記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

夏は花火で始まる!

ファイル 1999-1.jpeg

南河内の夏は、PL教団の花火大会で始まる。
昨日も、約40分間程の大花火が、南河内の夜空に上がった。
年々、花火の本数も少なくなって来ているが、やはりこれがないと、夏が来たような気がしないから不思議だ。
さぁ、これが終われば、いよいよ、お盆参りが始まる!

紙芝居:『相撲のはじまり』(その7 最終回)

ファイル 1998-1.jpg
いよいよ、この紙芝居も最終話である。
 さて、この相撲の『始祖・神様』と呼ばれるようになった[土師(はじ)の宿禰(すくね)]は、そののち、天皇家の『葬式儀礼』を司る専門職になります。
 そしてその一族は、のち[桓武天皇]の時、新たに『菅原(すがわら)』という、苗字をもらいます。
 そう、あの有名な[学問の神様]『菅原道真(みちざね)』は、宿禰の子孫にあたるのです。
 ・・が、それは又別のお話にして、これにて『相撲のはじまり』は、おしまい。めでたし、めでたし
ファイル 1998-2.jpg
(今は駅名だけとなった『近鉄[土師の里(はじのさと)]』。・・おそらく、この周辺に[土師(=野見)]の一族は暮らしていたのだろう。]・・面白いことに?この駅の横に大きな葬儀屋さんがある。(因縁か⁈この葬儀屋さんの先祖は宿禰に関係があるのか⁈・・わからない(笑))・・僕も昔一度、こちらでお葬式を執行したことがある。)
ファイル 1998-3.jpg
(駅前にある古墳群(宿禰の一族の墓という説?もある))
ファイル 1998-4.jpg
(今も、相撲の力士たちは、宿禰の墓参りをするらしい・・。)
おしまい

紙芝居:『相撲のはじまり』(その6)

ファイル 1997-1.jpg
(野見宿禰の墓か?奈良:十二柱神社内)
ファイル 1997-2.jpg
(當麻蹴速の墓か?葛城市:相撲館けはや座前)
 ・・本筋に戻す。
 この野見の宿禰たちの『力比べ』が、宗教儀式として、宮廷行事となり、現在の[相撲]の形となっていきます。
ファイル 1997-5.jpg
 まず、『土俵』という神聖な場所を設置して、四隅に神々を祀ります。
 力士たちは、マゲを結い、マワシを絞めて、お塩と水で身を清めます。
ファイル 1997-3.jpg
 そして、足元の邪鬼を封じ込める為に、シコを踏みます。
 柏手を打ち、さらに両腕を左右に開くのは、武器を持ってない証拠をあらわす為です。
 そして、勝った力士は、勝利の感謝をあらわす為に、三つの神々(神産巣日(かみむすび)の神、高御産美日(たかみむすび)の神、天御中主(あめのみなかぬし)の神)にお礼をして、懸賞金をもらいます。
ファイル 1997-4.jpg
 こうして、相撲は日本独自のスポーツになっていきました。つづく
 

紙芝居:『相撲のはじまり』(その5)

ファイル 1996-1.jpg
・・余談になるが、昨日、実際の『大相撲』観戦に行ってきた。(もちろん、この紙芝居の参考にする為である。)
 『大相撲 羽曳野場所』という、いわゆる[地方巡業]というものである。
 猛烈に暑い体育館の中、現役の人気力士たちの取り組みを観ようとファンたちで超満員であった。
 僕は、[マス席]という四角の座席を買ったのだが、狭くて観るのがつらかった、・・おそらく皆さんももそうであったろう。でも、会場は熱烈なファンの声援と熱気で多いに盛り上がっていた。(醒めた目の僕は、相撲の魅力とはいったい何なのか⁈・・ということを考えながら、老若男女の観客たちの表情ばかり観察していた。)
ファイル 1996-3.jpg
『初切(しょっきり)』・・相撲の禁じ手をコントで面白おかしく教える見世物や、
『相撲甚句(じんく)』・・土俵上で力士が披露する余興的な歌、など、イベントならではの、対戦の間の大サービスのオンパレードで厭きさせなかったが、やはり、何時間も座ったままずっと観るのはしんどかった。
ファイル 1996-2.jpg つづく

紙芝居:『相撲のはじまり』(その4)

ファイル 1995-1.jpg
野見の宿禰(すくね)は、天皇に言いました。
「天皇さまからの、有難きお言葉なれど、勝負とはいえ、人ひとりの命を奪ってしまいました。‥私は素直に喜べません。
 私は先祖より、人の命は尊きものと教えられてきました。
 もし、他にご褒美が頂けるなら、・・私に、人の命を頂けませんか⁈」と。
 それを聞いて、天皇は「それはどういう意味じゃ?宿禰」と聞かれると・・、
ファイル 1995-2.jpg
「はい、今、位の高い王族の方が亡くなられると、お墓(古墳)の周りに『殉死』といって、元気な人もあの世のみちづれに、・・つまり、生き埋めにされます。
・・それをやめて頂きたいのです。
 その代わりと云っては何ですが、私が作りました[人]や[馬]などの『埴輪(はにわ)』を代わりに埋めるというのは、どうでしょうか?
 そうすれば、元気な者も死なずに済むし、その家族も喜びましょう。」と、宿禰は言いました。
 それを聞いて、天皇は「うーん、それは良い案じゃ・・一度考えてみよう。」と云われました。
ファイル 1995-3.jpg
(埴輪類[近つ飛鳥博物館]より)
 こうして、やがて[垂仁32年]から、『殉死』は禁止され、お墓の周りには、[埴輪]が飾られるようになりました。
 そして野見の宿禰は、天皇から、『土の師』と書く『土師(はじ)』という苗字をもらい、こののち、[土師の宿禰]という名前に変わったのです。つづく

「浄土宗大阪教区児童教化連盟」からの出前依頼

ファイル 1994-1.jpg

(大阪市天王寺区:『浄土宗 大阪教務所』)

昨日、「浄土宗大阪教区児童連盟」様からの依頼を受けて、『紙芝居に学ぶ 子供への教化』という講題で、講演に行ってきた。
 この日、大阪は天神祭りで、道路も混んでいたが、何とか間に合った。
 他宗のお坊さんたちへの講演は、やはり緊張するが、知り合いの方もいて、どうにかいつもの感じで乗り切った。
 理事長さま、事務局長さま、大変お世話になり有難うございました。合掌
 

紙芝居:『相撲のはじまり』(その3)

ファイル 1993-1.jpg
 さぁ、力比べが始まりました。
 この力比べ、今でいう[格闘技]です。
 武器はダメですが、キックもパンチもありです。
 負ければ、死なねばなりません。
 そう、命掛けのものでした。
 ドシッ、バシッ! 骨も砕け折れました。
 まさに、力と力のぶつかり合いです。
ファイル 1993-2.jpg
(相撲神社内:力士モニュメント「誰がモデルやろ?」)
ファイル 1993-3.jpg
 ドッドッドッシーン!
 當麻の蹴速(けはや)が倒れました。
 野見の宿禰がジャンプして、蹴速の上に全体重を乗せて急降下です!
 グウェェェー!蹴速の断末魔が響きました。
 そして、當麻の蹴速は、血を吐いて死んでしまいました。
 「あっぱれー!宿禰!天下一。ようやった!」と、天皇は上機嫌です。
 「宿禰、・・ほうびとして、當麻の蹴速の土地をくれてやろう!」と天皇は云われます。(考えてみれば、残酷なひどい話です・・。)
 が、しかし、宿禰は・・。つづく
 
 

紙芝居:『相撲のはじまり』(その2)

ファイル 1992-1.jpg
 天皇の家来は宿禰(すくね)に言いました。
「野見の宿禰、ただちに天皇様のもとに参るように!
 そこで、お前は[力比べ]をするのじゃ。
 相手は、當麻の蹴速(たいまのけはや)]という者だ。
 蹴速は『力比べで、わしに勝てるものはいない!』と、自慢しておる!
 天皇様は「あやつの天狗の鼻を折ってやれ!」と言っておられる。
・・が、蹴速と互角に戦える力持ちは、おぬししか居ないんじゃ。
 宿禰、天皇さまの御前で、お前の力を見せてくれ!」
「はっはい、わかりました。」と、宿禰はこの突然の命令に、戸惑いながら了承しました。
ファイル 1992-2.jpg
 垂仁(すいにん)天皇七年、七月七日。
 奈良の[三輪山]のふもと・・。
 天皇が見守る中、野見の宿禰と當麻の蹴速の[力比べ]が始まろうとしていました。
 これが、『相撲のはじまり』です。 つづく
ファイル 1992-3.jpg
(奈良県三輪:実際に「宿禰たちの相撲」は、ここで行われたという『相撲神社』)

観念寺プリザーブド・フラワー制作教室、開催

ファイル 1991-1.jpg
 昨日、観念寺主催で[石田香壽代]先生をお招きして、『プリザーブド・フラワー制作教室』を開催した。
ファイル 1991-2.jpg
 『プリザーブド・フラワー』を云うのは、自然の花でありながら、生花のように水を必要とせず、長期的に保存ができる、花の組織を破壊しないように水分と色素を抜き、オーガニック系の染料を使用し乾燥させている花である。・・長い説明やった。
ファイル 1991-3.jpg
 たくさんの参加者があり、皆さん賑やかに、そして熱心に製作されていた。
 先生は「ご自分の心も整えながら、楽しく作って下さい」とおっしゃりながら、楽しく教えて下さり、見ている僕も楽しかった。石田先生、そしてお弟子さん、ボランティアながらも、熱心なご指導有難うございました。合掌
 

紙芝居:『相撲のはじまり』(その1)

ファイル 1990-1.jpg
(相撲のはじまり~野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)の天覧試合の絵『奈良県葛城市相撲館[けはや座]より』
ファイル 1990-2.jpg
 『日本の国技』ともいわれる[相撲(すもう)]。
 その始まりは『古事記』の中の「神々の力比べ」と云われています。
 ・・が、人間同士の[相撲]の最古のものは、(紀元前二十三年)垂仁天皇七年七月七日に行われた、埴輪作りファイター野見の宿禰(すくね)と、奈良の地元ヒーロー當麻の蹴速(けはや)の命を掛けた格闘がはじまりと云われているのです。
それでは、その模様を紙芝居で見てみましょう。・・はじまり、はじまりー
ファイル 1990-3.jpg
 今から約二千年前、第十一代天皇[垂仁(すいにん)天皇]の頃。
 大和の国(今の奈良県)の[初瀬出雲(はせいずも)]の郷に、『気は優しくて、力持ち!』の[野見の宿禰(のみのすくね)]という男が居ました。
 宿禰は陶芸(焼き物)の仕事をしていました。
 そこに、ある日、天皇の使いがやって来ました。つづく
ファイル 1990-4.jpg
(奈良県:初瀬出雲の野見の宿禰塚)