の練習と紙芝居内容の修正を行い)この日に望んだ。
 なんとか、テーマをしぼれて時間内に話を収める事ができました‥。
法雲寺の皆様、お世話になりありがとうございました。合掌

『絵解きの出前』太子街人(ガイド)の会メンバー来院

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今日、大阪府太子町から「絵解きの出前します」と銘打った『太子街人(ガイド)の会のメンバーが、紙芝居の見学に来られた。
このほど、ボランティアであるガイドの会のメンバーの方々は、太子町の史跡や伝承を、昔ながらの絵解きで紹介する活動を始められたそうで、大きな掛け軸に、たくさんの絵を散りばめて紹介し、太子町をより知っていただこうとされているそうなのだ。
 隣町に、このような活動団体がおられるとは、一匹狼の僕は夢にも知らなかった。
 これからも、紙芝居制作に役立つ情報をください。よろしく!合掌

紙芝居『まは、さてあらん‥』(その3 最終回)

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「そんな事もございましたねぇ‥」と恵信尼様は答えられた。
親鸞聖人は続いて、「恵信尼よ、あれから18年が経つ。わしの他力の信心も確固たるものになったと思っていた。
‥が、しかしじゃ、この風邪の高熱の苦しみの中、わしは夢の中で必死でお経を読んで仏様に救ってもらおうとしていた‥。
 お経の文字が一文字一文字、光り輝きはっきり見えたのじゃ。
 その時、わしは気がついた。
『ああ、又やってしもてる。』と。
 あれだけ(18年前に)反省したのに、又同じような事をしている自分がいる。
‥なんと、まだ『仏様の功徳にすがろうとする』自分が残っている。
 人間の煩悩、いやわしの煩悩とはなんと強いものか!と思い知った。
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それでわしは『まは、さてあらん』=(また、やってしまった。でもこれからは、絶対止めなあかんな)とつぶやいた訳なのじゃ。
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「このような強い煩悩があっても、阿弥陀仏という仏様は必ず我々を救ってくださる。
煩悩あるがままに、救いとって下さる阿弥陀仏さま、我々は喜ばねばのう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」
そして親鸞聖人は、それからしばらくして風邪の症状も改善され、お元気になられたそうです。
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そしてこのお話は、妻の恵信尼様が、お手紙として娘さまに書かれて、後世に『親鸞聖人の寛喜の内省』と呼ばれて大事に残されております。
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(稲田御坊西念寺 茨城県)
※『まは、さてあらん』という言葉は、いろいろな解釈があります。
 浄土真宗聖典註釈板などには、「やはり、そうであったか」と現代語に訳されていたり、又、「これからはそうしよう」と現代語解釈されていたりもします。あまりに短い文なので、解釈が難しいそうです。ちなみに、ぼくは、拙我流で、『ああ、またやってしもた。これからはやめとかなあかんなぁ』としました。変な解釈訳ですんません。合掌
終わり

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