住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「大阪に津波が来た日!」~大地震両川口津波記より(中編)

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 上の写真は、今も残る『安政大津波』の石碑である。
 すぐ近くに〔京セラドーム〕が見える。
 この碑は、現在、大阪市浪速区の〔大正橋〕のたもとにある。(何度か移設されたらしい。)
 この場所は、大きな川が縦(南北:木津川)、横(大阪湾から西東:尻無川~道頓堀川)に交差している地点にある。(やはり、水の氾濫には弱いかもしれない。)
 ここに来ると潮の匂いがした。・・海が近いのだ。 
 では、続きをどうぞ。
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(播磨屋忠四郎)
「・・前回からのつづきや。
 津波は、雷のような音と共に、一斉に大阪の町に押し寄せて来た。
 安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東掘まで四尺(約1・2m)の深さの泥水が流れ込んで来たんや。」
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 「両川筋に停泊していた多くの舟の綱や碇が切れて、川の水は逆流し、安治川橋・亀井橋・日吉橋、等々の橋は、みんな崩れ落ちてしもたんや。
 それで、舟に避難していた多くの人が、犠牲になってしもた。」
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 「又、〔道頓堀川〕に架かる大黒橋では、大舟が川の逆流によって横転して、小舟を下敷きにして、川をせき止めてしもたんや。
 それであたり一面、あっという間に壊れた舟の山が出来、溢れた水が河岸の小屋を壊していった。
 その破壊の音や、助けを求める人の声が付近一帯に広がり、正に地獄のようになったんや。 
 今日はここまでや。・・次回で終わりやで。」

紙芝居:「大阪に津波が来た日!」~大地震両川口津波記より(前編)

(はじめに)
 今年の四月半ば、大阪市内のある老人ホームで、『稲むらの火』という紙芝居をさせて頂いた。
 その時、一人の男性から「住職さん、大阪にも昔、津波が来たんやで!・・一度、浪速区大正橋のたもとに行ってみなはれ。慰霊碑が建ってるで。」と言われ、驚いた僕はすぐ現地に行ってみた。
 するとその通り、その慰霊碑は建っていて、その横の掲示版に、この「慰霊碑」が建った由来とその時の津波の様子、被害状況、そして後世の人間たちへ備えまでが書かれてあった。(しかも、現代語に訳され。)
 その内容を読んだ僕は、再び驚き、是非この話を紙芝居にしたいと思った。
 そしてこの度、試行錯誤の上、ようやくこの「紙芝居」が完成した。
 拙い絵と文章はお許し願いたい。
・・が、これがノンフィクションであるというだけでも、この話の発表は意義がある事だと思っている。
 この時期だからこそ、見て頂きたい一作である。
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(播磨屋忠四郎)
「皆様方、この石碑をご存知でっか?
 これは大阪の浪速区、大正橋のたもとに建つ、江戸末期『安政大津波』の慰霊碑でおまんねや。
 そう、大阪にもかつて大津波が来て、ぎょうさんの犠牲者を出しましてんで。
 えっ、お前は誰かって?・・わては〔播磨屋忠四郎〕というこの石碑を建てた商人のひとりでおま。
 えっ、なんで、江戸時代の人間がしゃべっているかとお尋ねでっか?
 それはでんな、平成に起こった『東日本大震災』をあちらの世から見てまして、大阪の人間にも『これは他人事ではないで!』と知らせたかったから、時空を越えてやって来ましてん。」
ファイル 703-2.jpg(今も残る石碑)
 「わてとわての仲間たちは、あの大津波の様子を、この石碑の裏に彫って、後世の子孫たちに、くれぐれも備えて欲しいと思い、建てましてんで。
 では、その様子を今から話しまひょか・・。」 
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 「そう、あれは〔安政元年(嘉永七年)〕、平成の世から云うと、およそ150年前。
 紀州の国(和歌山県)で、《稲むらの火》が燃えたあの日、あの時刻、大阪にも大地震が起こったんです。
 世に言う『安政の大地震』でんな。
 実は、この地震の前の日にも大きな揺れがあって、町の人々は火事を恐れて、水の上なら安心やと、舟に避難する者が多かったんですわ。
・・が、後で考えたら、これがあかんかったんやなぁ・・。」 
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 「安政元年(1854年)十一月五日の夕刻。
 大阪を大地震が襲ったんや。
 そして、恐れていた通り、おちこちで火事が起こりましてん。
 しかし、それより恐ろしい『大津波』が海よりやって来ようとしておりましてん。 つづく・・でおま。

ユーミンのコンサート

 僕は、松任谷由実(ユーミン)が好きだ。
 彼女のアルバムは(荒井由実からも含めて)すべて持っている。
 何が好きかというと、おそらくメロディかもしれない。
 もちろん、歌詞も好きだが、そのなんというか、悲しいけど美しく優しいメロディ・・、それが好きなのである。(ある意味、実に宗教的だと思っている。)
 ・・で、大阪でユーミンがコンサートを開く時、たいてい行っている。(チケット代が高いのが玉にキズだが。)
 そして、今回も『Roadshow・コンサートツアー2011』に行って来た。
 それでいつも思うのだが、ユーミンのプロ根性というかサービス精神というのは実に凄いと思う。(何度もする衣装の早変わり・又二回もするアンコールなど)
 「あんたは超一流やねんから、そこまでサービスせんでもエエやろ。・・それに年齢を考えなはれ。つぶれまっせ」と思うぐらい、毎回、内容を工夫し研究し努力されている。
 僕は、毎回、(生の)彼女から『人間いくつになっても工夫と努力や!・・僕も頑張らなあかんわ』と、学ばせてもらっているような気がするのである。
 

冗談ではありません・・。

 先日、或る『月間誌』から(電話)インタビュー取材を受けた。
 その時の模様を、ACジャパンのCM風に書いてみる。

 「お寺?」って聞かれると、「お寺」って言う。
 「出前?」って聞かれると、「出前」って言う。
 それで・・、
 「お寺が出前?」って問われると、「はい、お寺の出前」って言う。
 「冗談でしょうか?」
 「いいえ、私です。」
 
 Oー、Dー・・。

勤行必需品 チャッカマン!

 お寺の朝は、勤行から始まる。
 そして、ロウソクへの点火は、もちろん毎日〔チャッカマン〕!
 が、今朝は、ガス欠なのか〔チャッカマン〕が付かなかった。
 あせる僕、時間が無い。マッチも無い。在庫を必死に探す。
 そんな中、頭の中は〔ガッチャマン〕の歌が、なぜか流れ続けた。
 梅雨の六月最初のこのブログは、そんな〔ガッチャマン〕の替え歌、〔チャッカマン〕でスタートしようではないか、諸君!(誰に言うてんねん?!)
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 なぜだ、なぜだ、なぜだ~
 朝のお勤め急ぐ時、
 今日は付かなーいー、チャッカマーン
 祈りを込めて押さえども これはガス欠とても無理
 付け、付け、付け、チャッカマーン
 押す、されども チャッカマーン
 在庫はひとつ 
 残りはひとつ
 おー、チャッカマーン
 また 買っちゃおー
 合掌

今日の『特養 甍』講話クラブ

 先ほど、『特養 甍』へお寺の出前に行って来た。
 こちらへの訪問も、今日で『97回』目を迎えた。
 話のネタも切れずに、我ながら「ようやってるわ(笑い)」と思う。
 が、はっきり言って、まだ素人の領域、進歩してない・・、と今日思った。
 それは、紙芝居が終って「何か質問か、感想はありませんか?」と苑内の皆さんにお聞きしたら、一人の女性が「トイレ行きたい!」叫ばれたからだ。
 思わず僕は、「あぁ、すんません。・・話長かったですねぇ。では終わりましょう。はよ、行ってくださいや」と、早々クラブを終らせた。
 まだ、場の空気が読めてないと、反省しきりの今日の「講話クラブ」であった。
 「しゃべり足りんかったかな、もうちょっと、しゃべろかいなぁ」という所で止めて、終るのが、一番エエねやろなぁ・・。

『和我間々くらぶ』、来院

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(〔写真〕山口さんと石原さん。夫婦漫才の方ではありません)
 昨日、お寺に「サウンド紙芝居」という名で、(ギターやフルートなどの楽器と紙芝居をミックスしたお芝居を)あちこちの福祉施設などで、やっておられる『和我間々くらぶ』の方たちが、僕の紙芝居を見学に来られた。
 この一見、凄みのありそうなネーミング団体ではあるが、その倶楽部の主旨は、いたってまじめでお優しい。
 こちらの倶楽部は、大阪市東住吉区にあるアートスペースで、倶楽部名の由来は、生きて行くには『和』が大事。でも、一番大事なのは『我』であり、その間をうまく行き来する『間々』という意味から、この名前にされたということである。
 そして昨日は、その(写真の)新作紙芝居をお寺で披露してくださった。
 障害と友情、そして社会問題をテーマにした、ノンフィクション超娯楽問題作品に(どんなんや?)なっていて、見させて頂いて、とても考えさせられたり、又優しい気持ちにもなれた。
 この作品は、きっと、これからの小学校や福祉施設などで、ヒットするに違いない紙芝居だと思った。(それは社会が待ち望んでいると思うのです。)
 これからも、是非、頑張ってこの作品をあちこちで、披露してくださいね。僕も微力ながら、宣伝させて頂きます。
 ・・余談ですが、こんどバックサウンドに三味線もいれたらどうでっか?

「くすのきディサービス」への出前

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 先ほど、羽曳野市に在る「くすのきデイサービスセンター」へ『お寺の出前』に行って来た。
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 初めての場所に行く時は、たいてい(遅刻せぬ様)カーナビを使って早目に出発する。
 と、いうことで、今日も早めに到着する事ができた。・・というか、早く着きすぎて、控え室で〔昼メロドラマ〕をずっと見てしまった。(けっこう、面白いもんやなぁ・・昼メロって。スリルがあって、感情移入しやすいね。あぁあなた、私には夫が・・(こんな場面は今時、無いが)。・・ああ、これからはまったらどうしょう。〔笑い〕)
 と、いう事で時間がきて、昼メロ一杯の頭の僕は、よろよろっと、よろめきながら、みなさんの待つホールに向かって進み、お話をさせて頂いたのであった。
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 初めての割には、皆さん結構、リアクション強かったなぁ。
 そやそや、面白そうなアクション起す人を、前列に集めてくださったんやったね・・。(面白すぎるわ・・。これはお互い様か。)
 帰り際、「次回もまた、お願いします」と、職員さんに言われたけど、・・それって、「又、おいで」って言う事なんやね。・・了解しました。新ネタ持って、又、出前に参ります!合掌 

コンビ二にて、コピー中・・・

 うちの寺には、デカイコピー機が無い。
 その為、大量の資料を印刷する為には、近くのコンビ二に行ってやるしかない。
 ・・で、先日も、たくさんの資料を持って、コンビニでコピーしていた。
 この時も、途中で印刷紙が切れたり、紙が中で巻き込み故障したりして、時間が掛かってそれはそれは大変だったのです。
 ・・で、何か途中、急に疲れが出てきて、何もかも嫌になって、『あぁ、休みたい・・。さぼりたい・・。どっかに逃げたい』と思っていたら、コンビ二内の有線放送で、海援隊の『母に捧げるバラード』が流れてきた。(懐かしい~)
 その歌の中の一節に、
「働け、働け、働け、鉄也 ・・働いて働いて働きぬいて 休みたいとか、遊びたいとか、そんな事 お前いっぺんでも思うてみろ そん時は、そん時は、死ね それが人間ぞ・・。」という歌詞が流れ、僕の胸に鋭く刺さった。
 『そうや、元気で働かせてもらってんのに、休みたいとか、さぼりたいとか、・・旅行に行きたいとか、ユーミンのコンサートに行きたいとか、美味しいもん駅弁フェアに行きたいとか、(まだ、あるんかいっ!〔一人突っ込み〕)・・愚痴を云うとったらあかんなぁ。・・そん時は、『死ねっ』と自分自身に言い聞かせるぐらいの気概を持たな・・』と思った。
 『そや、きっとこれは仏様が僕に聞かせる為に、この曲を今、流して聞かせてくださったんや。』
・・と、気持ちも新たに、後ろで待って居られるサラリーマン風の兄ちゃんに、「もうちょっと、待って下さいねぇ。もうすぐ終わりますから、もうすぐです。(ここで微笑む)ホンマすみません。」と謝って、残りを急いでコピーしたのだった 完

東日本大震災犠牲者追悼法要/被災地復興支援チャリティコンサート

ファイル 695-1.jpg(会場寺院)
 昨日、浄土真宗本願寺派僧侶有志:主催で、「東日本大震災犠牲者追悼法要&被災地復興支援チャリティコンサート」を行った。
 「何かをしなければ・・」という気持ちで、若者僧侶が中心となり準備が始まり、今回の「追悼法要」開催となったのである。(僕は多忙で、ほとんど準備に参加できなかった。・・前売り券を売るしかできませんでした。すんません)
ファイル 695-2.jpg(本堂内)
 当日、結構強く降る雨の中ではあったが、たくさんの方がお参りに来て下さった。(本堂の床抜けるんちゃうか・・と心配してた僧がおったなぁ〔笑い〕)
 でも、追悼法要は大成功であったような・・。
ファイル 695-3.jpg(フルート&ライブコンサート)
 そして第2部は〔被災地復興支援チャリティコンサート〕。
 先日、うちの永代経法要にも来て下さった歌手の『やなせなな』さんの歌と、フルート奏者『持永 望』さん達の演奏に、会場のみなさんは大感激のようであった。
 義援金もたくさん集まったみたいやし、よかった、よかった。合掌
 

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