住職のつぼやき

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紙芝居:『ダルマ大師』(その5)

武帝と決裂したダルマは思いました。
『この国はまだ、本当の仏教を学ぶという機が熟していない。・・その時まで私はもう少し待つとしよう。(何才まで待つんや?)
と、ダルマは一人舟に乗って揚子江を北に向かいました。
 ところで、ダルマの赤い衣ですが、何故、彼は赤い衣を好んで着ていたのか?
 それにはいろんな説があるのですが、その一つは[赤衣は徳の高い高僧の印だったので]という説。二つ目は[赤衣は悪い魔を跳ね除けるので]という説。さらに、今回学芸員さんからお聞きした説で[あの決裂した武帝から貰ったので着ていた]という説。・・と、どれが本当かはわかっていませんが、武帝プレゼント説が本当なら、あの決裂は実際無かったのではないか?仲良しになったのか?と思われます。・・どれが実際本当かは分かりませんが、まぁどうでも良いのですが(笑)あのへんこな性格のダルマ大師が好んで着ていた赤衣、この謎だけでも楽しんで想像でき、酒のあてに一杯やれそうです。(私もへんこ仲間かもしれません(笑)・・以上、余談。
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さて、北に向かったダルマは、「少林寺」という寺で草鞋をぬぎました。
 そう、あの「アチョー!」で有名なブルース・リーの少林寺拳法で有名になったお寺です。(一説によると、少林寺拳法をこの寺で教えたのはダルマだったとか?・・という事はブルース・リーの先輩、いや先生やん。アチョー!)
 で、ダルマはこのお寺で、この国の機の熟すまで、9年にわたる坐禅修行に入ったのでした。つづく
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(しろあと歴史館所蔵)

紙芝居:『ダルマ大師』(その4)

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武帝は、ダルマに向かって話し始めました。
(武帝)「おっほん。・・ダルマよ、わしは武帝じゃ。さて、わしはこの国で大変、仏教を大事にしてきた。・・いくつもの大寺院を建てた。坊さんたちの世話もした。又、わし自身、写経も多くした。」
(ダルマ)「・・・」
(武帝)「さて、ダルマよ。・・このわしに、どれぐらいの仏の[功徳(=ご利益)]があるじゃろうのう?」
 するとダルマは・・、
「皇帝、功徳などありませんよ。」と言った。
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(武帝)「何!!功徳は無いだと?どういう事じゃ?」
(ダルマ)「皇帝、それは自己満足というものです。」
(武帝)「む、む、む、・・では、本当の[功徳]とはどういうものなのじゃ⁈」
(ダルマ)「見返りを求めず、ただ善いと思う事を行う。それが結果的に[功徳]になるのです。・・皇帝の行なわれた事は善い事です。・・が、見返りを求める心がお有りのような気がいたします。それでは、仏の功徳は手に入りませんよ。
 ・・話しは変わりますが、そもそも、皇帝にはたくさんの功徳があるからこそ、たくさんの善を成す事が出来たのではないですか?それ以上、何の功徳が必要なのですか?功徳を求める行いは[欲]というものです。貴方様は仏教というものをわかっておられない。」
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(武帝)「む、む、む、偉そうに!そういうお前は何様じゃ!」
(ダルマ)「さあね。知らんよ。」
(武帝)「自分が誰かも知らんだと?!こいつ、話しにならん。さっさと帰れ!」
 そして、武帝は怒りまくり、奥に引っ込んでしまいました。
(余談ながら、実際このような会話はあるんやなぁ・・。僕はダルマみたいには、よう言わんけど。)
このように、武帝とダルマの問答は見事に決裂したのでした。・・知らんけど。つづく
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(しろあと歴史館所蔵)

紙芝居:『ダルマ大師』(その3)

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 100才を越えたダルマは高齢、いや超後期高齢者ではありましたが、「中国に行って、坐禅(ざぜん)を中心とした仏教を広めたい!」と決意します。(すごいねぇ・・高齢者の鏡やねぇ。ひょっとすると、言い出したら言うことを聞かんへんこな年寄りやったかも?・・今でも居りそう。ウィーアーザ、チャンピオンズ!)
 その頃、ダルマにはたくさんのお弟子が居て、皆、引き止めましたが(当たり前やねえ・・)、ダルマの決意は固く、ついにインドから中国に旅立ったのでした。
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 そして三年間掛かって、ようやく中国に到着しました。 
 ダルマ伝説では、すでにこの頃幾多の試練があり、ダルマの年齢は120才を越えていたと云われています。
 その頃、中国には[梁(りょう)]と言う大国の『武帝(ぶてい)』と言う名の国王がいて、仏教の教えをとても大切にしていたそうです。
・・その噂を聞いて、ダルマはその国に向かったのでした。
 一方、武帝も「‥何っ、はるばるインドから仏教のマスターがやって来ただと⁉ぜひ、会ってみたい!」と思ったのでした。
 そして、武帝はダルマを宮殿に招き入れました。
 そしてそして、世に有名な『武帝とダルマの禅問答』が始まったのでした。つづく
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(しろあと歴史館所蔵のダルマ)

紙芝居:『ダルマ大師』(その2)

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 王子は尊者から、『ボダイ・ダルマ』という名前をもらい、厳しい修行に励みました。
 そして、いつしか40年の歳月が流れました。
今や一人前の僧侶となったダルマは、こののちインド中をくまなく歩き、自分が信じる正しい仏教を伝えて回りました。
 こうして、いつしかダルマは100才を越える年齢になっておりました。(超長生き!)
(余談ながら、若き日(もはや中年以上かも)のダルマの顔を描くに当たって、これは誰かに似てるな?と思った。皆さんはクイーンのボーカル「フレディ・マーキュリー」をご存知だろうか?大きな丸い目とでかい口、濃いヒゲと胸毛・・若きダルマはフレディに似ているのである・・と思ったので、この紙芝居はクイーンのDVDとダルマの人形を見ながら描いた。(笑))
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 余談のついでながら、この紙芝居を完成させるにあたって、先日、高槻市の「しろあと歴史館」に行って来た。
 それは、この歴史館で『ダルマさんが並んだ』という(日本各地のダルマ人形やダルマの絵画展覧会などの)企画展が開催されているのを偶然見つけたからだ。
 で、この企画展の学芸員さんに(迷惑だったかもしれないが、ご縁を感じ、わらおもすがる思いで)手紙を出して、ダルマ大師について教えを乞いに行って来たのだ。
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 短い時間ではあったが、ダルマについては今は唯一の同士だと思っていろいろとお聞きしてみた。・・なぜダルマは赤い衣を着ていたのだろうか?それをいつから着たのだろうか?などを・・。それはこの紙芝居でおいおい御伝えするとして、お忙しい中たいへんご親切にいろいろ教えて頂きありがとうございました。・・さてここらで本筋に戻らねば。つづく
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(しろあと歴史館の早田学芸員さま)

紙芝居:『ダルマ大師』(その1)

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『だーるまさん、だーるまさん、にらめっこしましょ。笑たら負けよ、アッププのプッ!』
日本人なら誰でも知ってるダルマさん。
 ギョロとした大きな目。赤い衣(ころも)。武将ヒゲ。
 そして、どうして手足が無いのでしょう? 
・・ダルマは、実在したお坊さんです。インドに生まれ中国で亡くなりました。
 さぁこの物語は、実在する[ダルマ大師]のお話です。はじまり、はじまりー。
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 紀元四世紀の終わり頃、南インドに[コウシ国]という小さな国かありました。
 この国の王様には三人の息子が居て、仏教の教えを大変大事にされていました。
 ある時、この国にハンニャタラ尊者という偉いお坊さんが訪れました。
 そして、大変尊いお説教をされたのでした。
 それを聞かれた三番目のボダイタラ王子は、自分もお坊さんになって、お釈迦様の教えを広めたいと思いました。
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 やがて、この国の王様が亡くなり、ボダイタラ王子は人の世の無常を感じ、出家を決意し、ハンニャタラ尊者の弟子になったのでした。
 そう、彼がのちのダルマ大師です。つづく
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(大阪府高槻市立しろあと歴史館所蔵「ダルマ大師」)

BS日テレ「三宅裕司のふるさと探訪(再放送)」に紙芝居が出ます

BS日テレ「三宅裕司のふるさと探訪」(3月10日午後8時放送)という番組の再編集(寺社仏閣特集)に、大阪府河内長野市滝畑ダムの「磨崖仏紙芝居」がほんの少しだけ出るそうです。
一昨日、番組のデレクターさんから「番組で紙芝居を使っても良いか許可をいただきたい」との電話が有りました。
 この紙芝居は、あちこちで使って頂いているので、ありがたいと思います。
 が、ほんのちょっとの再放送でも、わざわざ僕に連絡して許可を得なければならないのだろうか?・・と思うと、著作権というものは面倒くさいものだと改めて思いました。
 (僕の場合は)もっと気楽に使ってもらって良いのですよ。良いことならば・・。

豊中市仏教会『涅槃会法要』、原画にて参加

 毎年、二月十五日は、お釈迦様の涅槃会。・・つまりお亡くなりになられた日である。
 我々仏教徒は(宗派に関係なく)、この日をとても大切にしている。
 そしてこの日を『涅槃会(ねはんえ)』と呼ぶのである。

 今年の豊中市仏教会はコロナ禍の為、『第二十二回涅槃会法要』模様を(ユーチューブ)オンラインで流された。
 その法要に、僕は紙芝居「おしゃかさま物語」で参加させて頂いた。
 有難いご法縁で会った。合掌

 (動画)は、「豊中市仏教会 第二十二回涅槃会法要」で検索して見れます。

富田林発[じないまち紙芝居劇場]in旧杉山家住宅

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 お寺の出前講演は、半年ぶりぐらいだろうか?
 今日、富田林市寺内町の旧杉山家住宅(国指定重要文化財)で、杉山タカさんこと「石上露子」さんの紙芝居講演の依頼が、指定管理者アスウェルさまからあって、寄せて頂いて来た。
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 先程も述べたが、紙芝居は半年ぶりなので緊張して喉がカラカラになった。
 お客様も一般の方達であり、また、露子さんの生誕地で紙芝居をさせて頂くので、余計、足もガタガタ震えた。
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 でも、顔見知りの方々もおいでくださっていて、嬉しさも多くあった。
 さて、あちらの世界に居られる露子さんは喜んでくださっただろうか?

岩橋善兵衛(ぜんべえ)を追って

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(善兵衛さんの墓)
 おそらく、江戸時代で一番精巧な日本一の望遠鏡を作ったという岩橋善兵衛の紙芝居を、今作っている。
現在、四つの紙芝居を同時に作っているので、頭がゴチャゴチャしているが、この物語は、特に難しい作品なので、メッチャクチャゴチャゴチャ大混乱だ。・・が面白い。
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(善兵衛さんの生家跡)
 貝塚市まで行く用事があると、その帰り必ず、善兵衛さん調査を続けている。
 僕は地元のヒーローだと思うのだが、地元の方々で知らない人のなんと多いことか?!
 お墓も生誕地も悪戦苦闘で探した。
 そして、昨日は善兵衛さんの夢を見た。
 「なんとか作りますからね」と夢の中で約束した。
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(貝塚市立[善兵衛ランド])
 「善兵衛ランド」という、天文台兼記念館があるので、(一度だけお邪魔したのだが・・)こちらももっと詳しく、職員の方にいろいろ教えて頂かないと・・。
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(試作)

元三(がんざん)大師、調査中

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 今、鬼の姿になって疫病を退散させたという、元三大師の紙芝居を作っている。
 実家に用事で帰る途中に、四天王寺に寄って「元三大師堂」をお参りし、宝物館で大師の鬼の姿に変身した秘仏像を観て来た。
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 大師は、疫病をご自分の身体に入れて、自分は鬼なってやっつけたと記録されている。・・が、どのような疫病であったかは記録されてないので、僕の紙芝居ではコロナ模様の絵にするつもりである。
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もうすぐ、この作品も完成する。

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