本日、初めて羽曳野市の西向寺様へ行かせていただき紙芝居法話をさせて頂いた。
小雨の中、たくさんのご門徒様がお越しになり、緊張しました。
さて、今日の失敗談だが、新しい紙芝居『一休さんの遺言』の練習不足で、枚数を何枚か間違えて読んでしまった。‥で、途中で話がつまり、何遍も読み違え大変恥ずかしい思いをしてしまった。これは、今後気をつけねば‥。反省!
又今年の報恩講法要でも、お招き頂けることになったので、次回は万全の用意で臨みたいと思う。合掌
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羽曳野市『西向寺様』永代経法要への出講
紙芝居:「恵信尼様の夢」(後編)
それは我が夫、親鸞様ではありませんか!ほんと、びっくりポン!でございます。(ちょっと古い)
その時、空から威厳あるお声が、どなたか分かりませんが聞こえて来ました。
『そう、この観音菩薩はそなたの夫、親鸞じゃ。そなたの夫こそが観音菩薩の化身なのじゃ!』と。
私は身体が震えました。
そして、そこで夢は覚めました。
そこで次の日、私は早速、その夢の話を夫に話しました。
勢至菩薩様の化身が、法然様であったことを。
夫は興奮して、「おおっ、それは正夢じゃ!‥法然様こそ、誠に菩薩様の化身のようなお方であった。」と涙ぐんでおられました。
‥が私は、夫親鸞様も菩薩様の化身であったとは言えませんでした。
きっと夫は、否定すると思いましたので‥、ホッホッホッ(笑声)。
そして、この夢の話はずっと私の胸の奥に閉まっておく事にしたのです。
そう、この夢の話は後年、娘にだけ手紙でそっと知らせたのでございます。
これは、ただの夢のお話。
しかし、この夢があって、私は改めて夫は聖なるお方(聖者)だと信じたのでございます。
そして、私は仏様に寄り添うように、夫について行こうと思ったのです。
‥これから、どのような形になれど、私と夫親鸞とは、永遠に一緒でございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。おしまい
(終わりに) この紙芝居の題材となりました『恵信尼消息』というお手紙は、大正10年に西本願寺の、お蔵の中から発見されたものです。
この発見により、恵信尼様は実在するお方だと改めて分かったといわれています。知らんけど。いやほんま。
紙芝居:「恵信尼様の夢」(前編)
恵信尼さまの夢 〜『恵信尼消息』より
「私は恵信尼(えしんに)と申します。
はい、親鸞聖人の妻でございます。
えっ、自分の夫を『聖者の人』と呼ぶのはおかしいと?ホッホッホッ‥。それもそうですね。しかしながら、私は我が夫を観音様の化身だと思っていたのですよ。
だから、こう呼ばせて頂きたいのです。
それでは、今日はその訳をお話しさせて頂きましょう。‥それは私達夫婦が、関東(今の茨城県)に居た時の事でした。はじまり、はじまり〜。
私はある晩、不思議な夢を見たのです。
それはこんな夢でした。
場所はどこかは分かりません。‥夢ですから。
くらやみの中、私は一人立って居ました。
その目の前に、立派なお堂が見えました。
正面には大きな鳥居らしきものが立って居ました。
その鳥居の横木の所に、仏様の絵が二体掛かっていました。
よく見ると、それはお二人共、光輝く菩薩様でした。
その一体の菩薩様は『勢至(せいし)菩薩』様でした。
そのお身体は光輝き、お顔はどなたかに似ておられるな?と思っていたら‥!そう、このお方は夫親鸞さまの師匠、『法然(ほうねん)様』にそっくりなのです。
‥そして、もうご一体のお方は、なんと?!
後編につづく
北御堂の『花まつり』へ出講
堺市:極楽寺様への紙芝居法話
本日、堺市の極楽寺様へ、(2年振りの)紙芝居法話に行かせて頂いた。(去年は入退院していたのでお休みさせて頂いたのである)
‥雨の中、お寺は多くの方がおいでくださり、賑やかな法要であった。
今日は、(住職のご希望もあり)たくさんの紙芝居をさせて頂いて、時間もオーバー、テンションもオーバーしがちであった。
皆様、しんどくなかったですか?紙芝居の見過ぎで‥すんませんでした。(笑) 合掌
新作紙芝居、2本完成!
河南町『善秀寺』様の春彼岸法要
本日は、河南町善秀寺様の春彼岸法要の日で、紙芝居法話を一時間ほどさせて頂いた。
うちの寺の外に出た時は、春の嵐の様な空模様と風だったので、御門徒さんはおいで下さっているか、心配したが、たくさんのお方がおいでになっていて、安心プラス大変やりがいも感じました。
ありがとうございました。善秀寺の皆様!又来年。合掌
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