(今年の北御堂報恩講のチラシ)
この絵、誰の絵、気になる絵、見た事のある絵ですから、昔に描いたー、ワタシの絵なんですー。
この絵、僕の絵、御堂の絵、報恩講の日ですから、お寺が賑わうー、力になるでしょうー。
合掌
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この絵、誰の絵?気になる絵‥
太子町広報紙に載りました
泉佐野市『元成寺』様、報恩講法要への紙芝居法話
「あっと、こりゃ大変!」
大変な事は突然起こるものだ。
明日、別のお寺で紙芝居公演会という時にそれは起こった。
明日のメインにしようとしていた紙芝居の枚数が一枚足りないのだ。
紙芝居は枚数が足りないと、物語が成立しなくなる。
‥どこか他の紙芝居の中に、間違って紛れ込んだのだろう‥と探し始めるが見つからない。
倉庫に眠る200作を越える紙芝居を丁寧に一つ一つ探すが、結局わからない。
困った!汗が流れる。
‥打開する方法はただ一つ。新たにその無くなった一枚を描き直すという事だ。
タイムリミットは明日。時間はもう無い‥。
という事で、作り直し作業をすぐに開始した。
画用紙に無くなった絵を描き直し、色を絵の具で塗り乾かし、その裏に新たに文章を書き直す。
大急ぎで作業を始め、半日で作り直せた。
主人公の顔や服は、前に描いたものと少し色が違うがもうかまわない。
これでこの紙芝居は上演できる!
たかが紙芝居、されど紙芝居。色んな事が起こるものだ。‥しかし、あの失った一枚はどこへ行ったのやら!⁈ 思わぬ所から出て来たりして。
絵本『岩橋善兵衛物語』が、河南町立図書館にやって来た!
いつまで、描き続けるのだろうか?
この頃よく思う。
僕は紙芝居をいったいいつまで(何歳まで)作り続けるのだろうか?と。
50歳頃には、おそらく60歳迄には止めているだろうと思っていた。
今、64歳。まだ作っている。
作品数は、今220作を越えた。
以前、あるテレビ番組で『あなたの夢は何?』と聞かれた事がある。
その時、僕は適当に『紙芝居を200作超える事です。』と言い、放映された。
それも越えてしまった。
もし、70歳まで生きれるとしたら、キリの良いところで300作を越えてみたい、と言えるかな?知らんけど。
紙芝居『悲劇の英雄ヤマトタケル』(その4 最終回)

そして伊勢神宮の叔母の元に寄り、草薙の剣を無事に返しました。
(草薙の剣を祀る熱田神宮)
しかし、この神の剣を早々に返してしまった事が、ヤマトタケルの油断になりました。
タケルの命を狙う者がまだ居たのです。
それはヤマトタケル達が、滋賀県の伊吹山まで帰って来た時、タケルを怨む山賊達が突然襲って来たのです。
もう戦さは無いと油断していたタケルは、この戦さで大怪我をしてしまいます。
一説には、この敵をうまく誘導しタケル達を襲わせたの、タケルが無事帰って来る事を知った父や弟の仕業ではなかったか?と言われています。
結局、ヤマトタケルは家族からあまり好かれていなかったのでしょうね。‥と思います。知らんけど。
この大怪我が元でヤマトタケルは(三重県亀山市の)[のぼの]という所で死んでしまいます。
伝説によると、ヤマトタケルが亡くなった時、白鳥に生まれ変わり、奈良の都へ飛び立ち、そして河内の古市(大阪府羽曳野市)で一度舞い降り休まれたと言われています。今も羽曳野市にはヤマトタケルの墓があります。現代の大阪の『羽曳野(はびきの)市』とは、「白鳥になったタケルが羽を曳(ひ)くようだった」と(まるで見て来たかのように?)言われる伝説が残り、今も『羽曳野市』という町の名前になっています。
又、白鳥が休んだ場所は実はもう一つあり、奈良にもタケルの墓があるのです。‥ヤマトタケルは奈良の都までどうにか生き延びて帰って来たのかも知れない‥と思いました。
それでは、悲劇の英雄ヤマトタケルが亡くなる時に、故郷奈良の大和を慕って歌ったと言われている詩を紹介して紙芝居を終わるとしましょう。
『ヤマトは国のまほろば、たたなづく青垣、山ごもれるヤマトしうるわし』(意味)「奈良のヤマトの国は素晴らしく良い国だ。重なりあう青い垣(かきね)山々に囲まれたヤマトの国よ、なんと美しい国なのか!」 おしまい
紙芝居『悲劇の英雄ヤマトタケル』(その3)

その草薙(くさなぎ)の剣が、ヤマトタケルを助ける時が来ます。
それは相模の国(今の神奈川、静岡県辺り)に入った時、山賊達が罠を仕掛けてタケル達を草原に追い込み、火を掛けたのです。
「もうダメか!」と思った時、草薙の剣がビカリと光って炎を敵に向かって追いやったのです。
山賊達は驚き逃げて行きました。
それからこの場所は、『焼けた所』という意味の『焼津(やいず)』と呼ぶようになったそうです。
余談ながら、日本各地にヤマトタケルが足を運んだ場所がその土地の名前となっていることが多くあります。
ヤマトタケルには多くの妻がおりました。
その一人『弟橘姫(おとたちばなひめ)』は、タケルの旅について来ておりました。
関東から東北へと、一行が船を使って上総の国(今の千葉県)に向かっていた時、大嵐にあってしまいます。
その時、弟橘姫が「私が海の神様の怒りを鎮めて参ります。」と言って、突然一人海へと飛び込んだのです。
タケルは驚き涙流しますが、不思議とそれから海は収まり、皆は無事に陸地に着く事が出来ます。
妻を亡くし、その悲しみのあまり、上総の国に着いたタケルは、しばらくその地を離れませんでした。それで、この地は『この地は君の為に去らずにいた』という意味の『木更津(きさらず)]と名付けられたそうです。
やがて一行は、東北地方に到着しこの遠征は、無事に終わります。
長い旅はようやく終わったのです。
「さあみんな、都へ帰るぞ!今度こそ父上は私を誉めてくれるだろう。」とタケル達は帰還することになりました。つづく
紙芝居『悲劇の英雄ヤマトタケル』(その2)

「そこの女、初めての顔じゃのう‥。もうちょっとこっちへ来い。」と酔っ払ったクマソは油断しました。
「今だ!」と、オウスは短剣を取りクマソの腹に突き刺しました。
「グググワァー!』と倒れるクマソ。オウスはとどめを刺そうとした時、クマソは虫の息で言いました。
「お前はヤマトの国の顔じゃのう‥。このわしを狙うとは、なかなかの奴。‥わしの名はクマソの国の勇者という意味の[タケル]じゃ。
わしを倒したお前は、ヤマトの国の勇者[タケル]じゃ。これからお前は[ヤマトのタケル]と名乗れ!クマソの国は、これからヤマトに従おう‥。」と言って倒れました。(虫の息ながら、よーく喋るやっちゃなぁー。余談)
クマソを倒し、ヤマトタケルの名前をもらったオウスは、九州全土を従わせて、意気揚々と奈良の都に帰って来ました。
そして父の天皇に誉めてもらおうと報告すると、返って来た返事はそっけないものでした。
「お前、この父の許しも得ず、ヤマトの勇者『タケル』という名前をもらったそうじゃのう。勝手な事をしおって‥。それではヤマトタケル、次の命令を与える。明日から、関東、東北へ行って、我らに逆らう者達を征伐してまいれ!すぐに行くのじゃ!」と言われました。
「はっはい、父上‥」とヤマトタケルは頷きました。
「父上はわたしを嫌っている。』と、涙を溜めて関東に向かったタケルは、休む間もなく再び出発したのでした。
その途中、叔母が巫女をしている伊勢神宮に立ち寄りました。
「叔母上、どうして父は私を嫌うのでしょうか?」
「お前の父は、そなたを嫌っているのではない。そなたが怖いのじゃ。‥いつかそなたに倒されるのではないか‥。」
「そんなバカな!?」
「きっと、いつの日か分かり合える日が来るでしょう。それまで、お前は元気でおらねばなりませんよ。
‥そうそう、お前に神の力が備わった『草薙の剣』を授けましょう。きっと、そなたを守ってくれるでしょう。」
「ありがとうございます。叔母上!」つづく








