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紙芝居:『ナニワの浪花千栄子女史』(その5)

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浪花千栄子さん、17歳。
 又、運命が変わる時が来ました。
 それは、突然父親が仕出し弁当屋に乗り込んで来て、お店にいちゃもんを付けて、彼女を辞めさせて、今度は富田林の大きな材木商に(前金を自分がちゃっかり貰って)下働きに出したのです。(※この父親というのが、なかなか曲者の男なのですね)
 が、その材木商のご家族は、大変親切で良い人たちでした。 彼女は、そこで家族同然に大切にされます。
 特にお店の大奥さんには可愛がられ、ここで人の世の愛情や善意などを学んだそうです。
 そして、年季奉公も無事に終り(又、父親がお金をせびりに来る前に)に、彼女はひとりこっそり、あこがれの地『京都』へ旅立つのでした。
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 さて、あこがれの地『京都』に着いたものの、知り合いもいません。
 そこで、口入屋(今の人材あっせんセンター)に行き、『カフェバー』を紹介してもらうのでした。
 カフェバーとは、今のキャバレーのようなものだったそうです。つづく

紙芝居:『南河内が生んだ大女優 ナニワの浪花千栄子女史』(その4)

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 いつしか、浪花千栄子さんが仕出し弁当屋に奉公に来てから、8年が経とうとしていました。
 今では彼女も16歳です。
 ある日、弁当屋の主人に、お化粧をしたいと願いでたら、けんもほろろに「なんや、急に色気付きおって、どつかれんぞ!」と、罵声が飛んで来ました。
彼女は、あまりの悲しさに「死んでやる!」と、お便所に駆け込み、首をくくろうとしました。
 その時いつの間にか、いつも可愛いがっている猫が一緒に入って来て、ニャーニャーと彼女の裾を加えて離さないのです。
 「なんや、お前のせいで気が抜けたわ。死ぬのは今度にしょう。」と自殺は中止しました。
 余談ですが、この時、命を救ってくれた猫に感謝して、彼女は一生猫や生き物を大事にしたそうです。つづく

紙芝居:『南河内が生んだ大女優 ナニワの浪花千栄子女史』(その3)

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大阪で、下働きの女中さんのことを『おちょやん』と呼んでいました。
 浪花千栄子さんが、九歳で女中奉公に出た時、仕出し弁当屋の主から「ええか、お前は今日から『おちょやん』や。おちょやんっと呼ばれたら、『ハーイ』と大きな声で返事せなあかんで!」と云われました。
 そして朝から晩まで、弁当作りの手伝いから、芝居小屋への弁当配達、又主人の子の子守まで、ただひたすら働きました。
 その当時の唯一の楽しみは、芝居小屋への配達だったそうです。
 それは毎日の役者のお芝居が、チラッと見えるからでした。
 彼女はお芝居が好きでした。
 そのうち、彼女は役者の台詞も全部覚えるようになっだそうです。
 この頃から、彼女は女優の片鱗があったのです。
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 朝から晩まで働く彼女の一番辛かったことは、文字の読み書きが出来ない事でした。
 そこで彼女は、いらない新聞紙をため込んで、お便所でそのチラシを出して、一文字づつ覚えたそうです。
 それで、先輩から「おちょやんの便所は長いなぁ。昼寝してんのとちがうか?」と、嫌味をよく言われたそうです。つづく

紙芝居:『南河内が生んだ大女優 ナニワの浪花千栄子女史』(その2)

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 浪花千栄子さんは、貧しい養鶏場に生まれました。
 彼女が五つの時、母が病で亡くなります。
 それで、幼い弟の面倒や家事をする為、小学校にもわずかな期間しか行けず、文字の読み書きが出来ないまま育ちます。
 そして、九歳の時、家の複雑な事情によって、大阪の道頓堀の仕出し屋弁当のお店に、女中奉公に出されたのでした。
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(南河内の風景・金剛山と葛城山)
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(板茂(いたもち)神社・千栄子が通った小学校が昔あった所)
つづく

紙芝居:『南河内が生んだ大女優 ナニワの浪花千栄子(なにわちえこ)女史』(その1)

(はじめに)
 何年も前に、「うちのお寺の近くに、昔、大女優というか⁈怪女優が生まれ育った所があるんやで⁉」と、一人の檀家さんから聞いた。
 ホントかな?と半信半疑ながら、時間を見つけて調べていくうちにそれが事実だと判明して、ご先祖のお墓などお参りさせて頂いた。
 そして、長い時間を掛けて調べていくうちに、段々興味を持ち始め、ついに『紙芝居化』してしまった。
 自伝も探して読み、そして所縁の地の取材もした。
 そう、僕はこの女優さんはテレビドラマ『細うで繁盛記』に出演しておられる時から好きでした。又尚かつ、映画『夫婦善哉』や『蜘蛛巣城』に出ておられる時からファンだったのです。
 それでは、その彼女の波乱の生涯を紙芝居で見て頂きましょう。
 始まり、はじまりー。
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『ナニワチエコでございます。家族みんなで・・○○軟膏。』というテレビCМで一世風靡した大女優、浪花千栄子さん。
 彼女は南河内郡東板持町(現在は富田林市)の生まれで、本名は『南口(なんこう)キクノ』といいます。
 この名前、『虫刺され・やけどに、この軟膏(なんこう)効(き)くの』というダジャレから、このコマーシャル起用になったとか⁈・・・知らんけど(笑)、・・いや、これウソのようなホンマの話なのです。
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(現在の富田林市板持町) 
つづく

観念寺行事.イベント中止のお知らせ

新型コロナウイルス感染の恐れがある為、大事をとって来月の『寺カフェ』、並びに春の『お彼岸法要』を中止することに致しました。
 皆さんの喜ぶお顔が見たいと、行事実施のあらゆる方法を考えたのですが、今回はお寺の総代さん達と決め、断念しました。残念です!

今月の悩んだ、寺カフェ

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新型コロナウイルスの感染が心配される中、寺カフェも中止するかどうか⁈悩んだ。
 自分一人で決められないので、共催している老人会の会長と相談したら、「気を付けながら実施しましょう。」ということになり、お客さんはおそらく、いつもの半分ぐらいか?とコーヒー豆を少ない目に買って用意していると、なんと、いつもより多い30人のお客さんが来て下さり、コーヒーが足らなくて、他の飲み物で我慢して頂いた。
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 理由を聞くと、「今回のウイルス騒ぎで、外に出ることがなく、一日中テレビを見ていて退屈で・・。ここにきたら知り合いに会えるし、情報も入ると思って来ました」と言われた。
 アルコール消毒や布巾の熱湯消毒やら、万全を期して臨んだ寺カフェでしたが、皆さんの喜ぶお顔が見れて、実施して良かったです。合掌

観念寺『編み物教室』開催

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観念寺の門徒さんが、ボランティアで講師を務める『編み物教室』を実施しました。
 今回制作するのは、[マフラー]です。
 皆さん、真剣!・・めっちゃ静かな教室でした。
 この真冬に間に合うかな⁉

浪花千枝子さんの紙芝居制作、取材中

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(富田林市:板持町)
 今、地元の大女優『浪花千栄子』女史の紙芝居を作っている。
 彼女が生まれ、幼少期を苦労しながら育った、隣町の富田林市(西.東)板持地区を、うちのお寺から散歩がてらに歩いて取材している。
 彼女の自叙伝『水のように』を読みながら、歩き回っているのだが、つらく苦しい幼少期を過ごされたので歩いていても辛く感じてしまう。
 幼いころ母が亡くなり、極貧の生活を必死で生きられたのだろう。
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(板茂神社)
 彼女が小学校に通ったのは、わずか二か月。
 この神社の奥に昔、小学校はあったらしい。
 この板持地区を九歳の時に離れてからも、まだまだ苦労はつづく。が、自叙伝の中でも書いておられるがここから見る金剛山や葛城山の風景は今も本当に美しい。
 彼女の唯一の隠れ場所であったこの地区の竹藪から見たこの山々の風景は、僅かながらも彼女にこころの安らぎを与えたに違いない。
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残念!本山参拝バス旅行の中止

今月に予定しておりました、本山参拝バス旅行が、新型ウイルスの予防の為、中止になりました。
 『西本願寺を参拝して、昔からのお寺が伝承してきた七不思議をみんなで探しましょう!』と題して寺報で宣伝し、参加者を募集し、企画してきたものですから本当に残念です。
 ・・でもこれは仕方のないことだと思っています。
 又、この嵐が去ったら、新しい旅行を企画いたしましょう。