住職のつぼやき

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紙芝居:『鬼となった元三(がんざん)大師』(その3 最終回)

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永観2年(984)、元三大師72才の時、疫病が大流行します。
そして、比叡山の元三大師の元にも、疫病の疫病神が現れます。
 疫病神は元三大師の枕元に現れて、襲いかかろうとしました。
 するとそれに気がついた大師は、「ここから身体の中に入れ!」と小指を差し出して、疫病神をご自分の体内に入れたのでした。
 そして・・.
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ご自分はデビルマン、いや鬼に変身して自分の体内で疫病神と戦いやっつけ、見事に追い出したのです。(元三ビームは熱光線!元三キックは悪くだく!仏のチカラ~、身に付けたー、比叡のヒーロー、元三マーン!)
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そして目が覚めた元三大師は、弟子たちに大きな鏡を持って来させて、その前で座りました。
そして、こう言われます。
「良いか、今から鏡に写す姿は、わしが疫病神と戦い追い払った時の鬼の姿じゃ! お前たちはこの鬼の姿を、半紙に写してそれをたくさん印刷し、世間で、疫病を恐れる人の家の玄関に、貼るように命じなさい。きっと疫病の疫病神はそれを見て、わしじゃと思って退散するに違いないから!」と言われました。
 そして、その一年後、正月(元旦)の三日に亡くなられました。
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これが今も残る有名な[元三大師のお札]です。
 今コロナ禍な中、様々な疫病退散のお札が注目されていますが、その中の一つ、この元三大師のお札は、庶民を疫病から守ろうとした一人のお坊さんの願いが込められた物なのです。
 このお札、玄関に貼ってあるのを見られた方も多いはず。
 このようなエピソードがある立派なお坊さんの一生のお話でした。おしまい
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(四天王寺 元三大師堂)

紙芝居:『鬼となった元三(がんざん)大師』(その2)

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康保三年(966)、元三大師は若くして(55才で)[第18代天台座主]に就任。お山のトップに立ちます。
 そして荒廃したお寺を立て直し、改革してゆくのです。
 がしかし、就任三か月後・・・、 
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 比叡山から山火事が発生。
 根本中堂・横川中堂など、主なお寺の大伽藍がすべて焼けてしまいます。
 が、元三大師はたぐいまれな手腕を発揮して、お寺の造営・再興に成功させます。
 これによって、元三大師は比叡山の[中興の祖(復興の偉大な統治者)]と呼ばれるようになります。
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 がその後、またまた問題発生!
 お寺の中での風紀は乱れ始め、山法師たちは暴れ、僧侶たちの対立騒動が激しくなっていきます。
 そこで悩んだ末、トップとして、すべてにおいて決断せねばならぬ元三大師は・・、
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 中国の古い学術書を研究して、そこから、仏様に祈り物事の良し悪しを占いで決める『おみくじ』法を編み出しました。
 これは一番から百番まで、観音様のみ教えを、小さな紙に小分けして書きます。
 そして仏さまにお祈りした後、くじを引き、出たくじの番号によって、そこに書かれてある仏さまの教えを吟味して、物事の良し悪しを占うというものでした。
 これは今の『おみくじ』の元祖です。(※これは伝説であって、フィクションであるとも云われてもいます。・・が、今でも比叡山ではこのおみくじ占い法というものがあり、お坊さんが一般の方を占ってくださいます。(要予約)これは安易なものではなく、カウンセリングのようであり、真剣な心構えが必要でもあります。以上余談)
 どうしても自分で決める事が難しい、と思われることをこれによって仏様のお告げと受け取り、決めたのですね。
 つづく
 

紙芝居:『鬼となった元三(がんざん)大師』(その1)

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昔むかし、今からおよそ1100年前のお話。
 これは京都は『比叡山延暦寺』のひとりの(元祖おみくじ発明者ともいわれている)偉いお坊様のお話です。
 このお坊様はお正月(元旦)の三日に亡くなられたというので、『元三(がんざん)大師』とも呼ばれています。(本当は[慈恵大師・良源]さまと言います)
 そして、又この方は当時流行した[疫病(えきびょう)]から人々を守る為に、身体を(デビルマン、いや違います・・)鬼の姿に変身させたという伝説もあるのです。
 それでは平安時代の僧、元三大師の(伝説からなる)お話をさせて頂きましょう。デビッーール!(昔、僕はデビルマン大好きでした)
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 元三大師こと、良源(りょうげん)さまは『平安時代(延喜12年[912]』に近江の国浅井郡(今の滋賀県長浜)に生まれたと伝わっています。
 信心のあつい母親の勧めもあり、12才で得度しお坊さんになられました。
 そして[良源]という名前をもらわれます。
 が、この紙芝居では『元三大師』という名前でお話を進めます。
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 元三さまは修行場所を『比叡山延暦寺』に移し、さらに厳しい修行に打ち込んでいかれます。
 もとより頭も良く、お話も上手であったという元三大師。
 厳しい修行にも耐えて、どんどんお寺の中で出世していきます。
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(四天王寺・元三大師堂)
 つづく

紙芝居:『星に願いを〜岩橋善兵衛ものがたり』(その4 最終回)

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今や大人気となった善兵衛さんの望遠鏡。
京都・大阪・江戸の大名屋敷の武士や、又海運業の大商人からも「是非とも善兵衛殿の望遠鏡が欲しい!」と言われ、一つ一つ作っては納めました。
 又その精度の良さから、日本地図を初めて作った[伊能忠敬(いのうただたか)]公も、善兵衛さんの望遠鏡を持って、日本中を歩き測量したそうです。
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 もちろん当時、日本で望遠鏡を作ったのは善兵衛さんだけではありません。
が、自らレンズを磨き、望遠鏡作りを専門としたのは、日本においては善兵衛さんだけでした。 
 その為、性能では他を圧倒していたのです。
 がしかし、望遠鏡販売によって得たお金を、より精密な望遠鏡の研究費用に当てた為に、善兵衛さん家は常に貧しかったそうです。
 夜空の光輝く星々に興味を持ち、もっと知りたいという夢を持ち、勉強し努力を続けた善兵衛さん。
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 文化八年(1811)、行年56歳で亡くなりました。
 法名は[釈 義天]。辞世句「今死ぬる 既に燃火(もえび)の消え失せて 無量寿仏(=阿弥陀仏)と なるぞ嬉しき」
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現在、善兵衛さんの故郷であった貝塚市では、その偉大な功績を讃えて[善兵衛ランド]を開館しています。
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 ここは、ドーム式天体観測室のある大阪府下最大の天文台施設です。
 又もちろん、善兵衛さんに関する資料の展示や実際の望遠鏡も見ることが出来ます。
 星が好きで、星に夢を持った善兵衛さん。
 皆さんも一度、こちらの施設で、善兵衛さんと同じ夢を味わってみては如何でしょうか。おしまい

紙芝居:『星に願いを~岩橋善兵衛ものがたり』(その3)

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いつしか善兵衛さんは37才になっていました。
 今や一人前の科学技術者となった善兵衛さん。
 大阪貝塚の自宅に帰り、本格的な[望遠鏡]作りを開始しました。
 そして寛政五年(1793)、ついに新たな高性能の[望遠鏡]が完成したのでした。
 善兵衛さんは、それを『窺天鏡(きてんきょう)』と名付けました。
 そしてその年の七月・・・、
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 京都伏見の恩師の元(=『黄華堂(こうかどう)』)に、窺天鏡(望遠鏡)を持って行き、そこで当時の文化人たちと共に、日本初の『天体観望会』を開いたのです。
 その観望会に出席した文化人の一人の先生がこう記録しています。
(以下、現代語私訳)「・・この望遠鏡は普通の物より10倍は長い。・・木星を観ると本当に円形をしており、まるで満月のようである。・・これを作った大阪貝塚の善兵衛という男、世にまれなたくみ職人である。」と。
 この成功に自信を得た善兵衛さんは、この後さらに工夫を重ね、新たな望遠鏡を作り出していきました。
 又、模倣品の防止の為か、自分のオリジナルシンボルマーク(車の形)をあみ出して、望遠鏡に塗装しました。
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(貝塚市:善兵衛ランド)
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(善兵衛さんの窺天鏡(望遠鏡))
つづく

紙芝居:『星に願いを~岩橋善兵衛ものがたり』(その2)

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「よしっ、わしは学問をする!一生懸命勉強して、西洋にも負けない[望遠鏡]を作るぞ!・・そして、あの星の流れやその秘密を明かしてみせるぞ!」と、善兵衛さんは志をたてました。
 そして、メガネレンズを売って儲けたお金を、旅費と学問費に充てて旅に出ることにしました。
 善兵衛さんは、望遠鏡レンズの事をよく理解している自然科学・物理学の先生(医者で文化人・学者の[橘南谿(たちばななんけい)]師や儒学者・文化人の[皆川淇園(みながわきえん)]師)を探し出し、それらの先生が京都に居られる情報をつかんで旅立ちました。
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 が、もともと仕事が忙しく、学問をする時間も無かった善兵衛さんです。
 だから、先生の塾に入門しても、難しい言葉やその意味を必死で勉強しなければなりませんでした。
 が、頑張り屋の善兵衛さんは、長い時間を掛け、根気よく、熱心に勉強したのでした。
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(善兵衛の作った望遠鏡)
つづく

紙芝居:『星に願いを~岩橋善兵衛ものがたり』(その1)

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今からおよそ、200年ほど前の江戸時代のお話。
日本一優れた[望遠鏡]を作り、日本初の天体観望(かんぼう)会を開いた一人が、今からお話します、大阪は泉州(今の貝塚市)出身の岩橋善兵衛(いわはし・ぜんべえ)です。
 彼はメガネ職人からスタートし、独自の研究でやがて科学技術者の一人となりました。
 それでは、たぐいまれな科学技術者、岩橋善兵衛さんの生涯を紙芝居で見ていきましょう。はじまり、はじまりー。
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 善兵衛さんは海沿いの町、貝塚脇浜新町で生まれました。
 実家は魚屋で、次男坊に生まれた善兵衛さんは、長男が親の後を継ぐため、自分はもう一つの副業である(メガネレンズ)磨きの仕事をしておりました。
 そう、江戸時代にすでにメガネはあったのです。
 そしてこの頃、大阪でもガラス細工を加工する仕事が盛んだったそうです。
 善兵衛さんは、小さい頃から手先が器用で、この仕事が得意でした。
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一日の仕事が終われば、善兵衛さんは外に出て、夜空を毎日眺めていました。
 善兵衛さんは星を見るのが大好きだったのです。
「ああ、このメガネガラスを重ねたら、星が大きく見えるなぁ!今夜は月が綺麗が良く見えるぞ。・・でも、本当に月にはウサギがいるのかなぁ。・・月に行く事は出来ないけれど、このガラスを重ね工夫すれば、月の表面は見えるかもしれないぞ!」と、善兵衛さんは妄想にふけながら夜空を眺めておりました。つづく
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(岩橋善兵衛像・貝塚市[善兵衛ランド]より)

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その4 最終回)

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 その後、猟師はこの近く寺で出家した。
 そして、ここに飼い犬の墓を作り、一生供養したということじゃ。
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 やがて、時の天皇である[宇多天皇]は、都でこの話を聞かれた。
 そして、この話に感動した天皇は「おおっ、それは主人の恩を忘れぬ立派な義犬じゃ。・・皆の者、これからその墓のある山を[犬鳴山(いぬなきやま)]と呼ぶようにせよ。」と言われた。
 それから、この山は『犬鳴山』と呼ばれるようになったんじゃと。
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(日本遺産『犬鳴山』)
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(猟師が出家した[七宝龍寺])
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(泉佐野市のゆるキャラ[イヌナキン]・・名前っそのままかい⁉)
 おしまい

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その3)

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そこには、大きな[大蛇]が木の枝から首をたらし、血を流して死んでおった。
 そして大蛇の首には、犬の首が噛みついておったんじゃ。
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 「おおっ、お前は[大蛇]からワシを守ろうとして吠えたのか⁉・・そんな事も知らんで、ワシはお前を殺してしもうた。‥許してくれ、許してくれや・・。」と猟師は泣いたんじゃ。
 そしてその場に犬の墓を作り、猟師は髪のもとどりを切った。
 そして言ったんじゃ。「もう殺生はやめじゃ・・」と。
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(現在の犬鳴山、義犬の墓前で)
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つづく

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その2)

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 その鳴き声に、大鹿は飛び上がって驚き逃げ出してしまった。
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 「この阿呆がっ⁉逃げてしもうたではないか!」と猟師は怒った。
 しかし、まだ飼い犬はワンワンと吠え続けた。
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 猟師の怒りは頂点に達して、自分の刀を抜いて飼い犬の首を斬りはらった。
 犬の首は宙を舞い、空高く飛んだ。
 が、首はなかなか地上に落ちてこなかったんじゃ。
 不審に思った猟師は上を見上げると、なんとっ⁉ 
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(義犬の墓)
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(現在は義犬の墓の横に一般の動物たちの骨を埋葬する事もできるそうだ。)
 つづく

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