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紙芝居:『九條武子(くじょう・たけこ)さま』(その5)

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大正12年、武子様37歳。
 東京に[関東大震災]が襲います。
 この時、武子様は被害の多かった東京の[築地本願寺]付近に住んで居られました。
 その為、ご自身も被災されます。
 築地本願寺は全壊。
 そして、炎が迫り「もうダメ!」と何度も思われたそうです。
 が、武子様はお念仏を頼りにして、火事の中を脱出されます。
 炎の中、「ナムアミダブツ・・」と仏様の名前を呼ぶ度に、『我が名を呼べ!必ず救うぞ!』という、阿弥陀如来さまからの声がご自分の声と重なりあって聞こえ、何とか逃げ出すことができたのでした。 つづく 

紙芝居:『九條武子(くじょう・たけこ)さま』(その4)

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 日本へ一人で戻られた武子さまに、義理の姉を助けての[仏教婦人会]の仕事が待っていました。
 それは、父に代わって兄が[ご門主]になられたので、門主夫人になられた義理の姉の仕事が俄然増えて、忙しくなられたからです。
 それで、武子様が[仏教婦人会・総裁代理]となって、全国各地へ回られることになられました。
 さらに明治44年、その義理の姉が亡くなられた為、武子様は[仏教婦人会]の運営を、一人で背負わなければならなくなりました。
 それで、武子様は『仏教婦人会・本部長』に就任し、その重責を果たされる事となったのでした。
 そして、やがて待ちに待った夫がイギリスから帰国されました。つづく

紙芝居:『九條武子(くじょう・たけこ)さま』(その3)

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明治22年、武子様は23歳で結婚されます。
 お相手は銀行勤務の男爵で、[九條良致(よしむね)]氏という御方でした。
 良致氏は、武子様の義理の姉の[弟]でもありました。
 お二人は結婚された後、イギリスへ新婚旅行へ行かれました。
・・と同時に、それは夫のケンブリッジ大学留学を兼ねた旅行でもありました。
 ところで、なぜ銀行マンの夫が外国へ留学することになったのか?
 それは武子様の兄[大谷光瑞様]が、良致氏を外国で勉強させて、将来、この義理の弟を[西本願寺]の学術専門家にしたかったからではないかと言われています。
 が、結果的には、武子様は一人で先に日本へ帰国されることになります。
 そして、良致氏の帰国まで、10年間待つことになるのでした。 つづく
 

紙芝居:『九條武子(くじょう・たけこ)さま』(その2)

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 武子様はすくすくとお育ちになりました。
 末っ子ということもあって、父の明如上人も取り分け、武子様をかわいがられたそうです。
 彼女は『西本願寺の宝』と呼ばれ、大切に育てられたのです。
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 こうして、武子さまは美しい女性に成長されました。
 その美しさは、『大正時代の三美人』のおひとりと呼ばれたそうです。
(※余談ながら、あとのお二人は、九州の炭鉱王と結婚しのち若者とかけおちした柳原白蓮さん、そしてもう一人は、新橋の芸者から法律学者と結婚して、社交界で有名になった江木欣々さん・・です。) 
 又、武子様は短歌、絵画も一流の先生に学びその才能を発揮されていったのでした。
 が、悲しいことも同時にやって来ます。
 武子様17歳の時、父明如上人が54歳でお浄土に還られたのでした。つづく

紙芝居:『九條武子(くじょう・たけこ)さま』(その1)

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 九條武子さまは、西本願寺のご門主のお嬢様に生まれました。
 才色兼備のお方で、その美しさは『大正時代の三美人』のおひとりとも云われました。
 そのご活躍は『仏教婦人会・連合本部長』を務め、社会事業に尽くし、現在の「京都女子大学」創設にも尽力されました。
 又、歌や絵画でもその才能を発揮されたそうです。
 ・・がしかし、そのご生涯は短く、人生も波乱に満ちたものでした。
 それでは、武子様のご生涯を紙芝居を通して見てゆく事にいたしましょう。はじまり、はじまりー。
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 武子様は、明治20年京都にお生まれになりました。
 お父様は、西本願寺第21代門主、大谷光尊(こうそん)様=明如上人です。
 武子様の『武(たけ)』という文字は、明如上人がお考えになられ付けられたそうです。
 それは「『武』とは、本来、『戈(ほこ)を止める』と書く。・・つまり力(武力)を使わず、平和に物事を納めてゆく。それがこの文字の本来の精神なのだ。この子にはそんな平和の礎になって欲しい」と、考えられたお名前なのでした。
 つづく
 

怖い夢を見ました

 昨日、怖い夢を見た。
 ・・日本の田舎のどこかに、僕は弟と居る。
 空は、真っ青で良い天気だ。
 その時、大きな津波が来た。
 その大きさといったら、言葉にもできない。
 うねりながらやってきたのだ。(目が覚めた今でも覚えている)
 逃げる間もなく、波が僕らを襲った。
 それから、僕は水の中でアップアップしながら、死とはこのような感じか⁈と思っている。
 そして、波が去った。
 僕は助かったような・・。
 振り返れば、弟が居ない。 
 そして、周りも誰もいない。
 わーっと言って、目を覚ませば、午前三時前。
 あの夢は何か⁈ 
 僕の頭の中で、映像が再現できる。
 いつか、本当にこのような事が起こるのであろうか?
 地震と津波対策を真剣に考えねば、今思う。
 

この二か月の出来事

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(門信徒講座:篠先生による腹話術法話)
 休んでいたお寺の行事報告を大急ぎで書きます。
 9月10日、観念寺にて『石川南組門信徒講座』を開催。
 約70名の門信徒さんがご参集くださいました。
 この日の午前中は、篠先生による『腹話術法話』。
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(フォレスティックス様による『心のコンサート』演奏)
 そして、午後は「フォレスティックス」様のピアノと篠笛『心のコンサート』。
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(山内先生による法話&フォレスティックスさまとの鼎談)
 最後は、山内先生のまとめの法話を頂きました。
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(秋季彼岸法要:辻本先生による泣き笑い法話)
 9月22日は、秋季彼岸法要。
 法雲寺住職による落語風『泣き笑い法話』を頂きました。
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(報恩講法要)
 そして、10月14日は観念寺『報恩講法要』が、無事に終わり、今年のお寺での法要行事はすべて終了したのでした。
めでたし、めでたし。

パソコン故障中

パソコン故障中です。
ブログはしばらく、休みます。

台風やら、地震やらで大阪は大変です

大阪の地震、そして台風被害と大変な状況が続いています。
わが町、河南町も瓦がとんだり、屋根がめくり上がったり、信号機が曲ったりと、結構大変です。
が、観念寺は無事です。
台風一日前に、壁の補強も完了し無事でした。ありがたい。
後は寺の周りの掃除、掃除!

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