記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その3)

ファイル 1752-1.jpg
 弥千歳麿は、お兄さんにその事(=父ちゃんカッコ悪いー!って事)を話してみました。
 お兄さんは言いました。
「そりゃ、父上は肥前の国では強くて権力を持っておられる。・・しかし、都のお役人の方が、父より偉いんだよ」と。
 それを聞いて「じゃあ、都の役人が世の中で一番強いんだね?」と言うと、
 兄さんは「違うよ。お役人よりもっと偉いのが天皇さまだよ」と言いました。
 弥千歳麿は「じゃあ、天皇様が一番偉いんだね」と言うと、兄さんは「それも違う。・・天皇様より偉いのが、うーん⁉お寺の仏様っ、うちの宗派だと[大日如来]様が一番偉いのさ。」と言いました。
 すると弥千歳麿は、「兄さんっ、僕は大日如来さまのようになりたい!」と叫んだのでした。 
ファイル 1752-2.jpg
 やがて父が亡くなり、弥千歳麿は、出家することになりました。
 『僕は大日如来さまのように、きっとなってみせる!』と、彼は猛勉強し、京都の仁和寺で出家得度したのでした。
 彼のお坊さまとしての名前は《覚鑁(かくばん)》でした。
 やがて、覚鑁は修行する中で、悟りを開かれた(ある意味、大日如来のようになられた)《弘法大師空海》にあこがれ、20歳で高野山に上がり、さらに熱心に修行に励むのでした。 つづく

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その2)

ファイル 1751-1.jpg
 ・・覚鑁上人。
 幼い頃は、弥千歳麿(やちとせまろ)と呼ばれていました。
 彼は、九州の[肥前の国]=(今の佐賀県)に生まれました。
 父は地方豪族の追捕使(ついぶし)。[今の警察庁長官]で、海賊などをビシバシ捕まえる凄腕であったそうです。
 「父上は凄い!かっこいい!」と、弥千歳麿は大変、父を尊敬しておりました。
 ・・が、しかし、
ファイル 1751-2.jpg
 弥千歳麿は見てしまったのです。
 ペコペコ頭を下げて、カッコ悪い父の姿を。
 それは、父の上役の貴族役員が、都からやって来て、父をしかりつけている所でした。
 その時、父はただただ、ひたすら汗をかいて、あやまっておりました。
 この姿を見た弥千歳麿は、ただもう、たいへんショックでした。
 そこで・・。 つづく

今月は盛況の『寺カフェ』

ファイル 1750-1.jpg

 今月の寺カフェは盛況でした。
 隣町からのお客さんも来て下さり、30名以上の集客となりました。
 会計さんもほっとされて、役員一同ホクホクでした。
 有難うございました!合掌

 

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その1)

ファイル 1749-1.jpg
 平安時代の末期。
 真言宗を開いた『弘法大師 空海』がお亡くなりになって、すでに300年近くが経っていました。
 この時、衰退していた[高野山]真言密教を立て直し、[真言宗中興の祖]と呼ばれたのが覚鑁(かくばん)上人です。
 彼は彗星の如く高野山に登場し、大伝法院を建て、『懺悔(さんげ)の聖者』と呼ばれました。
 又、念仏の教えとの融合も果たしました。
 『弘法大師の再来!』とまで言われますが、あまりに急いだ大改革の為、その反動によってお山を追われることになります。
 この物語は、理不尽な仕打ちを受けても、人を恨まず、自分の理想に生きた一人のお坊様のお話です。つづく
ファイル 1749-2.jpg
(覚鑁上人のお寺:和歌山県[根来寺])

「寺カフェ」と「ほろ酔い交流会」

 月一回行っている[寺カフェ]が好評です。
 ・・で、「寺カフェの[男バージョン]が出来ないものか?」とお声が上がり、今月から、ちょっと一杯やりながら語り合う『ほろ酔い交流会』を始めることになりました。
 ・・と言っても、大したことは出来ません。
 お寺のホールで、男の人を中心に集まり(女の人もOKです。檀家さんじゃ無い人もOKです)、缶ビールやチューハイを飲みながら、語り合おうやないか!という趣旨でやってみるのです。
 『男のもんは、アルコールがちょっと入って悩み事が言えるからなぁ・・。』と色々意見を聞いて、やってみることになったのです。
 すでに、地元老人会との協賛も決まりました。
・・でも、どうなることやら?
・・が、まずは、やってみます! 赤ちょうちんものれんも買おうと思ってます。・・結構、楽しんでいますね。称名
 

信州:上高地に行ってきました

ファイル 1746-1.jpg
一泊二日で、夏の終わりに信州の[上高地]に行って来ました。
 遅いお盆の慰安旅行です。
 松本駅から、高速バスで上高地へ。結構、長旅でした。
ファイル 1746-2.jpg
 標高1500メートルの高地は、肌寒かったです。(長袖にすれば良かった)
ファイル 1746-3.jpg
 ここは、別世界です。
 極楽とは、こんな所なのでしょうか⁉
 二日間、トレッキングしました。
 充電完了です。
ファイル 1746-4.jpg
 ここは、芥川龍之介原作『河童』の舞台。・・有名な河童橋です。
 たくさんの観光客でした。
ファイル 1746-5.jpg
 みんな、暑い夏はこんな涼しい所に避難するんやなぁ・・? 初めての体験でした。

紙芝居:「妙好人 赤尾の道宗」(その10 最終回)

ファイル 1745-1.jpg
 蓮如さまを慕い、お念仏を歓び、お念仏に生きた妙好人『赤尾の道宗』。
 永正13年(1516)、七十才前後?に往生されたのではないかと伝わっています。
 現在、そのお墓は、富山県南砺市西赤尾の[行徳寺]さま境内にあります。 おしまい
ファイル 1745-2.jpg
ファイル 1745-3.jpg
(道宗の墓)

紙芝居:「妙好人 赤尾の道宗」(その9)

ファイル 1744-1.jpg
道宗さんが生涯慕い続けた[蓮如上人]は、明応八年(1499)、85歳で往生されます。
 その二年後、道宗は、蓮如さまとの思い出を胸に、『二十一箇條の心得』を書かれます。
 それは道宗にとって、自分自身への信心の問い掛けであったものでした。
 長いモノですので、・・少しだけ読んでみましょう。(全文、興味のある方はアマゾンなどで探してみてください。まるで、聖書みたいな文章(道宗と阿弥陀さんとの心の会話)も出てきます。道宗の仏への魂の叫びみたいで凄いっすよ。)

 第一条「御生の一大事、命のあらんかぎり、油断あるまじき事。」(意味:命が終わったらどうなるのであろう⁉それを今、しっかりと聴聞しなくてはいけない。油断して聞いていてはいけない!)

 第二条「仏法より他に、心に深く入ること候わば、浅ましく存じ候いて、すなわち、ひるがえすべき事。」(意味:仏法より他に、心に誘惑が入るなら、それは浅ましい事だと思って、すぐ反省し、心を入れ替えるべし!) エトセトラ、エトセトラ‥このような事が書いてあります。 つづく(次回、最終回)
ファイル 1744-2.jpg

紙芝居:「妙好人 赤尾の道宗」(その8)

ファイル 1743-1.jpg
このような道宗さんでしたので、その噂を聞いた隣村のお坊さんが、『一度ためしてやろう!』とやって来ました。
 そして、草抜きをしていた道宗の後ろから、いきなり蹴り飛ばしたのです。(無茶しょるなぁ・・)
 前につんのめった道宗でしたが、何食わぬ顔で、又草抜きを始めました。
 それを見たお坊さんは、もう一度蹴り倒しました。
 しかし前と同じように、草抜きを又始めるのです。
 お坊さんは、「お前さん、なぜ蹴られても怒らんのか⁉」と問うと、道宗は振り向いて言いました。
 「お念仏の教えを頂くと、自分が蛇やサソリのような心で、人様と接していると思い知らされます。・・お宅様にも、どこかで知らず知らず、御迷惑をお掛けしたのございましょう。・・だから、私はこのような目に遭うのでしょう。・・お恥ずかしい事でこざいます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。・・どうかお許しください。」と手を合わせました。
 それを聞いて、このお坊さんは心の底から反省したという事です。 つづく
ファイル 1743-2.jpg
(行徳寺内の『赤尾の道宗記念館』)
ファイル 1743-3.jpg
(棟方の書『南無阿弥陀仏』も飾られている)
ファイル 1743-4.jpg
(日本を代表する版画家『棟方志功』が残した道宗の版画:戦時中、棟方はこちらのお寺に疎開し、道宗を知り熱烈なファンになったという)

紙芝居:「妙好人 赤尾の道宗」(その7)

ファイル 1742-1.jpg
村人A「おいっ、お前知っとるけ?道宗さんはいつでも『お念仏の教えには、修行はいらん!』と言うとるじゃろう。・・ところが、夜にはこっそり、自分だけ[割木]の上に眠る、ヨガの行者みたいな苦行をしとるらしぞ。・・体のあちこちに傷跡があるのを見た者が居るそうじゃ。・・いっぺん、道宗さんを問い質してみようかのう⁉」
 そこで、村人たちは道宗さんの家に向かいました。
 そして、尋ねてみると・・、
道宗「あぁっ見られてしもたか⁉・・確かに、わしは割木の上で寝て居る。
・・が、これは修行では無いのじゃ。・・阿弥陀様がわしのような愚か者でもお救いになる。これは何とももったいない事じゃないか!
・・こんなワシが、夜には、ぬくぬくあったかい布団で朝まで眠てしまう。・・ワシは思ったんじゃ。割り木の上で眠ったら、その痛さで目が覚める。そのたびに、阿弥陀様への感謝のお念仏がこぼれて来る。阿弥陀様のご苦労がほんの少しでも分かるような気がする・・と。
 ワシは阿弥陀様のお慈悲を忘れんが為に、こうして休ませてもろとるんじゃよ。・・ナンマンダブツ。」と、言われたそうです。つづく
ファイル 1742-2.jpg
 愚かな僕もやってみた。
 とても、痛くて長時間出来なかった。
 実際に赤尾村で見たのだが、本当の赤尾の割り木は、もっと太くてデカかった。これより、めっちゃ痛いと思います。
 超人道宗に敬服、南無阿弥陀仏。
ファイル 1742-3.jpg