住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『二人の衣通姫(そとおりひめ)』(その1)

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古代日本の国で、絶世の美女と言われた「衣通姫(そとおりひめ)」。
実はこの女性、『日本書紀』と『古事記』という二つの書物では、違った描かれ方がされているのです。
それでは、この紙芝居では『日本書紀』と『古事記』に分けて、二つの衣通姫のお話しをいたしましょう。はじまり、はじまり〜
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『日本書紀』(前編)
昔むかしの大昔。・・五世紀の前半の頃。
第19代允恭(いんぎょう)天皇が、日本を治めていた頃。
允恭天皇の奥様。つまり皇后様には、一人の美しい妹がおりました。
あまりにお美しいので、『衣(ころも)を通して光輝くようだ!』と、衣通姫と呼ばれておりました。
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ある日、允恭天皇は皇后が留守の時、妹の衣通姫を館に招き入れました。
そして、そのあまりの美しさに目がくらみ、姫と結ばれてしまいました。
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それからというもの、允恭天皇は皇后にわからぬように、茅渟(ちぬ)の里(今の泉佐野市上之郷あたり)に別邸の宮を建てて、
「ちょっと狩りに行って来る・・」と言っては、衣通姫に元に通ったのでした。つづく
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(現在の泉佐野市上之郷・茅渟の宮跡)

富田林:泉龍寺様「永代経」法要への紙芝居法話

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今日、富田林:泉龍寺様への永代経法要に、紙芝居法話で行かせていただいた。
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良いお天気で、真夏が一度にやって来たような陽気さであった。‥つまり、暑かった。
本堂は満員御礼。一生懸命お話しして来ました。今日も心臓は無事でした。(笑)

東京『築地本願寺』に行って来ました

東京の築地本願寺に行って来ました。
心臓手術後の初の遠方旅行です。
以前はこちらで紙芝居をしました。
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お参り後、隣りの築地場外市場で玉子焼きを食べ満足です。
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その後、国会議事堂を見学。
小学生達の遠足と遭遇して、議事堂は満員御礼。結構汗だくで大変でした。
ここで、国の形を決めているのですね。
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帰りは、整備不良で飛行機が遅れて、待ち時間に疲れました。

白髪を染めるのをやめます

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心臓手術の為入院していた時、白髪を染める事ができませんでした。
退院して、もう一度染めようかと思ったのですが、なんだか面倒くさくなって・・、もう染めるのをやめます。
これからは、白髪(少し黒髪は残っているかな?)の宮本でいきます。
よろしくお願いします!

忠岡町:永福寺さま『永代経法要』への紙芝居の出前

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(忠岡町.永福寺さま)
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今日は台風一過、大阪府忠岡町の「永福寺」様の永代経法要の日。良いお天気だった。
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僕は、今年の心臓手術を終えてからの初の「紙芝居法話」であった。
御門徒の皆さま、僕の声は聞こえ難くなかったでしょうか!?
でも、精一杯お話しさせて頂きました。御招きありがとうございました。合掌

2023年度:観念寺永代経法要

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昨日は、観念寺の永代経法要の日。
今年もコロナ禍を鑑み、時間を短くして、昼の座と、夜の座の二回に分ける法要を行った。
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そして、今年も一つ一つ檀家の皆さんの[灯籠]をお飾りをして、荘厳な雰囲気を醸し出して、本堂(夜の座は)満堂で評判の良い法要になりました。
皆さま、ようこそのお参りでした。合掌

北御堂と南御堂

昨日、大阪本町にある[西本願寺]の別院「北御堂」と、[東本願寺]の「南御堂」にお参りさせて頂いて来た。
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(北御堂)
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(北御堂の本堂)
北も南もどちらも、立派なお寺だ!
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(南御堂)
以前、どちらのお寺でも[仏教紙芝居]をさせて頂いた事がある。
その時は、背後の金箔の光が眩しくて、紙芝居の紙の文字が非常に読みにくかったのを覚えている。
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(南御堂の本堂)
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(南御堂の前のホテル)
そして驚いた事に、今は南御堂の門前?に大きなホテルが建っている。
ここに泊まったのだが、お客さんは外国人ばかりで少し驚いた。
これから、コロナ時期も終わりもっと外国人が増えるだろうな。
その目的は、お寺への参拝.見学か?はたまた、身近な心斎橋、難波への買い物なのか?

狭山池博物館ボランティア企画展『ため池ものがたり』

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(大阪府立狭山池博物館)
昨日から、狭山池博物館で『ため池ものがたり』という、こちらのボランティアさん達の企画展覧会が始まった。
 僕は本来なら、このイベントに[ため池もの]紙芝居を記念公演する予定だったのだが、病気の為、残念ながら辞退させていただいた。
そこで、紙芝居の紹介だけパネル出演を披露をして下さったのだ。
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(『ため池ものがたりポスター』)
又紹介の為に、地元『寺ヶ池』の紙芝居絵本を作って下さったようだ。
ありがとうございます!
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(企画展内:僕の写ったパネルが見える)
この企画展覧会が成功しますように!拝観された方にため池が人々にもたらせた恩恵が改めて心に響きますようにお念じ申し上げます。

紙芝居:『岩橋善兵衛と伊能忠敬の望遠鏡』(後編)

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 この天文学者の二人も、善兵衛さんの望遠鏡を見て、その精巧さに大変驚きました。
 この一人、高橋至時さんの関東での弟子の一人が[伊能忠敬]だったのです。
 そして、天文学者の間重富さんは、望遠鏡に触れたその感動から、『岩橋善兵衛さま、是非、その望遠鏡を我々にも作ってもらえないでしょうか?よろしくお願いします。』と手紙を書いてお願いしました。
善兵衛さんは快諾しました。
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それから、江戸で仕事を始めた間重富さんと高橋至時さんは、「正確な日本地図を作るには、善兵衛さんの精密な望遠鏡が役に立つに違いない。」と地図の測量に旅に出る事になった[伊能忠敬]さんに、その望遠鏡を手渡したのでした。
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伊能忠敬さんは「これは素晴らしい望遠鏡だ!」と、大変喜んだそうです。
 こうして善兵衛さんの望遠鏡は、忠敬さんに渡り、正確な日本地図作成の大きな手助けになったという事なのです。
おしまい
※多少、作者の創作(フェクション)が入ってます。すみません。

紙芝居:『岩橋善兵衛と伊能忠敬の望遠鏡』(前編)

※(はじめに) このミニ作品は、196作『星に願いを〜岩崎善兵衛ものがたり』の番外編にあたる。
 これは、貝塚市の教育委員会の方が「岩橋善兵衛」さんを主人公にしたこの作品を小冊子にして、貝塚市の地元の子供達に配布したいと私のお寺に来られて頼まれたもので・・、
その時に、このお話に出てくる[伊能忠敬]公と善兵衛さんとの関係を、もうちょっと紙面でプラスしてもらえないかと頼まれ、作った[番外]作品なのである。(その時、チラッと言われたが、貝塚市長さんが千葉県『伊能忠敬記念館』へ挨拶の為に持って行きたいらしいので・・と言われた。話が大きくなって来たがこれは実現するかはわからない。)
 さて、この小冊子の話はもうすぐ実現するだろうが、その前にこの『番外編』を、私のホームページに一足先に載せたいと思う。
それでは、はじまり、はじまり〜
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 岩橋善兵衛さんが、精魂込めて作った天体望遠鏡。
 そしてその望遠鏡を持って、日本地図を完成させた伊能忠敬(いのうただたか)さん。
 お互い住む場所は、関西の[善兵衛]さんと関東の[忠敬]さんで離れてはいます。
 では、二人を結び付けたのは、いったい何だったのでしょう。
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 それでは、始めは善兵衛さんのお話からスタートしましょう。
 善兵衛さんは、自分の天体望遠鏡が完成して、とても嬉しかったのでしょう。
 それを持って、あちこちの有名な知識人のお屋敷を回って見せておりました。
 その一人が[木村蒹葭堂(きむらけんかどう]という町学者でした。
蒹葭堂さんは驚きました。・・だって、この望遠鏡という筒の小さな穴から空を覗けば、まるで星々が手に取るように見えるのですから。
蒹葭堂さんは言いました。
「善兵衛さん、その望遠鏡を一つ私にも分けて下さい。」
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そして、その望遠鏡を持った蒹葭堂さん。今度は星々に興味を持つ自分の親友たちにこの話をしました。
その親友というのが、[間 重富(はざましげとみ)]さんと、[高橋至時(たかはしよしとき)]さんでした。
彼等は当時、江戸幕府から任命され、[天文方]という改暦作業(使用している暦法を改める事)を、行う仕事をしておりました。
後編に続く

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