住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その6 最終回)

(左衛門)「・・このままお別れするのは辛うございます。」
(親鸞)「会うは別れの初めです・・。もし、私を恋しく思えば、『南無阿弥陀仏』と称えて下さい。・・その念仏と共に私は居ります。・・それでは、一言も家の中でセリフの無かった弟子たちよ、そろそろお暇いたしましょう。」
(弟子A&B)「はい、お聖人さま。」
(左衛門)「そうでございますか。それではお身体お大事に。
・・あの~、このうちのせがれの〔松若〕でございますが、大変、仏さまのお話が好きでございまして、一度、お寺に伺わせて頂いてもよろしゅうございますか?」
(親鸞)「おぉっ、そうですか。どうぞどうぞ、いらっしゃい。・・それでは失礼致します。さようなら。」
(左衛門・お兼・松若)「お聖人さま、さようなら~。」
ファイル 779-1.jpg
 ・・さて、この息子の〔松若〕が、のちに出家し〔唯円(ユイエン)房〕と名乗り、親鸞聖人の大事なお弟子の一人となるのですが・・、それは又、別の(第二部の)お話。
 これにて第一部は、おしまい。めでたし、めでたし。

 《余話として》
ファイル 779-2.jpg(物語の舞台「沈石寺」)
 茨城県常陸太田市上河合町に、この《倉田百三》氏の『出家とその弟子』の(物語の)舞台となったお寺がある。
 お寺は『沈石(ちんせき)寺』といい、次のような言い伝えが残っている。
 「1212年、雪の夜。〔日野頼秋〕という武士の家に、親鸞聖人が訪れた。 
 そして聖人は、一夜の宿を請い願われたが、頼秋は「仏道を修する者が、雪や寒さを苦にして、安楽に宿をとるとは何事か」と追い出した。
 その夜、頼秋は、石を枕に念仏を称える親鸞聖人の姿を見て改心。そして帰依しのちに出家し、名を〔入西〕と名乗る。そして自宅をお寺に改築し『沈石寺』とした。」
ファイル 779-3.jpg(境内の親鸞聖人の碑)
 親鸞聖人の歌が一遍残っている。
『寒くとも たもとに入れよ 西の風 阿弥陀の国より 吹くと思えば』

上に戻る