
しかし、そんな庄松さんの評判を妬むお坊さんがおりました。
あるお寺の法要の日。
庄松さんが、本堂の前列に座っていると、そのお坊さんが近づいて来て、皆の前で言いました。
(妬み坊)「庄松さんよ、お前さんは法主さまと、兄弟の盃をしたそうじゃな。ならば、さぞかし、お経さまにも詳しいんじゃろう。・・おおそうじゃ、今日はひとつ、そんな庄松様に、お経を読んでもらおうじゃないか。どうじゃ?」と、庄松さんが文字が読めないのを承知で言いました。
それを聞いて、みんなはハラハラ。
すると庄松さんは、「ほい、わかった」と、二つ返事でお経を頂き、おおきな声で「庄松、助けるっ!」「庄松、助けるっ!」とだけ、読んだのでした。
それを聞いて、そのお坊さんは、「・・庄松、その通りじゃ。お経さまには、一人ひとりを助けると書かれてあるのじゃ。意地悪を言って悪かった、許してくれ。」と言ったそうです。
(勝覚寺さま)
余談だが、昨年の春、この紙芝居の取材の為に、四国は香川県の〔庄松さん所縁の寺〕『勝覚寺』さまへ、お参りに行って来た。
そして、本堂で(住職さまはお留守の為)前坊守さまより、庄松さんに関する逸話をいろいろと聞かせて頂き、又、貴重な資料なども実際、見せて頂いた。
こちらの前坊守さんが、まだ小さかった時、実際、庄松さんのことをいろいろと、聞き知っておられる(ご長寿の)方が居たそうで、そんなお話も聞かせて頂いた。
(庄松さんが逆さに読んだ経典)
そして、上の写真が、この紙芝居のエピソードに出てくる本物の『経典』だ。
このように、こちらのお寺には、今もさまざまに庄松さん所縁の品物が残っていて、時間をワープしたような錯覚を覚えたのを今も懐かしく思い出す。
(勝覚寺境内に建つ庄松像)
つづく
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紙芝居:「妙好人 讃岐の庄松さん」(その4)
紙芝居:「妙好人 讃岐の庄松さん」(その3)

又、或る日のこと。
庄松(しょうま)さんは、京都のご本山『興正寺』様へ、村の仲間たちと一緒に〔帰敬式(ききょうしき)〕を受けに行きました。
〔帰敬式〕というのは、(本堂の御仏前で)一番偉い『法主(ほっす)』様から、一人ひとりの頭に〔おかみそり〕を当ててもらい、正式に仏弟子となる儀式のことです。
本堂では、皆が神妙な面持ちで頭を下げて、法主様におかみそりを当ててもらっています。
・・そして、さぁ(問題の男)庄松さんの順番になった時です。
法主様が、庄松さんの頭におかみそりを当て終り、隣の人に移ろうとした時・・、 
なんと、庄松さんは法主様の袖を引っ張り、「あにきっ、覚悟は良いか?」と呟いたのです。
静寂な本堂に、その声は響き渡り、一同は騒然となりました。(そら、なるやろ!)
しかし、さすがに法主様は、何事もなかったかのように、儀式を最後まで続けられました。
・・しかしながら、その後、庄松さんは、法主さまの部屋に呼び出される事になったのです。(えらいこっちゃ!)
庄松さんの仲間の代表は、それより先に法主様に面会し、必死で謝りました。
(可哀相な村の代表)「ほッ法主さま、どうか、庄松を許してやって下さいませ!・・あっあいつは、お金の勘定もできない馬鹿なんです。どうかお慈悲を!」と。
しかし法主さまは、「いや、そんなことはどうでも良いのだ。私はなぜ、あの男があんな事を言ったのか?それが知りたいのだ。」と、おっしゃいました。
そして、庄松さんが、いよいよ入ってくることになったのです。 
(法主さま)「庄松とやら、お前はなぜ?先ほど、私の袖を引っ張ってあのようなことを言ったのか?」と、尋ねられると、
(庄松)「へい、わしは、法主さまがそのような赤い立派な衣を着ておっても、我々皆、地獄落ちは逃れることが出来んので、法主さまは〔死後の覚悟〕は出来とるんか?心配で聞いたんじゃ」と、答えました。
それを聞いて法主様は、「ほぉ、すると、お前は私を心配して、あのような事を言ったのか。・・では聞こう。庄松は、信心を得ておるのだな?」と、再び尋ねられました。
(庄松)「へえ、得とります。」
(法主)「それでは、お前は〔死後の覚悟〕も出来ておるんじゃな?」
(庄松)「それはわからん。」
(法主)「・・それで、お前は大丈夫なのか?」
(庄松)「何ともない。そんなことは、阿弥陀さまに直接聞いてくれ。それは仏様の仕事じゃから。はははっ」と、問答が続きました。
それを聞かれた法主様は、「・・はっはっはっ、その通りだ。いちいちもっとも。庄松よ、私をアニキと呼んだからには、今日からお前と私は兄弟じゃ。誰か、酒を持て。今から兄弟の杯をとらす。」と、大変上機嫌であったそうです。
この日以来、庄松さんと法主様は、本当に兄弟のような御付き合いを続けられたそうです。(注意:良い子のみんなは、決して真似をしないようにしましょうね。)
つづく
紙芝居:「妙好人 讃岐の庄松さん」(その2)

或る日のことです。
隣町のお寺の住職から、庄松(しょうま)さんは、呼び出されました。
(偉そうな住職)「庄松、今から檀家にご法事に行く。だからお前は、〔法衣〕と〔お経さま〕を持って付いて来なさい!」と、住職は庄松さんに荷物持ちを命じました。
庄松さんは、「へい、承知しました」と、二つ返事で引き受け、ひょこひょことついて行きます。
そして、檀家宅に着き、玄関から入る住職でしたが、庄松さんも一緒について来ようとしました。それで・・、
(住職)「これっ、庄松!お前は身分が低いから、裏口から入りなさい!」と言うと・・、なんと、 
(庄松)「わしは身分が低いが、〔お経さま〕は住職より尊いぞ!・・だから、それを持っとるわしも尊い!」と言って、ズカズカと住職を追い抜いて、玄関から先に入って行きました。
(住職)「こりゃ、理屈じゃ負けじゃ・・。」と言って、住職は笑いながら後から入って行ったそうです。 つづく
紙芝居:「妙好人 讃岐の庄松さん」(その1)

「妙好人(みょうこうにん)」というのは、言葉では言い尽せない程、素晴らしい念仏者のことです。
讃岐(今の四国は香川県)の『庄松(しょうま)』さんも、そのお一人でした。
庄松さんは、貧しい農家に生まれた為、生涯文字の読み書きやお金の勘定が出来ませんでした。
しかし、無欲で、信心が篤く、たとえどんなに相手が地位の高い人でも、ズバリと仏法の核心を言い当てて、廻りの人に感動を与えました。
それではそんな『庄松』さんの一代記を聞いて頂きましょう。はじまり、はじまりー。
『庄松』さんの家は、貧しいお百姓さんでした。
それで、食べてゆくことが出来ず、〔草履〕作りなどの、今で言うアルバイトや〔子守り〕などをしたり、
又、近くの『勝覚寺(しょうかくじ)』様というお寺の下働きなどもしながら、どうにか生計を立てておりました。
庄松さんが、仏法を熱心に聞くようになった機縁は、お寺の仕事を手伝っていたからかもしれません。
又生まれつき、まっすぐな性格でしたので、砂に水が沁みこむように、お念仏の教えの真髄が、身体全体で受け取ることができたのかもしれません。 つづく
貝塚市「願泉寺」さま見学

(株)同朋観光さんが、(うちの寺を含めた)バスの団体参拝コースの一つとして、挙げられている貝塚市の「願泉寺」さま。
いつも、「どんなお寺なのだろうか?」と気になっていた。
そこで、今日の夕方、時間が空いたので(車を走らせて)実際に行ってみた。
(山門)
立派なお寺だった。(そりゃそうだ。・・貝塚御坊とも呼ばれ、江戸時代にはこちらの御住職が、この町を治めていたのだから。又、一時期、本願寺ご門主のお住まいにもなっていたお寺なのだから。)
こちらの寺内町を散歩しながら、この町はお寺を中心とした宗教都市だったのだと改めて感じた。
(龍の彫刻)
それで、写真を撮りながら歩いていたら、偶然こちらのご門徒さんが近寄って来られて、こちらの寺院の歴史やら、阪神の大震災の折には、山門の上に彫られてある『龍の彫刻(写真)』が落ちた事など、又それを直した時、色をちゃんと塗りなおして今でははっきりと『龍』と『金の玉』が解ることなど、親切にこと細かく教えて下さった。
歴史在るこちらの寺院を、このご門徒さんは、本当に誇りに思っておられるのだなと、感じたのであった。
自信
昨日、第111回目となる「特養老人ホーム甍」での『法話会(こちらでは『講話クラブ』と呼んでいる)』を行った。
お寺から出発直前に、京都から突然、お客さまが来院された為出発が遅れて、会の開始は30分遅れで始めることになった。
それでも、到着した時、施設では皆さんがいつものように、笑顔で待っていて下さった。
又、職員さんも嫌な顔一つせず、「忙しいのに、毎回すみません。大雨で出にくいのに有難うございます」とおっしゃってくださり、たいへん恐縮してしまった。
ほんまありがたいことです。
それでいつもように、紙芝居を使って法話をして、最後は質問コーナーに移った。
昨日、あわてて施設へ向かった為、(着替える時間がなく)Tシャツと短パンの上に、夏用の法衣を羽織るというカッコでお話をさせて頂いたのだが、そんな姿にも関わらず、「住職さん、ナンマンダブツって、どういう意味ですか?」とか、「空海さんと最澄さんは、ホントは仲が悪かったのですか?」などのマニアックな質問も出て、たいへん濃い法話会となりました。
そんな質問に笑顔で答え、最後に、片付けながら感じた事なのだが、僕は自分が(施設の)皆さんによって『自信』を与えてもらった(=育ててもらった)と、感じてならなかった。
その『自信』とは、人前で堂々と喋れることができるようになった自信。
又、どんな質問が出てもビビらず、笑顔で答えることができるようになった『自信』。そして、答えが解らん質問の時は、正直に「それは解りません」と言える『自信』。
途中で席を立たれても、同じ事を何度言われても、奇声を上げられても、喧嘩が起こっても、自分の心を冷静に保てて事に当たることが出来るようになった『自信』。
それらは皆、皆さんの優しい眼差しがあったから出来た『自信』だと思うのだ。
施設で『法話会』をさせて頂いて、18年。
大阪弁でいうと、『一番得した』のは僕だと思う。
もう、恐くないです。・・誰が何と言おうと、いろんな福祉施設や病院でお話させて頂いた、この18年間という時間の実績は強いです。
さあ、この(皆さんによって育てて頂いた)『自信』を、これから、たくさんのご縁ある人々の為に使わせて頂き、ご恩返しをするのは、今からだと思う。
そんな事を改めて感じた昨日の法話会であった。合掌
大阪教区:中島組仏教婦人会総会および研修会への出前
(会場の昭光寺さま)
昨日、中島組仏教婦人会総会へ、紙芝居法話に行って来た。
大阪教区中島組というのは、大阪市淀川区(新大阪駅周辺か?)を中心としたお寺の婦人会である。
さて僕は、「総会なので、ピリピリした雰囲気かな?」と思っていたのだが、そんな感じはなく和やかな雰囲気で、たいへん話易かったです。(よおさん、笑ってくださいました)
又、会場で始まる準備をしていたら、そこのお寺の若住職さんが、「宮本先生っ、奥さん恐いッすか?」と、突然尋ねてこられたので、思わず僕は「なんで、そんなこと知ってるねん!」と、(その言葉を否定せず)答えると、どうやら、こちらの若住職と僕の組のK福寺の住職が、雅楽の演奏チームで友達らしく、僕の情報が(面白おかしく歪曲されて?)伝わっていたらしい。
だから、(この際と思い)僕ははっきりと言っておいた。
「恐いに決まってます!三つ年上ですから!言われるがままです」とキッパリ断言しておいた。
そしたら、何も知らない若住職は、「でも、夫婦ってその方がうまくいきますよね」と云われた。
それについては、もうちょっと(内部事情を)言いたかったのたが(笑い)、司会の方が僕を紹介してくださったので、中断して法話に移ったのであった。
この話の続きは、機会があれば、いずれお酒でも飲みながらゆっくりとお話しましょうね、若住職さん。合掌
財団法人:千里老人文化センター「好日荘」への出前
(好日荘スタッフ 僕の隣が笹辺さん)
昨日、吹田市南千里にある(財)千里老人文化センター「好日荘」へお寺の出前に行って来た。
きっかけは、理事長の(クリクリ頭の)笹部美和子さん(法名は『釈量智』さん=お坊さんでもある)からの、(半年ほど前から?の)ご依頼だった。
(くりくり頭の)笹辺理事長さまは、以前、読売新聞の「心のページ」に掲載された僕の記事を大切に保管されていて、何を思ったか?思い出され、ご連絡下さったのだ。(有り難いことです。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ・・くりくり) 
それで、こちらの文化センターで毎月行われている、(40代から80代までの幅広い層の皆さんご参加の)『こころのお話』という教室の今月の講師をさせて頂いたのである・・くりくり。
たくさんの皆様のご参加、ありがとうございました。
皆さん、たいへんノリが良くてお話しやすかったです。(それで僕自身、ノラせて頂き、自己紹介で40分ほど時間を使い、紙芝居が二本しかできんかったのが、少し心残りです。はぁ~くりくり。反省だくり。)
それで、僕の講演の中身はさておき、こちらの(くりくり頭の)笹部理事長さまが、なぜ?頭をくりくりにされているかを少し書かせていただくり。
はっきり言ってこちらの理事長さまは、とても偉いお方なのだ。
もちろん、頭が良いというのは当然として、たいへん行動力があって、ユーモアもあり、信心が篤く、心根がお優しいお方なのだくり。
それで、一昨年に起こった東日本大震災の被災地に、毎月(お話相手や音楽演奏などの)ボランティアに行っておられるのだ。・・もう一度言う。毎月である。(スゴイ!)
そして今は、主に毎月、福島県の仮設住宅に通っておられるということだ。(お話に感動したので、僕も今年の夏に『紙芝居』を持って、ご一緒させて頂くことにしたくり。〔何か、コロすけみたいな喋り方になってきたなり~、いや、くり~〕) ・・それで、頭の話にいかねば。・・笹辺さまが被災地の訪問中に、仮設のお風呂に入れてもらった時、ご自分の髪の毛を洗うために、皆さんの貴重なお水を使わせてもらっている事に心を砕かれ、自分の僧侶としての身なり(カタチ)とは何ぞや?という想いもあって、思い切って髪の毛をすっぱり切ったそうである。その時以来、くりくりで通しておられるそうだくり。(でも、いつまでもこのままとは考えておられないようだ。)
それでも、女性がずっと坊主頭で、一般の仕事を続けてこられたというのは、(たいへん勇気も入り)考えてみたらスゴイ志だと思う。
ご本人の素敵な活動と、そしてこちらの皆さんのノリの良さにも感動したので、これからも、末長いお付き合いのほど、よろしくお願いしますくり~~。(こんどお会いした時は、もう髪の毛が伸びてたりして。)
199回目の白寿苑法話会

毎月、行かせてもらっている『特養老人ホーム 白寿苑』での法話会も、昨日で通算199回目をむかえた。(もう、18年間も続けていることになる)
このまま行けば、来月の七月で200回だ。
思い起こせば、平成七年の初めから『白寿苑』さんにご縁を頂き、シーツ交換や居室訪問などのボランティアを通して、入居者の方がたと仲良くさせて頂いた後、平成八年の六月からこの『紙芝居法話会』をスタートさせた。
まぁ、いろいろな失敗や、ハプニングもあり、その時その時を必死でやって来た。
苑内でのお葬式やお盆法要(今年もやります!)なども、させて頂いた。(ほんま、勉強になりました)
そして、この施設での法話会のうわさを聞かれた、他の特養施設やディサービスセンター、又は病院や学校、企業などから、お声が掛かり、今ではその講演回数が900回を越えた。(その内の200回がこちらだ!)
そうそう、マスコミも何度か取材に来て下さったなぁ。NHKや民放のテレビ局、又はサンケイ・朝日・読売などの新聞社や本願寺新報や中外日報などの宗教関係の新聞取材も来られたなぁ・・。(その度に緊張したわ)
そう、すべて僕と紙芝居法話との縁は、こちらの施設から始まったのだ。
今では、初期の参加者の方は誰も居なくなってしまったが、出会いがあれば、別れもあるのがあたり前。割り切らなくては。
そう、今の僕は、現在『法話会』に参加して下さっている入居者の方とのご縁をいかに深めるか、ただそれだけに精神を集中せねばと思っている。
そうそう、紙芝居もいつのまにか、130本になったことも書いておかねば。
目標は、216本・・にした。(これは、108の煩悩の二乗の数字である。煩悩が多い僕にはぴったりの数字だ。〔笑〕・・ヒントをくれたYさん、ご教授ありがとう!)
浄土真宗×影絵=ともしえ、来院!
(右から柱本さん、瓜生さん、石川さん)
昨日、(自作の)影絵を使って布教をされている(若手僧侶)グループ『ともしえ』さんが、観念寺に来院された。
その目的は、(はっきりとは聞かんかったのだが(笑)、おそらく、僕の紙芝居を使っての法話活動の調査取材?ではなかったろうか?)
彼等も現在、自作の『仏典影絵』を製作し、寺院を中心に布教活動を始めておられるということだ。(皆さん、20代で若い!〔僕の子供ぐらいの年齢だ。〕皆さん、エネルギーに満ち溢れておられるように見えた)
それで、いろいろとお話をお伺いしているうちに、「来年、うちの寺にも、影絵布教講演に来ていただけないだろうか?」とお願いしてみたら、快くお受け頂けた。
・・で、(若い子風に言うと)超!嬉しかった。(・・でも今の若者って、もうこんな言い方しないのかも・・。)
それでは『ともしえ』さん、来年楽しみにお待ちしております!よろしくお願いしますね。
