住職のつぼやき

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その3)

ファイル 2201-1.jpg
そこには、大きな[大蛇]が木の枝から首をたらし、血を流して死んでおった。
 そして大蛇の首には、犬の首が噛みついておったんじゃ。
ファイル 2201-2.jpg
 「おおっ、お前は[大蛇]からワシを守ろうとして吠えたのか⁉・・そんな事も知らんで、ワシはお前を殺してしもうた。‥許してくれ、許してくれや・・。」と猟師は泣いたんじゃ。
 そしてその場に犬の墓を作り、猟師は髪のもとどりを切った。
 そして言ったんじゃ。「もう殺生はやめじゃ・・」と。
ファイル 2201-3.jpg
(現在の犬鳴山、義犬の墓前で)
ファイル 2201-4.jpg
つづく

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その2)

ファイル 2200-1.jpg
 その鳴き声に、大鹿は飛び上がって驚き逃げ出してしまった。
ファイル 2200-2.jpg
 「この阿呆がっ⁉逃げてしもうたではないか!」と猟師は怒った。
 しかし、まだ飼い犬はワンワンと吠え続けた。
ファイル 2200-3.jpg
 猟師の怒りは頂点に達して、自分の刀を抜いて飼い犬の首を斬りはらった。
 犬の首は宙を舞い、空高く飛んだ。
 が、首はなかなか地上に落ちてこなかったんじゃ。
 不審に思った猟師は上を見上げると、なんとっ⁉ 
ファイル 2200-4.jpg
(義犬の墓)
ファイル 2200-5.jpg
(現在は義犬の墓の横に一般の動物たちの骨を埋葬する事もできるそうだ。)
 つづく

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その1)

ファイル 2199-1.jpg
 昔むかしの平安時代の話じゃ。
 ある時、紀州(今の和歌山県)から山を越え、ひとりの猟師が飼い犬を連れて、泉州(今の大阪府泉佐野市)にやって来た。
 それはもちろん、大きな鹿を捕える為の旅だったんじゃ。
ファイル 2199-2.jpg
 猟師は山の奥へ奥へと入って行った。
 そして、ついに大きな立派な鹿を見つけたんじゃ。
 鹿はこちらに気づかず、崖の上でじっと空を見ていた。
 「おお、やっとの事で幻の大鹿を見つけたぞ!」と、猟師はつぶやいた。
ファイル 2199-3.jpg
 猟師はそっと弦を張り詰めて、その矢を放とうとした時、
ファイル 2199-4.jpg
 突然、「ワンワン、ワンワン!」と飼い犬が鳴き始めたんじゃ。
ファイル 2199-5.jpg
(令和の泉佐野市・犬鳴山)
 つづく

泉州『犬鳴山義犬伝説』の舞台地を訪ねて

ファイル 2198-1.jpg
今、制作中の紙芝居の一つ『犬鳴山(いぬなきやま)義犬伝説』の舞台地に、取材の為に[大阪府泉佐野市]の『犬鳴山』まで行って来た。
ファイル 2198-2.jpg
 ここは、山深い修験道の修行地でもある。又、現在は『日本遺産』の一つになっている。
ファイル 2198-3.jpg
(義犬の墓前で、ゆるキャラ『イヌナキン』を持って写真撮影)
 話は単純なもので、昔一人の猟師が犬を連れてこちらの山に入った。
 獲物を見つけるが犬が鳴いた為に取り逃がす。
 怒った猟師は刀で犬の首を刎ねる。
 首は飛び、猟師の命をひそかに狙っていた大蛇にかみついて命を終える。そして大蛇も死ぬ。
 猟師は自分の命を救わんとしていた犬に気づいて後悔し、自分は出家する。・・と言う話である。
ファイル 2198-4.jpg
 その後、この山は話を聞いた天皇の令によって「犬鳴山」になったという。
 そして、今でもその義犬のお墓は大事に祀られている。
 その義犬のお墓参りをして来たのだ。
 今でも、泉佐野市は義犬の話を大事にして、町のゆるキャラに『イヌナキン』を任命し?・・泉佐野市の平和と繁栄の為に働いているという話である。(ゆるキャラ『イヌナキン』人形買いました)
ファイル 2198-5.jpg
(猟師が出家したというお寺『七宝龍(しっぽうりゅう)寺』)
 近々、紙芝居は公開します!わぉーーん!

貝塚市『善兵衛ランド』への紙芝居取材

ファイル 2197-1.jpg
 本日、貝塚市市立[善兵衛ランド]へ、紙芝居の取材に行って来ました。
 後少しで完成する、江戸時代の天文科学者[岩橋善兵衛]さんのエピソードを詰めて教えてもらうためです。
ファイル 2197-2.jpg
 ご親切に館長さまが、資料をコピーして待っていて下さいました。
 そして、逸話をたくさん教えて頂きました。
 写真も撮らせて頂いたので、紙芝居の絵ともう一度、照らし合わせて勉強させていただきます。
ファイル 2197-3.jpg
 善兵衛ランドの皆様、ご親切にありがとうございました。合掌
ファイル 2197-4.jpg

BS日テレ『三宅裕司のふるさと探訪~神秘の神社仏閣めぐり旅』予告

ファイル 2196-1.jpg
3月10日(水)BS日テレ『三宅裕司のふるさと探訪』(神秘の神社仏閣めぐり旅・河内長野編)に、私の紙芝居『滝畑に摩崖仏あり』の表紙がほんのちょっとだけ出ます。
 よろしければ観て下さい。
ファイル 2196-2.jpg
 ・・余談ですが、BS日テレの番組ディレクターが私のお寺に来られた時、「三宅裕司さんと言うタレントさんは、本当に表と裏の顔の無い良い人ですよ。番組作りやすい方です。」と言っておられました。
 タレントさんて、難しい感じの人が多いのかなぁ。

東大阪市:『旧河澄家』にての打ち合わせ

ファイル 2195-1.jpg
(東大阪市指定文化財・旧河澄(きゅうかわずみ)家)
 今日、東大阪市指定文化財『旧河澄家』へ、今年の夏から秋にかけて行われるイベントの打ち合わせに行って来ました。
ファイル 2195-3.jpg
(住居内)
 どのようなイベントかというと、住居内を僕の「地元偉人紙芝居」を展示して、お客様に文化財と紙芝居をコラボし観覧していただこうというものです。
ファイル 2195-2.jpg
(天然記念物「日下のかや」)
こちらは江戸時代からの(歴史ある)ものなので、紙芝居もこちらに直接関係のある人物「中甚兵衛」や「石上露子」などの紙芝居の、展示を考えております。(まだ未定)
 そして、中一日に紙芝居講演会もさせていただこうと計画しております。
 今から楽しみです。
 

『広報誌とんだばやし(令和3年3月号)まちかどトピックス』に載りました

ファイル 2194-1.jpg

『広報誌とんだばやし』の令和3年3月号、[まちかどトピックス]のコーナーに載りました。
 先日、行われた「石上露子の生涯を偲んで」という[じないまち紙芝居劇場]というイベントで、旧杉山家住宅(実際の露子の自宅)を使っての露子の生涯を紙芝居にした作品の実演でした。

紙芝居:『ダルマ大師』(その7 最終回)

ファイル 2193-1.jpg
150歳になったダルマは、「もうまもなく、自分の死期がやって来る」と悟ります。
 がしかし、ダルマにはまだ自分の心をかき乱す煩悩が消えませんでした。
(どんな煩悩や?・・いや、人間やってる限り[煩悩]は消えないものかもしれない・・)
 そこでダルマは、最後の修行に入りました。
 それは(修行とは、もはや言えない)、『念仏三昧(ざんまい)』という修行でした。
「無くそうとすればする程、煩悩はいつまでも(150歳になっても)燃え上がる。・・だから、煩悩あるがままに仏にお任せして、そのまま救って頂く[他力]の教えに、身をまかせよう。これしか無い・・。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀。」と称えながらダルマは亡くなりました。行年150歳。
 後、中国(唐)の皇帝より、ダルマは「大師」の名が送られ、『ダルマ大師』と呼ばれるようになりました。
 ・・一説によりますと、最後、ダルマは暗殺されたという話もあるのですが、この紙芝居では、念仏三昧説を取りました。
ファイル 2193-2.jpg
「ダルマさんが転んだ!」、「ダルマさん、ダルマさん、にらめっこしましょ」などの遊びの中に、ダルマ大師の不屈の精神は、現在も我々の心にうったえかけて来るように感じます。(それは僕だけでしょうか?)
「七転び八起き」の精神を持ち、権力にも媚びず、大きな目玉をパッチリ開けて、常に前進し続けたダルマ大師。
我々に今、「何度転んでも、起き上がれ!大きな目玉を開けて進め!」と、ダルマ人形を通して叱咤激励し、エールを送ってくれているように感じます。
おしまい

紙芝居:『ダルマ大師』(その6)

ファイル 2192-1.jpg
ダルマが、少林寺で壁を見続け坐禅をつづける修行に入ってから、9年が経ちました。(これを「面壁九年(めんぺきくねん)」と言います。・・しかしなんで10年でなく9年なんでしょう?・・中途半端やなぁ、9という数字に意味があったんやろか?)
 まぁそれはエエとして・・、それは過酷な修行でした。
「本来の禅の行とは、こういうものだ!」と言わんかのように、目を開いて壁を見続け、座り続けました。
この時の修行の為に、ダルマはまぶたを自分で切り、眠気を覚ましたとか、又、座り続けた為、手足が朽ちたとかいう伝説が生まれました。(これがダルマ人形のモデルとなります。)
ファイル 2192-2.jpg
 そして、9年間の坐禅修行を終えた時・・ダルマには、その真摯な姿を見て弟子入りを希望するたくさんの弟子たちが増えておりました。
 ダルマはその者たちの弟子入りを許し、多くの立派な弟子たちを育ててゆくのでした。
 ところで、ダルマの教えの一つに『以心伝心(いしんでんしん)』というものがあります。これは即ち、正しい心を言葉を使うことなく、そのまま相手の心に伝える、という意味です。難しいですよね。
 又、『不立文字(ふりゅうもんじ)』という教えもあり、これも言葉や理屈で仏法を、伝えるのでは無く、体験によって伝えるというものだそうです。
 これらの教えは、坐禅修行の体験から学ばねばわからないものなのでしょうね。つづく

上に戻る