(「幸せ体操」をやってるトコ)
先ほど、大阪市天王寺区にある有料老人ホーム『ケアリビング楽寿』さんへ〔六回目〕となる出前に行って来た。
こちらでも、今年は例の「稲むらの火」の紙芝居を演った。
紙芝居が終ったとたん、前列の男性が突然、「その紙芝居を国会議事堂に持って行って、今の議員等に見せてやってください!」と大きな声で言われた。
(こちらは有料老人ホームなので、しっかりとものを言われる方が多い。・・又、時世を憂える人も多い。・・だって「日経新聞」読んではるんやもん。)
僕は(びっくりしたが、)「いっぺん、カンさんに見てもらいまひょか?」とはぐらかして、『津波・大阪編』へ移った。
さて、〔番狂わせ〕は、最後「紙芝居」が終り、まとめに入ろうとしたところで、突然一人の男性が「これだけは言いたい!」と、《大演説感想》を、はじめた事だった。
「・・地震・津波より恐いもんが、かつて大阪には来たんです!それは何でしょう!ご住職知ってはりまっか?・・それは台風です! 大阪城公園内に建てられた『慰霊碑の塔(教育塔)』がそれをものがたってます。・・私等、年寄りは、戦争・空襲の他に、台風の脅威からも生き延びてきたんです!凄いでしょう!!・・ご住職、こんどは、大阪の台風の紙芝居を作って普及させてください。・・来年、待ってます!」と(勝手に)おっしゃられた。
僕は『勝新太郎みたいな強引な人やなぁ・・』と思いながら、「こんど、調べてきます」と、(ちょっと興味を持ったので)言っておいた。
さて、司会の職員さんは、はやく話を切り上げようと、おろおろ、おろおろしながら、僕の横を行ったり来たりして、気の毒のような、おもろいような、そんな気がしたのだった。
(記念写真)
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今年の『ケアリビング楽寿』への出前
勝光寺さま「定例法座」への出前

うちの寺のハスの花が開いた昨日、大阪市東住吉区にある『勝光寺』さまへ、「紙芝居法話」に行かせて頂いた。
こちらのお寺への出前は、今年で八回目となる。(よくぞ毎年、厭きずに呼んで下さるものだと、こちらが感心してしまう。ありがたいご縁です!)
(勝光寺さま)
さて、毎年のことなので、毎回いろいろな紙芝居を使って、法話をさせて頂いているのだが、今年はやはり、例の『稲むらの火』をメインにお話させて頂いた。
それで途中、『大阪津波編』を話してる僕の〔丁稚(でっち)〕姿に驚いたのか?、それともおかしかったのか?、はたまた興味を持ったのか?、通りすがりの小学生たちが、自転車から降りて(中に入らず)、本堂正面のガラスに顔をくっつけて見ていた姿が、演じてるこっちから見ていて、とても面白かった。
・・途中、「そんなトコから見てやんと、中に入っといで!」と言ったのだが、皆恥ずかしがって、よう入って来なかった。(お寺の敷居って高いのかなぁ・・?)
今の小学生にとって、「紙芝居」って珍しいのか・・?
・・いや、ひょっとすると僕の「丁稚」ちょんまげ姿が珍しかったのか?
小泉産業グループユニオン10年組合員研修への出前
(研修の様子)
え~~、毎度お馴染みの〔小泉産業組合員〕さんへの「出前研修」の一席。
(カンネン旦那)「お~~い、梅吉っどん!」
(梅吉)「へ~~~い。」
(カンネン旦那)「おぉ、おまはんは返事が素直でええ。 それによぅ小まめに動くなぁ。・・そこにある『紙芝居』を袋から出して横に並べておくれ・・、おお、もうすでに並べてくれてんのか?!よぅわかってる、よぅわかってる。」
(紙芝居が始まるよ~)
「あぁ、それから、私の〔デジカメ〕も、袋から出して、今日の研修風景を写してくれへんか?・・ああ、もう頼まんうちから、ちゃんと手に持ってくれてる。早いがなあ~、梅吉どん。 それでこそ、コイズミ組合の一番番頭や。 ・・こらこら、何すんねん。余計なもんまで出さんでええ。それは、わしの冬用の法衣やがなぁ。まだクリーニングに出してへんのや。・・誉めたらすぐこれや。モンベルの作務衣買うても、まだまだ一人前とちゃうんやで・・。
さぁ、そろそろ、紙芝居をはじめまひょか。」
(大阪商人に変身)
(ディスカッション)
(カンネン旦那)「さぁ、今回も無事に終った。よかった、よかった。・・あぁ梅吉どん、そろそろ、次の講師の先生が隣の〔控え室〕に着かれる頃や。ちょっと見てきておくれ。・・なんや、そこで『クンクン』臭いかいで。 おまはんが、いかに鼻が利くっちゅうても、ここからでは隣の部屋の臭いまで、わからんやろ??
・・何っ?コイズミ(株)だけに嗅ぐ(家具)は得意や・・。」
お後がよろしいようで・・。
津波・高潮ステーション
(津波・高潮ステーション)
今日、大阪市西区にある施設『津波・高潮ステーション』へ見学に行って来た。
ここは、「大阪府西大阪治水事務所」が管轄する、「防災棟」と「展示棟」を併せ持つ見学施設である。
(展示棟)
その「展示棟」では、かつて大阪を襲った高潮や、近い将来必ず大阪を襲うと言われている〔東南海・南海地震〕と、津波についての正しい知識、そして地震・津波発生時の適切な対応方法など、易しく学べる見学ルームが設置されている。(大阪府がやってる施設なので、無料なのが良い。)
(慰霊碑そっくりのレプリカ)
さて、僕がここに来た目的は、先々月に作った紙芝居『大阪に津波が来た日!~大地震両川口津波記』の(そこぬけに)くわしい資料と、そのレプリカが展示されてあると小耳に挟んだからである。
あったあった、やっぱりあった!『大地震両川口津波記の慰霊碑』レプリカ!・・誰が作ったのか、精巧で文字もはっきりと読めた。
僕は、この石碑の事についてもっと、つっ込んで専門的に聞きたかったのだが、案外、職員さんは知らんようで、僕がつっこむと、「はぁ、私はそこは、詳しく無いので・・。」と逃げられてしまった。(まぁ良い、・・膨大な資料をまるまるコピーさせてもらって来たから。これで十分だ。)
これで、紙芝居講演しながらの、(ちょんまげ姿)うんちくが増えるぞ。
(津波災害体感シアター)
また、ここにも、前面・左右両面・床面の4面の、大画面映像シアターがあって、約七分間の『津波』恐怖映画が見れる。・・・(『稲むらの火』館の3D映画見学に続き、)ここでも、映画を見る人間は僕一人だったので、一人満喫しながら、その迫力と恐怖に酔いしれた。(職員さんに、「途中、見ていて気分悪くなったら遠慮なく退出して下さい。」と脅かされたので、ビビッたが・・、まあ、それほど、大したことはなかったで、しかし・・。)
まぁ、そんなこんなで、僕の「大地震両川口津波記」の紙芝居学習は、まだまだ続きそうです。
寛弘寺:寿(ことぶき)会への出前

(河南町:農業環境改善センター&やまなみホール)
先ほど、わが町〔河南町〕の地元『寛弘寺ことぶき会』へお寺の出前に行ってきた。
『ことぶき会』というのは、地元の80才以上のお年寄りの会を云う。
地元であるから、話易い様で、話にくい。
日頃から顔見知りの人に、改まって仏教の話をするのは、何か、脇がこそばい感じだった。(後ろのボランティアスタッフの方々も気になったわぁ・・。)
でも、今の80才以上の人は、元気で若い!
ここで『笑う』とこは、ちゃんと『笑い』、ここは『うんうん』と頷くとこは、まあまあ『頷く』。
でも、会長さんはじめスタッフの皆さんが終ってから、「良かったわ~、みやもっさん! 又、たのんます。」と言って、送り出して下さったので、こっちは少しホッとした。
実は話の途中、何度も噛んだんです・・。ごまかしたけど。
ほんま、汗かいたわー。
今日のお参りの遅刻 (縁談言い訳編)
毎日、檀家さん宅へお参りしていると、いろんな相談を受ける。
今日は、そんな(ある)相談を受けて、予定時間が大幅にくるってしまったお話。
その長引いた相談というのは、そこの家の娘さんの『縁談』話だった。
婚期が(そんなんが今の時代、あるかどうかは解らんが・・)少し遅れたという娘さんに、田舎の農家の大富豪から、縁談の話が来たそうだ。
が、相手さんの家からは、「嫁いでくれたら、何もせんでエエよ」という(今時珍しい、三食昼寝付き)の話であり、その言葉に(ある意味)引っ掛かって檀家のお母さんは悩んでおられた。
うまい話のようであるが、何か変だ。
一緒に分析してたのだが、『嫁に来てくれるんやったら、何も家の仕事はしないでエエ』ということは、逆に考えると、『何の為に嫁が必要なの?』という事であり、『必要なのは、家の面子、それとも子孫?』というのではないか?「それで幸せになれるのか?」などと、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ話合った。
そないしてる内に、時間を大幅に使い込んでしまい、後の家のお参りの予定時間が、今度はごちゃごちゃになってしまった。
そんなとこで、「・・でも、どうしても良い縁談やと、思われるんやったら、一度会ってみられたらどうですか?・・でも、『何かおかしい?』と少しでも感じられたら、それってやっぱり『おかしな話』なんですよ。 第一印象と、お母さんと娘さんの直感を大切して決めてください」と僕はそれだけ言って、急いで、次の檀家さん宅へ走った。
次の檀家さん宅に着いた時、そこのおばあちゃんに、「遅いんで、院主さんが、事故にでも遭われたんかと心配してましてんで。」と言われた。
僕は、それで(匿名で)『縁談の相談』を受けたことを、簡単におばあちゃんに話したら、「そらぁ、たいへんでしたなぁ。・・そういうたら、私もこの家に嫁いで来た時は・・・、」と今度はおばあちゃん若かりしの『縁談』の話がはじまり、取り返しのつかん、ブラックホールに突入してしまったのだった。
メモされる恐怖
どこでどう、ものの見方を間違われた方なのか解らぬが、僕のことを(ご本人曰く)とても尊敬?されている檀家の(不思議な)ご子息さんが居られ、毎回、僕の読経後の雑談を(新聞記者のように)メモされている。
僕は、それが気になって、気になってしょうがない。
一度、そのメモ帳のことを尋ねた事があるのだが、その時、彼は「ご住職の言葉で、心に残ったものを記録しておいて、読み返して勉強させてもらっているのです。」とまじめな顔で言われた。
困るわ、しかし・・。
緊張やで、しかし・・。
それで、今日も僕が、声帯模写しながら、法話会をしている話を熱心に記録されていた。
後で、どんな顔で読み返してるんやろ・・。
ぜったい、あと何年かしたら、噴き出して、軽蔑するで、しかし・・。
まぁ、ええわ。 なんでも記録しといておくれやっしゃ!
玄関開けたら、二分でシャワー!
連日、暑い日が続いている。
今日も「檀家参り」から、「へぇへぇ」言いながら、帰って来たら、妻が「お父さん、玄関開けたら、二分でシャワー!・・その後、口に氷入れ、アイスノンを首に巻く!」と言われた。
僕はただ、「はいっ」と言って言われるままに、シャワーを浴びた。
妻は、それから僕がバスタオルで拭いてると、後ろから「あの坊さんの『真っ黒い(法衣)』着て、太陽熱を吸収しながら、炎天下を自転車で回ってお参りしてんねんから、自己管理をしっかりせんと倒れるで!・・まだまだ、忙しい盆の夏はこれからやで!」と言って、アイスノンを情け容赦なく、僕の首にぐわっと巻きよった。
「ひぇー!」と僕は叫びながら、とても愛情と感じることのできないこの妻の殺意ある行為に、ある種の『日頃からの怨み』のエネルギーをビシビシと感じたのだった。
働けど働けど、わが妻、優しくならざり、じっと上目づかいに妻を眺む。あ~仏さま、ナムアミダブツ!
98回目の「講話クラブ」
昨日、大阪市生野区の「特養老人ホーム 甍」さんへ、今回で〔98〕回目となる「(紙芝居)講話クラブ」の開催に行ってきた。
98回目ともなると、結構仲良しの御方ができる。
この(写真)の方も、『木所(きどころ)』さんとおっしゃって、仲良しのお一人である。
この方、車椅子ではあるが、お身体はいたって健やかで、今回、ご本人の許可を得て(写真)を掲載させてもらった。(「載せて頂けるなんてもったいない」とおっしゃられたが、僕の方こそ、もったいないです)
この御方、仲良しというよりも、僕の人生の師のような方でもあり、毎回僕に、いろんな事(政治・宗教・歴史・哲学などなど)を教えてくださる。
博学で、智慧も深く、物静かで、しかもユーモアのセンスもある、そんな御方だ。
そう、この方に『かつて、大阪に津波が来た事』を教えてもらったのである。
お若い頃に、大正区に住んでおられ、津波犠牲者の慰霊碑について、ずっと研究されていたらしい。
木所さんは、僕に「津波の事を人に語るなら是非、現地(慰霊碑の場所)に行くように」とおっしゃって下さり、その通り、僕は現地に行って取材し、結果的にこの写真の『紙芝居』が完成したというわけである。
つまり、この紙芝居の製作要因を下さった恩人である。
この日、皆さんの前で、木所さんに感謝した後、この紙芝居を実演した。木所さんは、心から喜んで見てくださっていた。
僕も一つ恩返しが出来たような気がして嬉しかった。
又、例の被りもんのちょんまげも受けた。・・施設職員さんに、「宮本さん、久々の被りもん付き『紙芝居』ですなぁ。ははははっ」と言われた。が、そんなに僕って『被りもん付き・変身紙芝居』作ってたかなぁ・・? 自分でも忘れてしもた。・・僕って変身願望があるんかなぁ。(笑い)
紙芝居:「意地悪(いじわる)くん」 (後編)

次の日、いじわる君は、隣町を歩いていると、
行く手の大きな屋敷の門の前に、人だかりがしていました。
そしてその真ん中で、みすぼらしい身なりの女性が、うずくまってシクシク泣いていました。
「いったい、どうしたのですか?」と、いじわる君は側の太ったおじさんに聞いてみると、
するとおじさんは、「なぁに、たいしたことではないさ。あの女は、このお屋敷の女中なんだよ。それで、お屋敷の旦那さんにお金を借りたんだが、貧乏で返せなくて・・、それで追い出されて泣いているのさ。」と、言いました。
いじわる君はそれを聞いて、「そうですか。気の毒に。・・それで、あの女性の名前は何というのですか?」と尋ねると、
「あの女の名を聞いて、どうするつもりなんだい?・・でも、まぁ教えてやろう。 実はあの女の名は〔金持ちよ〕っていうんだよ。けっさくだろう!わぁははははっ」と笑いながら、おじさんは答えました。
いじわる君は又、びっくり。
「これは、いよいよ不思議だ。〔金持ちよ〕さんなのに、貧乏で追い出されるなんて!」
その夜、いじわる君は、柔らかい草の上に横になって、夜がふけるまで考えました。
「〔元気〕君が早死にして、〔金持ちよ〕さんなのに貧乏。・・そして僕は、〔意地悪夫〕。
あの二人は、とても良い名前を付けて貰ったのに、気の毒な人たちだった。
・・でも、僕はどうだろう。
みんな面白がって、僕をからかうけれど、僕は「意地悪」なんかしたことがない。
名前のことは、そんな気にする必要はないかもしれないな・・。
とにかく、明日は、約束の三日目だ。もう一日、名前探しを続けてみよう。」と、思いながら休みました。
その最後の日、いじわる君は別の町に向かって、歩きはじめました。
すると、「もしもし、坊や、町にはどう行けば良いのか、教えてくれんかのぉ?」と一人のおじいさんが、尋ねてきました。
「はい、この道をまっすぐに行けば良いのですよ。ほら、向こうに屋根がたくさん見えるでしょう。・・おじいさんは、遠くから来られたのですか?」と、いじわる君が言うと、
「うんにゃ、わしは、その町に住むものなんじゃが、すぐに道に迷ってのぉ~。もう、毎日毎日、迷子なんじゃよ。ふぉふぉふぉ」と笑いました。
いじわる君はそれを聞いて、「おじいさん、あのう、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」と尋ねました。
すると、おじいさんは、「わしの名は、〔迷わぬべぇ〕というのじゃ。ふぉふぉふぉ」と笑いながら答えました。
いじわる君は、それを聞いて「うーーん」と唸り、座り込んでしまいました。 
「僕は、《名前さがし》の旅をして来たけれど、名前ばかり良くても、何にもならないようだ。
もう、これ以上《名前さがし》は止めにして、学校に早く帰って勉強しよう。
良い名前だけが、僕を幸せにしてくれるわけじゃないんだ!・・だから、どんな名前だっていいじゃないかっ!
僕はもと通り《意地悪夫》で良いんだ!
・・そうだ、そう呼ばれる度に、『意地悪になってはいけない!』と、自分自身にそう言い聞かせよう!」
いじわる君は、そう決心して、明るい気持ちで学校に帰ることにしました。
学校では先生が待っておられ、「どうだね、良い名前は見つかったかね?」と、尋ねられました。
いじわる君は、「先生、良い名前は多くありました。・・しかし、その人たちは名前とは逆に不幸でした。
・・それで、僕はもう名前のことは気にしない事にしました。そして勉強に励むことに決めました。」と、明るく答えました。
それを聞いて、いかにも嬉しそうに先生は、「君は本当に良いことに気がついた。・・その通りなんだよ。(モンキッキーとか、)良い名前に変えるより、良い人になろうと努めることが大切なことなんだよ。さぁ、益々これから勉強に身を入れて、頑張りなさいよ!」とおっしゃいました。
『名前探しの旅』を終えたのち、いじわる君は、熱心に勉強に身を入れ始めました。
そんな姿を見た友達たちは、やがて誰一人、その名前でからかう者はいなくなったということです。 おしまい 『依名得運本生物語』より


