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坐骨神経痛、その後・・

コロナ禍の最中に、坐骨神経痛になり少々苦しんだ。
 仕事柄、長時間座っていたのが原因かもしれない。
 又、紙芝居を描いている時間が長かったのも、良くなかったか?
 まぁ、それである日を境に、布団から起き上がれなくなってしまった。
 これはいかん!と思い、整骨院に通いつめ、お灸、ハリ、マッサージと治療してもらって、ようやく痛みがとれた。
が、整骨院の先生はいつ痛みが再発するかわからないので、なるべく山道などウォーキングして、運動不足を解消してリハビリしなさいと教えて下さった。
 それで今、少し時間が出来たら、なるべく山道を歩いて鍛えている。
 私の住居は田舎なので、周りにハイキングコースが多いのです。
 今は二上山の登山を、三日に一度行き、頑張ってます。

透明マスク、装着

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 紙芝居法話の再開に、普通のマスクでは声の通りが鈍くなる・・ような気がする。
 そこで、この度[透明マスク]を買い、装着して紙芝居を始めることにした。
 マスク効果は、半分以下になるような気がするが、自分の飛沫は飛ばさずにはすむ。
 又、暑さも抑えられる。
 さて、いつまでマスク着用が続くやら・・。
 でも気分は、キャシャーンの戦闘モードです!
 

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その9・最終回)

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ペスト禍の翌年1666年、ロンドンは大火事に見舞われた。
 この火事によって、ロンドン市内の住宅の85%(13200戸)は、焼失した。
 が、幸いな事に、(これだけの大火事の割には)死者は少人数であった。
 のち、ペストの原因とも言われたネズミも、この大火災で死に絶えこの伝染病が収束したと言われている。
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 そして、このペスト伝染病の恐怖は終わり、平穏な暮らしにどうにか戻った。
 が、私はこの伝染病というものは、滅びたのではないと思っている。
 ただ眠ってくれているだけだ・・と思う。
 おそらく、いつか又形を変えて、人間世界で目を覚ますに違いない。
 その時の為に、私はこのイギリスロンドンで起こった事を、後世の人々に(我々がこの伝染病に対して行った精一杯の(愚策ともいえるかもしれないが)対策や事件などを)記録した。
 後世の人々よ、どうかその時が来たなら、その時代の智恵を出し合って、試練をどうにか乗り越えて欲しい!
 おしまい

 終わりに
 イギリスにも行った事が無い人間が、この国難とも言えるコロナ禍に、何か、紙芝居でお役に立てないだろうか?と大急ぎで資料を集めてこの紙芝居を作りました。原作は『ペスト』という長編です。この機会に一度読んで見て下さい。
 それと、うがい、手洗い、マスクを忘れずに・・。

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その8)

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 が、このような状況下、悪いことばかりでもなかった。
 それは、このロンドンのベスト禍の噂を聞いたイギリスの地方の町から、たくさんの義援金や必需品が送られてきたからだ。
 これによって、ロンドンでは一人も餓死者が出なかったのである。
 又、余談になるが、有名な科学者アイザック・ニュートンもこの時のペスト禍の渦中にあり、ロンドンから田舎に避難・疎開していた。
 そこで引きこもりながら、リンゴの落ちるのを見て?万有引力の法則を発見している。
 後日、ニュートン自身がこの時の(自粛)疎開が無かったら、万有引力を発見できてなかったと述べている。
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 このペスト大流行の悪夢の年(1665)の冬近く、なぜか、その流行が収まって来た。その死者の数も減ってきたのだ。
 その理由は今もわからない。
 それは、神様の思し召しなのか?、あまりに人が亡くなったので人口が減り、密しなくなったせいか⁈、自然治癒力が増加して来たからか⁈
 ただ、ペスト禍が去ったという噂は、直ぐ各地方に広がった。
 その噂を聞き、避難していた貴族たちが、我先に帰って来た。が、これが良くなかった。
 警戒心の無い生活にすぐ戻ってしまい、二次感染、三次感染ブームが起こってしまったのである。
 ・・が、それもあまり大きくならず、徐々に感染は少なくなっていった。 つづく

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その7)

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このような不安な世情であったので、その不安をもっとあおろうとする占い師や、おかしな魔術師、・・又、インチキ薬を売って、もうけようとする偽医者も現れた。
 そしてここにも、怪しげな裸の男が・・、
「わしは神じゃー!あの星を見よ!あれはこの世が滅亡する予兆なのじゃー。
 しかし、ワシの弟子になれば必ず救われるぞ!
 さぁ、全財産をワシの教団に寄進せよー。そしてワシの弟子になるのじゃー!」と叫んでいた。
 このような怪しげな宗教に入信し、救いを求める者も決して少なくなかったのだ。
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 又、市議会の行政は、すべての犬・猫などの小動物の駆除の法令を発令した。
 それは『これら小動物は、毛の中に悪い菌をくっつけて感染を広げているかもしれない』という医者からの勧告に従う理由からであった。
 こうして、駆除された犬が四万匹、猫は二十万匹、又ネズミなども大量に駆除されたのだ。 つづく

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その6)

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 この大穴の中に遺体を埋葬する。
「こんな大きな穴を掘る必要はあるのか?」と私は思った。
 が、あっという間に穴は遺体でいっぱいになってしまった。
 ある日、私は埋葬人に聞いてみた。
「あんた達は感染しないのかね?」と。
すると彼は、「ワシらの仲間でも感染して亡くなった者が、多くいますよ。が、ワシは毎日ニンニクを食べ、お酢を頭にかけて絶えず湿らしているので、大丈夫なんですよ。」と。
 不思議な事だが、こういう事でペストに感染しない者もいたんだ。
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 ロンドン市議会は、このような非常事態に感染拡大を防ぐ為、人が集まる酒場や芝居小屋の営業を禁止した。(いつの世も同じ)
がしかし、(いつの世も、こりゃ又同じ)行政に逆らうものが居た。
 この酒場でも、毎晩こっそり営業をしていた。
「こんな楽しい事、やめられまへんで!アルコール消毒や!」
「ペ、ペ、ペストなんか、怖くない怖くない。」
「人間一度は死ぬんや。あの世に行ったら、神さまに文句を言うたんねん!」と、関西系のイギリス常連客達は毎晩、酒を飲み騒いでいた。
 がある日、その中一人が感染し、あっという間に皆、亡くなったという事である。つづく
 

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その5)

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「死体は無いかーい、チリンチリン。
 死体は無いかーい、チリンチリン。」
と、真夜中になると連日、死体運搬人が鐘を鳴らして、リヤカーで街を回る。
「おーい、止まってくれー。
 この家の住民も今日、みんな亡くなったんだ。遺体を窓から下ろすので手伝ってくれ!」と、一人の監視人が叫んだ。
 そして、二階から毛布に包まれた遺体が何人も下ろされてきた。
 このような光景は日常茶飯事であったんだ。 
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 そして、リアカーは遺体を乗せて、街外れの墓場近くの大穴の場所まで来た。
 この穴に遺体を(葬式もせずに)埋葬するのだ。つづく

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その4)

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 一般市民は、貴族のように街を脱出できなかった。
 そんなゆとりはなく、家族の為にペスト感染の恐怖と戦いなから、働かなければならなかったからだ。
 それで、益々人から人への感染が広がり、多くの人が亡くなった。
 仕方がなかったのだ。
 それを見た行政は緊急会議を開き、新たな感染防止の為の法令を発令した。
 それは
「ペストに感染した者、並びのその家族、女中は、家からの外出を一切禁止する!」というものであった。
 又、その為に、行政は監視人も24時間付けて、その家を見張りつづけるという念入りの入れようであった。
 残酷な方法だが、市民を守る為には、これは仕方のない事だったのだ。(自宅封鎖やねぇ。ロックダウンやなぁ)
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 ペスト感染者とその家族の、強制自宅隔離が始まった。
「誰かーっ、助けてー!ここから出してー」と、窓から感染者家族の声が聞こえる。
 しかし誰もどうしようもできなかった。
 感染者家族の食事は、監視人が用意してはこんでくれる。
 が、この外出禁止令は、家族にとって絶望でしかなく、自殺するものも多く出た。
 そして、この監視人であるが、辛い仕事なので希望者が少ないと思いきや、ペストのせいで不景気となり失業者が多くでて、監視人希望者にはそう困らなかったそうである。つづく

紙芝居:「1665年ロンドン伝染病の記録」(その3)

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ペストの大流行によって、路上でバタバタと人が倒れ、亡くなり出した。
 それを見た大金持ちの貴族達は、ロンドンからの脱出を試みた。
 家族や女中を連れて、財産を馬車に乗せて、郊外の別荘などに逃げ出したのである。
 又、別の金持ちなどは、食料などの必要な物を大量に買い込んで、屋敷の中に閉じこもり、家から一歩も出なかった。(17世紀スティホーム)
 又、水の上は大丈夫だと、船をチャーターして避難した者たちも多く居た。
 お金持ちは、このような事が出きたのである。
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 がしかし、一般市民はそうはいかなかった。つづく

 

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その2)

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 そもそも事の発端は、昨年(1664)の秋、海の向こうの隣国オランダで「伝染病ペストがどうやら流行り出した」という噂が流れてきたのが始まりだった。
 そして、わが国イギリスでも昨年の冬、二人の市民がペストで亡くなった。
 が、ロンドンの街の人びとはまだ楽観視していた。
 そして1665年の今年、春の終わりごろから猛烈な勢いで、このペスト患者が出だした。
 この病は感染すると、発熱などの症状があらわれて、放置すれば60パーセントの確立で死亡してしまうのだ。
 我々はこの目に見えない伝染病に、対抗手段もなく、当時としては『神に祈る』しか方法がなかったのである。つづく