住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

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『『花まつり釈尊降誕会紙芝居で紹介』(中外日報で紹介)

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『釈尊の生涯を紙芝居で紹介』と、中外日報の花まつり記事(4月6日・北御堂)で、載せていただきました。
 ありがとうございました。合掌

北御堂の『花まつり』へ出講

本日、大阪『北御堂』へ、「花まつり(お釈迦さまの誕生をお祝いする日)」に、紙芝居法話で呼んで頂き出講して来た。
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 コロナ禍過ぎで、本堂は400人を越える人、人、人。
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僕の出番は30分間だけだったが、心拍数がマックス上がった。
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紙芝居はスライドを使い後ろ方にも見やすい様に工夫された。
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 お天気も良く、楽しい一日でした。合掌

堺市:極楽寺様への紙芝居法話

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本日、堺市の極楽寺様へ、(2年振りの)紙芝居法話に行かせて頂いた。(去年は入退院していたのでお休みさせて頂いたのである)
 ‥雨の中、お寺は多くの方がおいでくださり、賑やかな法要であった。
 今日は、(住職のご希望もあり)たくさんの紙芝居をさせて頂いて、時間もオーバー、テンションもオーバーしがちであった。
 皆様、しんどくなかったですか?紙芝居の見過ぎで‥すんませんでした。(笑) 合掌

紙芝居法話の様子が『教区新報大阪サンガ』と『ともしび」に載りました

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大阪教区新報『大阪サンガ』と.、大阪教区スカウト指導者会『ともしひ』に、今年の1月に行われた『報恩の集い」での紙芝居法話の様子が載りました。ありがとうございました。合掌

新作紙芝居、2本完成!

新作紙芝居が2本完成した。
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(223作・『恩徳讃のおはなし』)
 223作目が、親鸞聖人の『正像末和讃』からの一編、『恩徳讃』のお話を紙芝居化した物。
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(224作・『新・桃太郎の伝説』)
 224作目は、岡山県の昔話をリアルな形で現代風紙芝居にした作品『新桃太郎の伝説』。
これは、イスラエルとパレスチナとのガザ地区での戦闘をテレビで見ていて、どうしても作ろうと思った(鬼の出てこない)作品である。
 もうすぐ発表します。お楽しみに。

河南町『善秀寺』様の春彼岸法要

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本日は、河南町善秀寺様の春彼岸法要の日で、紙芝居法話を一時間ほどさせて頂いた。
 うちの寺の外に出た時は、春の嵐の様な空模様と風だったので、御門徒さんはおいで下さっているか、心配したが、たくさんのお方がおいでになっていて、安心プラス大変やりがいも感じました。
 ありがとうございました。善秀寺の皆様!又来年。合掌

『星に願いを 岩橋善兵衛物語』という本が出来ました

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『星に願いを 岩橋善兵衛物語』という本が出来ました。
原作と絵は、出前メニュー196作『星に願いを 岩橋善兵衛物語』と。216作『岩橋善兵衛と伊能忠敬の望遠鏡』を使っています。
 本を作って下さったのは、『貝塚市教育委員会』の皆さんです。
又、『貝塚市立善兵衛ランド』の皆さんも監修をして下さいました。
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 この物語は、日本で初めて「天体観望会」に使われ、伊能忠敬の日本地図作成にも用いられた優れた望遠鏡を作った[岩橋善兵衛]という(貝塚市の生まれの)偉人の物語です。
 この本は、もうすぐ図書館などで読むことができるようになるそうです。
 皆さん、御一読頂けましたら幸いです。合掌

紙芝居『大阪 北御堂ものがたり』(その4最終回)

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‥が又もや、北御堂に、いや大阪全体に大変な事が起きます。
 それは昭和20年3月の大阪大空襲です。
太平洋戦争末期、アメリカ軍のこの大空襲で、北御堂も全て焼き尽くされてしまったのです。
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大阪発展の歴史と共に、約420年のドラマ築いて来た北御堂・津村別院。
戦後、不死鳥の如く、多くの門信徒さんや市民の支援を受け、鉄筋コンクリートで御堂は再建されます。
大阪の経済、文化に係り、大阪商人と共に歩み発展して来た北御堂。
 現在、その歴史の歩みの分かる『北御堂ミュージアム』が御堂の中に作られ、又、納骨堂も完備されました。
そして、読経や法話会、文化活動など幅広く実施され、新たな寺院活動を展開しています。おしまい
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(現在の北御堂)

紙芝居『大阪 北御堂ものがたり』(その3)

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が、順風満帆な北御堂ではありませんでした。
江戸時代中期、享保9年(1792)、大火事が起こります。
 これで本堂などは全て焼失。
‥されど、これも大阪商人たちの懇志(寄付)によって、10年を掛けて再建。凄いぞ、なにわ魂!
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やがて、江戸時代が終わる時が来ます。
 王政復古がなされ、徳川幕府は無くなります。
 そして、明治時代の到来と共に、一時期、北御堂は明治天皇の仮御所にもなりました。
 又その後、一時期、大病院にもなりました。
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北御堂の門前道路は、御堂筋。
これは、江戸時代からそう呼ばれてきました。
 それが昭和の時代になって、さらに拡張され、『ここに飛行場滑走路でも作る気か!?』と言われるほど、ここに巨大な道路が作られ、大阪市民をあっ!と驚かせました。
又、地下鉄も御堂筋の地下に走るようになったのです。
時代の発展は物凄いものでした。‥がしかし、
つづく 次回、最終回

紙芝居『大阪 北御堂ものがたり』(その2)

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『念仏ロス』になった大阪の町人たちは、集まってお寺を作ろう!と話し合い始めました。
「わしらの力で、お念仏の道場を作るんや!御堂さんを作るんや!」
「‥でも、ほんまに出来るやろか?お金も掛かるでー。」
「やれる!『やってみなはれ!!』の精神や!皆で頑張ろう!」と決まったのでした。
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こうしてお寺は最初、[楼(ろう)の岸]という天満の近くの場所に建立しました。
 さらにその後、[生玉の津村南町]という、現在ある場所に移転しました。
 これが大阪商人の町人の力で作り上げた[北御堂・津村別院]のはじまりです。
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「やっぱりわし等は、御堂さんの鐘が聞こえる所で商売せなあかん!‥もうかりまっか?ぼちぼちでんなぁ」と。
大阪商人はお寺を大事にしました。
 そしてお寺の回りで、多くのお店を開いて行きました。
 こうして、北御堂は江戸時代の経済、文化と共に繁栄していったのです。つづく

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