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河南町介護者家族の会『さくらんぼ』新年会

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本日、河南町介護者家族の会『さくらんぼ』の新年会にお招き頂き、「紙芝居法話」に行って来た。
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 会場は、河南町の農林センター。
 会場には、31名の会員さんたち。
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 会長さんのご挨拶の後、50分ほどお話と紙芝居をさせて頂きました。
 会員さんから、「こころがほっこりしました。」というご感想をお聞きし、ほっとした次第です。
 ありがとうございました。

観念寺新年法要in2020

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今年も『観念寺新年法要』を行いました。
 いつものように、はじめは本堂で勤行。
 そして一階ホールに場所を移して、お善哉を皆さんと共に食べて、今回のイベントのはじまり、はじまりー。
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 今年は、僧侶と市役所職員の異色のコンビによる『仏教漫才』。
 連浄寺の女性僧侶(毛利さん)と、元吉本芸人で現在某市役所職員(桂山さん)による漫才コンビ『わろてら!』さんによる漫才法話と、仏教クイズのオンパレードでした。
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 檀家の皆さんも大声で笑って、たくさん元気を頂きました。
 総代さんからも「おもしろかったわー!勉強にもなったし。又、お呼びしてや!」と大好評でした。
『わろてら!』さん、ありがとうございました。合掌

令和二年「新年法要」の準備!今年は[漫才法話]です

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 今年もやって来ました、新年法要!
 今年は、仏教法話漫才です。
 ご出演は、女性住職と、元吉本芸人で現在市役所職員の異色のコンビ[わろてら!]様です。
 今から楽しみ!

明けましておめでとうございます。

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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
さて、お正月は北陸へ旅行に行って来ました。
一泊したのは、加賀温泉でした。
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そして、金沢に行きました。
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もちろん、最初は兼六園。お正月は入場料が無料なのですね。
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その後、ひがし茶屋街へ。
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美味しいお酒を試飲して、たくさん買ってきました。
これから、ぼちぼち飲ませて頂きます。
本当にゆっくりさせてもらいました。合掌

寺カフェ忘年会

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 昨日、『寺カフェ・忘年会』を観念寺と寛弘寺老人会の共同主催で行った。
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 参加者は、15名程度を予想していたのだが、ふたを開けたら、なっなんと40名のご参加で、椅子が足らんやら、机が無いやらで嬉しい悲鳴を挙げた。
 最初は、皆さんからのリクエストで、ぼくが来年の干支が主役の『ネズミの嫁入り(仏様ご挨拶バージョン)』の紙芝居をした。
 その後、カラオケ大会でおおいに盛り上がった。
 役員さんと「こんなにお客さんが来て下さるなら、第二回、第三回と忘年会をしないとあかんなぁ・・」と笑って楽しい[寺カフェ忘年会]が終わりました。

干支ちぎり絵教室

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 今年も『干支のちぎり絵教室』を開きました。
 参加者は12名。
 来年の干支は[ネズミ]です。
 檀家のご講師のご指導の下、皆さん、今年もワイワイガヤガヤ、賑やかに[ちぎり絵]を作っておられました。

紙芝居:『富田林のはじまり~寺内町の話』(後編)

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こうして『富田の荒れ地』の開発工事が始まりました。
 周囲の四つの村から、各二名ずつ代表を決めて計『八人衆』で、お寺の建立や周りの屋敷の町割り、そして田畑の場所などを取り決め工事を開始したのです。
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 こうして[永禄四年]、寺内町は完成しました。
 この町は、東西七本、南北六本の街路で区画された[13.3ヘクタール(東京ドーム約三つ分)の]町で、(興正寺という)お寺を中心に創られました。又、周りは堀などで囲み、夜は門を閉め、誰彼なしに入れないようにしました。(結果、野武士たちは入れなくなりました。)
 そして町全体をお寺の境内とみなし、信者たちが平和な話し合いで物事を取り決めのできる『宗教自治都市』になったのです。
 又、同じ宗教の[浄土真宗](本願寺)が織田信長軍と戦い、浄土真宗に味方した町が、信長軍に焼き払われる中、富田林寺内町は信長に逆らわず、お金を出して中立を守った為、焼き討ちに合わずに済みました。
 宗教.寺院の威光を利用しながら、自分たち町民の事は、自分たちで決め、そして守るという、したたかさもあったのです。
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 こうして寺内町は、彼ら民衆で『富田林(とんだばやし)』と名付けられ発展してゆくになります。
 そして江戸・明治時代を経て、富田林全体の商業中心の役割を担い、木綿業、材木商、清酒業などが大いに発展していきました。
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戦乱の世に、自分たちの[極楽浄土]を作ろうと、庶民が立ち上がり、完成した町『富田林寺内町』。
 今、令和の時代、寺内町はその歴史と文化の大きさから、『重要伝統的・建造物群保存地区』の指定を国から受け、新しい街づくりの試みが始まっています。
 
 それでは、最後に寺内町で生まれ育った歌人『石上露子』の一首の歌でこの紙芝居を終わることにいたしましょう。
『今はとて 還りゆくべき古里は 哀しかりけり 恋しかりけり』 おしまい

紙芝居:『富田林のはじまり~寺内町の話』(中編)

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各村の農民たちは、それぞれ代表を決めて集まりました。
「どないしまひょか⁈このままでは、我々はずっと泣き寝入りや。‥米は奪われ、家は焼かれる。・・それに兵隊には取られるし、年貢は取られても、ご領主は我々の命を守ってくれへん。」
「そや、武士に頼らん、我々だけの町を作るんや!」
「それはええ案やけど、そんな土地はどこにあんねんな?」
「ひとつ、あるでぇ!」
「えっ?それはどこや?」
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「あの『富田(とんだ)』の芝地やがな!」
 そこでみんなは、その土地を見に行きました。
「・・あの荒れた土地でっか⁈」
「そやがな、みんなで力を合わせたら、きっと立派な町が出来るで!・・みんなで銭出して、土地を買うんや。」
「けど、わしらお公家や武士やお寺さんと違うから、土地なんか勝手に買われへんで⁉」
「そや![興正寺(こうしょうじ)]の証秀(しょうしゅう)上人にお願いしてみよ。お上人にわしらの代表になってもらおう。・・お寺を中心とした新しい町づくりを頼んでみよう!きっと賛成してくれはんで!」 
 そこでみんなは、大阪の興正寺へ向かいました。
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 お上人は、農民の代表者たちに会われておっしゃいました。
 「お前たちの言いたいことは、よう分かった。
 荒れた芝地を、お寺を中心とした[寺内町]にしようというこっちゃな。・・武士たちの好き勝手な事の出来ん、自分たちで運営する平和な[極楽浄土]みたいな町を作ろうというこっちゃな。
 ようわかった。賛成や。・・しかし、あそこの土地は確か守護大名の土地や。売ってくれれば良いが・・、銭は百貫文(今の約2500000円)ぐらいは出さんとあかんやろなぁ・・。お前らはお金の工面をせぇ。わしは交渉に掛け合うたる。」
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 そしてお上人を代表に、守護大名と掛け合い、『富田の芝地』を、農民たちは手に入れました。つづく

紙芝居:『富田林のはじまり~寺内町の話』(前編)

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昔むかしの戦国時代。
 時は「永禄年間」の初めの頃。
 ここ大阪の「南河内(みなみかわち)」も力の強い武士たちが、土地の権限を奪い合おうと、日夜戦いを続けておりました。
 そんな折、悲しい思いをするのは、いつも百姓や町人でした。
 彼らは、争いの無い平和な国の実現を夢見ていました。
 そして、ついに彼らは立ち上がりました。
 時の権力者の支配を受けない、この世の[極楽浄土]の町『宗教自治都市』を作り上げようと思い、ついにそれを作り上げたのです。
 それが『富田林寺内町(とんだばやし・じないまち)』でした。 
 このお話は、そんなユートピア実現のお話です。
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 「出合えー出合えー、我こそは河内一の武士なり!ここの土地は我らのもの。手迎えするものは斬って捨てる!
 それっ皆の者、敵が隠れておらぬか、すべて焼き払えー!」と、武士たちは毎日、仁義なき戦いを続けておりました。
 それを見て、逃げ惑うはいつも庶民たち。
「ああっ、わしらの家が燃やされる!・・それに、せっかく作った田んぼも畑もめちゃくちゃや・・これから、わしらはどうやって生きたらええんや⁉
・・もう、我慢できん!皆で相談しよう。庄屋さんのところへ集合や!」 つづく

新たな紙芝居3本、出来ました!

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新たな紙芝居が、3本出来ました!
176作目が、地元[富田林]の歴史を描いた「富田林のはじまり」。
177作目が、お経を真正面から描いた「阿弥陀経のはなし」。
そして178作目が、檀家さんからの要望に応えて、ようやく完成した作品「正信偈のお話」です。
又、このブログでおいおい載せようと思っています。よろしくです!

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