住職のつぼやき[管理用]

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本日、宗教新聞『中外日報」に掲載されました。

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本日、宗教新聞『中外日報』に、先日の[郷土の人々紙芝居公演会]の模様が掲載されました。
 ‥ちょっと文面を読んで見ますね。
「‥今年2月に心臓弁膜症の手術を受けた宮本住職だが、紙芝居歴25年間で培った聴衆の心をつかむユーモラスな語り口は健全で、多くの来場者を楽しませた。
 紙芝居の公演は旧河澄家の当主と親交のあった上田秋成関連史料の展示会(9月24日まで)に合わせて行われたもので、住職は秋成の生涯や『雨月物語』の一遍「夢応の鯉魚」などを題材とした紙芝居を披露。時折、漫才コンビ・ミルクボーイのネタをパロディ化したセリフを織り交ぜたり、紙芝居に関連した曲を流したりするなど聴衆を飽きさせない工夫をちりばめ、会場からは拍手や笑いが起こっていた。‥」
こんな感じで、写真付きでいっぱい公演模様を掲載してくださいました。
ありがとうございました。合掌

東大阪市:旧河澄家『郷土の人々 紙芝居公演会』〜上田秋成と木村蒹葭堂

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今年も東大阪市の『旧河澄家企画イベント』として、[郷土の人々 紙芝居公演会]を開いて頂いた。
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(旧河澄家)
今年のテーマは『上田秋成と木村蒹葭堂』。
 江戸時代後期の文化偉人たちである。
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 この河澄家と上田秋成は深い縁があって、こちらで、秋成は煎茶などを楽しんだ。
 その秋成自作の煎茶道具などの品々の展示もして下さっている。
 いわば豪華な展覧会だ。
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その歴史の舞台で、僕は紙芝居をさせて頂いた。
『何という光栄な事であろう!』と秋成ファンの僕は心から喜んで紙芝居をお集まりの観客の皆さんの前で披露した。
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 ああ、江戸時代のゲゲゲの水木しげる先生、いやホントに性格から何から何まで秋成さんと、作風がよく似ている‥と思っている。
 このような機会を頂けて、旧河澄家スタッフの皆さま、本当にありがとうございました。合掌

西徳寺さま『盂蘭盆法要』への紙芝居法話

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本日、富田林市『西徳寺』様の[盂蘭盆法要]にお招き頂き、紙芝居法話に行かせていただいた。
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 富田林への台風7号の被害は(僕の知っている限り).少なかったようで、お盆法要にはたくさんの御門徒様がお参りくださっていた。
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 今年のお盆法要への法話は今日で終わり。最後の日に目一杯全力でお話しさせて頂きました。
   
 西徳寺の御門徒さま、御住職ご家族様、いつもながらご親切にありがとうございました。合掌

専念寺様の『お盆法要』への出講

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昨日の夜の座、富田林市板持の『専念寺』様のお盆法要にお招き頂き、紙芝居法話に出講させて頂いた。
コロナ禍から、4年ぶりの出講である。
子供さんも含めて、本堂は満座であった。
紙芝居は『お盆の話』で始まり、コロナで4年ほど出来なかった地元の紙芝居『浪花千栄子物語』。
そして、僕の手術の話から麻酔の話に入り、これもある意味地元の『華岡青洲物語』の初披露。
最後は、『聖人一流の章の話』の紙芝居で終わった。
 最後まで、ご鑑賞頂き専念寺の御門徒の皆様、そしていつもご親切に接してくださる寺院ご家族の皆様、本当にお世話になりありがとうございました。合掌

月光寺様『最後の寺子屋』への出講

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本日、富田林市の月光寺様へ『最後の寺子屋』という行事へお招き頂き、紙芝居法話に行って来た。
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少子化による子供たちの集まりの少なさに、一つのお寺行事の区切りをつける為なのだそうだ。
‥これも仕方がない事なのかもしれない。
最後に、『阿弥陀仏ものがたり』や『お盆の話』などの紙芝居で、子供にもわかりやすい話で僕も、区切りの会を終わらせて頂きました。
月光寺さま、16年間、お疲れ様でした。合掌

『飛び出す、極楽浄土!』ミニ紙芝居が完成しました

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ミニ紙芝居、『飛び出す極楽浄土』が完成しました。
いつもの、飛び出す絵本の原理です。(笑)
「仏壇」という物の意味を、今一度よ〜く考えてみようと思って、ハサミとノリと色画用紙で作りました。
 仏壇から、お浄土へ変身!‥いや、変換!
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‥こんな風に始まります。
「お仏壇は、お家の中にある[極楽浄土]です。
阿弥陀さまの世界を表しています。
 極楽浄土は、すでに亡くなった人を含めて、私たちが命終って帰ってゆく世界なのです。
 お仏壇をいつも綺麗に掃除して、お飾りするのは、仏さまの世界であり、私たちの命のゆく末を間違いなく、迎え取って下さる尊い世界を表すものなのです。」めでたし、めでたし。

雨樋掃除と新ネットの取り付け

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今、雨樋掃除とネットの取り付けを、業者の方に来てもらいミニ工事している。
 原因はムクドリの巣である。
 お寺の雨樋の中に巣を作り、雨水が流れなくなった為だ。
 このままでは、お寺の木の壁が雨水で跳ね返り腐ってしまう。
 結構、大掛かりだが事は急がねば。
工事は巣立ちが終わった今しかないのだ。

令和五年『郷土の人々 紙芝居公演会』 今年は上田秋成展

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今年も、東大阪市日下町にある『旧河澄家』様で、「郷土の人々 紙芝居公演会」を開かせて頂くことになりました。
 今年のテーマは、[上田秋成と木村蒹葭堂(けんかどう)]の紙芝居です。
江戸時代後期に、作家・俳人として活躍した上田秋成、そしてその親友木村蒹葭堂の生涯を、紙芝居で紹介させて頂きます。
又、秋成の代表作『雨月物語』の中から、「この話どっかで聞いたようなぁ〜、知らんけど。」と思われるであろう「夢応(むおう)の鯉魚(りぎょ)」もおまけでしようと思っています。
また期間中には、河澄家に遺された秋成自作の煎茶道具などゆかりの品々も紹介されます。
 どうぞ皆さま、お時間ございましたらおいで下さい。合掌

紙芝居:『二人の衣通姫(そとおりひめ)』(その4最終回)

『古事記』(後編)
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そして四国の愛媛にて、衣通姫は軽王子と無事再会します。
ここで、ようやく二人は世間の目を気にせず、これからひっそりと暮らしていけると思いました。
・・、がしかし、
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都では、
『流罪となった軽王子が復讐の為、四国の軍隊を率いて、都に攻め登って来る!』との噂が流れておりました。
それを恐れた弟の安穂の王子は、都の軍隊を引き連れて、四国へ向かって攻める準備をしていました。
 この噂を聞いた軽王子は自決を決意しました。
「私がこの地で生きている限り、戦争が起こり、多くの人たちに迷惑が掛かるだろう。
だから私は自決する事にする。その方が良いのじゃ・・。衣通姫、そなたはどうする?」と言うと、
「私は貴方がいなければ、生きてゆけません。私もお供いたします。」と言いました。
そして二人は自殺しました。
これが、日本史上最初の心中事件といわれています。
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こうして、禁断の愛に生きた衣通姫と軽王子は、悲劇的な終わりを告げました。
現在、愛媛県松山市の『軽の神社』には、二人のお墓と思われる石碑が二つ仲良く並んで祀られています。
・・がこれが、王子と姫のものかは、はっきりとはわかっていません。

 さて、この『二人の衣通姫』ですが、どちらの姫も絶世の美女で、どちらも悲劇的で、又どちらも不道徳な雰囲気を醸し出しているように感じます。
ひょっとすると、衣通姫というのほ、世の中が社会的モラルを打破したい願望の代名詞として、世間が名付けた名前であったのではないのでしょうか?・・・知らんけど。 おしまい

紙芝居:『二人の衣通姫(そとおりひめ)』(その3)

『古事記』(前編)
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 さて、こちらのお話も允恭(いんぎょう)天皇と皇后が登場します。
・・がしかし、衣通姫は皇后の妹ではなく、皇后の娘として登場するのです。
こちらの衣通姫も絶世の美女、いや美少女なのですが・・、
実の兄を愛してしまうのです。
いわゆる、禁断の恋でした。
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こちらの衣通姫には二人の兄さんがおりました。
長男は皇太子『軽王子(かるのみこ)』。
次男は『安穂王子(あなほのみこ)』と言いました。
妹の衣通姫は、長男の軽王子と恋に落ちるのです。
しかし、実の兄と妹との結婚は許されません。
やがて、この事が発覚して、父の天皇の怒りをかいました。
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そして軽王子は、皇太子の資格を剥奪され、四国の愛媛県へ流罪となりました。
その後、妹の衣通姫は泣いて暮らします。
その時の姫の歌が残っています。

『君がゆき、日(け)長くなりぬ造木(やまたず)の 迎えを行かむ 待つには待たじ。』
(意味)
「あなたが旅立たれて随分日が経ちました。私はあなたをお迎えに参りましょう。もう待てません。」という意味です。
 そして、今の天皇が亡くなった時、衣通姫は命を掛けて四国まで旅立つのです。つづく

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