先日、和歌山の被災地にボンティアに行き、その時〔土産〕に「さんま寿司」を買って、母親の所に持って行ったら叱られた。
家に入るなり、こう言われた。
(オカン)「あんたは、自分の身体の事をもうちょっと考えなあかんよ。・・もう若ないんやから、無理して若い人に混じって労働奉仕して倒れたらどうすんの?!・・それこそ、檀家さんに迷惑かけるねんで。ボランティアは他の人が居てはるけど、檀家さんの法事やお葬式をやる人は、あんたしか居らんやろ!・・ええかげんにしいや。」と。
僕は「はい、お土産〔さんま寿司〕。今が旬や、美味しいと思うで。・・もう、無理せえへん。」と、うつむき呟き、すぐに退散した。
帰り車の中で、『何で怒られなあかんねん!ほんま腹立つわ。土産なんか買わんといたら良かった・・』とブツブツ呟きながら帰った。
・・で、家に帰って妻にその事を言ったら、
(嫁はん)「どうせ、言うても聞かへんのになぁ。・・私なんか、とっくに諦めたわ。お父さんは、やりたい事をやって死ぬねんもんなぁ」と言いよった。
これはこれで、寂しいもんがあった。・・完
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母親(オカン)に叱られた話
和歌山県「熊野川町」でのボランティア
去る9月3・4日、紀伊半島を中心に襲った「台風12号」による「豪雨被害」は甚大なものであった。
全国で死者・行方不明者は〔100名〕を越え、平成に入って最悪の被害状況であるといわれている。
大阪という〔日頃から(出前で)お世話になっている奈良・和歌山の〕隣接地に住んでいる僕は、機会があれば是非、ボランティアに行かせて頂きたいと思っていた。
(本町:北御堂を出発)
そしてついにその機会が来た。
浄土真宗本願寺派「大阪教区」が、被災地(日帰り)ボランティア活動要員を募集してきたのである。
僕は(年甲斐も無く、この情報に)飛びついた。(ついでに娘も巻き込んだった。〔笑〕)
そして、昨日、スタッフを含め〔13名〕、マイクロバスに乗って「和歌山県熊野川町」に出発した。
出発時間は、朝の5時50分。到着まで「4時間」の長旅となった。(往復8時間、腰が痛なった)
(和歌山県新宮市熊野川町)
午前10時、現地到着。
現場の状況を見て、東北の津波被害地を思い出した。
家々はなんとか残っているが、(二階まで水が上がって来たようで)住んで居られる方は少なかった。
ただ違うのが、家屋の残り具合だろうか。津波はエネルギーが強いため、洗いざらい押し流してしまったが、豪雨被害は、津波のような(すべてを押し流す)強いエネルギーはなかったように感じた。
又、写真の『鉄橋』の高さまで〔水〕が来たらしく、木屑が絡んでいたのが下から見えた。
(新宮市災害ボランティアセンター)
僕たちは、まず『新宮市災害ボランティアセンター〔熊野川サテライト〕』に行き、「ボランティア活動保険」に加入し、ボランティアを要望されているお家に向かうことになった。
(道具の揃った「熊野川サテライト」)
サンダーバード2号機のコンテナのように、シャベル・つるはし・一輪車などが豊富に揃ったボランティアセンターから、いろんな道具を借りて、作業着に着替え出発。
この日は、ひとり暮らしだった(水害を受けた)お婆さんのお家の中の後片付けが、主な仕事となった。
すでに被災一ヶ月を過ぎていた為、家の中は埃まみれの泥まみれ、しかも冷蔵庫の中の品もそのままの状態。(臭いが・・凄かった)又、泥でめちゃくちゃになり(膨れて引き出しの開かぬ)タンスや膨張した畳などを皆で外へ運び出す。・・そんな作業の繰り返しで半日が終った。(綺麗さっぱりしたで。・・僕等の服は埃まみれになったが。)
(働くおじさん=坊さん)
そして後の半日は、別の場所に移り、家の横の金網についた川の藻などを取ったり、庭を被った泥などを除去し排水が流れるようにしたりした。
・・そう一日のほとんどが、肉体労働でした。(僕にはきつかった・・。)
そうそう、ちょっとしたハプニングがここで僕に起こった。
それはあまりに埃がひどかったので、途中、ぼくは小川の橋の上で(隣の家からホースを引っ張って来て)顔を洗った。そしたら川の中にメガネを落としてしもた。(メガネ、メガネ・・。ヤッさん状態)
急いで、川の中に入って探そうとしたら、ボランティアリーダーさんがそれを見て、さっと躊躇いもなく川の中に入ってくれて、一緒に探してメガネを見つけて下さった。(ほんま有難かったわー、感謝!メガネも割れてなかった)
まぁそんないろんな事があったけど、様々な貴重な体験をさせて頂き、行かせてもらって良かったと思った。
・・帰ってきたら、もうへとへと。でも少しでも早く臭いを取りたくて、すぐにお風呂に入ったわ。
でも、又、機会があったら、すぐに出動するで! 年甲斐もなく・・、もうええか。(笑い)
Oさんの余命
昨日の『特養老人ホーム白寿苑』での話。
玄関から入るなり、職員のK君が僕に近づいて来て言われた。
「いつも元気に『法話会』に来ておられる、入所者のOさん(女性)が、先週、苑内で倒れられ、検査の結果〔末期の癌〕である事が解りました。・・余命は幾ばくです。もちろん、ご本人はその事を知らないのですが、少し精神的に不安なようで、住職さん、今日の『法話会』が終ってから、少しOさんのお話を聴いてあげて貰えませんか?」と、いう内容だった。
Oさんは上品な人で、いつも僕が苑から帰ろうとすると、「ご遠方でしょう。気をつけて帰ってくださいね。そして又、来月も必ず、お話に来て下さいね。待ってます」と言って下さる。
その方の命の時間が、もう幾ばく・・。
しかし、ショックなような顔は出来ない。いつもと同じように(法話会終了後、)お話させてもらった。
開口一番、ご本人は「私、命拾いしました。・・もうあかんか思ったのですが、救急病院に運ばれて助かりました。好かったわー。」とおっしゃられた。
僕は何事もないように「それは良かったですね。・・たいへんやったんですね。」と答えた。
Oさんはそれから、救急病院での話をいろいろとして下さった。
そして「私、運がよかったんやねぇ」とおっしゃられたので、一瞬、僕は目を伏せたが「そうですねぇ。命があったんですものねぇ」と答えた。
するとOさんは、「・・住職さん、私に何かお寺の用事で手伝える事はありませんか?」と尋ねられた。
僕は「じゃあ、以前作って下さったような、花の形に切った(お供え物に敷く)折り紙の懐紙をたくさん作ってもらえませんか?」と頼んだ。
Oさんは、パッと顔色を輝かせて「そうですか。仏様のお供え物の懐紙が作れるなんてとても幸せ。・・たくさん作りますね」と言われた。
「楽しみにしてますので、一杯一杯作ってくださいね。」と僕が言うと、急いで車椅子を動かし、お部屋まで帰って行かれた。
その後ろ姿を見ながら、僕は『Oさんはご自分の(この世での)余命を知っておられるのではないだろうか?』と思った。
しかし、最後まで『何かの役に立てる』と、気力を持つことは大切な事だと思う。・・ガンバレ、Oさん。 合掌
「竹内街道 灯路祭り」への出前

昨日の夜、(小雨の中)大阪府太子町の『竹内(タケノウチ)街道』に設けられた「灯路祭り」へ『紙芝居』の出前に行って来た。
聖徳太子のお膝元である太子町から奈良へと抜ける道、これを日本最古の官道『竹内街道』という。
この石畳で整備された趣のある街道沿いに、小さな灯籠が並べられ、お寺内での「雅楽の演奏会」や、旧家での「二胡の演奏会」などが開かれ、さらに軒下ギャラリーという「絵画展示会」や「夜店」などが出る。
(太子町『松井邸』)
そして僕は、街道沿いの旧家であるゴージャスな『松井邸』で、「仏教紙芝居」を披露させて頂いた。
あいにくの雨で、人の集まりはまばらであったが、情緒ある昔風情たっぷりの優しい雰囲気のお祭りとなった。・・僕はこんな雰囲気、好きである。
お世話になりました『松井家』の皆様、又『竹内街道にぎわいづくり協議会』の皆様、ありがとうございました。 合掌
報恩講が終わりました!

昨日、(小雨の中)うちの寺の〔年一回〕の大イベント「報恩講(ホウオンコウ)法要」が、無事に終わりました。
今年は、村の祭りと日が重なった為、(だんじりが待機するので)いつもの駐車場がお借りできなくて、ご参集下さるご寺院様方、又、檀家さま方にはいろいろと(駐車スペースの事で)ご迷惑をお掛けしました。
えっらい、すんまへんでした。
でも、たくさんのお参りで、とても嬉しかったです。
今、「ほっ」としてます。
(石田しぇんしぇい)
又、ご講師の〔善林寺〕ご住職『石田圓照』先生、毎年毎年、お忙しい中お越し頂き、今年もありがとうございました。
私、先生の御法話を聞かせて頂くのが大好きなんです。
何ちゅうか、ご自分の身近な(ちっちゃな自虐ネタ?)エピソードをちりばめながら、仏様のお話を深めていかはるテクニックは、ほんま凄いっと毎回感心してしまいます。(このテクニックを盗んだろかと思うのですが、とても出来ません。・・やはり、個性というのはその人独特のものなのでしょうね。とてもマネできまへん。・・僕は僕の持ち味でゆきますわ。)
まあ、今年も無事にこの法要が終わりました。後は正月を待つだけか?!・・ちゃうかぁ?
紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その6 最終回)
(左衛門)「・・このままお別れするのは辛うございます。」
(親鸞)「会うは別れの初めです・・。もし、私を恋しく思えば、『南無阿弥陀仏』と称えて下さい。・・その念仏と共に私は居ります。・・それでは、一言も家の中でセリフの無かった弟子たちよ、そろそろお暇いたしましょう。」
(弟子A&B)「はい、お聖人さま。」
(左衛門)「そうでございますか。それではお身体お大事に。
・・あの~、このうちのせがれの〔松若〕でございますが、大変、仏さまのお話が好きでございまして、一度、お寺に伺わせて頂いてもよろしゅうございますか?」
(親鸞)「おぉっ、そうですか。どうぞどうぞ、いらっしゃい。・・それでは失礼致します。さようなら。」
(左衛門・お兼・松若)「お聖人さま、さようなら~。」
・・さて、この息子の〔松若〕が、のちに出家し〔唯円(ユイエン)房〕と名乗り、親鸞聖人の大事なお弟子の一人となるのですが・・、それは又、別の(第二部の)お話。
これにて第一部は、おしまい。めでたし、めでたし。
《余話として》
(物語の舞台「沈石寺」)
茨城県常陸太田市上河合町に、この《倉田百三》氏の『出家とその弟子』の(物語の)舞台となったお寺がある。
お寺は『沈石(ちんせき)寺』といい、次のような言い伝えが残っている。
「1212年、雪の夜。〔日野頼秋〕という武士の家に、親鸞聖人が訪れた。
そして聖人は、一夜の宿を請い願われたが、頼秋は「仏道を修する者が、雪や寒さを苦にして、安楽に宿をとるとは何事か」と追い出した。
その夜、頼秋は、石を枕に念仏を称える親鸞聖人の姿を見て改心。そして帰依しのちに出家し、名を〔入西〕と名乗る。そして自宅をお寺に改築し『沈石寺』とした。」
(境内の親鸞聖人の碑)
親鸞聖人の歌が一遍残っている。
『寒くとも たもとに入れよ 西の風 阿弥陀の国より 吹くと思えば』
観光バスツアーがやって来る!
『嘘やろ~っ!?』と、思わず呟いた事がついに起こった。
それは昨日の電話である。
「こちらは、京都の『○○観光』と申します。
京都の○○派○○組寺院様御一行の強いご要望で、観念寺様に今度、〔観光バス〕で参拝させて頂いてよろしいでしょうか? お客さまがツアー行程の一つとして〔観念寺〕さまをご希望されておりますので・・。又、できましたら、お客さま到着後、『紙芝居』を披露していただけませんでしょうか?」と、いうものだった。
『えぇっ?』と思ったが、話を伺っていると、どうやら本気のようだ。
その日、京都を出発し大阪へ南下、うちの寺に寄る。その後、堺市で食事を取り、貝塚(願泉寺)にお参りし、その日は白浜で一泊される。そして次の日、和歌山市立博物館を見学し、帰宅という行程らしい。
貝塚の大寺院『願泉寺』と『和歌山市立博物館』の見学は解る。・・しかし、うちの(吹けば飛ぶような)小さな寺が、そのツアーに組み込まれるとは、何という珍事か?!
「うちの寺の前の道路は狭いので、大型バスは入れませんが良いのですか?」などと、細かい事を何度も聞いたが、『何とかする』と云う事だ。
聞いているうちに一つ解ったことは、どうやら先々月、テレビ放送された「よーいどん」を見られた方が、「是非、《生》の紙芝居を、現地で見てみたい」と希望されたようなのだ。(テレビの影響は凄い!改めて思った)
思いも寄らない有り難い話で、うちにとっては秋の珍事であった。
この日は、いつもの『お寺の出前』ではなく、『お寺のお客』だ。・・まぁ、『出前』に行かなくてよいので、楽チンは楽チンか・・。(笑)・・でも、バス大丈夫かなぁ?
紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その5)

(親鸞)「はい、それは〔阿弥陀(アミダ)如来〕という、仏様のお慈悲にすがる方法です。
この仏様のお慈悲は、この世の善悪を超えて、働いて下さる〔お力〕があるそうです。・・つまり、私たちを〔悪いまま〕で助けて下さるのです。〔極楽〕へ導いて下さいます。
それがこの仏様のお慈悲です。・・私はそれを信じております。いや、信じなければ生きてゆけません。
これを〔他力〕の信心と呼ぶそうです。」
(左衛門)「なんと、悪人を悪人のままに救って下さる仏様とは・・。その仏様にすがれば良いのですね・・。はい、私は信じます。・・信じますとも。私にとっては有り難い!」
(親鸞)「しかしご主人、悪人を救って下さるとはいえ、喜んで悪事ばかりを成してはなりません。・・そこの所は、あなた様のような御方にはちゃんとお解かりでございましょう。」
(左衛門)「はい。よく解っております。・・それはニッポンの常識ですっ!いやいや、この時代にはまだ早い昭和の(お笑い芸人の)ギャグでございました。・・失礼しました。」
(親鸞)「今のは聞かなかった事にしまして、・・本題に入りましょう。
実は、私もこの〔阿弥陀如来〕のお救いのお話を聞いた時、『これで私も救われる!地獄に往かなくても良い!』と思い、思わず泣きました。
それから、私はずっとこの仏様を信じて、この仏様のお名前、『南無阿弥陀仏』と念仏を称えさせて頂いております。」
(左衛門)「お聖人、私もその仏様を信じとうございます。・・お聖人、もっと、その仏様のお話を聞かせて頂けませんか?・・いや、いっその事、私も出家させて頂けませんか?弟子にして下さい!」
(親鸞)「それはいけません。あなたには、御内儀とご子息がおられます。養う家族がございましょう。・・思いとどまって下さい。
私の信じている『浄土門』という教えは、在家のままの信心でもあるのです。商人は商人のまま、猟師の方は猟師のままで信じれる信仰なのです。形にとらわれてはいけません。心が大切なのです。
・・おおっ、もう夜が明けようとしている。・・そろそろ、お暇せねばなりません。・・このブログも長くなり過ぎましたし・・、いや一人ごとです。」 つづく(次回、最終回)
紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その4)

(親鸞)「はい、私は地獄はあると思います。
私は人を傷つけたり、怨んだりした時、必ずこの報いは来ると思うのです。
・・しかし、同時に必ず、その地獄から逃れる方法があるとも思うのです。
・・でなければ、何の為に《仏さま》はいらっしゃるのでしょう。
私たちは『自分が悪かった』と悔い改める時、そこに《不思議な力》(そんな気持ち)を感じませんか?・・私はそれが『仏様の力』だと思うのです。『仏さまの力』が働いて下っているからだ、と思うのです。」
(左衛門)「おっしゃることは解ります。・・しかし、私の心はすぐに『たちの悪い』怒りや怨みに占領されるのです。」
(親鸞)「私も同じですよ。それが人の心です。・・心はすぐに、他からの刺激によって変化してしまいます。」
(左衛門)「お聖人さま、聞いて下さい。私は善い人間になろうと努力しました。・・しかし、それは無駄なことでした。
私は、獣や人を傷つけねば生きていけないのです。
・・それで、いつも自分を責めています。」
(親鸞)「あなたの苦しみは、すべての人間が持たねばならない苦しみです。
善くなろうとする人間は、皆あなたのように苦しむのが本当です。
実は私は、理由(ワケ)あって九歳で〔出家〕しました。
そして、二十九歳まで命掛けで、京都は比叡山で厳しい修行をしました。・・それは、善い人間になろうと思ったからです。
しかし、ダメでした。その願いは叶いませんでした。・・私は絶望しました。
それで私は〔人間は善く成りきることはできない〕と悟りました。
絶対に他の命を傷つけずに、人は(人の中では)生きてゆけないのです。・・だから、私も悪人です。」
(左衛門)「あなたが〔悪人〕だとおっしゃる理由は解りました。
・・では先ほど、あなたは〔地獄〕はあるとおっしゃいましたね?
あなたが悪人なら、あなたも〔地獄〕に落ちねばなりませんよね。
あなたは〔地獄〕が恐くないのですか?」
(親鸞)「恐いですよ!・・地獄にしかゆけぬ自分である事が解っているのですから。
・・しかし私は、悪いままでも〔別の方法〕で『極楽』へ往ける方法があると、わが師『法然(ホウネン)』聖人から教えてもらいました。」
(左衛門)「えぇっ?それはいったいどのような方法なのですか?」 つづく


