(元成寺様)
10月1日・2日の二日間、泉佐野市の元成寺様にて賑やかに報恩講法要が行われ、『紙芝居法話』をさせて頂いた。
(お寺の庭の『顕如上人由緒の碑・袖掛の松』)
二日間、こちらの御門徒さまや『尾崎別院』の女性の方々もお越しになられ、大変賑やかな大法要であった。
元成寺の皆さま、大変お世話になりました。ありがとうございました。合掌
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泉佐野市『元成寺』様、報恩講法要への紙芝居法話
「あっと、こりゃ大変!」
大変な事は突然起こるものだ。
明日、別のお寺で紙芝居公演会という時にそれは起こった。
明日のメインにしようとしていた紙芝居の枚数が一枚足りないのだ。
紙芝居は枚数が足りないと、物語が成立しなくなる。
‥どこか他の紙芝居の中に、間違って紛れ込んだのだろう‥と探し始めるが見つからない。
倉庫に眠る200作を越える紙芝居を丁寧に一つ一つ探すが、結局わからない。
困った!汗が流れる。
‥打開する方法はただ一つ。新たにその無くなった一枚を描き直すという事だ。
タイムリミットは明日。時間はもう無い‥。
という事で、作り直し作業をすぐに開始した。
画用紙に無くなった絵を描き直し、色を絵の具で塗り乾かし、その裏に新たに文章を書き直す。
大急ぎで作業を始め、半日で作り直せた。
主人公の顔や服は、前に描いたものと少し色が違うがもうかまわない。
これでこの紙芝居は上演できる!
たかが紙芝居、されど紙芝居。色んな事が起こるものだ。‥しかし、あの失った一枚はどこへ行ったのやら!⁈ 思わぬ所から出て来たりして。
絵本『岩橋善兵衛物語』が、河南町立図書館にやって来た!
いつまで、描き続けるのだろうか?
この頃よく思う。
僕は紙芝居をいったいいつまで(何歳まで)作り続けるのだろうか?と。
50歳頃には、おそらく60歳迄には止めているだろうと思っていた。
今、64歳。まだ作っている。
作品数は、今220作を越えた。
以前、あるテレビ番組で『あなたの夢は何?』と聞かれた事がある。
その時、僕は適当に『紙芝居を200作超える事です。』と言い、放映された。
それも越えてしまった。
もし、70歳まで生きれるとしたら、キリの良いところで300作を越えてみたい、と言えるかな?知らんけど。
人の善意と優しさに命を救われた話‥昨日の出来事
昨日の出来事。‥実話である。
私は昨日、人の『善意』と『優しさ』に命を救われた。
それは、朝の通勤列車内での出来事であった。
場所は、南海電車難波行き『天下茶屋駅』に近づいた時。
僕と妻は、前から計画していた旅行に出発する為、少し蒸し暑い列車に立って乗っていた。
僕は目の前が霞み、突然意識を無くして後ろに倒れた‥。僕の顔は白く鼻水が流れていびきをかき始めた‥らしい。(直接の原因は熱中症だったもしれない。3分程意識はなかったそうだ。)
妻は驚き、必死で僕に声を掛け、満員電車の中で「誰か助けて下さい!」と叫んだそうだ。
それを聞いた二人の男性が、一人は「今、携帯で救急車に連絡しました。もうすぐ『天下茶屋駅』に来ますから。」と言って励ましてくださり、もう一人の方は、「今、私は後ろの車掌を呼んで来ますから、待ってて下さい。」と、満員電車の中を掻き分けて呼びに行って下さったそうだ。
電車は駅に着き、ホームで救急隊が担架と車椅子を持って待っていてくださった。その時、すでに僕の意識は戻っていた。
ホームに降りた僕は車椅子に乗せてもらい、外で待っていた救急車に乗り、近くの病院へ向かった。そこまで先程の二人の男性は、列車を降りて改札口まで僕を見送ってくださったそうだ。
「あの二人の男性、会社には遅刻されたのではないかな?‥でも心強くありがたかった。もう一度お礼を言いたい」と救急車の中で何度も妻は言っていた。僕も改めてお礼を言いたいが、どこのどなたか分からないので、自坊の寺の仏さまに手を合わせている。‥分かればお礼に伺いたいのだ。
救急病院では、色々と検査をしてくださったが、結局これと言った原因はわからず、その日の内に退院した。おそらく、前にした心臓手術の時の血管が細くなり、脳まで血が行かず熱中症もあって気を失ったのではないかと、お医者様から言われた。
今、普通通りの生活に戻ったが、本当に人の善意と優しさに改めて驚き、感謝している。
旅行はキャンセルになってしまったが、もっと大きなありがたい人の心を頂けたような気がしている。
支えて下さった数々の列車内の皆様、駅員の皆様、救急隊の皆様、本当にありがとうございました。合掌
今年のお盆の出前!
上田秋成の生誕地『曽根崎・堂島新地』を訪ねる
現在制作中の紙芝居、2本!
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