本日、午後二時五分、番犬ポッキーが死んだ。
十三年の命であった。
僕ら家族が、町からこちらの〔寺〕に引っ越して来て、捨て犬ポッキーはすぐにやって来た。(慣れない田舎生活の寂しさから、息子が飼いたいと言いだしたので・・。)
だから、こちらでの生活はずっと一緒だった。
最後は僕が看取った。
体が震え、そして硬直し、少し暴れて、ポッキーは死んだ。
眼を見開き、荒い呼吸をするのは、父の臨終前の姿と同じだった。 人も犬も死にゆく姿は、とても似ていると思った。
見ていて肩に力が入った。
先ほど、息子と一緒にお線香を焚いて読経した。
ダンボールに入れて、お花を一杯飾ってやった。
しばらく、悲しみが続くだろう。
明日、役場に持っていって、手続きし焼いてもらう。合掌
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ポッキーの死
ポッキーの介護
今週の初め、我が家の番犬〔ポッキー〕(柴犬:13歳)が、突然倒れた。
動物病院で診てもらったら、〔肝臓ガン〕とのことで、「高齢で手術は不可能。肝臓が肥大し胃を圧迫している為、何も食べれず衰弱死するだろう」との宣告。
点滴だけしてもらい、家に帰る。
犬も13年一緒に居ると、家族のようであり、可哀想でたまらない。
もうすでに、水も飲めなくなってきていてフラフラであるが、扉を開けると、なんとか外へ出ようとする。
抱いて外へ出してやると、座り直してオシッコをする。
〔給水シート〕を引いているので、「頑張って外でしなくて良いから、そこでオシッコをしなさい」と言っても、やはり外へ出ようとする。
やはり、自分のテリトリーを汚したくない本能が働くのだろう。
手のひらに、蜂蜜に薬を混ぜて、舐めさせようとしても、顔を背ける。
・・残念だが、もうおそらく、そんなに長くないだろう。
なるべく、付いていて最後を看取ってやりたいと思う。
法雲寺さまの『定例法座』への出前
昨日、地元での『お葬式』終了後、(車を飛ばし、)豊中の『法雲寺』さまの〔定例法座〕へ、「紙芝居法話」に行かせて頂いた。
ここのお寺は、まったくもって変わっている。(噂には聞いていたが・・)
敷地に入った時、思わず笑てもた。(失礼!)
それは、お寺の敷地内が、コンクリートの〔スポーツ公園〕になっていて、大きなバスケットコートがあるのだ。・・しかも、地元の若者たちに、地域振興と青少年育成の為にと〔無料〕で場を提供しているらしい。(公園の写真を撮り忘れたのが残念!・・笑て撮るの忘れたわ)
僕が敷地に入った時も、中高生たちがバスケを(遠慮もせずに、賑やかに、楽しそうに)やっていた。
この形にされたのは、ここのお寺の前住職さんだそうで、お寺の敷地を、庭園っぽくするより、地元の若者たちの為に、何か役立てた方が良いと考案され、『スポーツ公園』にされたそうだ。(翔んだ人だ)
又、ここは、スポーツ公園としての形だけでなく、〔フリーマーケット〕も臨時に開催されるらしい。
又、現住職も、それに輪を掛けたような変わった人で(失礼!)、お寺内で、『アマチュア落語家のトーナメント大会』も開いているらしい。(なんちゅう寺や・・、うらやましいわい。これからのお寺はこうでなくちゃあいかんと思う。)
まぁ、前置きが長くなりすぎたので、こちらの法座の感想は、簡単に述べさせてもらうと、
・・いろいろごちゃごちゃ、あれこれ、やんややんやと、お寺を使って様々なイベントを行っておられるので、檀家さんとお寺さんとの関係がひじょうに密接(ファミリー的)になっているなと感じた。(話しやすいというか、ノリが良いというか、何かの時には『ガッテンでぃ!』と腕まくりし、すぐ『いざ、鎌倉!』とばかり、お寺に飛んで来て、助けてくれそうな感じがした)
二代に渡るイベント住職さま方、あのバスケで遊ぶ若者たちは、やがて近未来、ご住職さんの右腕、左腕、中腕(・・どこや?)になって、きっと寺院活性のために活躍してくれるに違いないと思いますよ!・・うらやましい次第です。合掌
尚、この時の模様は、法雲寺さまのホームページ『イベント坊主に喝!』、下記にてアップです。
(http://blog.zaq.ne.jp/hounjisportspark/article/569/)
CBCテレビの〔取材〕が、やって来た!
昨日、CBCテレビ(TBS系列局)が、名古屋から『お寺の出前』の取材にやって来られた。
これは、毎週(金曜日)午後1時50分から、TBS系列(大阪は〔毎日放送〕)で放送されている、
『ごごネタ!キラキラテレビ』という、ミニミニ・ドキュメンタリー番組の取材の為である。
そして、僕が出演する予定日は、来年の1月14日(金曜日)午後1時50分である。(・・見逃されても、CBCのホームページから見れるそうです。)
まぁ、取材を受けた感想だが、『わずか5分の番組に、これほどの時間と労力を費やさねばならないのか?!』と、疲れるとともに、デレクターの凄い情熱に驚かされた。
なんせ、朝の9時から夕方の5時頃まで、ずっとカメラが回りっぱなしなのである。(お寺、紙芝居を書いてるトコ、昔の紙芝居、施設での法話会、移動しながらカメラは回り続けていた)
・・これをどうやって、編集されるんやろう?
僕は客観的にデレクターを見てて、これは『5分間のファイター』やと思った。
「昔の家の写真や、家族の写真はありますか?」とか、「それは、何年前の話ですか?」とか、まるで、検事の取調べのように(厳しくは無いのだが、)デレクターは聞いてこられる。
一つの番組を作るという事は、(時間の長さに関係なく、)いかに難しいものなのかという事がよーく解った。
「なぜ、そんなに撮り続けるのですか?」と僕が聞くと、
デレクターは、「たくさん撮ったフィルムの中から、ピッピッと自分の中で閃き、『これだ!』というものを生み出す為に、テープを回すのです」と、いうような事をおっしゃられた。
・・さぁ、半日掛けて撮った膨大なフィルムの編集は、カットされカットされ、編集され、またまたカットされ編集され、最終的にいかなるモノに成るのだろうか・・?
お手並み拝見とともに、今から放送日が楽しみである。
DJブースからの「紙芝居法話」

昨日の夕方、ライブハウスに到着するなり、「今日は、ステージ横の『DJブース(写真)』から、紙芝居をお願いします。」と『往生極楽チャリティーライブ』の司会者から言われたので、しばらく呆然とした。
(ライブハウスpx9cafe)
毎年のことながら、ここへの『お寺の出前』は、驚かされる。
これも毎年のことながら、僕の役目は、バンドとバンドとの間の交代時間の『つなぎ法話』である。
音楽を楽しみに来ておられる方には、退屈きわまりない僕の『法話タイム』かもしれないが、主催者から「仏教の話を若者たちに頼む」と言われたので、毎回しかたなくやっている。・・うそである。本当は僕も楽しんでやっている。だって、お寺の中の雰囲気とは180度違うのだから・・。
(ライブ風景)
でも、毎回思うが、この短い時間を使っての(コントのような)『法話』は本当に難しい。(みんな携帯電話を掛けたり、煙草・お酒・トイレに忙しいのだから・・。)
(僕のまん前では、おでんが売られてます。・・ちょっと気になりましたが、客観的に見てたらおもろかったです。)
おそらく、こんな奇妙な経験(ライブハウスで、バンドのつなぎで、紙芝居を使っての法話)を、毎年させて頂いている僧侶は、日本では僕だけだろう・・と思う。・・おそらく。(必要なのは勇気とノリだけです。・・でも、僕の法話を聞いてくれてない人達に、僕は心の中で叫んでいたんですよ。『俺の法話を聞け~、二分だけでもイイ~』・・と。
これは、僕にとっての毎年の修行である。(笑い・・合掌)
表の顔、裏の顔、・・いや、闇の顔
テレビでは、歌舞伎役者〔市〇海老蔵〕氏の受けた暴力事件で、毎日やんややんやと、報道されている。
マスコミの今の段階の報道では、はっきりとした事実はわからないが、これだけはいえる。
彼には〔表の顔〕を保つ為に、相当な精神的プレッシャーがかかっていたのではなかろうか・・と。(宗教者も似たような処がある。・・少なくとも僕はそうだ。)
これは、「本当の俺さまは、こんなんじゃない!俺さまは、もっとワイルド(悪)なのだ!」と、無意識で世間に知らせたかった事件だったのかもしれん。(結果的に。)
・・そら、そうやろと思う。
なんせ、歌舞伎界を背負って立つプリンスやし、映画やテレビでも華やかに活躍していたのだから。
あの若さで、看板を背負って生きることは、さぞかし大変であったろう。
結婚したら、もっと楽になると思ったかもしれない。
しかし、やはり、何も変わらなかったのだろう。
だから、ズルをして、キャンセル騒動を起し、逃げたのかもしれん。
たえず、彼の心の底から、救助信号が発せられていたのかもしれん。
「本当の俺はこんなんじゃない!もっと、ずるい顔があるのだ!弱い裏の顔があるのだ!本当の俺をさらしてみたい。・・しかし、それはできん。俺はここから逃げ出すことはできんのだ。・・こんなに耐えて生きているんだ。だから、ちょっとぐらい酒癖が悪かったってかまわないだろう。我儘したって、許されるだろう。これは神様から頂いた俺さまの特権だ!・・そう、良い子とばっかり付き合って酒を飲んでる俺は、本当の俺じゃない。だけど、むなしい。・・誰かそんな俺をもっと誉めてくれ!・・いや、助けてくれ」と救援信号を発していたのかもしれない。
考え過ぎかもしれんが、これって、誰の心にも起こる葛藤だと思う。
〔表の顔〕の裏は、〔裏の顔〕ではない。自分の心の底に潜む〔闇の顔〕だと思う。
当然、僕にも汚い〔闇の顔〕がある。
ただ、僕には信仰という〔くもの糸〕がある。・・それだけが、助けである。
自分に闇があるから、光に憧れ、敬い、救いを求める。
その(ホトケ様に見守られているという)光の信仰によって、僕はどうにか、バランスを(あやふやながら)保ち、生きているのである。
104歳のバースデー ~五回目のゆおびか~
昨日、五回目の訪問となる〔グループホームゆおびか〕さんへ「お寺の出前」をさせていただいた。
職員の詰城さんから、前もってこの日は、Hさんの104歳の誕生日だとお聞きしていたので、僕も(クリスマスが近いので)大きな(プレゼント用)靴下の中に〔数珠〕を入れてプレゼントさせて頂いた。(仏教とキリスト教のステキな出会いです〔ここ笑うトコです〕)
Hさんは、しっかりしておられ、(このジョークがわかって下さったか?・・どうかはわからんが?)大変喜んで下さった。
「特にこの齢になったら、急いでやらなあかん仕事がありませんから、忘れっぽうなってあきまへんわ・・」(そらそうやろ〔笑い〕)とか言いながら、微笑んでお話してくださった。
そして、お誕生日の日もあってか、90歳になられるお友達もこの日訪ねて来られ、本当にHさんは終始、嬉しそうなお顔をなさっていた。
最後は、職員さん手作りの〔牡丹餅〕にロウソクを104本、(うそである、・・4本たてて、つまり一本24本分のつもりで・・)立ててお祝いし、おいしそうによばれていた。
「とても、ステキな誕生日会ができて良かったです。ありがとうございました。」と言われ、少々照れながら、僕は仕事に戻った。
「あっ、しまった!」と思った出前
昨日、カナン・デイサービスへ、『出前法話』に行った時の話。
デイサービスの皆さんに、昨日は、紙芝居『地獄のはなし』をした。
こちらは、お寺の近くの施設なので、当然檀家(信徒)の方もおられる。
しかも、一番前に、何人か陣どって座っておられた。
僕は、『地獄紙芝居』をしながら、途中で気づいた。
・・この紙芝居には、子供たちが親より先に死んだ罪(僕は自殺にしたが)により、地獄でいじめられる場面があり、
・・それは、前に座っておられるSさんという女性に(病死で子供さんを亡くされたのであるが、)該当してしまう。
それで、紙芝居を見ることによって『気持ちを傷つけないか?』と思ったのである。
しかし、もう始めてしまったので、止めることはできず、なんとか話の本筋を変えなければと思った。
そこで、その場面には、ト書きにない説明(セリフ)を急遽アドリブで入れ(皆、助かる事にして、)話を(無理やり)進めた。
そして、話が終った後も、なぜ、『子供地獄が、作られたのでしょうか?』という話も、おまけとして少し付け加え、皆と話しあった。
まぁ、紙芝居の話の筋は、多少おかしくなってしまったが、そんな事はかまわない。
Sさんのほっとした顔が見れたので・・。これで良いのだ!
幻覚に悩む奥さんの話の続き
それは突然の電話であった。
今日、お葬式から帰って来たら、(先日書いた、)〔認知症〕になった奥さんの家族さんから、電話があった。
「今、外から、お寺に電話を掛けてますねん。
院主さん、助けてほしいんですわ。・・やっぱりうちの母親おかしくて、『ずっと家の中に観音様が居てはる。お地蔵さまも来てはる。・・私をあの世から向かえに来たんや。うちは死ぬんや!』と言って騒いでまして、私等が『それは幻覚や』と言っても、聞きませんねん。
・・院主さんの口から『大丈夫や』と言ってもらえませんか?そしたら、落ち着くと思いますねん」と言われた。
僕がOKしたら、しばらくして家から電話があり、奥さんに電話を代わってもらった。
僕は『大丈夫ですよ。・・観音さまは、あの世からは向かえに来られませんよ。それは、奥さんを守ってはるんですよ』と言うと、「あら、うれしいー。そうでしたんか。よかったわー」と言って安心されて、受話器を置かれた。
しかし、電話を切っても僕はホッとできなかった。
これは一時のものである。・・しばらくすると、又、同じことが繰り返されると思う。
〔認知症の資料〕は、家族さんに手渡してきたが、やはりそれだけでは不十分だ。
僕は素人である。できる事に限界があるし、危険もある。
やはり、専門の医療機関にお任せするしかない。
こんど、知り合いのケアマネージャーに、こんな時、どうすれば良いのかと聞いてみよう。
みんな泣いた話
今日の〔法事〕の席でのこと。
読経と読経の合間の休憩時間に、ご主人がしみじみとおっしゃった。
「今日は父親の〔法事〕ですけど、先に亡くなった母親と弟の事を思い出してしまいました」と。
「なぜですか?」と、僕が聞くと、ご主人は「今から60年ほど前のはなしです。」と続けられ・・。
「私には、23歳で病気で亡くなった弟がおりまして・・。はい、もともと体は弱かったんです。
その弟が小学校2年の時です。歯が痛いと言いまして、歯医者に行っても直りません。それで、大きな病院で診てもらうと、歯茎の中が腐ってたみたいで、結局、三度、大手術することになりました。今みたいに、よく効く麻酔が無くて、弟にとっては病院に行くのが苦痛で、その日になると、外の竹藪の中に逃げよるんです。
母親は、当時小学校5年の私に、そんな弟を『摑まえて来い』と言うので、私は可哀想やけど、摑まえると弟が『いやや!』と泣き叫ぶんです。 私もつらいから、一緒に泣きながら母親の所につれて行くと、母親も泣いてて、私等二人を『ギュっ』と抱きしめてくれたんです。・・そして皆で泣きながら、バスに乗って病院に行きました。
貧乏やったから、父親も治療費を工面するのに、頭を下げ回って借金して、夜に泣いてました。・・そう、みんな泣いてばっかりでした。・・こんな(ひ孫が居る)年寄りになった今も、はっきりと、その時の事を覚えてますねん。母親の感触も。不思議なもんでんなぁ・・」と目に涙を一杯ためて、おっしゃられた。それを隣で聞いていた奥さんも泣いておられた。・・又、その姿を見た僕も貰い泣きをしてしまった。 そう、今日は読経中にみんなで泣いていたのです。
・・みんな泣いた話でした。


