(善秀寺さま)
昨日、地元河南町にある浄土真宗本願寺派「善秀寺」さまの『春季彼岸法要』に、講師としてお招き頂き、御法話のご縁に預からせて頂いた。
こちらは今回で、六回目のご縁となる。
毎年、春に呼んで頂いているので、その度、紙芝居の新作披露をさせて頂いている。
さて、今年は昨年製作した七作品から、三作品を選んで、紙芝居法話をさせて頂いた。
まずは浄土真宗の有名な妙好人『讃岐の庄松さん』、その後最新作『中甚兵衛ものがたり』、そして休憩を挟んで、大切な心と命の話『でんでんむしのかなしみ』の紙芝居を、僕の現地取材の思い出などを入れながらお話する。
お話しながら改めて(僕自身が)思ったのだが、宗教的背景に裏打ちされた物語というのは、どれも深いお話ばかりだなと思ってしまった次第である。
紙芝居を描いてる時には気づかないことが、皆さんの前で実演することによって、改めて自分自身気づく事が、最近良くある。
描く事と、話すこと(演じる事)、というのは、二つ行って初めて、(物語が僕の中で)完結するのかもしれんなと思った、昨日の貴重な御法縁であった。
尚、この時の模様は、『中外日報』の記者さんが、昨日取材して下さいましたので、新聞に掲載されましたら、改めてこのホームページで発表させていただきたいと思っています。合掌
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善秀寺さまの春季彼岸法要
「白寿苑」での新作初披露
長いこと掛かってようやく完成した『大阪の川の流れを変えた男 中甚兵衛ものがたり』の紙芝居を、昨日、初めて『特養 白寿苑』で披露させて頂いた。(いずれ、このホームページで紹介させて頂きます)
お彼岸の時に演じる紙芝居として、この作品が相応しかったかどうか解らないが、皆さん、熱心に聞いてくださり、たいへん嬉しかった。(職員のK君などは、「感動して涙ぐんでしまいました」とまで、言ってくれた。・・ちょっとオーバーとちゃうか?・・K君は最近、涙もろいねんなぁ。)
江戸時代の中頃に、執念ともいうべき熱意で、大和川を付け替えた男、中甚兵衛の生涯をわずか14枚にまとめるのは、至難の業でした。
この紙芝居を完成さすまで、実際、甚兵衛の生家、墓、資料館、そして新大和川の全流域を取材させて頂き、今、ここにようやく完成することができて感無量です。
昨日、披露させていただいて改めて思ったのだが、(甚兵衛さんみたいに)人間の情熱、不屈の精神というものは、年齢など関係ないと思った次第です。
甚兵衛さんには、遥かに及ばんけど、僕もその精神を(何歳までやれるか解らんが、)継承できればと、そんなことを思った。
・・まだまだ、作りたい(そして、皆さんに紹介したい話の)紙芝居が一杯あるので・・。たとえば、「(狭山池の石棺)重源さんの話」、「(12万体の仏を彫った)円空さんの話」、「(生涯歩き続けた遊行僧)一遍さんの話」、「妙好人(お軽同行、大和の清九郎、有福の善太郎、詩人金子みすずさん)の話」など、エトセトラ、エトセトラ・・。
見学者の方の想い
最近、『お寺の出前』(紙芝居法話)の現場に、いろんな方が見学に来られる。
そう、つい先日も『特養 甍』に一人の(介護関係のお仕事の)女性が、見学希望で来苑された。
この方も、いずれご自分の福祉業務の現場で『紙芝居』を使って講話をされたいとの事であった。
僕にとって『紙芝居』は、今では福祉・医療の現場で『仏教法話』をする為に、なくてはならない物となっている。
・・が、それは(たまたま)僕にとっての話で、いろんな職種の方達が、それぞれに『紙芝居』の活用方法を考え出されてゆけば、それは多種多様にそれぞれの分野で素晴らしい効果を生み出してゆくに違いないと思っている。
『みんな違って、みんな良い』と、云われたのは、確か『金子みすず』さんだったっけ・・。
そうなんだと思う。
先日、紙芝居を見られたある方が僕に、「真理って、シンプルなものなのですよね。・・紙芝居のお話みたいに。」とおっしゃられた。
その通りだと思う。
『紙芝居』は、実にシンプルで、かつ深いものだ。
僕はここに、この方が云われた《真理》なるものがあるように思えてならない。
この真理というものを、人の幸せと気づきの為に、紙芝居が活用されれば、正に「みんな良い」である。
『紙芝居』を、それぞれに活用されたいと考える人たちに、幸あれ!
お寺さんの似顔絵
最近、お寺に子供達がよく遊びにやって来る。
きっと一つには、遊ぶ場所が少なくなったからであろう。(うちトコのような田舎でもこうなんだから、都会はもっとひどいに違いない。・・又、黄砂や花粉の影響もあろう。)
で、昨日も僕が留守の間に子供達がやって来たそうだ。
そんな時は、(仕事が休みなら)妻が子供達のお相手をしてくれている。
「子供達は、いったい本堂で何をしてるの?」と、昨日、お参りから帰って来た僕が聞くと、
妻は「うーん、まずはご本尊にお参りしてるは。お父さん(僕)が教えた通りのことやってるよ。・・ちゃんと座って、お焼香をして、思いっきり鐘を鳴らして・・、これは「お父さんが『思いっきり鐘を鳴らしてもええで!』って、一番最初に言うたからそうやってんねんで。子供は最初に教えた通りに覚えるんやから。・・鐘が割れたらお父さんのせいやで!(なんでここで僕が怒られなあかんねん。とんだとばっちりやで。)・・それから、すべての掛け軸の祖師さんに手を合わせて、・・その後、好きなように本読んだりして勝手に遊んでるわ。・・ああそうそう、黒板見てきて。住職と私の姿を描いてくれてるわ。『お寺さんの似顔絵や』って言うてたよ。結構上手に描いてるよ。」と言うので、
黒板を見てきたら、ほんま上手に描いてあった。
ちなみに、真ん中が僕で、作務衣を着て笑ってる様子だそうだ。その横が妻で、ちゃんと(Mちゃん自身の)自分の絵も描いていた。
僕が作務衣を着ている姿なんて、ちゃんと子供は見ているんだなと、改めて感心してしまった。
ちゃんとバレンタインデーのお返しのお菓子も、今日買っといたから、今度遊びに来た時に渡すわな。
西本願寺「念仏奉仕団」に行って来ました
(西本願寺)
昨日、おとといと〔一泊〕で、京都:西本願寺へ、近隣のお寺(石川南組)の(僧侶・坊守・門信徒〔46名〕)希望者が揃って、『念仏奉仕団』に行って来た。
『念仏奉仕団』というのは、簡単に言うと『西本願寺の清掃奉仕』である。・・つまり、本願寺へお掃除に行くのだ。
(御影堂)
ただのお掃除というなかれ、既に50年の歴史があり、全国からこの日も、130名近くの愛山護法に燃えた門信徒の方たちが集まり、清掃奉仕に汗をかいた。(ちなみに僕はサボっていたので汗はかかんかった・・です。写真を撮ってました)
又、お掃除だけではなく、国宝の『飛雲閣』や『書院』などの拝観などもさせて頂けるので、結構内容の充実した日程になっている・・と思う。
(飛雲閣)
又、個人的には、他のお寺の門信徒さんや近隣寺院の住職・坊守さんと交友を温めることができて楽しかった。
まぁ、いろいろと〔大=荒れる住職の登場、中=団長の途中帰国、小=バスの遅刻〕などと、(様々なハプニングが起こったが・・・これ以上よう書けんわ〔笑〕)、結構刺激が色々とあって面白かったです。・・でも、ああっ疲れたべ。 称名
「チャリティイベント」が、本願寺新報に掲載!
先月の2月9日に、「富田林市すばるホール」にて行われた、『東日本大震災物故者追悼三回忌法要&復興支援チャリティイベント』の模様が、3月1日号の『本願寺新報』に掲載されました。
中でも、僕の『紙芝居記念法話』の様子が、(写真付きで)大きく書かれていて、(ただのメンバーの一人である僕は)非常に恐縮してしまいました。
しかしながら、新聞記事になるということは嬉しいことでもあります。
もちろん、これは、運営委員のみんなの勲章だと思っています。
ありがとうございました。合掌
第八回 東部仏教会講演会

おととい、富田林市市民会館(中ホール)で、第八回東部仏教会講演会が行われた。
これは、二年に一回の割合で(富田林市・太子町・河南町・千早赤阪村の61ヶ寺の)超宗派のお寺が協力し合って行う記念イベントである。
現在、僕はこの会の幹事(世話役)に当たっている為、企画段階から参加させて頂いている。
(丸田恵津子さま)
さて、今回のイベントのテーマだが、音楽と語りで、檀家の皆さまに安らぎを感じて頂こうという事になり、前半は、アルパ(パラグアイハープ)奏者の〔丸田恵津子〕様に、民族音楽や日本の唱歌などを演奏して頂く。(素晴らしい音色でうっとりしてしまいました。)
(角淳一さま)
そして、後半は、現在フリーパーソナリティーの〔角淳一〕様に、『笑って楽しく生きていく』というお題で、一見、波乱万丈のご自分の人生を、面白可笑しく(又ゆるく)お話して下さり、満員の会場は爆笑に包まれた。
とても、素晴らしい講演会になったと(僕は)感じたのだが、さて、来客の皆さまはいかがだったであろうか・・?
デイサービス「やまぼうし」&「あすなろ」さんへの出前
(デイサービスやまぼうし)
先ほど、富田林市にある「デイサービスやまぼうし」さんへお寺の出前に行って来た。
こちらの「やまぼうし」さんのお隣に、もう一つ姉妹施設(こちらが本家か?)「あすなろ」さんというデイサービスセンターが在り、今日はこちらで、合同の『ひなまつり会』&『出前法話会』が開かれたのである。
センターに入った瞬間、僕はまず凍ってしまった。
それは皆さんが、きちんと整列して(まるで、ひな壇のように〔笑〕)こちらを向いて、座っておられたからである。
おもわず僕は愛想笑いをして、「・・こんにちは、失礼します。・・オジャマします。こんな格好ですんません」と、こそこそと侵入した。
そして、喋り出すタイミングを完全にはずした僕は、紙芝居をセッテングしながら、いらん事をぐたくだ喋り、自己紹介に移っていった。(まぁ、なんとか始めることができましたわ)
そして、紙芝居と質疑応答の時間を(なんとか)終えて、ホッと一息、おやつタイム。
明るく元気なお年寄りの方たちと、美味しいひな祭りケーキを頂いた。
今日はいつもに比べて、(喋り出すタイミングを失った為、頭が混乱し)早口になってしまいました。
ご無礼の壇は、本日のひなまつりの『雛壇』に飾らして頂いたということで、ご容赦を。ありがとうございました。合掌
社団法人 大阪中国帰国者センターへの出前
昨日、大阪市東淀川区にある『社団法人 大阪中国帰国者センター(井高野交流クラス)』へ、お寺の出前に行って来た。
そもそも、このセンターは、どのような目的で設置されているのか? それをこちらのホームページから(勝手に)抜粋しながら説明させて頂く。
《設置目的》
中国残留邦人の肉親探し、帰国援護、日本語教育、生活相談等を行うことにより、(帰国者の皆さんの)社会的自立、又福祉向上を図ることを目的としている。
又、その他の地域支援事業のプログラムとして、日本語再学習やパソコン教室なども開講している。
・・それでは、この文章に記載されている『中国残留邦人』とはどのような御方なのか?・・もうちょっと説明します。
《中国残留邦人とは?》
戦前、中国東北地区(旧満州地区)には、多くの日本人開拓団が存在していた。・・が、ソ連軍の対日参戦によって、多くの成人男子が日本軍に参戦し、後に残されたのは、老人・婦人・子供が主体となる。
やがて敗戦となり、これらの残された(老・婦・子の)日本人達は、居住区を追われ、避難する途中、或いは酷寒の難民収容所の中で、飢餓や伝染病によって多くの命が失われることになる。
このような状況の中で、生活手段を失い、中国人の妻となるなどし、中国に留まったご婦人や、又、家族と生き別れ死に別れで孤児となり、中国人に引き取られ、身元の解らないまま今日を迎えた人々を《中国残留邦人》と呼ぶのである。
こちらのセンターでは、上記に説明したような中国からの帰国者邦人の方の「交流会・学習会」を行うのである。
(通訳をして頂いてます)
前書きが長くなったが、こちらのセンター職員さんから僕に、「日本の歴史・文化を知る為には、仏教(寺院)を学ぶことが、一番の手っ取り早い方法だと思うのです。・・しかし、それはとても難解なことでもあります。そこで、紙芝居を使って(仏教を解りやすく)話されると貴方に、白羽の矢が(こんな表現はされてないが〔笑〕)当たりました。・・で、出前に来て下さい。中国語訳をする助手も付けさせてもらいますので・・。」と、いうことで、今回の出前訪問となったのである。(・・あ~~、ここまで書くのがなんと長くなったことか。後は流します。)
と、いうことで、僕は(前半は)通訳つきで、各宗派の祖師方の生涯を簡単に説明。(空海師、最澄師、道元師・・エトセトラを説明してゆくと、聴衆の方から「なんや、みんな中国に行って学んだんや!」と(これも通訳を通して)感想が出た。仰るとおりでございます。〔笑〕)
そして、中ほどは、中国でも有名なお話「そんごくう」などを『紙芝居』で演じた。(皆さん、僕が演じている最中でも、中国語であーだこーだと(笑顔で)大変饒舌に会話が弾んでおられた。懐かしかったのかなぁ。・・でも紙芝居は通訳つきなので、いつもの倍の時間が掛かったわ。)
そして、後半は、質疑応答の時間。(こちらも、「なぜ、お線香を焚くのですか?」とか、「お焼香は何回するのが正しいのですか?」とか、お葬式の時の作法を中心とした質問が多かった。)
(記念写真)
そして、最後は皆さんと一緒に「記念写真」。僕もたいへん良い勉強になりました。
中国帰国者邦人の皆様、職員さま、通訳さま、大変お世話になり有難うございました。
最後の皆さんの言葉、「今、口にはしませんが、尖閣諸島問題が起きて、日本と中国の二つの祖国を持つ私たちは、大変心が苦しいです。・・何か私にできることがないかを考えてもいるのですよ。・・はやく解決して欲しいです。」と云われたことが、今も心に深く残っている。合掌
「これも食べてや、あれも食べてや!」と言われても・・
今日、月参りに行って来た所は、お婆ちゃん一人のお家。
勤行が終って、お茶を頂き、「さぁ、帰ろう・・」としたら、そこのお婆ちゃんが突然、「あっ、忘れてた」と言って立ち上がり、奥の部屋から、大きなクッキーの箱を持って来られる。
それはまだ新品の箱で、お婆ちゃんは「私、先月入院してたでしょ。それで、お菓子をたくさんお見舞いに頂いたのやけど、私は甘いものが好きじゃないんよ。院主さん、食べてよ。」と言って、お盆に一杯クッキーを握り出される。
僕は「そんなに食べれないですよ。・・他の方に差し上げて下さい」と言うと、
「院主さんは、若いのやから食べれるでしょ。これも食べて、あれも食べて」と言って、まだクッキーを握り出され続ける。
僕は「無理っ、無理っ、無理っ、無理ですって。食い意地の張った僕でも無理です!」と言って、負けずに箱に返す。
しかし、相手はそんな事にお構いなく、「じゃ、袋持って来ますから持って帰ってよ」と言われ、今度はスーパーのビニール袋を手に又、がばっとクッキーを入れられる。
僕も、又「無理、無理、無理、無理っ」と言って、袋から握り返して箱に直す。
いつしか、クッキーは形を変えて無残な姿になっていくのだが、そんなことにもお構いなく、お婆ちゃんは「じゃ、これで折り合いつけましょ」と言われ、クッキー二(ふた)握りというとこで、交渉は成立し、今僕は形の変わったクッキーをほおばりながら、このブログを書いているのでありました。
こんな事になるのやったら、箱ごと貰えば良かった。・・でもそんなこと、こっちから言われへんしなぁ・・。
実は、仕事が溜まっていて、こんな事書いてる場合じゃないんやけど、ちょっと面白かったから書いてみました。終り


