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今年も沙羅双樹(夏椿)が、咲きました

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 今年も沙羅双樹(さらそうじゅ)=[日本名は夏椿]が咲きました。
 平家物語曰く『沙羅双樹のはなの色、盛者必衰のことわりをあらわす・・』。
 一夜で、散ってしまいます・・が、美しい花です。
 眺めていると、なぜか人の人生を想います。
 人の人生も、地味でも良いから、健気に美しく咲きたいものです。
そして、去るときは潔く散りたいものです。

泉北郡忠岡町:『永福寺』さまの永代経法要

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 昨日、泉北郡忠岡町の浄土真宗『永福寺』さまにお招き頂き、「紙芝居法話」に行かせて頂いた。
 写真を見て頂いて、驚かれる方も有ろうと思うが、こちらは、[お寺]と[医院]が引っ付いている。
 今の住職のお父様が、お医者さまとお坊さんを兼任されていたそうで、ちょっと面白い光景だ。(今はお父様が医院長をされ、御子息が住職をされている。)
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 又、境内には『大阪緑の百選』に選ばれた巨木『いぶき五株』があり、歴史を重みを感じさせるお寺だ。
 この巨木は、木曽義仲の家臣が植えたらしい。
 かつては、ここのご先祖様は、楠木正成の挙兵に賛同し、共に戦ったそうだ。
 正成が戦死したので、自宅を天台宗のお寺に改築し、菩提を弔ったが、蓮如さまの来院により、今の浄土真宗に転派されたそうだ。
 そんな歴史的なお寺で、『紙芝居』をさせて頂いたことを光栄に思った。 合掌
 

『赤尾の道宗(どうしゅう)』を訪ねて~富山県五箇山へ(後編)

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(割木の上に寝る赤尾の道宗像:割り木の数は本当に48本なのか?と数えたら、44本までしか数えれなかった。・・小さい割り木を数え忘れたか?)
 在家で、身も心も仏法そのものになった人間のことを、浄土真宗では『妙好人(みょうこうにん)』という。
 赤尾の道宗さんも、その一人なのだが、僕には疑問があった。
 [道宗(どうしゅう)]と言う名は『法名』である。
 俗名は、[弥七(やしち)]という。
 おおざっぱではあるが、妙好人の呼び名は『大和の清九郎』とか、『因幡の源左』とか、[俗名]で呼ばれているのが多い。・・が、『赤尾の道宗』だけは[法名]で呼ばれている。
 本当に、仏門に入っていなければ、『赤尾の弥七』であらねばならない。
 だけど、『赤尾の道宗』なのだ。
 それを、坊守さんに尋ねてみた。「道宗さんは、本当に出家していなかったのか?」と。
 すると、「・・おそらく、最後まで世俗のままで過ごされたと、私は思います。日常は百姓をされ、空き時間に、自分の家を道場として、お念仏の教えを村人に説かれた熱心な門徒さんだったのだと思うのです。・・道宗という法名で呼ばれるのは、親しみと尊敬を込めてだと思うのですよ。」と坊守さんは言われた。
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(棟方志功作『赤尾の道宗報恩の像』の版画)
 又、道宗さんが書き残された『心得二十一箇條』という物を読むと、僕はどうしても、道宗さんは武士に思えるのだが、そこんとこも聞いてみると、坊守さんは「私も道宗さんは、心はお武家だと思いますよ。」と言われた。
 こんな話を延々とした。詳しくは、又紙芝居で描くとして、もう一つ、面白い話は、やはり『わだばゴッホになる』で有名な[棟方志功]さんが、道宗さんの大ファンであった事だ。 棟方さんの作品が、こちらのお寺にはたくさん在るのだ。
 その割り木の上で寝る道宗さんの版木の本物が、こちらにあると聞き、じっくりと見せて頂いた。
 「棟方志功さんと赤尾の道宗さん。・・変わった所が、何か似ている?」とつぶやいたら、坊守さんに「あなたも似て張りますよ」と笑われた。
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(右:道宗の墓)
 「ダムの建設で、道宗さんのお墓もお寺の境内に引越しました。大きなお墓でしょう。」と言われた。
 僕は「道宗さんに、何か似合ってないような感じですね」と言ったら、「この村は、道宗さんで盛ってますから。お墓の大きさは、村人たちの自慢なのでしょうね」と言われた。
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(菅沼合掌造り集落)
 宿泊は、お寺の前の旅館『赤尾館』で一泊し、次の日は、『世界遺産 合掌造り集落』を見学した。
 又、ここでも、道宗さんが蓮如上人にお会いする為に、雪の中を超えて行った道を見学した。
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(蓮如上人も道宗さんも乗った[籠の渡し])
 そして、その時、道宗さんが川を越える時に何度も乗り、蓮如上人に会いに行かれたという《籠の渡し》を見学した。
 これは、蓮如上人も乗られたという伝説がある。
 昔の人は、凄かったんやなぁ・・と改めて思った今回の旅行でした。 

『赤尾の道宗(どうしゅう)』を訪ねて~富山県五箇山へ(前編)

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(JR金沢駅)
 一泊二日で、[妙好人]のスターター『赤尾の道宗』を尋ねる旅行に行って来た。
 大阪駅からJRサンダーバードで[金沢駅]へ。
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(高速バス:五箇山[ごかやま]菅沼停留所)
 さらに、そこから高速バスで富山県の『世界遺産:五箇山(ごかやま) 菅沼(すがぬま)合掌造り集落』へ。
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(西赤尾:浄土真宗『行徳寺』さま)
 さら・らに、そこからタクシーで[西赤尾]の(道宗さん誕生の地)行徳寺さまに行く。
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(行徳寺本堂と(合掌造りの)庫裡)
 午前7時に家を出たが、こちらに着いた時には、もう午後の3時前。・・へとへとだ。
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(行徳寺の坊守様)
 でも、こちらでお優しいお寺の坊守様が待って居て下さって、疲れが吹っ飛んだ。
 次の紙芝居『赤尾の道宗さん』について、たくさんお聞きしたい事があり、(お名前もそのまま道宗)坊守様のお話を食い入るように聞かせて頂いた。(又、失礼を承知で、一杯、質問させて頂いた)
 なんせ、こちらのお方が、室町時代から続く、本家ホンモノ『赤尾の道宗』さんの御子孫を継ぐお方なのだから・・。
 それはまさに生きた(真宗の)世界遺産のお方であった。つづく
 

今月の[寺カフェ]

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 今月の[寺カフェ]は、25名のお客様が来て下さり、満員御礼で有難かったです。
 コーヒーの粉も、足らなくなるという、開店以来の(珍)事が発生し、お客様に御迷惑をお掛けしました。(又、しばらく、お寺ホールのコーヒーの香りは抜けないやろなぁ・・。)
 檀家様だけではないお客様も増え、ホンマ有難いことでした。
 いつも、ご協力いただいている観念寺仏教婦人会のボランティア様、有難うございました。合掌

紙芝居:「策伝さんの『醒睡笑(せいすいしょう)』」(その4 最終回)

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「さぁ、困ったなぁ・・。
『たいらばやし』さんか?
それとも『ひらりん』さんか?
はたまた『いちはちじゅうのもくもく』さんやろか?
それとも『ひとつとやっつでとおきっき』さんか?
 せや、これみんな言うて歩いたろ!・・そしたら、誰ぞ親切な人が、『定吉どーん、こっちでっせー。』と教えてくれるかもしれん。
 よっしゃ、大きな声で言うてこましたろ。・・『たいらばやし』さーん、『ひらりん』さーん、『いちはちじゅうのもくもく』さーん、『ひとつとやっつで、とおきっき』さーん。
・・・なんか、おもろなってきたな。・・せや、歌にしたろ!
『た~いらばやし』か、『ひらりん』か~。『いちはちじゅうの~もっくもく~』、『ひとつとやっつで、とおきっき~』。たーいらばやしか・・。
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 その時、その大きな声を聞いたホンモノの『平林(ひらばやし)』さんが現われました。
 「なんや、けったいな歌を唄て・・。誰かと思たら、定吉どんやないか⁈」

 「あれま、本町の『ひらばやし』さん。???
・・ちょ、ちょっと待ってくださいや。
 『たいらばらし』?・・『ひらりん』?・・
 おしいっ!
 あんたには、用はない。」
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 さぁ、どないでしたか?
 このように、私が書きました『醒睡笑』には、おもろく、(無理な)教えもちょっと入れ、そして『落ち』でまとめて、全一千三十九作の小話に、仕上げましてんで。
 この手法が、のちに芸能『落語』へと変わり、わてはいつしか、『落語の祖』と呼ばれるようになりましたんや。
 さて、そろそろ終わらなな。
 それでは、最後は掛詞(かけことば)で、まとめさいてもらいまひょ。

『策伝落語と掛けまして、策伝が終生愛した[椿(つばき)]の花とときます。
 その心は、
 どちらも、落ちて、麗しい。』 おそまつ

紙芝居:「策伝さんの『醒睡笑(せいすいしょう)』」(その3)

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そこで、丁稚の定吉どんは、手紙の[宛名]を、人に聞く事にした。
 「あの~ごりょんはん、すんません。ちょっとお尋ねしますが、この宛名、何て書いてありますの?」
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「へぇ、・・この上の字は『たいら』。下の字は『はやし』やね。つまり、この名は『たいらばやし』どすわ。
 ・・でも、間違うとったらあかんので、あそこの御隠居さんに聞いてみなはれ。」

 「へーい、おおきに。・・あの御隠居さんやな。
 あのー、この宛名は何と読みますんやろ?」

「何々、ふむふむ。・・この上の字は『ひら』やな。下の字は『りん』と読むんやな。・・つまり、この宛名は『ひらりん』さんや。」

 「へーい、おおきに。・・何や『ひらりん』さんか⁈・・あっ、あそこにもう一人御隠居さんが居てはる。聞いてみよ。・・すんまへん、この宛名、何と読みますんやろ?」
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「ふむふむ、・・これは『ひらりん』と読むのではない。
 分解するのや。
 ええか、上から『いち』、『はち』、『じゅう』と読む。
 下は木が二つで『もく・もく』や。
 つまり、『いち、はち、じゅう、の、もくもく』さんやな。わかったか?」

 「へーい、おおきに。・・なんや、ややこしなってきたな。・・もう、ついでや、あの御隠居さんにも聞いてみよ。あの~、この宛名、何と読みますんやろ?」

「・・これはな、『いち』と読んではいけません。『ひとつ』と読むんやな。つまり、『ひとつ』と『やっつ』で『とお』と読み、下の字は『きっき』と読むんやな。わかりましたか。」

 「へ~い、有難うさんです。ところで、その『ひとつとやっつで、とおきっき』さんの家を知りまへんか?」

「そんな、家。聞いたことないなぁ。・・それ日本人か?」

「へぇ・・?」  つづく

紙芝居:「策伝さんの『醒睡笑(せいすいしょう)』」(その2)

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 私の僧名は[策伝(さくでん)]と言います。
・・が、自称、つまり今でいう芸名みたいな、ペンネームみたいなモンは、『平林 平大夫(ひらばやし ひらだゆう)』と言いましてん。面白い名前でっしゃろ⁉
 この名前をなぁ、『たいら・ばやし』と読んだり、はたまた『ひら・りん』と読んだりする、ムチャクチャな(ワシより)おもろい坊さんがおったんや。・・ちゃんと『醒睡笑』に書いた、ホンマの話やで。
 それを、『とかく、当て推量では、何も当たらんねんでぇ』と、ちょっとした[教え]を入れて、ワテが小話にしましたんや。
 それが後世、『平林』という[上方落語]の名作に変わりましたんや。
 どいつや、ワテの名前をネタギャグにした奴は⁉ワハハハッ。
 では、今回は『上方落語バージョン』で小話を聞いてもらいまひょか。はじまり、はじまり~。
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 ここは、大阪のとある大店。
 主人が、丁稚を呼んだ。
「お~い、定吉。」

「へ~い。なんでんのん、旦那はん。」

「おぉ、お前は返事が大きいのがええ。ちょっと本町まで、使いを頼む。・・ええか、この手紙を『平林(ひらばやし)』さんに、渡してほしいんや。わかったか⁈」

「へ~い。」

「ホンマにわかったんか⁈」

「へ~い。」

「・・ほな、家の敷地の目隠し壁は何や?」

「へ~~い、塀~。」

「おほんだら!はよ、行ってこ~い。」

「へ~~~い。」

「大丈夫かいな⁈」
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「なぶったった。ああっおもろ。
 あっあっあかん⁈ 笑とったら、肝心の手紙の名前を忘れてしもた。困ったなー。ワテ、文字を読まれへんし・・。
 あっ、あそこに、ぎょうさん人がおる。聞いてみたろ。」
 つづく

紙芝居:「策伝さんの『醒睡笑(せいすいしょう)』」(その1)

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 「やぁ、みなさん、こんにちは。
 安楽庵(あんらくあん)策伝(さくでん)でおます。
 これから、私が書きました[落語]の基になりました『醒睡笑(せいすいしょう)』という本の中から、二つ、小話を聞いてもらいまひょう。
 きっと皆さん、『あぁ、それ、聞いたことある!』と思いはりまっせ!
  ・・そやそや、これも言うとかな。
 この書物『醒睡笑』は、『眠りを覚まして笑てまう』という意味があるんでっせ。
 又、本のネタは、ワテが小僧の頃から、耳にした[おもろかった話]を、メモした物なんです。まぁ、それをまとめてこの本にしましてん。
 では、一本目。『星取り竿』の小話のはじまり、はじまり~。
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 あるお寺の話です。
 夜更けに、庭の中で、長竿を空に向けて、振り回してる小僧がおりました。
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 和尚がこれを見て、「おまえ、長竿持って何してんねん?」と聞いたんです。
 小僧は「夜空の星を取ってるんです。・・でも、竿で叩き落そうとしても、中々落ちてこないんです。」と答えました。
 それを聞いた和尚。「さてさて、ドンなやっちゃ。そこからではとどかんぞ。」と言いました。
 「はぁ?」と小僧。
 そして、和尚は一言。
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 「屋根上がれ!」。
  
 こんな、話でんねん。

 弟子も弟子なら、師匠も師匠。
 これ、戦国時代のワテが見聞きしたホンマの話でんねんでぇ。
 ・・でも、これで終わったら、仏の教えが無い。
 わては『醒睡笑』の中で、最後に言いました。
 
『師匠の教えは、ホンマ有り難いもんや。』と・・。

 こっちの方が、ホンマの落ちみたいやなぁ。 つづく

親の仕事

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(披露宴会場:堺筋倶楽部)
六月三日、息子が結婚した。
 式と披露宴は、元銀行を改造したレトロな会場『堺筋倶楽部』である。
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 これが、最後の親の仕事か?。
 今年の三月に娘が式を挙げ、六月に息子が結婚し、これで親の仕事も一段落じゃ。
 寂しいと云うより、一安心と言う気持ちの方が大きい。
 子供たちの幸せそうな顔を見るのが嬉しかった。
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 披露宴では、息子がバイオリンを弾いて、ジブリファンの嫁が(カントリーロード)の歌を唄い、友達たちが演奏してくれて、会を盛り上げてくれた。(「おっお前たち、自分たちの結婚式で自分が唄い演奏するんかいっ⁉」と突っ込むと、『ハイッ!』と言われた。[笑])
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 宴での僕の最後の仕事は、スピーチが待っていた。『あっわわわっ、あの~その~』とならないように、ちゃんと(超短い)原稿を書いてゆっくり読んだ。・・一安心。最後嫁がご両親に手紙を読み、そして息子が挨拶して〆た。
 あー、今年のビックイベントがようやく終わった!
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 これは息子の嫁が描いてくれた僕の似顔絵。・・嫁はこんな仕事をしているのだ。似てますか⁈