
本日の天気、曇りのち雨、所により大雨。
・・その中を、柏原市から中型バスで、観念寺までわざわざ紙芝居を観に来てくださった、託蓮寺朋の会の皆様、本当に有難うございます。
悪天候の中、わざわざ来て下ったので、今日は大サービス。
紙芝居は『阿弥陀仏物語』と、『三尺三寸の箸』と、
最後は、皆さまの地元(柏原市の)ヒーロー『大阪の川の流れを変えた男 中甚兵衛ものがたり』の三本をさせて頂きました。
やはり、地元の英雄「中 甚兵衛」のお話が一番盛り上がったようで・・、さすが地元ですよね。
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柏原市「[託蓮寺]朋の会」御一行様のご来院
特養[白寿苑]での『盂蘭盆法要』in2015

昨日、今年も(夏の終わりの行事、今年で19回目の)、特養老人ホーム[白寿苑]での『盂蘭盆(うらぼん)』法要を無事に終えることができた。
今年は(去年の病後、)一人で、車を運転して苑まで行くことができた。(ちなみに、去年は妻の運転で行かせて頂いた)
そして、(去年の秋から)新たに亡くなられた(入居者の)方のお名前を読み上げ、遺族の方と共に読経をする。
それが終われば、ちょっとお話を・・。今年は『一休さんの遺言』のお話をした。
そして、第二部。
今年もお友達の[松葉]さん(今年は姉妹で)に来て頂き、詩の朗読と、歌と、民族楽器を使った演奏を披露して頂く。
最後は恒例の白寿苑職員K・Kコンビによる、演奏と歌『千の風になって』と『涙そうそう』を皆で大合唱。
今年も、胸が熱くなる良い法要となりました。合唱じゃなくで、合掌。
吹田市:浄光寺「門信徒のつどい」への出前

昨日、吹田市の浄光寺さま『門信徒会』主催の『門信徒のつどい』にお招き頂き、「紙芝居法話」に行って来ました。
こちらのお寺へは初めて。・・車のナビだけが頼りでした。(大病後、一人で運転して、結構遠方まで行けるようになりました。良かったです・・)
まずは、住職さんのお勤めとお話。そして門信徒代表さんのご挨拶。それが終われば、僕の出番。
この日は住職さんのリクエストもあり、紙芝居『三尺三寸のお箸』、『共命鳥のお話』、そして、茶話会を挟んで、最後は『阿弥陀仏物語』。(門徒さんでない方や子供さんにも受けました)
ご門徒さん達にお話しするのも、だいぶ落ち着いて出来るようになってきました。
これも、(失礼だけど)僕自身のリハビリになっているのかもしれなと、感じた昨日のお出会いでした。
河南荘の[地蔵盆法要]への出前

今日、毎年恒例の「軽費老人ホーム河南荘」の地蔵盆法要へ、お寺の出前に行ってきた。
この河南荘の地底から発掘されたという、小さなお地蔵さんを、入所者のみなさんとご一緒にお参り。
その後、例によって紙芝居法話。
今年はおばあさんが主役の、紙芝居『ねずみのお経』と、信心深いおじいさんが主役の『仏様の思し召し』をする。
その後、ちょっとだけ法話をして、台風が迫るので、急いで終了した。
帰り際、職員さんから「皆さん、毎年のこの法要を楽しみにされています。又、来年もよろしくお願いします」と言われた。
僕は「来年、来れるかどうかも、仏様の思し召しでしょう。」と言って、苦笑いをしてお別れした。 ・・もう、こちらとのお付き合いは16年になるのだ。
真宗大谷派『大長寺』さまの御来院
南九州旅行~『隠れ念仏』の取材(後編)

(今、パネル展を開催している鹿児島別院)
薩摩藩は、江戸時代初期(一説では室町末期)から、約300年もの長きに渡って、親鸞聖人を開祖とする浄土真宗を禁止した。(代わりに、真言宗・曹洞宗や時宗の教えが流行ったそうである。・・だが、現代は、浄土真宗の信者が一番多い。)
(『隠れ念仏』パネル展)
それは、「仏の前では支配者も民衆も同じ」、という浄土真宗の考えが、藩主の権力を否定することにつながると危惧したからだと考えられている。
しかし、禁止されても《信仰》は下級武士や農民の間に、ひそかに受け継がれていた。
信者は、小さな仏像を作り、又、宗祖の御影像を描き、柱に埋め込んだりして隠して信仰した。
又、自然の洞窟を改装して、信者たちの集会所(お寺)にしたのだ。
(別院内にある[涙石])
しかし、浄土真宗の信者であると発覚すれば、筆舌に尽くし難い『拷問』が待ち受けていた。
別院内に、今も残る『涙石(なみだいし)』は、その拷問に使われたという巨大な石である。
僕は、現実に『涙石』を目の当たりにすると、身体が震えた。
我々の先輩たちは、文字通り「隠れて念仏」をして、命がけで、信仰を守ってきたのだ。
「果たして、お前にもそれができるか?」と涙石に問われているような気がした。
「・・とうてい、気の弱い僕にはできません。・・僕がやれることは、それを伝える拙い『紙芝居』を作るだけです。・・でも頑張ってつくります!」と、合掌した。 
そして、旅行三日目。
鹿児島市内から、タクシーで約三十分。どうしても、今回行きたかった『花尾念仏洞』へ向かう。
ここは、花尾山の下部に位置し、200メートルほど上がった山の傾斜にある、天然の洞窟である。
僕と坊守は、汗を掻きかき登った。
ここは現在も、ご本尊が安置されていて、念仏信者たちの心の拠り所となっているらしい。
でも、はっきり云って狭い。行くのもしんどい。
「ここが、念仏の拠り所になっていたのか!」と思いながら、「よくぞ、こんな所に集まったな・・」と思い、「ここでは、足の悪い年寄りのお参りは無理だったろうに。」と思った。
ここでは、何と[明治元年]に、その『信者集会』が発覚されて、(誰かが、ちくったのか?)信者たちの多くが処罰されたということだ。(結果的に、念仏禁止令は、明治9年まで続く。・・何が文明開化やねん!)
長々と、全三回に渡って、書いて来たこの『南九州旅行記』。途中、(中編)で脱線したが、最後は『隠れ念仏取材記』で、ちゃんと、まとめれたと思う。
正味、「現地取材をしたら、『紙芝居』は簡単に作れると思っていた」のだが、
今回の、濃い歴史の重さを感じ、これは、どうまとめて作ったら良いのかと、改めて悩みが深くなってしまった。
でも、何とか、作ってみましょう!・・悩んでいてもしょうがない。
そう、薩摩ではこんな言葉(格言)が残っているのである。
「泣こかい、翔ぼかい。・・泣くよっか、飛っ翔べ!」(=泣いているより、思い切って、その崖から、飛び立ってみろ!)と。
おしまい
南九州旅行~『隠れ念仏』の取材(中編)

指宿(いぶすき)の旅館に泊まった時、「夕食のお飲物[焼酎]は、どうなさいますか?」と、尋ねられた。
僕は、冗談で「有名な焼酎『森伊蔵』は有りませんよね⁈」と尋ね返すと、「有ります。・・ただし、三種の飲み比べセットの一つですが。」と言われた。
それで、大阪では飲むことのできない薩摩切子に注がれた『森伊蔵』セット(2500円)を、思い切って注文して飲んだ。
それは、あっさりとした飲み口の良い、味わいある焼酎であった・・と、思う。(酔うと、何が何やら解らないのが本音。)
二日目。・・この日は、JRで指宿から鹿児島市へ向かう。
ここでもう一つ、食べ物の話題から。
鹿児島の夏といえば、『白熊(シロクマ)』のカキ氷らしい。
お店のメニューを見れば、全部大きくて、とても食べれそうにないので、二人でひとつだけ頼んだ。
「なぜ、シロクマというのですか?」と聞くと、白い氷に赤や黄色のフルーツをのせて、まるでシロクマのような顔に見えるから。」なのだそうだ。
かき氷は、氷が薄くてミルクとフルーツのバランスが良くて、とてもおいしかった。
その後、定期観光バスに乗って、西郷隆盛終焉の地である[城山]を見学。ここから、よく桜島が見えた。
そして、鹿児島市内の名所を巡り、フェリーに乗って(何かと話題の)桜島へ。
東京や大阪の人間が(いつ噴火するのか?)と騒ぐより、地元の人たちは(案外)のんびりしたものだった。(観光客も結構、居た。でも、僕は内心ドキドキもので、フェリーが桜島を離れた時、ホッとした)
その後、島津氏のお殿さんの借景庭園[仙厳園]へ行って、もう一度、じっくり[桜島]を見たら、煙がもくもくと出ていた。
あとで地元の方に聞くと、小さな『噴火』が起ったということだった。 つづく
南九州旅行~『隠れ念仏』の取材(前編)

お盆の仕事も、何とか無事終わった記念に、今年は二泊三日で、坊守と(桜島の噴火が心配される)鹿児島へ旅行に行って来た。
目的は、慰労と『薩摩の隠れ念仏』の紙芝居制作取材である。(・・「いつも、旅行といえば取材ばっかり!」と、この日も坊守にブツブツ云われながら出発。病後の体力も考慮して行き帰りは飛行機にした。何と大阪から約一時間!早~)
鹿児島空港に到着後、シャトルタクシーで、一日目は、『知覧(ちらん)』エリアを散策。
まずは腹ごしらえ。薩摩の郷土料理(酒ずし・さつまあげ)などを頂く。美味しかったです。(結果として、鹿児島の食べ物はみんな美味しかった!) 
そして、映画『ホタル』や『永遠のゼロ』のヒットで、この日もたくさんの人が押し寄せていた[知覧特攻平和館]。
特攻隊の方々の遺品(肉親への手紙)や、肉声テープ、お写真などを見ていると、身体が硬直し涙があふれます。
そして、僕等の肝心の目的地、『薩摩の隠れ念仏』資料展示がされている[ミュージアム知覧]へ。
島津氏が300年に渡って禁制していた念仏信者たちへの迫害。キリシタン迫害は有名だが、真宗信者迫害はあまり知られていない。
ここでは、その生の資料に、たくさん触れることが出来た。 
ゼロ戦の滑走路だった国道を、さらに、車で30分ほど下っていくと、人里離れた山の斜面に[立山のかくれがま(=洞窟)]がある。
まさに、人ひとりが入れば窮屈な洞窟。
五・六メートルほどの曲がりくねった洞窟の中には、天井にコオロギや虫がたくさんいて気味悪かった。そして、一番奥に小さな阿弥陀仏像が祀ってある。
この人里離れた洞窟で、役人の目を盗み、嵐の日の夜などを選んで、我々の先輩信者たちは、念仏を称え、経を読み、お説教を聴聞をされていたのだ。
こちらも、特攻隊とは違った意味で、信仰の持つ凄みを、雷で撃たれたように感じた。
この日、タクシーの中で心が震えながら、[指宿]の旅館へ向かった。 つづく
15回目を向えた太子町「光福寺」様[盂蘭盆法要]への紙芝居法話

(住職さんに写して頂いた講演写真・・久々に写真を撮って頂く)
昨日で、今年で15回目を向えた、太子町[光福寺]様での『盂蘭盆法要』への出前。
よく、(私なんか飽きずに)15年間も、毎年お呼び頂いている⁈と、何か不思議なご縁を感じる。
(総代さんと、飴ちゃんを配る用意)
もう、こちらの総代様とも顔見知りだ。
さて、昨日は『ねずみのお経』と『素晴らしき哉、人生』の二本の紙芝居をさせて頂いた。
紙芝居ばかりでは、紙芝居屋のおっちゃんと同じになるので、紙芝居の間に、ちょこっと法話をする。
・・お熱い中、毎年、本堂にて、たくさんの老若男女の方々に『紙芝居』を見て頂いて、本当に恐縮だ。
本当に、お寺で見る価値のある、『命の大切さ』を感じれる紙芝居を、これからも作っていかねばと、感じた昨日の『盂蘭盆法要』であった。
・・これで、今年のお盆のイベント後半は、すべて終わる。・・、ああ、まだ[地蔵盆]と老人施設での盂蘭盆法要があったわ。・・まだ僕の夏は終わらん。
無事に終わった『寛弘寺:墓まいり』

昨日、寛弘寺村挙げての壮大なる夏の一大イベント『墓参り!』が、無事終わった。
朝の五時前からスタートし、午前十時過ぎには終わる一大叙事詩(そんな大層なものでは無いが・・[笑い])なのだが、強烈な暑さの中、倒れる者も居なく(特に僕が・・)、無事に終わったのが何よりであった。
冷たいペットボトルのお茶を何本も飲みながら、今年は、妻と娘と役僧さんと僕の四人で、檀家さん全員のお墓詣りをさせて頂いた。
特に、僕の体を心配して下さっていた総代さんは、
たえず僕の横で「住職さん、お茶飲みや。水分を一杯取らなあかんで!」と、親のように言って下さり、
飲んだ後は「水分を飲んだら、後は出すことが大事やで。・・尿にして出すことも(腎臓の機能も考えて)大事やからな!」と言ってくださったいた。
・・それで、僕が四時間ほど経って「ちょっと、おしっこ行って来ますわ。」と言うと、大きな声で総代さんが、回りにいる人みんなに「今、住職さんが、おしっこに行かれました。もう、皆さん安心ですよー。」と叫ばれて、大変恥ずかしかった。(笑い)
(僕の体のことで)みなに心配を掛け、そしてお世話になった今年の墓参り。・・これでお盆(前半)のイベントが無事に終わった。



