住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

久々の雪

ファイル 2588-1.jpeg

(雪降る観念寺)
今日の南河内地方は、久々の雪です。
こちらはお年寄りの多い地区なので、交通手段の無い方は選挙投票には行かれないのでは‥ないかな?
皆さん、転倒しないで気をつけてね。

名古屋へ行って来ました

ファイル 2587-1.jpeg
(近鉄火の鳥)
近鉄火の鳥に乗って、名古屋に行って来ました。
名古屋は私の母方の故郷なのです。
ファイル 2587-2.jpeg
(名古屋城)
久々に名古屋城に行ってきました。今は耐震設計では無い為、お城に登れないのですね。本丸御殿だけ入れました。
ファイル 2587-3.jpeg
(大須観音)
懐かしい大須観音にもお参りに行って来ました。

紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』(その6最終回)

ファイル 2586-1.jpeg
さぁ、今回で最終回ニャ〜。
それでは、ここで僕の本当の姿をお教えしましょう。
‥実は、僕はただのクロネコじゃないんだよ。
袋中さまの守護神[主夜神(しゅやじん)]という仏様からのお使い(使者)なんだ。
僕はその仏様から「袋中上人を守るように!」という、いわゆるボディガードの役目と、福を招くようにという、『二つのお役目』を命じられたんだよ。
諸説によれば、この事が後の『招き猫』の始まりになったとも言われているんだよ。
そのお陰かはわからないが、袋中さまは87才まで長生きされるんだ。
又、『沖縄民謡エイサー』の完成という大きな(当時の日本)本土との交流(橋渡し)も出来たし、本当に良かったよ。
それじゃ、みんなこの辺でお別れだ。又、何処かで会おうね!さよならニャー、ゴロニャーゴ!
ファイル 2586-2.jpeg
ファイル 2586-3.jpeg
(法林寺)
おしまい

紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』(その5)

ファイル 2585-1.jpeg
‥そして三年が経ったニャー。
琉球の人たちに惜しまれながら、袋中上人は(日本)本土に帰る事になった。
〜〜〜
その後、琉球王国は大きな変化があったニャ。
それは九州の薩摩藩(今の鹿児島県)が、琉球国に突然、武力制圧を掛けて来たんだ。
それに対して、琉球王国は争わず降伏。
そして琉球国は、薩摩藩の支配下に入ったんだ。‥つまり琉球は、これで正式に日本国の一つに入ったんだニャー。
‥きっと琉球王は、(師であった)袋中上人からの『戦争という争いからは何も生まれない。平和が一番大事』という、仏教の教えを身をもって受けられ、実践されたのだろうと思うけどニャ〜、知らんけどニャ。
ファイル 2585-2.jpeg
そして琉球王は、日本を治める徳川将軍に挨拶をする為に江戸に向かい、その帰りに京都に立ち寄られた。
そこで、袋中上人と涙の再開をするんだニャ〜。
お互い懐かしく、嬉しかったに違いない。
僕も思わずもらい泣きしたニャ〜。
この後、袋中上人のお寺『檀王(だんおう)法林寺』と琉球国との交流はずっと続いて行く事になるんだニャー。
‥さぁ、そろそろこのお話もおしまいに近づいてきたニャ。つづく

紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』(その4)

ファイル 2584-1.jpeg
こうして、袋中(たいちゅう)上人は説明されたニャー。
「‥たとえば、苦しい事や悲しい事が起こった時、ナムアミダブツと念仏を称えると、阿弥陀(アミダ)仏という仏様が助けに来て下さるのです。
すべて、阿弥陀仏にお任せするのです。
ご先祖様も私たちもすべて助けて下さいます。
その為の修行などは何一つ入りません。
‥その有り難い阿弥陀仏に我々は感謝して、喜びや悲しみもすべて身体全体で表現して、仏様やご先祖様の為に、踊る事が良い事だと私は思っております。
‥このように・・、」と言って、袋中上人は王様達の前で、ご自分の故郷で行なっていた[(ジャンガラという)念仏踊り]を太鼓を出され叩き、舞い始めたのだニャー。
ファイル 2584-2.jpeg
その念仏踊りを見られ、日頃から悩みの多かった王様は救われたような気がされたんだニャー。
そしていつの間にか、ご自分も踊っておられた。
やがて、それを見られた妻や家来たちも、踊りに参加されたんだニャー。
本当にみんな楽しそうだった。
もちろん、僕も踊ったニャー。
その時。誰かが『みんな集まれ!』という意味の掛け声『エイサー!』と声を掛けたり、『よいしょ!』や『それっ!』というお囃子の意味の『イヤーサーサー!』と声を上げたりして、大変盛り上がった。
これが後の『沖縄民謡エイサー』になっていくのだニャー!‥知らんけどニャー。いや、そういう説が多いのだニャー。
そして、王様は袋中上人の心の弟子になられ、和尚人の為に[桂林(けいりん)寺]というお寺を建てられたんだニャー。つづく

上に戻る