本日、河南町の『善秀寺』様の春彼岸会にお招き頂き、紙芝居法話をさせていただきました。
新作の紙芝居『パワースポットを探せ!』を初披露して、口を噛み噛みながら、皆さんに観て頂きました。
お見苦しい所もあったと思いますが、最後までご鑑賞ありがとうございました。合掌
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河南町『善秀寺』様の春彼岸会
別府にミニ湯治に行って来ました
姫路に行って来ました
もう一度会いたい人
先日、僕は(所用の為)近鉄『川西駅』内で、ICOCAカードの(お金の)チャージをしていた。
その時、突然背が高く若い黒人の青年が話し掛けて来た。
彼は片言の日本語で「ここの駅に行きたいがどうして行けば良いかわからない。教えて欲しい。」と言って、スマホの(インターネット)地図を僕に見せた。が、小さな英語の文字でよくわからない。‥よくよく見せてもらうと、どうやら『なんば』らしい。が、僕は川西駅からどう(乗り換えて)行けば『なんば』に行けるのかわからない。
僕は「駅員さんに聞いてみるのでついて来て」と言って、彼を駅長室に連れて行くが無人で、設置電話で「御用の方はこちらに電話して下さい」とだけ書いてあったので、僕は電話して事情を説明するが「英語はよくわからない。」とだけ言われた。
困ったが、僕ももうすぐ乗らなくていけない列車が来る。
そこで彼を『ホーム』まで連れて行って、「次の列車に乗って、河内長野駅の駅員さんにこのメモを見せて尋ねてみて」と、どうにか近くの人?から貰ったメモに要件を書いて渡すが(僕はメモ用紙を持ってなかったので)、その悪戦苦闘している場面を見ていた一人の中年女性が突然「私は英語が話せるので代わりましょうか?」と言ってくれた。
『地獄に仏』とはこの事だと思い、後は彼女に任せて、彼は適切なアドバイスを受けて「サンキュー」と言って去って行った。
僕はこの親切な女性にお礼を言って、彼女と別れた駅で別れ際、目と目でお互い会釈した。
世の中には、こんな身近に英会話ができる親切な人がいるんだ!と関心した。あの外国人は上手く着けたか、と思うと同時に、もう一度、あの中年女性に会っていろんなお話ししてみたいと思った。
東京両国『すみだ北斎美術館]に行って来ました
(すみだ北斎美術館)
葛飾北斎の紙芝居の取材の為、東京に行って来ました。
お相撲さんの町[両国]の北斎美術館は、下町にある小さな美術館です。‥でも結構人でいっぱいでした。(短い時間でしたが、町中で2人もお相撲さんに出会いました)
(北斎とお栄人形)
この北斎とお栄さんの人形がじっくり見たくて行って来たのです。
『北斎漫画』もたくさん観ました。
(国宝:迎賓館赤坂離宮)
その後、国宝の迎賓館赤坂離宮へ。
東京はいろんな建造物がありますねぇ。
建物の中は日本とは思えない程凄かったです。
(帝国ホテル内『フランク・ロイド・ライト設計:の壁面が残るオールドインペリアルバー』)
夜は、これもフランク・ロイド・ライト設計の壁面跡が残るオールドインペリアルバーへ行きました。
僕は、ロイド氏に興味があり、たくさんその関係の書物を読んでいたので、楽しかったです。
又、東京に行きたいなぁ。
『紙芝居で味わう、ちょこっと法話』in北御堂
紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その4 最終回)
その薬と筆を動かすリハビリが、いつしか北斎を元に戻して行きました。
その後、メキメキと回復し、北斎は復活しました。
まぁ、甘いものも少し控えるようにもなりました‥。
そして、倒れた翌年には新しい作品を描き始め、出版もできるまでになりました。
その後、北斎は一人旅が出来るまで歩行能力も回復します。
日本のあちこちを歩いて、有名な『富嶽(ふがく)三十六景』などを描き、大傑作を残します。
又、新しい千円札のおさつで有名なった「神奈川沖浪裏」、いわゆるビッグウェーブの絵も北斎が脳卒中を起こした後の作品である事を、あまり現代人は知りません。恐るべし!北斎!努力人北斎!
北斎は当時として長生きでした。
彼の辞世の句とは別に、有名な最後の言葉が残っています。
『天が後、五年俺を生かせてくれれば、必ず誠の絵師になってみせたのになぁ。』であったそうです。
死に際まで、絵の上達を願った天才絵師のは生涯でした。
最後に、脳卒中に気づく現代のチェック方法を少し書きます。
FAST(ファスト)と言います。
Fは、顔の麻痺。
Aは、腕の麻痺。
Sは、スピーチ。言葉の障害。
Tは、タイム。発症時間です。
これらに気づいたら、すぐ救急車を呼びましょう。僕もこれに救われました。
(山梨県から見た富士山)
余談ですが、北斎ファンの僕は富嶽三十六景の富士山をどうしても見たくて、紙芝居完成直前に取材に行って来ました。やっぱり、富士山はどこから見ても良いですねぇ。
おしまい
紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その3)
その後、意識を取り戻した北斎は、娘につぶやきました。
「おっお栄、腕が上がらねぇ‥。筆も上手く持てねぇ‥。力が入らないんだ。あぁ、俺はこのまま絵が描けなくなるのか!?ちくしょう!死んでも死にきれねえぜ!」
と苦しみ悩みました。
それは脳卒中の後遺症なのでした。
そんなある日、『葛飾北斎、脳卒中!』の噂を聞いた古い友人が訪ねて来ました。(一説では、それは滝沢馬琴ではなかろうか?と言われています。知らんけど)
「おい、北斎。中風に効くという薬の作り方を聞いたので、紙に書いて持って来てやったぜ。これを調合して飲んでみろ。‥いいかよく聞け。
①まず、果物のゆずを用意しろ。それを細かく木のヘラで刻む。
②次に、それと酒一合を混ぜてよく煮詰める。その時大事なことは、鉄鍋で煮てはダメってことだ。必ず土鍋で煮る事。鉄分が入っちゃダメなんだ。
③それと煮たゆずと白湯を混ぜて飲む。
それを毎日飲む事。効くらしいぞ。やってみろ。」と友人は言いました。
「それは本当か、効かなかったらただじゃおかねえぞ。」
と北斎は言って、その薬を毎日飲み始めました。
毎日毎日、北斎はその薬(?)を使って飲みました。
現代の医療では、それはヘスペリジンという柑橘系に多く含まれる栄養素で、それは高血圧を下げたり、末梢血管を強化する効果があると言われています。
まさに、北斎の病気には良く効いたのでした。(これも、知らんけど)
※余談ですが、脳卒中(脳出血)で、北斎と同じ症状になった私も、この実験をやってみました。‥効いたのかなぁ‥。馬琴に感謝!それこそ知らんけど。 つづく
紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その2)
「頭が痛えっ‥。どうも最近、よく頭が痛くなるんだ‥。」
「親父どの、働き過ぎなんだよ。私が代わりに描いとくからさぁ‥。休んどきなって‥。』
と、跡取り娘のお栄が言った次の瞬間、
「あぁっ‥、めまいがするぜ、お栄‥」
と言って、そのまま北斎は倒れたのでした。
「親父どの!しっかりおしよ。今、医者を呼んでくるからな!」
北斎の病気は中風(ちゅうふう)、今でいう脳卒中でした。
医者は娘のお栄に言いました。
「これは中風です。命に別状は今の所ありませんが、意識は戻っても、手足が動きにくくなるかもしれません。‥今は安静にして下さい。」
「親父どのっ!大変な事になっちまったな。もう絵は描けなくなるかもしれないよ。』
つづく