
しばらく、このブログを書いていない。
それは、お彼岸週間に入って時間が取れなかった為だ。・・いや、(『半沢直樹』の最終回は、ちゃんと観たので)時間が取れなかったというのは嘘だ。
疲れてパソコンを開くのが、おっくうになった為だ。
今年のお彼岸は、20日から始まり、お参りやら大掃除やら来客やらで、忙しさが倍返し、いや倍増した。
又、21日は、うちの寺の[彼岸法要]もあり、終わったのが午後の10時半頃。そして次の日の22日は、早朝から三件のご法事があって、疲れはピークに達していた。
が、昨日は、泉佐野市の[正覚寺]様(写真)で、紙芝居法話を頼まれていたので、朦朧として遅刻しないように、早めに出発。(・・でも早めに着きすぎて、コンビニでアンパンを食べて時間を潰したのだが、はははっ。) 
そして、時間通り、お話することができた。(正覚寺の皆さま、お世話になり有難うございました。)
まぁ、これで彼岸の前半は終了し、めでたしめでたしなのだが、今日から後半戦に入る。
・・実はこのように、今ブログを書いている場合ではないのだが、(次のお参りに行かねばあかんので・・へへへっ)、貧脳の僕の記憶がどんどん抜けてゆくために、何とか忘れぬ内に、いやこれも嘘やな。・・書くことがめんどくさくなって、その日の記録をカットしてしまわない内に、書いておくことにした。
さあ、もうひと踏ん張り、お彼岸を乗り切りましょう!
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記事一覧
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泉佐野市:正覚寺様の「彼岸法会」への出前
白寿苑での取材(新聞編)
昨日は、特養老人ホーム「白寿苑」での月例法話会の日。
今週は、[敬老週間]ということで、僕は『老人と王様』という(現代の高齢化問題を彷彿させるような)紙芝居を披露した。
さて、この物語は、日本の[姨捨伝説]の元になった話なのだが、元本(インドのお経)は、結構ユーモラスでハッピーエンドな形なので、僕はとても気に入っている。
又、お年寄りが聞かれても嫌な気持ちにならないと思いこれにした。(結果的に正解であったと思う)
さてさて、話は変わるが、昨日はこの『法話会』の模様を記事にしたいと、朝日新聞の記者さんが現場取材に来られた。
会の始まる一時間前から、その記事の為のインタビューがはじまったのだが、ここでの法話会の歴史は18年前にさかのぼらねば成らない為、記憶の倉庫にカビが生えかけている僕の脳味噌のカビ取り除去作業から始めねばならなくて、それに時間を費やすことになり往生した。(・・I記者さん、すんませんでした)
でも、履歴書を見ながら語るより、いろんなエピソードが飛び出し、こっちの方が面白かったかもしれませんよね・・という事にしとこか。
この記事の内容は、その内、発行されましたら、いずれこのブログにて記載させて頂こうと思っておりますので、お楽しみに。(どんな記事になってるのかな?!はははっ)
紙芝居「くもの糸」を演じる上での矛盾・・
・・台風一過。
近畿地方は大きな被害を受けた。
今、京都や滋賀の友人宅(お寺)などに、心配で(迷惑にならない程度に)連絡を入れて聞いている。
さて、話は変わるが、
うちの地域にも大雨が降り、その雨の後、お寺の庭に蚊が大量発生した。
昨日も、洗濯物を入れながら刺された刺された。
そして、その蚊を狙ってか、蜘蛛の巣も、今、あちこちに大量に張り巡らされている。
それが、うっとうしくて、今日もお参りに行く前に、捕りまくった。
でも、矛盾を感じるのだ。
よく僕は、芥川龍之介の[くもの糸]という紙芝居をした後に、皆さんに「蜘蛛一匹といえども、命はいのち。大事にしたいですね。」てなことを言っているのだが、矛盾だ矛盾。
「ほんま、うっとうしいなぁ」とつぶやいて、言ってることの真逆なことを、やっている。
・・でも、法衣にまとわりつく蜘蛛の巣を捕りながら、懺悔の気持ちが沸いてくるんだよなぁ。「僕はこの紙芝居をする資格がないのではないか?」と。
でも、頼まれたら、又、平然とした顔で、この紙芝居をやるのだろなぁ。
「くもの糸」の主人公カンダタは、この僕なのかも・・。
合掌
「紙芝居」を演じ続ける日々
九月に入ってから、紙芝居を演じ続ける日々が続いている。
昨日は、大阪市港区にある『唯称寺』さまの『彼岸法要』へ行かせてもらい、[敬老の日]という事で『二つの墓穴』という、老人と介護をテーマにした紙芝居をさせてもらった。
その後、東大阪の「清澄寺」さまへ行き、『金子みすず』紙芝居の完成報告を兼ねて、ご住職夫婦に、この紙芝居を観て頂いた。(こちらのご夫婦のおかげでこの紙芝居が完成したと言っても良い。それで、一番に先に観て頂きたかったのです。)
その前の日は、このブログにも書いたが、埼玉県から来られたお客様に、ご希望の『アングリマーラ』の紙芝居を披露した。
日が遡っていくが、14日には河内長野市の観光ガイドボランティアの三輪さんの来院により、滝畑ダムの『(仮題)ダム湖に消えた村』紙芝居制作の打ち合わせををする。
11日には、石川南組連続研修会の講師が当たったため、『唯円坊の嘆き「歎異抄」かく語りき』という浄土真宗の研修のための紙芝居を、お寺で披露。
・・・そして、9日が泉南郡のお寺の壮年会という事で、『アミダブツ物語』を中心に、仏典紙芝居を披露。その他エトセトラ。
と、いうような感じなのだが、今月はまだまだ、いろんな場所で紙芝居を披露してゆかねばならない、
が、このように、拙い僕の紙芝居が、あちこちで(それぞれの会合のテーマごとに)求めてくださってるこの現実を、たいへん喜ばしく思い感謝している。(たとえ喉が嗄れようと・・)
又、すぐにやってくる新聞社とテレビの取材にも応じなければならないのだが、なるべく疲れを溜めずに、その日の日程を消化していきたいと思う。・・体が資本なので。
埼玉県からのお客様
今日、埼玉県川口から、台風の中、お客様が来られた。
その方は埼玉の青年商工会議所職員の方で、目的は、僕の『殺人鬼になった修行僧 ~アングリマーラのはなし』という紙芝居を写真で撮ってコピーする為であった。
・・ほんま、遠い所をご苦労様でした。(新幹線も、台風の為、遅れたそうだ)
そのコピー目的は、地元の青少年会で、このお話を使って、[許すこと]・[怨みの気持ちをどうするか]などをテーマにした研修(討論)会を開く為らしい。
確かに、この紙芝居のテーマは(観方によれば)深い。
こんな話だ。
『一人のまじめな若い修行僧がいた。
彼は住み込みで、師匠の家で修行をしていた。
師匠には淫乱な妻がいた。その妻が彼を誘惑。しかし、彼は拒絶した。怒った妻は、自分の夫に彼に乱暴されたと嘘をつく。
師匠である夫は、弟子を怨み、恐ろしい報復を考える。
それは、人を百人殺して、その指で首飾りを作る事、それが彼の修行になるという教えだった。
弟子は拒絶するが、催眠術を掛けられ、ついに実行する。
それからというもの、インドの町に夜な夜な辻斬りが現われ、町人は恐怖に陥る。
その殺人鬼は、いつしか『アングリマーラ(指の首飾りの悪魔)』と呼ばれるようになる。
そして、99人が殺され、アングリマーラは最後の犠牲者を見つけて襲うが、それは自分を心配して探していた、実の母親だった。
母の叫びを聞き、正気に戻ったアングリマーラは、お釈迦様のお寺に助けを求め、出家し入門することになる。
お釈迦様は、彼に毎日、「町に出て托鉢をせよ」と命じる。
・・連日、町の住民たちから報復を受けながらも、ただひたすら耐えて、托鉢を続けるアングリマーラ。
そんなある日、軍隊がやってきて、彼の引き渡しをお釈迦様に求める。
が、お釈迦様は「彼は心から懺悔してしている」と、引き渡しを拒否。
しぶしぶ、あきらめる軍隊。
そして、アングリマーラはやがて、悟りを開くことになる・・。』
そんなお話だ。
ざっと振り返ってみたが、でもこれって、研修の材料になるのかな?
研修結果がどうなったかは、又いずれ、詳しく教えてもらうとしよう。
おもてなし・・
今、『おもてなし』という言葉が、注目されている。
まず、この意味だが、辞書で引くと「持て成し」とあり、意味は『ふるまい。とりなし。歓持する事・・』と説明されている。
つまり、饗応、接待という受け取って良いのだろう。
話は、僕のことになるが、
僕もよく、この『おもてなし』を、老人ホームで受ける。
それは、お寺の出前の『紙芝居法話』が終わった後、個人的に、入所者の方からのお部屋に招かれるのだ。
「住職さん、後でちょっと部屋に来て、」と言われて、片づけが終わってから、その方のお部屋にお邪魔する。
たいていは、深刻なお話があるわけではなく、孫や昔のご自分の想い出写真のご披露で、話は終わるのだが・・。
その時に、この「おもてなし」がある。
ベット横の机の引き出しから、(賞味期限の切れた[笑い])饅頭やせんべいなどを出して、僕に「これ、食べて」と、もてなしてくださるのだ。
・・その『賞味期限』が気になるので、たいていは持って帰るのだが、「どうしても」と言われたら、覚悟して食べる。(後で職員さんに、引き出しのチェックを言っておくが・・。[笑い])
中には、お金を出して、「これ、お賽銭にしてください」と言われることもある。(でも、これは金銭の事なので、受け取らない。「どうしても」と、言われた場合のみ、担当職員に必ず、相談する。)
お年寄りは「おもてなし」の心を、常識として持っておられる。
それが、施設内でも当然のように、実行されるのだ。
その「もてなし」の(気遣いの)お心が、十分にこちらに伝わってくるので、これからも僕は、(賞味期限を少し気にしながら、)「もてなして」もらい続ける・・。
ああっ「もてなして」もらうのも、ちょっと勇気がいる。
南郡組(なんぐんそ)仏教壮年会への出前
昨日、浄土真宗本願寺派[南郡組(=泉南地区)]仏教壮年会の研修会へ、「お寺の出前」が、お寺へ出前に寄せて頂いた。(・・写真を撮るのを忘れてしまいました)
開始時間が、夜にも関わらず、多くの仏教壮年の皆さんが、お集まり下さっていて、こちらもたいへん緊張した。(・・嘘である。僕も壮年の年齢層なので、何かみなさんのお顔を拝見したら、「みんな、(おっちゃん同志)仲間や、気が楽やと思いました。」・とさ)
お寺の周辺で、だんじりの鐘と歌声の練習が響く中(・・もう、秋祭りの季節やなぁ)、僕は、仏教紙芝居(「三尺三寸のお箸」・「アミダ仏物語」・「共命鳥のはなし」)の三本をさせて頂いた。
紙芝居を見て下さっている、壮年の方たちの少年のような表情が、何とも言えぬ幸せ空間を作り出していたような、そんな昨日の壮年会でした。
「(僕と)個人的に友達になりたい」と、おっしゃって下さった司会者さんを含め、南郡組の(各お寺様、そして各お寺の壮年会の皆さま、会所寺院の正永寺の皆さま)、たいへんお世話になり、ありがとうございました。(・・わーい、友達、一人増えた!) 合掌
カッコいい生き方?
今日、『特養老人ホーム甍』の講話クラブに行って来た。
今日の講話の演目(紙芝居)は、『捨聖 一遍上人』。
そして、テーマは「捨てる」である。
そう、今日は一遍上人の人生行路を「紙芝居」で解説しながら、その生き方を紹介して、その後、みなさんに「(大事なものを)捨てて生きて、果たして幸せは来るのか?(執着を無くす生き方)」をテーマに話し合ってみた。
偉大な聖人:一遍さまの事はさておき、「捨てる」をテーマにした話し合いは、(白熱して)面白かった。
「家族や財産などを捨ててしまったら、後に[虚しさ]しか残らないのではないでしょうか?」とか、「それは仏教でいう[無]ということですか?([空]のことか?)」とか、高尚な質問が出て、どう答えて良いか解らず、こちらも頭の中が[無]になった。(笑い)
でも、途中に「それって(なんとなく)解る、解る」というお方が現われて、僕は最後に「(心の中の執着を含めた)『捨てる』生き方って、案外実行すると楽かもよ。
今、『断捨離(だんしゃり)』っていう本もヒットして、そんな(心のお掃除、整理する大切さを表す)言葉もできてるのですよ。・・まぁ、僕はとても出来ませんけど。僕はどっちかというと、『断捨離』より『檀蜜』の方が好きですけど。ところで、みなさん檀蜜って知ってますか?余談ですけどね。・・まぁ、だから今日のお話は、いわゆるひとつの憧れということで。」と、まとめてみた。
職員さんが、最後に「今日の話はおもしろかったー」と、言ってくれたので、ちょっとホッとした。
先日、プライドを捨てて、坊主活動している僕に対して、ある方が、「あなたはカッコいい生き方をしています!」と、真剣に言って下さった。
いつも、回りから変人に思われてる僕を、そんな風に見つめていてくれてる人が、一人でも現われたこの事実に、僕は心から「このまま前進しよう」という勇気が沸々と湧いたのであった。(褒められて伸びる中年なので・・)
でも、その言葉も、いつか[執着]になる可能性がある。
・・だから、心の中にしまっておきたいが『捨てねば』・・な。
金子みすゞ紙芝居、制作の難しさ
今、『金子みすゞ』女史の紙芝居を作っている最中なのだが、思ってもみなかった困難にぶつかっている。
「果たして、この紙芝居は無事に完成する事が出来るのだろうか?」・・などの不安が、毎日僕を襲う。(夢にも出てくる)
それは、つまりこの紙芝居の構成をどうしたらよいか?という基本的なことに悩んでしまっているのだ。
最初の構想では、彼女の少女期から、大人になるまでを描き、最後にポツンと死を入れて終ろうと思っていた。
彼女の有名な詩は、少しだけ(途中に)入れれば良いと安易に考えていたのだ。
しかし、彼女の詩集を読んでいると、どうしても(本文中に、)この詩も紹介したい、この詩も紹介したいと思うようになっていった。
そして、ストーリーの節目節目に、その詩を入れていこうとしたら、いつしか、詩だけで『八枚』になってしまった。
・・チョイスしてチョイスして、詩を選んだつもりなのだが、詩の紹介の多さに、彼女の一代記をぼやけさせてしまったのだ。(通常、紙芝居は十二枚程度なので、詩が多すぎるのだ)
しかし、どれも、カットできない。
『詩』と『一代記』、どちらに重点を置いて完成させるか、思ってもみなかった[やっかいな悩みが]、今、制作を遅らせている。
第一部、彼女の一生。第二部、彼女の詩の紹介、と、もちろん考えたのだが、やはり、彼女の一生とともに詩を入れた方がよいと、いう結論に今、達している。
いったい、この紙芝居はどうなってゆくのか?
紙芝居を作る人間は、そんなことで悩むのです。
親鸞聖人のこと・・

(京都市伏見区日野)
浄土真宗の開祖『親鸞聖人』は、今からおよそ八百年ほど前、現在の京都市伏見区日野(ひの)の地で、お生まれになった。
(日野誕生院)
現在この地に立つと、京都市内とは思えないほど、静寂な空気が漂っている。・・つまり、なんというか、田舎だ。
であるから、当時はもっと静かで寂しい場所であったのだろう。
ここで、親鸞聖人は生まれ育った。
父は、日野一族の藤原有範(ありのり)。
母は、源氏の血を引く(源義家の孫)吉光女(きっこうじょ)と言われている。(そう、時代は違いますが、あの日野富子も一族です)
つまり、閑静な環境のエエトコのボンに生まれたのだ。
、
(法界寺[日野家菩提寺])
しかし、時代は源平争乱の時代に入り、親鸞聖人は(政治的な理由があったのか?)幼き頃に出家させられ、比叡山で修行することに・・。
そして、波乱の生涯を送られることになる。
しかし、この長閑な日野の地で育てられたときは、きっと自分にそんな波乱の人生の幕開けが来ることなど、夢にも思われなかったであろう。
そう、この誕生院のすぐ下にある立派な阿弥陀仏の祀られている『法界寺』で、ある時は無邪気な遊び回り、又ある時は祈り、多感な時を過ごされたのだろう。
この地に立つと、案外、親鸞聖人の(内観的な)思想の柱となったものは、この日野の地で培われたのではないかと、僕はそんな気がする。 
(境内の蓮池)
僕も、親鸞聖人と同じ場所に立ち、同じ空気を吸い、同じ道を歩いてみる。・・そして阿弥陀仏に手を合わしてみる。
・・僕の紙芝居づくりは、いつもそんなところから始まるのである。
