
又、個人で隠れて信仰する者の中には、
[傘]の中や、[まな板]の中に、仏様の[掛け軸]を直して、夜更けに、それをこっそり取り出して、お念仏を称える者もいました。
又、タンスのなかに[仏壇]を隠して、拝む者もいたそうです。
つづく
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紙芝居:「隠れ念仏の里」(その4)
紙芝居:「隠れ念仏の里」(その3)
紙芝居:「隠れ念仏の里」(その2)

ここでもう一度、《浄土真宗(=一向宗)信仰禁止令》が、出ていた地域を見て見ましょう。
九州の北側から見ますと、現在の熊本県の[人吉市](当時の[相良藩])。
宮崎県の一部を含む、現在の鹿児島県全土。当時の[薩摩藩]全土でした。
正式には、薩摩の殿様が[一向宗禁制令]を出したのは、慶長二年(1597)でした。
殿さまの[島津義弘]公は言いました。
「オイの国、薩摩は一向宗を禁止にすっど!
じゃっどん、もし、一向宗の念仏を信心するものが居ったら、厳しく処罰すっからな!そう思えっ!」と・・。
それを聞いた念仏信者(門徒)たちは、びっくり!
(全門徒)「殿さまっ!それは、なかっ!
殿さまの命令は、絶対じゃけんど、・・じゃっどん、おいたちは、先祖から念仏を信仰しとるもんで・・。
念仏は、おいたちの心の拠り所でごわんど。
親鸞さまのみ教えを捨てるなど、おいたちには、とてもできもはん!
・・何とかせにゃあ、ならんのう⁉」と、各地域の門徒たちが、それぞれに集まり、秘かに話し合いが始まりました。 つづく
河内長野:滝畑『篠笛の響きコンサート』~「磨崖仏」紙芝居と共に

・・河内長野市滝畑(たきはた)地区。
ここには、[滝畑ダム]という大阪府で一番大きなダムがあり、ダム下流部の岸壁に、二体の大きな磨崖仏が彫られている。
以前「かわちながの観光ボランティア倶楽部」の皆さんからご縁を頂いて、この『磨崖仏(まがいぶつ)』に関する紙芝居を作った。
昨日、その紙芝居の舞台である『ダム湖』の上で、「かわちながの観光ボランティア倶楽部」と、地元の方達による、(鳴り物[音楽]入りの)紙芝居実演会があるというので、(お招き頂いて、)お寺の総代さんと共に行って来た。
又、この日の第二部には、この「紙芝居」のテーマ音楽を作曲して下さった『篠笛』演奏で、世界的に有名な[井上真実]先生のコンサートがあるというのだから、(自分の作った紙芝居にどんな音楽がミックスされているのかも?・・)すごく楽しみだった。
まずは「紙芝居実演」前に、事務局長さんから、(僕は)紙芝居の製作者として紹介をされ、[花束]を頂く。(照れくさかった)
そして、『観光ボランティア』の皆さんによる、音楽入りの紙芝居披露。
自分の紙芝居を、観客の第三者の眼で見るのは、不思議な感じだ。(素敵な音楽もあり、物語の世界に情緒ある雰囲気を醸し出した。)
紙芝居が終わった後、お客さん皆が、ダムから顔を出して磨崖仏を探しておられた風景を見て、僕は感動した。(きっと、磨崖仏を作った[夏目]さんの魂も喜んでおられるだろうと感じた。)
その後、井上先生の素敵な[篠笛コンサート]。
快晴も味方し、とても素晴らしい野外コンサートであった。
そして最後は、スタッフ皆で、おまつり演奏会。
僕も呼ばれて、手作り楽器をお借りし、その中に入らせて頂いた。
最後に・・、
僕は[篠笛]の演奏を聞いていて思った。
『今、目には見えないが、滝畑の土地の神様や、地元の先祖の平家の魂たち、そしてこの地を護り、亡くなっていった方たちの魂もが、一緒に喜んで聞いていて下っている・・』とそのように、感じたのであった。
紙芝居:「隠れ念仏の里」(その1)

これは、江戸時代初期から、明治時代の初めに掛けての、およそ《三百年間》に渡るお話しです。
南九州の[薩摩藩](今の鹿児島県)や、[熊本県・宮崎県]の一部では、キリスト教と並んで、浄土真宗(当時は[一向宗]と呼ばれていました)は、『禁制=(禁止)』されていました。
その理由は、
・・親鸞聖人の教えには「徹底した自由・人権・平等思想」が含まれていたため、それを想像以上に、薩摩藩の武士たち権力者が、恐れたからだと云われています。・・おそらく、農民による一向一揆を恐れたのでしょう。
それで、浄土真宗の『お念仏』を禁止しました。
しかし、南九州の熱心な[念仏門徒(信者)]たちは、秘かに個人で信仰したり、[洞窟]などに集まってお念仏を称え、信仰を続けました。
・・これは、そんな『隠れ念仏者たち』のお話なのです。 つづく
『報恩講』の日がやって来た!
紙芝居:「良寛さまの涙」(後編)

この日以後、
馬之助の放蕩はピタリと止みました。
そして、一生懸命に仕事に専念するようになったのです。
由之夫婦は、その姿を見て、心から喜びました。
(由之)「これは一度、兄さんの所へ御礼を言って来ねば・・。」と、早速、手土産を持って、良寛さまの庵に向って出発しました。
そして、由之が庵近くまで来たとき、偶然、向こうからやって来る、托鉢途中の良寛さまに出会いました。
(由之)「あっ、兄さん!」
(良寛)「おおっ、由之。」
(由之)「兄さん、この前は有難うございました。
兄さんの一滴の涙が、馬之助を改心させました。」
(良寛)「いや、わしは何も出来んかった。
お前には謝らねばならん・・。
三日間、何度もわしは、馬之助に注意をしようとした。
しかし、とうとう、出来なかった。
・・聞いてくれ、由之。
実は、馬之助としゃべっておると、わしの若い頃の姿と重なってなぁ・・。
馬之助の悩みと苦しみが、よーく解るのじゃ。
それで、わしはとても説教など出来んかった。
そう思ったら、居てもたってもおられず、恥ずかしくなって、帰ろうと決心したんじゃ・・。
帰り際、せめて、馬之助に何か一言、声を掛けてやろうと思ったんじゃが、馬之助の姿を見て居ったら、切のうなって、涙しかこぼれんかった・・。
これが、真相じゃよ。」と言って、恥ずかしそうに良寛さまは、由之に謝りました。
(由之)「兄さん・・、馬之助のことでは、ご心痛をお掛けしてしまいました。・・本当に申し訳ございません。
しかし、兄さんの、・・いや、良寛さまの涙は、確実に馬之助に届きました。
本当にありがとうございました。」
と、由之はつぶやき、良寛さまの後姿に合掌したのでした。 おしまい
紙芝居:「良寛さまの涙」(中編)

良寛さまと馬之助は、よもやま話に、時間が経つのも忘れて談笑しました。
その様子を由之夫婦が「いつになったら、意見をしてくれるのだろう」と、二人の話題を絶えず、盗み聞きするのですが、さっぱり、良寛さまの口から、それらしき言葉を聞き取ることができません。
・・やがて、二晩が経ちました。
・・ところがです。
三日目の昼過ぎ、良寛さまは「もう、山の庵に帰る。」と、言い出したのです。
それを聞いて、弟夫婦は「なんと、頼み甲斐のない兄さんだ!」と思いましたが、仕方がありません。
みんなで、玄関まで送ることにしました。
良寛さまは、玄関口へ腰をおろして、ワラジのひもに手を触れながら言いました。
(良寛)「馬之助、すまんが、ひもを結んでくれんかのう?・・年を取ると、うつむくのが苦手でのぉ・・。」
馬之助は、上機嫌で「はいっ」と答えて、すぐに土間に降りました。
そして、良寛さまの足元にうずくまって、ひもを結びかけました。
その時です⁉
馬之助の頭に、一滴の水が落ちて来たのです。
「あっ」と、
馬之助はびっくりして、あお向きますと、良寛さまの眼には、涙が一杯たたえられているのです。
馬之助は、急にこころが打ちのめされたような気がしました。
そして、何も言わず、トボトボと帰ってゆく良寛さまの後姿に向って、馬之助は思わず、合掌をしました。
この時、馬之助は何を考えたのでしょう。 つづく
紙芝居:「良寛さまの涙」(前編)
紙芝居『良寛さまの涙』
昔、越後の国(今の新潟県)に、[良寛(りょうかん)]様という、心の優しいお坊さまが一人で住んでいました。
ある晩、良寛さまの庵に、実弟の[由之(よしゆき)]が訪ねて来ました。
由之は、長男であった良寛さまが出家した為に、家業を継いだ弟です。
(由之)「兄さん、実はご相談があって参りました。」
(良寛)「なんじゃ、改まって・・。」
(由之)「実は、一人息子の[馬之助]のことなのです。
息子の馬之助は、ここ最近、まじめに働かないのです。・・よく家を抜け出しては、夜遊びをします。
朝方帰って来て、私が注意をすると、今度は何日も部屋に閉じこもってしまい、出てきません。
何を考えているやら・・、いったいどうしたものかと・・。
そこで、お願いなのですが・・。」
(由之)「兄さん、この通りです。
どうか、馬之助に説教をしてやって下さい。
馬之助は、兄さんをたいへん尊敬しております。
兄さんが注意をして下されば、馬之助はきっと反省して、真人間に戻るでしょう。」と、由之は頭を下げました。
(良寛)「困ったのぉ・・。」
良寛さまは、本人の心が動かねば、説教など、まったく無駄になる事を知っていました。
しかし、弟の心中を察すると、断ることが出来ませんでした。
そこであくる日、良寛様は生家へと向かいました。
(良寛)「やぁ、馬之助。元気か?遊びに来たぞ。」
何も聞いていない馬之助は、
(馬之助)「おじさん、お久しぶりです。よくいらっしゃいました。さぁ、上がって、上がって・・。」と大はしゃぎ。
(良寛)「では、上がらせてもらいますよ。」 つづく
泉佐野市:浄土真宗本願寺派[元成寺]様の報恩講への出講


[浄土真宗本願寺派『元成寺(がんじょうじ)』様]
十月に入った。
十月一日・二日の[二日間]は、泉佐野市『元成寺』様の報恩講法要。
その法要にお招き頂き、『紙芝居法話』に行かせて頂いて来た。
一日目は[昼]と[夜]の二回法座。
二日目は[昼]の一回法座、全部で三回の法座であった。
嬉しく有り難いことに、全法座が満座であった。(三日目は『尾崎別院』から婦人会の皆様もお出でになられた。)
さて、三日間、ぜんぶ違う紙芝居をさせていただいた。
もちろん、三日間、最初の一本目は、親鸞聖人のお話を入れる。
一日目は、親鸞聖人の教えをピックアップした[歎異抄の紙芝居]。
二日目は、親鸞聖人の90年の御生涯の紙芝居。
三日目は、親鸞聖人の教え、悪人正機をテーマにした[出家とその弟子]の紙芝居。
それらを中心に、いろんな「紙芝居」をさせていただいた。
歴史にお詳しいご住職のリクエストによる紙芝居「石山合戦始末記」や、最新の紙芝居「隠れ念仏の里」やら・・etc。
(未来のお寺の住職さまと若坊守様。超かわいいですね!)
三日間、紙芝居でお腹が一杯になられたと思われます『元成寺』さまのご門徒さま、そして、お寺のご家族様、さらに、尾崎別院の婦人会さま、本当にお世話になりました。
有難うございました。合掌








