
11月28日、観念寺で去年に引き続き、ご門徒さん講師による『生け花教室』を開いた。
開始が夜(午後七時)で、寒かったにもかかわらず、たくさんの門徒さんがご参加くださった。
それぞれに、個性豊かな[生け花]が完成し、お寺の中がお花の匂いで一杯になりました。
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観念寺『生け花教室』開催
観念寺バス旅行~和歌山:鷺森別院と紀州名所を訪ねて

(和歌山市:鷺森[さぎのもり]別院)
毎年、11月22日(イイ・フウフ)の日は、観念寺のバス旅行の日。
今年は、26名の(満員御礼の)ご参加で、『和歌山市の[鷺森別院]と紀州名所を訪ねて』と題して、河南町を朝八時半に出発。(・・参加者の中には、「昨日は興奮して、今日は朝の三時半に目が覚めてしまいました!」と、子供みたいな事をおっしゃる方もいて、皆大笑い。)
天候も、寒からず暑らず、雨も降らずで、海辺の散策なども、最高の旅行日和でした。
(本堂参拝)
鷺森別院は、近代的な非常に大きなお寺でした。
皆で『重誓偈』を読経。
その後、鷺森別院の職員さんから、沿革を拝聴。
(がんこ六三園)
さぁ、研修はここまで・・。
ここからは、いつもの[ざっくばらん]ないつものおもろいうちの門徒さんに戻り、絶えず笑いの中、飲んで笑え、喋れの宴会開始。
(食事中)
飲み代の請求書、心配やわぁ・・(笑)。
(和歌の浦散策)
そして、千鳥足の門徒さんも居る中(・・海に落ちんで良かったわ)、和歌の浦の散策を(饒舌な)『観光ガイドボランティアさん』に案内して頂きました。(ホンマ勉強になったわ!)
そして、最後は[黒潮市場]で、各自お土産をおもいっきり買いました。(中には、お土産手荷物を、他人のと間違えた方もありましたが、無事解決しました。[笑])
まぁ、いろいろとありましたが、帰りはラッシュにも合わず、ホンマに楽しい研修旅行でした。合掌
岡山市:真宗本派『光清寺』様の[定例法座]への出講
11月14・15日。
岡山市の浄土真宗本願寺派[光清寺]様に、お招き頂き、息子と共に車で行かせて頂いた。
遠方なので、こちらもビジネスホテルで一泊。
運転は息子にしてもらった。
(岡山市:後楽園)
時間があったので、お寺の近くの、紅葉の[後楽園]を見学。
(息子と記念撮影)
・・心が洗われました。
(居酒屋の日本酒[獺祭])
その夜、息子と近くの居酒屋へ。
そこに、アメリカのオバマ大統領へ、日本の首相からプレゼントしたという日本酒[獺祭(だっさい)]があったので、頂きました。
・・胃が洗われました。
(光清寺さま)
さて、光清寺さまのこと。
コンクリート二階建てのお寺で、二階の本堂へはエレベーターがあり、羨ましい限りであった。
そして、一階が控え室と、門徒さんの納骨堂になっている。これも羨ましかったです。
他のお寺を見たら、最近「羨ましい!」ばっかり。・・今を感謝し満足せねば!・・反省。
(ご住職と共に)
又、こちらの住職さんも、一般家庭(在家)からお寺の世界に飛び込まれた方だそうで、色々と[お寺世界]の苦労話にお互い花が咲きました。
岡山のご門徒さんにも、受け入れて頂けた[紙芝居法話]。
ご住職さま、坊守様、お寺の役員様とご門徒の皆さま、本当にお世話になり有難うございました。合掌
豊中:法雲寺さまの[報恩講法要]への出講

(豊中:法雲寺さま)
11月5・6日。
二日間に渡って、豊中市の浄土真宗本願寺派『法雲寺』さまの[報恩講法要]へ出講させて頂いた。
・・余談だが、僕は昨年の大病以来、近畿圏内で二日間続くお寺の法要では、近隣のビジネスホテルを取って泊まる事にしている。夜になる自宅からの往復運転が、まだ不安なのだ。この日も、豊中市内のビジネスホテルに泊まって、くねくねと夜の街の散策をした。久々に夜のネオン街は楽しかった。
さて、こちらの住職は、テレビ・新聞などのマスコミに、その多彩な活動で取り上げられている『イベント坊主』こと、辻本純昭さんだ。(先日、関西テレビの[よーい、ドン]の取材でタレントの織田信成氏がレポーターで来られたらしい。)・・面白くて楽しくて、口も頭もよく回る立派な住職だ。
(境内のスポーツ公園)
また以前にも述べたが、こちらのお寺の境内には、なんと『スポーツ公園』が設置されている。
地域振興を旗頭に掲げているこちらの住職は、このバスケットコートなどがある公園を若者や子供たちに無料で提供しているのだ。(すっすっ凄い!)
さてさて、《報恩講法要》のことであるが、「両日共、お参りの方で、満堂に近かった! そして紙芝居を使っての親鸞聖人のお話は解りやすかった。」と、ご住職・前住職親子は、とても喜んで下さったようだ。
僕も、それをお聞きしてホッとしたというのが、正直な気持ちだ。
さてさてさて、来年も、報恩講法要のご予約頂いた。
それまで、来年の《新作紙芝居》を考えときます!合掌
富田林:[真宗興正派]西徳寺様の親鸞聖人750回大遠忌法要への出講
パソコン、復活!
ようやく、パソコンが(修理され)電気屋さんから帰って来ました。
原因は、キーボードの摩滅だったそうです。
11月に入り、このブログを休んでいる(二週間の)間に、三つの[お寺への出前]へ行かせて頂きました。
その出前模様を書きたい思うのですが、それは又、次回に!
まずは、このパソコンのチェックをしてから・・おいおいと。
パソコン故障す!
色々と、書きたい事はあるのだが、本日パソコンが故障してしまった。
この文章は、慣れないスマートフォンから打っている。
もう、指がつりそう。
直るまで、2週間ほど掛かるらしい。
それまで、ブログ休みます。
それまで、紙芝居の新作を書いてます。合掌
紙芝居:「隠れ念仏の里」(その7)最終回

しかし、熱心な門徒たちは、負けませんでした。チェストー!
あるもの達は、舟に乗って、遥か海の上で[お念仏]を称えました。
又、あまりに惨い藩のやり方に、絶望した或る村の門徒たちは、「村ごと」新天地を求めて、(宮崎県へ)夜逃げしたという記録が残っています。
そして、文明開化の明治時代になっても、[念仏弾圧]はまだ続きました。
それは、[神仏分離令]という、[廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)]運動がおこり、南九州すべての《お寺》が(今度は)潰されてしまったからです。
・・そして、明治九年。
ようやく、新政府は『信仰の自由宣言』を出します。
・・そして、現在。
鹿児島県を中心とする南九州では、『浄土真宗』の門徒(=信者)が一番多い事で知られています。
・・じゃっどん、三百年の念仏弾圧にも負けず、隠れながらも《信仰》というものを捨てなかった南九州人。
(現在の鹿児島県)
その強靭で崇高な精神を、我々は忘れないでおきたいですね。
おしまい
紙芝居:「隠れ念仏の里」(その5)

・・ここに一人の男がいました。
名前を山田村の[伝助(でんすけ)]といいます。(※『伝助べえ』ではありません)
この男性、現在の熊本県人吉市=[相良藩(さがらはん)]出身の熱心な《隠れ門徒》でした。
伝助は、昼間は[百姓]をし、夜になると、野を越え山を越え、念仏布教の熱心な旅に出歩いていたのでした。
そして、遠くは(変装をして)京都の本願寺まで、皆から集めたお布施(浄財)を納めに行き、往復していたそうです。
・・が、しかし、
ある日、村の悪いバクチ打ちに騙され、密告されて、藩の役人に捕まってしまいました。
そして伝助の厳しい取り調べが始まりました。
「仲間の名前を吐かんとかっ!」、「念仏信仰ば、止めんとかっ!」などと、役人たちは伝助を拷問に遭わせました。
しかし、一切口を割らず、信仰も捨てず、「罪業深重の、わがままな私をば、今日までお育て下さった仏祖の恩徳に、謝すのみじゃ・・。」と、仏様に感謝の言葉を残し、60歳で処刑されたということです。
当時、この伝助のような殉教者はたくさん居たそうです。
(今も残る「鹿児島別院」内の拷問石、『涙石』=涙を流して、拷問に耐えたそうです。・・僕はこの石の前で涙しました。)
・・が、密告され、捕まり、苛酷な取り調べに耐えられず、仲間の名前をしゃべってしまった村人も多くいたそうです。
そして、彼らの多くは、隠してあった仏像や経典を取り上げられ、村の中で焼かれたそうです。 つづく
泉佐野市:正法寺さまの[報恩講]への出講

24日・25日の二日間、泉佐野市の「浄土真宗本願寺派」[正法寺]さまの『報恩講』法要に、出講させて頂いて来た。
こちらへは、初めてのお寺なので、遅刻してはいけないと早めに出発する。
結果的には、40分ほど前に到着する。
そして、ご住職夫妻と、三人姉妹のお嬢さんたちが出迎えて下さった。
そして、二日間。勤行の後にいつものように『紙芝居法話』を披露する。
やはり、初めてのお寺では、物珍しい法話ということで、大いに受けた。(法話が、受けて良いのかは、解らんが?・・受けないよりは良い。)
こちらでも、親鸞聖人の紙芝居を中心に、色んな真宗紙芝居を披露する。
余談になるが、こちらのお寺の門前に、大阪夏の陣で打ち取られた『淡輪(たんのわ)重政』公の慰霊碑(墓)が建ってあった。(『塙団右衛門』公と共に、徳川軍と戦い、討ち死にした有名な悲劇の武将である。)
・・司馬遼太郎の小説『城塞』を帰ってきて読み直したら、詳しく出ていた。
『あぁ、こちらのお寺の場所は、大阪夏の陣・初戦の舞台やったんや・・』と、改めて思った次の日、(この日も)お寺の本堂の最前列に陣取って座っておられた三人の総代さんの顔が、なぜだかお侍さんの顔に見えたのであった。



