住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「悲劇の哲学者 三木清伝」(その4)

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ドイツでは、[ハイデガー]という超一流の学者について、本格的な哲学を学びます。

 ここでちょっと余談。ハイデガーの言葉をひとつ。
『人はいつか必ず死ぬ、ということを知らなければ、生きているということを実感することはできない。』、・・てなことを云うとりま。・・以上。

 さらに、フランスのパリに移り、(あの『人間は考える葦である』で有名な)[パスカル]を研究。
 二十八歳、日本に帰国。
 そして、『パスカルに於ける人間の研究』という本を出し、三木清はの名は、日本のエリートの中で超有名人になっていきました。つづく

紙芝居:「悲劇の哲学者 三木清伝」(その3)

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元々、頭の良かった彼(三木清)は、地元の龍野中学校を卒業後、上京して第一高等学校へ入学します。
 その後、(宗教も含めた)本格的な[哲学]を勉強したいと思い、京都大学哲学科に入学。
 そして当時、日本一の哲学者[西田幾多郎]先生の門下生となりました。
 二十三歳、京大を卒業。
 二十五歳、岩波書店の創業者[岩波茂雄]氏の援助により、ドイツに留学することになります。
 ずんずん何処、清。ドイツへ。 つづく

紙芝居:「悲劇の哲学者 三木清伝」(その2)

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 三木清(みき・きよし)の生家は、農業のかたわら[米屋]を営んでいました。
 そして、家の宗教は代々『浄土真宗』。
 熱心な播州門徒でした。
 三木清も、毎日、お仏壇に手を合わせて育ったそうです。
 ここで、彼の小さい頃のエピソードをひとつ。
 清の自宅近くに、小さな池がありました。
 ある日、彼は遊んでいて、誤ってその池で溺れてしまいました。
 この時、友達の機転が何とか助かり、命拾いしましたが、彼が[宗教]や[哲学]に興味を持ち、命について深く考え初めたのは、この事件があったからかもしれません。
 つづく

紙芝居:「悲劇の哲学者 三木清伝」(その1)

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 哲学とは、[智慧]の学問のこと。
 そして、
 哲学者とは、その[智慧を愛する者]という意味だそうです。
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(兵庫県 たつの市)
 播州、竜野市で生まれた[三木清(みき きよし)] も、その一人、いや彼は、当時『日本を代表する哲学者』でした。
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 豊かな揖保(いぼ)川の流れによって、うすくち醤油やそーめんなどを生み出して来た町、竜野市。
 三木清は、明治30年この町でうまれました。
 つづく

宗教に操られた男、富樫泰高

 今、一人の男のことを調べている。
 男の名は、富樫奏高(とがしやすたか)。
 『応仁の乱』の頃の、加賀の国(石川県)の[殿様]だ。
 この殿さま、波乱にとんだ人生をおくっている。
 大名の(次男)で生まれたがゆえに、若き日は京都の真言宗[醍醐寺]に預けられ出家。僧侶となる。
 がしかし、後を継いだ兄(長男)が、室町将軍から疎んじられ、大名を失脚。
泰高は、急遽、[還俗(げんぞく)]=[坊さんを辞める事]して、帰還。富樫家の大名となる。
 が、応仁の乱が勃発。日本中が、東軍・西軍に別れての大戦争が起こり、富樫家([泰高])も巻き込まれる。そして、再び、長男筋(兄)との大名相続争いが始まる。
 その頃、蓮如上人の元、超急成長していた宗教教団[一向宗=浄土真宗]が、この内紛闘争に参加。
 そして、浄土真宗教団(主にお百姓門徒)は、片一方の[富樫家]勢力を攻め滅ぼしてしまう。
 でもさすがに、大義名分が必要と感じたのであろう。
 旗頭に、もう一方の[富樫泰高]軍を取り込むことに成功する。
 こうして、富樫泰高は、浄土真宗の[操り人形国守]となるのだ。
 こうして、加賀の[百姓と僧侶]が持ちたる国の持続は、織田信長の登場まで続くのだ。
 この操り人形大名、富樫奏高は、自分の人生をどのように味わいながら生き抜いたのであろう。
 一説によると、絵が上手であったらしい。(有名な『雪舟』とも交流があったらしい。)(それは、現実逃避術として趣味の世界に逃げたのだろうか?・・いや、元々の才能だったか?)
 泰高は「宗教は怖い!人間を操る。」と、もちろん思ったのであろう。・・しかし、それだけだったのか?宗教を通して善い世界観を見つけることはできなかったか?
 この人物に、非常に関心がある。
 来月は、この人物を探りに、石川県まで行って来ようと思っている。
 又、この話の続きは、いずれ・・。
 
 
 
 
 

夜景に泳ぐジンベイザメ

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 昨日の夜、阿倍野の[ハルカス300]展望台に(初めて)登った。
 地上300メートルから見る大阪の夜景は、(ありきたりな感想だが)すべてが、小さく瞬く星のように見え綺麗だが、現実に戻ると足がすくみ怖い。
 こんな超高層ビルを作った人間という物は、天空から見れば小っボケな存在かもしれんが、大きいモノ(存在)でもあるとも思った。

 面白かったのは、今、ここの360度天上回廊窓ガラスで、海遊館とのコラボで、3Dマッピングをやっているということだった。
 大阪の夜景の上空を、子供を乗せたジンベイザメの絵が泳ぐ。
 五分ほどのものだが、今の時代の最先端イベント[3Dマッピング]で、こんな事もできるのだ。・・まさに何でも在りの時代だ。

 私事だが、以前、空を飛ぶ[幽体離脱]のような夢を見たことがある。
 それは、ウルトラマンのように天空を飛ぶ夢だった。僕の描く紙芝居に出て来るような・・。
 僕の魂?は、身体を抜け出し空へ舞い上がる。
 上昇気流に乗りながら、不安定さを両手でバランスを取り青空を上がっていくと、真下に綺麗な大海原が見え、ハワイのような(実際には行ったことは無いのだが、)大きな島の岸壁が見えた。
 そして、地上に何人の人影が見えたので、僕は着陸した。
 すると、その人影の一人である(白い着物のような物を羽織った)男の老人が僕に親しげに話しかけて来た。
 何をそこで喋ったかは覚えていないのだが、この場面は今でもハッキリ覚えている。
 その後、又、僕は舞い上がった。
 そして、「あーっ、気持ちエエわー。」と思っていたら、その時、一陣の風が吹きバランスを崩して、僕は下に落ちた。
 そして、布団の中で目覚めた。
 あの気持ち良さは、今でも身体が覚えているから不思議だ。
 あぁっ今度は、今夜の3Dマッピングイベントのように、ジンベイザメに乗って、夜空を飛んでみたいものである。
 
 

年忌法要の紙芝居

 「院主さん、今度の13回忌法要には、孫たちがぎょうさん(沢山)来よりますので、読経が終わってから、いつもの『紙芝居』をたのんますわ。」と、先月の月参りの時に言われて・・、
 僕は「はい、解りました。」と、にやっと笑って御引き受けした。
 確かに、その法事の日は、連休もあってたくさんのお子ちゃまが集まっておられた。
 読経の時はあまり姿を見せずにいた子供ちゃん達が、終わってからお父さんが、「さぁさぁ、院主さんの紙芝居が始まるでー!」と言うと、後ろの台所から(表現は悪いが)降って沸いたかのように(口におやつか何かを入れながら)ドドッと走って来て、一番前に集まり正座をして集まる。
 そして、仏様の紙芝居が始まる。
 時間にして15分ぐらいで紙芝居は終わり、その後ちょこっと、今の話の解説を僕はする。
 それが終わると、子供たちは又、地響きをたてながら台所に去っていく。
 「お経は聞かんと薄情なもんやで。」と親御さんは僕にそう言いながらも、けっこう嬉しそう・・。
 『これで良い、これで良い』と、僕はそう思いながら、「じゃあ、今からみんなでお墓詣りに行きましょか。」と明るい雰囲気になった仏間から(しびれた足をさすりながら)席を立った。

新作紙芝居の最初の観客は自分⁈

 新しい『紙芝居』が出来た。
 その最初の初演観客は自分なのである。
 どういう意味か?
 初演は、鏡に向かって演じるのだ。
 どういう風に映るのか?話は解りにくくないか?・・などを考えながら、演じてみるのである。
 今回もそれをやった。
 それで、いつも同じように思うのだが・・今回も感想はこうだ。
『なんで、こんなおもんない紙芝居を作ってしもたんやろ。一部の宗教マニアの者しか面白ないわ。いや、マニアも面白ないかも?・・僕はこの話を通して何が言いたかったんや!』と反省するのだ。
 それでも、まだ作り続けたい思う自分が、時々いやになる。
 そしてこの作品は、お蔵入りやなとも思ってがっかりする。

 ・・しかし。
 しばらく置いて、二・三カ月してから、もう一度、鏡に演じてみると、・・その時、『これ、けっこう面白い紙芝居やわ!』と、一回目と全く違う思いを感じてしまう事もある。(まるで『白雪姫』の魔女の鏡のよう・・)
 こんな繰り返しが何べんもある。
 この違いはなぜか?
 はっきりとは解らんが、きっと劇場で、同じお芝居を演じ重ねる俳優たちと同じような感じなのではないだろうか?・と思うのだ。
 何べんも同じものを演じていると、深味が出てくるのだ。
 今日完成した紙芝居も『つまらん!』と思ったのだが、きっと、演じている内に味が出て来て、いつか代表作の一つになることを願う。
 そんなことを考えながら、鏡に向って演じていると、いつの間にか、妻が後ろから何やら難しい顔をして、変に僕を見ていた。
 そう、僕はこんな変な人間なんですよ。と言っても、妻は何も言わん。あきらめとるんやろな・・。
 あぁ、『鏡を鏡、鏡さん。この紙芝居が受けますように!それと、妻に捨てられませんように』。

司馬遼太郎記念館に行ってきました

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 東大阪市にある『司馬遼太郎記念館』へ行ってきた。
 僕は、司馬遼の大ファンなのだ。
 中はまず、その蔵書の多さに驚きます。
 一つの作品を執筆されるのに、こんなに多くの資料を読み込まれるのやなぁ・・と。凄いです!
(隣にある自宅は、玄関を開けたら[サトウのごはん]ではなく、すぐ本棚なのだそうです。(玄関開けたら、資料の御本![失敬])
 どこまでも『本棚』が家の空間を占領する自宅。きっと奥さんは「落ち着かん家やで。・・しかし。」と、思ってはった事やろなぁ・・。自宅図書館状態。)
・・又、専門的な宗教書の多さにも驚いた。『わぁっ、こんな宗教専門書もあるわっ!』とびっくり。仏大の図書館みたいやで、しかし。
 この人の道楽は、(バンダナ集めの他は、)『資料集め、本道楽』やってんやろなぁ。
 ちなみに僕は、一本の紙芝居を作るのに、大抵は資料を二~三冊しか読み集めません。・・規模が違うわねぇ。とほほ・・。
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 ガラス越しに書斎が外から見えるのだが、庭にはミニ樹林の自然が一杯。
 執筆の途中、木々や花々を見てホッとしてはったんやろねぇ・・。
 余談であるが・・(出たっ、司馬遼調、)記念館の中の写真撮影は禁止されていて、写すことはできず残念やったんやけど・・、
記念館ガイドさんから「ここから天井を見て下さい。竜馬の心霊写真が、天井に浮き出てるのが見えますよ。」と言われて見たら、確かに打ちっぱなしのコンクリートの端に、坂本龍馬の顔の影のようなシミが出ていて見えた。(ちなみに誰でも見えます)
 一度、見に来てください。面白いですよ。
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 最後に、(庭の)周りが菜の花一杯の司馬遼『花供養碑』にお参りして帰りました。合掌

現在、製作途中の紙芝居!

 本日は、現在、制作途中の『紙芝居』をピックアップしてみたいと思う。
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(『妙好人 物種吉兵衛さん』)
 まずは、現在80パーセントの完成。後は色を塗るだけの『物種吉兵衛さん』の紙芝居。
 泉州[堺]出身の妙好人の生涯を描いたものだ。
 これは、去年の後半期から作り始めた僕の魂を込めた作品である。
 この作品は、今年、泉州のお寺に出前に行く手土産として作ったものである。
 今年の初めに、各お寺でお披露目したいと思っている。
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(『悲劇の哲学者 三木清伝』)
 続いて、70パーセントまで仕上がった紙芝居『哲学者 三木清』伝。
 これも実在した現在の妙好人の話だ。
 昨年の播州龍野市の取材を終え、ようやく完成まで至ったものである。
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(『妙好人 播州の宇右衛門さん』)
これも同じく、播州の妙好人の生き様を描いたものだ。
 この作品は僕の頭の中では、ほぼ完成しているが、実際はまだ20パーセントしかできていない。(笑)
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(『妙好人 六連島のお軽さん』)
 最後に、山口県下関の『六連島のお軽さん』。
 これも、まだ10パーセントしか完成していない。
 この作品も現地取材してからの完成となるだろう。・・今年の半ばぐらいに出来るかな・・。
 以上、上の四本は今年上半期までに作ろうと思っている。
 妙好人ファンの方はご期待を!

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