住職のつぼやき[管理用]

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東京からのお参り

 おととい、東京都にお住まいのうちの檀家さん親子孫(三世代)が、お寺にお参りに来られた。(お住まいは東京都だが、ご先祖のお墓は南河内〔うちの寺の近く〕にあるのだ。)
 それで、皆での〔お墓参り〕は何年かぶりなのだそうで、又、お孫さん(小学三年生)にいたっては、初めてのお墓参りなのだそうだ。(墓参りデビューおめでとう!)
 なぜ、また急にお墓参りを思い立ったかというと、それは〔東日本大震災〕の影響の為との事で、仕事場のビル内で今までにないような大きな揺れを感じ、初めてそこで〔死〕を意識されたらしい。(若いお婆ちゃんの談である)
 そして又、計画停電の実施もあり、暗闇の恐怖体験も重なって、ご先祖さまに、又、自分たちのお寺に一度皆でお参りをしておかなくてはと思い立ち、この日の〔お参り〕の実施になったという事である。(最近、そのような方が多い。・・ひょっとすると、大きな災害の後の神仏に祈ろう、縋ろうという気持ちは、平安時代から何も変わってないのかも・・。)
 さて、この小三のお孫ちゃんがジュースを飲みながら、僕に言った。「計画停電っていうのに、計画通りに行われないんだよ。突然の中止も多くて、じゃあ今日も中止かなって思ってたら、突然、30分遅れで、全部、灯りが消えちゃうんだよ。信号機も消えたままで、自転車で外にゆくのが恐いんだ。だから、その時は、家の中でずっとじっとしてるんだよ。」と言った。
 僕は「早く、そんな停電計画が無くなるといいね」と言うと、「うん」とだけ言って、突然立ち上がり、お寺の畳の上を走り回りだした。
 「ストレスたまってるんや」と思った僕は「思いっきり、走り回りってもええよ」とだけ言って、お茶を飲み干した。
 

西本願寺「日曜講演」『願いと救いを絵に込めて 紙芝居法話15年』

ファイル 673-1.jpg(本願寺総会所)
 先ほど、京都:西本願寺の『日曜講演』へ、「お寺の出前」が「お寺へ出前」に行って来た。
 (東日本大震災の影響もあり、)今年の春から始まる『親鸞聖人750回大遠忌法要』の準備は、粛々と行われていたが、参拝の方の人数は多かったような気がする。
 やはり、このような時期だからこそ、是非、お寺参りをしたいと思われるのかもしれない。
ファイル 673-2.jpg(ヤン坊マー坊天気予報みたいな僕)
さて、今年の本願寺での僕の出し物(紙芝居の演目)は、「稲むらの火」であった。
 実は「稲むらの火」ではなく、大遠忌を記念して「親鸞聖人の物語」をテーマにして、紙芝居をしようと考えていたのだが、大震災があったので、急遽この演目に変えさせてもらった。 
 そして本願寺でも〔震災義援金〕のお願いをしてきた。
 反響があったので、結果的にこの演目で良かったのかもしれない。
・・が、僕の本音としては、『大遠忌』を記念し、ちょっぴり『親鸞聖人のおはなし』もやりたかった。・・が、それは又、別の機会があれば・・としよう。 
ファイル 673-3.jpg(大遠忌準備中の西本願寺)

募金宣伝用「紙芝居」

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 募金というものは、箱を置いとくだけではなかなか入れてもらえない。
 やはり、人間が直接、声を上げた方が入れてもらいやすい・・ようだ。
 ・・で、僕は、このHPでも先月発表した〔津波の紙芝居〕『稲むらの火』を、今、お寺や福祉施設などでやらせてもらって、災害募金の協力をさせてもらっている。
 つまり〔募金宣伝用紙芝居〕法話という訳なのだ。
 名目などどうでも良いのだ。つまり、『募金をしよう』という意識を、皆さんにちょっとでも持ってもらえたらそれで良い。
 今、たいてい、どこの施設やお寺などにも『募金箱』がある。
 どんな形にせよ、少しでも震災復興に協力できたらと思っている。
 
 

お葬式での出来事

 今まで、何百回となく『お葬式』をさせて頂いてきたが、さすがに昨日のお葬式最中の出来事は驚いた。
 それは、こうだ・・。
 読経が始まり、10分ほど経った時の事だった。
 突然、僕の真後ろで、「誰か、救急車、救急車を呼んで!・・お父さん、しっかりして!」と、叫び声が上がった。
 僕は読経を止めて後ろを見ると、故人のご兄弟の男性(60才ぐらいか?)が、隣の奥さんにもたれ掛り、目を見開いたまま口を開き、息をしてるかしてないか、ピクリとも動かない。・・意識がないのだ。
 「脳梗塞や!」と僕は思った。
 親戚の皆は「動かしたらあかん。職員さん、布団か毛布を持ってきて!」と声を上げ、葬儀社職員はあわてて外へ飛び出し、急いで簡易ベットと座布団を持って来る。
 皆でそっとその男性をそこに寝かし、ネクタイとベルトを緩め、奥さんは声を掛け続けた。
 娘さんは「どうして、こうなるのー」と泣き出し、僕は「落ち着いて。呼吸してはるから大丈夫や」となだめる。
 すると、男性の意識が急に戻った。
 そして、「わし何してたんやろ?・・皆どうしてん?」と言い出した。奥さんはそれを聞き、状況説明をされた。
 「・・寝不足やから、わしは大丈夫や。」と男性は言って起き上がろうとしたが、皆が口をそろえて「それは違う違う!寝とき」と促す。
 その時、救急車が来て、タンカが運ばれ、男性は皆に手伝われて外へと運ばれた。
 そして会場は又、落ち着きを取り戻した。
 僕は「そや、お葬式の続きをせな、いつまでたっても終らんわ」と思い、急いで職員たちと一緒にパイプ椅子を元通りにして、続きから読経をはじめる事にした。
 しかし、司会者も居なくなり、若い女性職員は呆然としたままだったので、僕はとっさに「司会も、僕が一緒にやりますから」と言って、自分で「はい、皆さん、ここで合掌、お念仏をお願いします」と葬式ナレーションを独自に読経の間に入れ、なんとか無事、お葬式を終えた。
 まぁ、こんな事をゆうちょうに書いてると言う事は、この倒れられた男性が、昨日の晩、無事に病院から元気に帰って来られたからなのだが、ほんまに、一寸先は何が起るかわかりまへんなぁ。
 みなさんも、ご用心、ご用心。
  

旅の雑誌『ノジュール』に載りました

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 JTBパブリッシング社発行の(団塊の世代向きの)旅の雑誌『ノジュール』4月号に、「お寺の出前」の記事が紹介されました。
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 その内容は、『今あらためて注目される親鸞の人間像に迫る!』というミニ特集の中の、さらに〔おまけ〕のようなコーナー(他に紹介されたお寺さま、失礼!)《教えをもっと身近に! お寺以外に広がる語り場》というコーナーに掲載されたわけなのです。
 この大震災で、日本中は今、大混乱していますが、ちょっと息抜きしてコーヒーブレイクタイムのように、パラパラッと見て頂ければ幸いです。
 また、この記事を読んで下さいました一般読者さま、どうぞ、遠慮なく、南河内にある『紙芝居の寺 観念寺』まで、一度お参りくださいましたら、尚幸いです。合掌

紙芝居:「実録 稲むらの火 (津波編)」 後編

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(浜口梧陵(ごりょう))「みんな、急げ!急げ!」
(村人)「梧陵のだんなぁ!松明(たいまつ)持って、いったい何をされるんですかい?」
(梧陵)「稲の束、つまり〔稲むら〕に火をつけるんだ!」
(村人)「えっえっえっ?!」
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(梧陵)「よいか、〔稲むら〕は大切な肥料じゃ。・・しかし、人の命の方がもっと大切じゃ!
 この火は、津波で沖に流された者に、この高台を示し、陸地を示す《命の火》なのじゃ!
 さぁみんな、〔稲むら〕に火をつけよ!」
 そして、燃え上がる〔稲むら〕に梧陵は祈りました。
「どうか、どうか、海で彷徨う者が居るならば、この炎を見つけてくれ!
 そして何とかして、ここを目指して帰って来ておくれ!」と。
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 一方、海に流され、どちらが陸地か解らず、暗闇の中を呆然と彷徨う者たちが、やはり居りました。
 そして彼等は、この炎を見つけ叫んだのでした。
「おおっ、火だ!・・あちらが陸地だ。あの火を目指せば陸地に戻れるぞ!・・みんなっ、何とかして、あそこを目指そうぞ。そうすればわし等は助かるぞ!」と。
 こうして、結果的に九人の村人が助かったと伝わっております。
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 さて、助かった村人たちは、次の日、梧陵を囲みお礼を言いました。
(村人)「旦那さま、ありがとうごぜえました。おかげで、命拾いいたしました。
 あの〔稲むらの火〕は、わし等の《命を救う炎》でございました。
 この御恩は一生、忘れません!」と。
 それに対し、浜口梧陵は、
「うん、大地震の後には、必ず津波が来るという言い伝えがあるんじゃ。
 これは、ご先祖様のおかげじゃな・・。
 さぁ、それよりみんな、今からが大変じゃぞ。この村を復興させねばならんからのぉ。みんな、さぁ頑張ろうぞ!『頑張ろう!日本!』」・・と、この時、梧陵が言ったかどうだか?・・が、今の日本と同じような気持ちであったには、違いありません。
 『稲むらの火(復興編)』につづく・・。 おしまい
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 上の写真は、現在の和歌山県有田郡広川町にある『浜口梧陵』のお墓である。
 僕が、この地を訪ねたのは、昨年(平成22年)の夏の終わりであった。
 この時は、観光客も居らず、静かな静かな漁村であった。
 僕は、この町の『(稲むらの火の3D映画が見れる)浜口梧陵記念館』=(大きな映画館であったが、僕しか映画を見る者がおらず、その迫力に圧倒されちょっと恐かった)や、写真の『浜口梧陵のお墓』、又「紙芝居」でも登場した、実際に避難した『広八幡神社』、そしてこの紙芝居の(復興編)に登場する『広村堤防』などを見学させてもらって来た。
 ・・又、余談ながら、のち『浜口梧陵』の会社となった〔ヤマサ醤油株式会社〕の(「ここでしか買えない」と宣伝されてた)『特選醤油』)と、『稲むらの火ハンカチ』を、お土産に買って帰って来た。 
 今から思うと、この時は、取材と言いながら、のんびりとした楽しい時間を、この地で過ごさせてもらったのだが、・・これから、この地は、《防災教育の場》として全国から注目され、子供から大人まで、お客さんで一杯になるに違いないと思っている。
 最後に、なぜこの「紙芝居」のタイトルに『実録』と付けたかというと、・・それは、昔、尋常小学校の国語読本(昭和12年から21年まで)に、この『稲むら火』というお話が教材として用いられた。・・が、それはあくまでも、フィクションとして書かれたもので、この物語の主人公『浜口梧陵』も、「五兵衛」という名で登場している。
 又、実際には、この災害時の『梧陵』の年齢は35歳なのであるが(若い!)、小説では年老いた老人として登場している。
 又、実際の梧陵の住居は〔平地〕にあったのだが、小説では〔高台〕になっている。
 つまり、あちこち、フィクションが入っているので、僕としてはなるべく史実に即して紙芝居を作りたかったのだ。
 だから、『実録』と付けさせて頂いた。
 又、小泉八雲こと、ラスカディオ・ハーンもこの題材を元にして『生き神さま』という小説チックな物を書いている。
 ・・いかん、まだまだ書きたい事が一杯あるのだが、書いてたら日が暮れてしまうので、今日のところは、このへんにしといたる!
 それでは、『稲むらの火(復興編)』につづく・・。
 

紙芝居:「実録 稲むらの火 (津波編)」 中編

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「おーーい、みんなー、山の神社へ逃げろー!
 津波が来るぞー、すぐに逃げろー!」
 と、浜口梧陵(ごりょう)は声を嗄らしながら、皆に声をかけて回りました。
 「ホントじゃろうか?・・津波はホントに来るんじゃろうか?」 と、村人達は半信半疑ながら、取り合えず、山の上の神社へと避難することにしました。
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 「よーし、どうやら皆、避難したようじゃ・・」
 と、静かになった村の中で、梧陵はそうつぶやきました。
 その時です。
 ドーン、ドーン!と、不気味な音が沖から聞こえ、又、ピカピカッと、カミナリが鳴りました。
 梧陵がおそるおそる後ろを見ると、ゴーッ、ゴーッと、大津波が押し寄せて来たのです。
 「しまった!逃げそびれた」と、梧陵はつぶやきました。
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 津波は梧陵を呑み込みました。
 ・・が、運よく、梧陵は大木の枝を発見し、必死でそれにつかまりました。
 ザザーン、ザザーン、ザザーン・・・と、やがて、潮は引き始めました。
 こうして、梧陵は命拾いしたのでした。
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 一方、山の上の神社では、多くの人でごった返しておりました。
(村人A)「それにしても、凄い津波じゃったなぁ・・。」
(村人B)「梧陵の旦那さんの言う事を聞かんかったら、わし等は今頃、海に流されとるとこじゃった。」
(村人C)「そういや、梧陵の旦那さんは、大丈夫だったんじゃろうか?」
 その時です。
 「おーーい、みんなー、わしは大丈夫だぞー!」と、梧陵はずぶぬれになりながら、石段を駆け上がって来ました。
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 こうして、ようやく神社で一休みする事ができた梧陵は、村人達に尋ねました。
 「・・それで、皆は全員無事か?」と。
 すると一人の村人が、「それがのぉー、まだ行方不明の者が何人もおりまして・・・。おそらく、海へ家ごと流されたと思われますだ。」と答えました。
 それを聞いて梧陵は、
「何!では今頃、海を彷徨ってるかもしれん。・・この暗さだ、北も南もわからんで、ボーゼンとしとるかもしれん。
・・よし、わしに松明(たいまつ)を貸してくれ!
 そして、わしに何人か、続いて来てくれ!」と、言って駆け出しました。 つづく 

紙芝居:「実録 稲むらの火 (津波編)」 前編

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 これは『津波』の話である。
 いや、津波被害から村を復興させた男の話である。
 この作品は、去年の夏の終りから現地リサーチをして、秋から(前編・後編)の二部作にして作り始めたものだ。
 完成間際に、突然、東日本大震災が起った。
 あまりにも完成時期がタイムリーだったので、作るのを中断しようかと悩んだが、何かに憑かれたかのように完成させてしまった。
 又、このブログにも載せるのは時期尚早ではないかとも思ったが、この話が「危機的状況下における臨機応変な一人の人間の判断力」と「被災からの復興」をテーマにしたものという判断から、このブログに急遽、作りたての紙芝居をアップさせることにした。
又、これも大阪に居て、『紙芝居屋亭』ができる、被災地への小さな小さな(生き方の)支援になるのではないかとも思ったのだ。 そこのところを了承して頂き、読んで戴ければ幸いである。合掌
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 これは、今からおよそ150年程前のお話です。
 ここは、静かな漁村、和歌山県〔広村(ひろむら)〕。今の有田郡 広川町です。
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 この村に大きな醤油業を営む『浜口梧陵(はまぐち ごりょう)』という商人がおりました。
 彼は、この村で結婚し、二人の子の父親でもありました。
 〔梧陵(ごりょう)〕は、様々な学問を学び、
 そして歴史から考えれば、やがて大きな地震が起き、大津波が襲ってくると予想しておりました。
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 江戸末期、安政元年(1854年)11月5日、夕方の4時頃、ついにその大地震は起きました。
 それは、世に云う『安政大地震』でした。
 (梧陵)「地震だ!みんな外へ逃げろ!!」
 (子供)「キャー、お父ちゃん、恐いよー!」
 壁は崩れ、傾いた家から、梧陵の家族は何とか逃げ出せました。
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 (梧陵)「あれを見ろ!なんという事だ・・。潮が沖へと引いてゆく」
 梧陵は海を見つめて言いました。
 (子供たち)「お父ちゃん、海の水が無くなってるよ~」
 (梧陵)「うん、間違いない。あれは伝えに聞いてる『津波』の前触れだ。 間もなく津波はこの村にやってくる! お前達はすぐに山の上の神社に避難しなさい! 私は村のみんなにその事を知らせに行ってくる!」
 そう言って、梧陵は一人、村の中へ駆け出したのでした。 つづく

運命

「運命は、努力次第で変えることができます。」と、あるスピリチャル宗教書に書いてあった。
 ・・が、しかし、現実は努力しても報われないことの方が多い。
 又、「運命」も(より良い方に)変えることは、とても難しいような気がする。
 が、が、しかしである。
 「運命」を変えることが出来なくても、努力することは、とても素晴らしく、尊いことだと思う。
 要は、「努力しているその《過程》が大事」なのではなかろうか?
 その一見無駄に思えたような努力(変えれなかった運命)も、長いタンス、ダンス、いやスタンス(人生全体)からみれば、自分のそして、それを見た他の人の《運命》をも変える原動力になるのではなかろうか。・・と思うのである。
 それは、ひょっとこすると、いや、ひょっとすると、国の未来の運命をも変える力になるのでは・・・。
・・そんなことを、被災地救助活動、並びにボランティアをされているすべての人を見て思った。合掌

紙芝居:「走れメロス」 その8(最終回)

 東北・関東大震災が起こり、「メロス」をほったらかしにしてしまっていた。
このままでは、メロスはただのストリーキングの兄ちゃんだ。 
・・今回で完結させます。ご安心を。
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 疲労困憊の中、刑場に突入したメロスは必死で叫びました。
「待てっ!・・その男を殺してならぬ!・・メロスは帰って来たぞ。約束どおり帰って来たぞー!」
 そして続けて、
「私だ!・・殺されるのは、このわ・た・し・だ!」と、かすれた声で精一杯叫び、吊り上げられてゆく友の両足に、必死で取りすがりました。
 それを見た群集はどよめき、
「あっぱれだー!許してやれー!」と口々に喚きました。
 こうして、友〔セリヌンティウス〕の縄は解かれ、下ろされました。
 「セリヌンティウス・・。」と、メロスは目に涙を一杯ためて言いました。
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 「我が友〔セリヌンティウス〕、私を殴ってくれ。
私は途中、一度悪い夢を見た。君がもし、私を殴ってくれなかったら、私は君を抱きしめる資格がないのだ。」
 それを聞き、セリヌンティウスはすべてを察し、刑場一杯に鳴り響く程、メロスの頬を殴りました。
 そして殴ってから、セリヌンティウスは優しく微笑み、
「メロスよ、今度は私を殴れ。同じぐらい私を殴れ。
 私はこの三日間、たった一度だけ、君を疑った。
 君が殴ってくれなかったら、私は君を抱きしめることができない。」と言いました。 
 それを聞き、メロスも拳にうねりをつけて友を殴りました。
 「ありがとう友よ!」と、
 二人は同時に言い、ひしっと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおいと声を放って泣き始めました。
 それを見た群集からも、すすり泣きの声が聞こえました。
 そして、群集の後ろで、二人の様子をまじまじと見ていた王は、やがて顔を赤らめてこう言いました。
「・・私が間違っていた。
 《信じる》という事は、決して愚かな事ではなかったのだ。
 ・・お前達はそれを私に教えてくれた。
 これから、私をお前達の仲間に入れてくれないだろうか?」と。
 それを聞いたメロスとセリヌンティウスは、深く頷きました。
ファイル 665-3.jpg
 こうして、元の平和な国に戻ったということは、言うまでもありません。 おしまい 

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