住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」 (その3)

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そして(半人前地蔵の)私が、錫杖(しゃくじょう=杖)をパッと振ると、なんと目の前の世界が、一瞬ピカッと光り輝きました。
 そして、言いました。
(半人前地蔵)「さぁ、長一。望みどおり、君の存在を消して上げたよ。・・君は生れなかったことにした」と。
 すると長一は、「変なこと言わないで下さいよ。ちゃんと私はここに居ますよ。・・それじゃ、ここに居る私はいったい誰なんですか?」と言い返しました。
(半人前地蔵)「誰でもないよ。君は〔名無しのゴンベェ〕だ。町の人は、誰も君を知らないはずだ。嘘だと思うなら、町に行って聞いてごらん。」と言い、一度私は姿を消すことにしました。
(長一)「そんな馬鹿なことがあってたまるか!? これは夢だ。・・なんだか死ぬ気も失せてしまった。・・あれっ?聞こえ無い方の耳が聞こえるぞ。不思議だなぁ・・」と、長一は一人事を言って家に帰ることにしました。
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 家に帰って、長一はびっくり。
 なんと、家が無いのです。
 その時偶然、となりのご隠居が外に出てきたので、長一はあわてて聞いてみました。
 「ごっ、ご隠居さん、私の家を知りませんか?」と。
 するとご隠居は、「あんた、この辺じゃ見かけん顔じゃなぁ・・。この昔の質屋の事を言っておるのか?・・ここは、十年前に店主が亡くなって潰れてしもたよ。」と答えました。
(長一)「えっ?!でも、ここには二人の子供が居て、その一人が、わたし・・」と言いかけるとご隠居は・・、
 「何だって?ここには一人しか子供は居らんかったよ。しかし、その男の子も小さい頃、池で溺れて死んでしまってなぁ・・。気の毒なことじゃった」と言って立ち去りました。
(長一)「なんてこった!やはり、ここは私の家だったんだ。・・でもいったい、なぜだ?!」
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 そこで私が姿を現し、説明してやりました。
(半人前地蔵)「だから言ったろう。お前は生れなかった事にしたと。・・だから当然、弟は一人っ子で、助けるお前が居ないので、池で溺れて死んだんだ。・・そして、跡取りを無くしたお店は潰れる。当然のことさ」と。
 「そんな馬鹿な!」と長一は叫んで、町へ向かって走り出しました。
 つづく

紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」 (その2)

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(長一)「お地蔵さまっ、私程、運の悪い男は居りません!・・それでもう死ぬより他ないのでございます。
 実は、私の家は小さな『質屋』をやっておりまして、私の妻と子と弟と、どうにか慎ましく暮らしております。
 質屋を経営しておりますと、〔貧乏長屋〕の住人達が、二束三文の所帯道具を持って来て、『お金に変えてくれ』とやって来るのでございます。
 私は、『ダメだ、こんなオンボロな品物!』と言いたい所ですが、『お金が無ければ家を出て行かねばならない』と頼まれれば、とても断れません。
 ・・それで、気がつくと私の店も『火の車』になっておりました。
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 ・・そう、私は小さい頃からついてないのです。
 幼い頃、弟が池で溺れました。それを助けようとして私が風邪を引き、片方の耳が聞こえなくなりました。
 又、大人になって、都会に勉強に行こうと思ったその時、父親が急死して、私が店を継がざるを得なくなりました。
 ・・結婚して子供も出来ましたが、貧乏で何一つ善い事がございません。
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 そして今日、とうとう生活費が無くなり、高利貸しにお金を借りに行ったら、その帰りに大事な『財布』を落としてしまったのです。
 こうなったら、もう死ぬしかございません。
 ヤケクソになって、つけで酒を飲み、死ぬ決意をしたのでございます。
 自殺したら、きっと高利貸しも金の催促には来ないでしょう。
 私なんか、死んだ方がまだ価値があるのです。」と、そう長一は話しました。
 長一の話を聞いた(地蔵の)私は、思わず言いました。
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(半人前地蔵)「君は立派な人間だ。困ってる人をたくさん助けているじゃないか。・・いいかい、自分が死ねば皆が幸せになるとでも思っているのかい?」
 すると長一は、「はい、きっとそうなります。
・・そうなんだ!私なんて居ない方が良いんだ。いや、最初から私なんか生れなければ良かったんだ。
・・私なんか居なくても、世の中、何も変わりはしません。」と、言い返しました。
(半人前地蔵)「そんな事、言うもんじゃない!
 そんなに自分の存在を粗末に言うのなら、・・いいだろう。では君の願いどおりに、君の〔存在〕を最初から消してやろうじゃないか!」と、私は思わず言ってしまいました。
(長一)「はぁ?」
(半人前地蔵)「はぁ、じゃない。望みどおりに、君は最初から生れなかった事にしてやると言っているんだ。
 私は仏だ。不思議な力が使えるのさ。ちちんプイプイ・・。」と私は呪文を称えました。
 すると・・。つづく
 

紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」 (その1)

ファイル 822-1.jpg(映画『素晴らしき哉、人生!』)
 今年の夏、東北(仙台)の震災ボランティアセンターに行った時、「今、被災地で『素晴らしき哉、人生!』という、古いアメリカ映画がヒットしている。・・この映画をミニシアターやビデオで、皆見ながら心を癒している。」という話を聞いた。
 僕は思わず、『そんな、被災地の人を癒す映画があるのか?!』と驚き、大阪に帰ってから、急いでDVDを探して買って見た。
 そしていつしか、このお話を日本バーションにして、紙芝居化したいと思い、先週ようやく完成した。
 それでは、日本版『素晴らしき哉、人生!』のお話をご覧下さい。はじまり、はじまり~
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〔半人前地蔵〕「皆さん、お初にお目に掛かります。ワタクシ〔半人前地蔵〕と申します。
 えっ?なぜ、半人前なのかって?・・それは、まだ私は〔地蔵〕として見習いだからなのです。
 それで、まだ〔後光〕も光っていないのですよ。・・ああ、早く人間になりたい!・・じゃなくて、早く一人前になりたい!
 そうそう、そんな私に本日、ビックチャンスが来たのです。
 ・・と申しますのは、先ほど、お釈迦さまに呼び出されまして、極楽の宮殿に参りましたら、次のように云われたのでございます。

〔お釈迦さま〕「おっほん、半人前地蔵よ。・・今、地上で人生に悲観し、自殺をしようとしている男がいる。・・お前は、その男の下に行って命を助けよ。・・そして、その男に『あぁっ、素晴らしき哉、人生!』と叫ばせてみよ。・・もしそれが出来たら、お前を一人前にして後光をプレゼントしてやる。・・どうじゃ出来るか?」と、おっしゃられたのです。

〔半人前地蔵〕「それで、もう私は嬉しくて嬉しくて、『ハイッ!』一声でお受けし、今からその男の下に向かうのでございます。 
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 おおっ、居りました。今、橋の上から飛び降りようとしております。・・確か、男の名は〔長一〕と云ったはず。
 「おーい、長一! 死んではならん!」と、私は急いで彼を呼び止めました。
 すると、長一は驚いて「あっ、お地蔵さま!」と叫び、その場でしゃがみ込んだのでございます。
 彼はひどく酔っておりました。
 私は言いました。
 「長一っ、なぜ、死のうとした。一つしか無い命。粗末にしてはならん!」と。
 すると彼は、自分が死のうとしていた訳を話し始めたのでございます。」  つづく

狭山地区:「いきいきサロン」お寺の出前講座への出前

ファイル 821-1.jpg(狭山地区会館)
 昨日、狭山地区福祉委員会主催による「いきいきサロン」お寺の出前講座に行って来た。
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 一時間半の講座ということで、紙芝居を四本ほど持って行ったのだが、結局二本しか出来ず、後は、ほとんど雑談というか、出前の裏話とか、気楽に生きる方法とか、幸せ体操とか、おしゃべりばかりしてしまった。
 「もうちょっと、時間が取れれば良かったですね」と、お世話人の方が最後におっしゃって下さったのだが、時間があったら、僕はさらに〔雑談時間〕が増え続けてしまうような気もした。(笑い)
 起承転結の無いお話ばかりしてしまい、(僧侶に有るまじき、品の無いおもろい話ばかりしてしもて)狭山地区の皆様、えらいすんまへんでした。・・でも、とっても楽しい雰囲気が会場全体を包んでいたような気がして、僕もとても話易く楽しかったです。
 本当にありがとうございました。合掌

映画「阪急電車」のプロローグ

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 『人はそれぞれ皆、いろんなやりきれない気持ちを抱えて生きている。
 死ぬほど辛いわけではないけれど、
 どうにもならない想いを抱えて生きている。
 ・・そして、その気持ちは誰にも言えないのだ。
 誰かに言っても仕方のない事だと 諦めるしかない。
 皆、そう思っている。
 自分自身で解決するしかないんだ。

 この世界には こんなにもたくさんの人がいるのに、
 同じ場所で 同じ時間を一緒に生きている人が こんなにもいるのに、
 それは 何の意味も持たない。
 名前も知らない人達は、私の人生に何の影響ももたらさないし、
 私の人生も誰にも何の影響も与えない。
 世界なんて、そうやって成り立っているんだ。
 そう思っていた。 
 でも・・・。』 映画「阪急電車」のプロローグより

 歳末恒例の「今年の漢字」は《絆(きずな)》に決まった。
 この《絆》という言葉を、まるで暗示するかのように、今年上映された映画が、『阪急電車 =片道15分の奇跡=』ではなかろうか? 
 僕は今年見た映画〔邦画ナンバー1〕にこの映画を挙げたい。
 あまりにこの映画が気に入った為、映画を見た後、原作を買い、サントラを買い、そして先日ついにDVDまで買ってしまった。
 まぁ阪急電車には、学生時代に(通学で)いろいろとお世話になったという思いいれもあってのことだと思うが・・。
 この映画の内容を、ちょっとだけ述べる。
 「宝塚~西宮北口間を15分で走る、えんじ色の車体にレトロな内装の、阪急今津線。
 その電車に、さまざまな『愛』に悩み、やりきれない気持ちを抱えながら、偶然乗り合わせただけの乗客たちがいた。
 電車内という限られた空間で、それぞれの人生がほんのちょっと重なり合い、影響し合い、そして離れていく。
 数々の出会いが重なり、そこに生れる小さな愛の奇跡。 
 勇気を持って踏み出せば、いつもとは違う景色が、人生が、そして素敵な出会いが待っている・・。」という、有川浩さん原作の(皆が主役の群像劇)の名作である。
 もう一度云う。・・僕の今年見た邦画ナンバーワンである。

奈良県:黒滝村「こもれびホール」への出前

ファイル 819-1.jpg(こもれびホール)
 おととい、奈良県吉野郡:黒滝(くろたき)村へ、「お寺の出前」に行って来た。(声を掛けてくだったのは、同じ紙芝居ボランティアの同志『和我間々倶楽部』の方だった。)
 出前場所は、村営の「こもれびホール」であり、お客さんは、子供ちゃんを中心とした村の方達であった。
 さて、黒滝村というのは、今年の台風12号で大被害を受けた所であり、被災地への出前なのでたいへん緊張した。
 それでは、黒滝村の説明を少し。
 この村は、奈良県のほぼ中央に位置し『奈良のへそ』と呼ばれている。(個人的には、もうちょっとオシャレな呼び方はなかったのかと思う。・・たとえば、『センターインNARA』とか、『奈良の心臓ブイ』とか、・・あかん、あんまり変わらん。)
 そして『林業』を主産業としている。(その通り、山深い森の中に村はありました。)
ファイル 819-2.jpg(台風の爪あと)
 黒滝村に到着して驚いたのは、やはりまだ台風の爪あとが生々しく、こもれびホールの真横に、台風によってなぎ倒された大木等が、そのまんま横たわっていた。
 これは(木の中に土砂がめり込んで居る為)使い物にならないらしい。(なんとか、ならんのかなぁ?)
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 ホールの中に入ると、子供と大人たちが、松ぼっくりを使って、ミニクリスマスツリーを作っていた。
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 そして僕は、子供ちゃん達に楽しくてちょっぴり考えさせられる紙芝居(『ねずみの嫁入り』と『三尺三寸のお箸』)をした。
 みんな、紙芝居自体が珍しかったのか、真剣に見てくれていた。
 こんな風に、今回の出前は終ったのだが、一つ驚いた事があった。
 それは、紙芝居が終り、後片付けをしようとしていたら、「宮本っさん!」と一人の年配の女性から声を掛けられたことだ。
 その方が帽子とマスクを外されたら、なんと、20年近く前に、ご一緒に『ビハーラ研修(仏教ホスピス研修)』を、京都の本願寺で学んだ同期生の方だった。(当時は仲好しで、また先日、NHKのテレビに僕が出た時も電話を下さったりした)
 その女性は、「私、ここの村の出身なのよ。・・友人から、『今、お坊さんが、ホールで紙芝居を演じてはるよ』とメールが入ったから、『お坊さんで紙芝居をする人って、きっとあの人?!』と急いで来たら、やっぱりあなただった。こんな遠方までありがとう!」と言われ、めちゃくちゃ喜んで下さった。
 そして、「台風の時は恐かったわよー。あんなに雨が降るのかと思うくらい降ったのよ。そして、村役場から避難指示が出たけど、どこに逃げたら良いか解らず、結局動けなかったの。・・樹齢100年以上の大木がなぎ倒されてゆくのを見るのは本当につらかったわよ」とか、お話して下さった。
 そして「又、来てよ!」と言われ、手を振って(ずっと)見送ってくださった。
 僕はご縁の不思議さを(また)味わいながら、村を後にしたのだった。

紙芝居:「弘法大師 空海さま」 (後編)

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 日本に帰国した〔空海〕さまは、嵯峨天皇の後押しで、京都の〔東寺〕を任され、密教を広めました。
 又、誰でも入れる学校『綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)』を作り、子供たちに給食など、無料で配ったりしました。
 さらに、弟子たちと東奔西走し、民衆の救済、社会事業の展開とめざましい活躍をされました。
 故郷の讃岐の国、満濃池(まんのういけ)の治水事業もその一つです。(ついでに余談ながら、唐から〔うどん(みたいな食べ物)〕も持って帰って来て、空海さんが作り方を教え広めたという伝説もある。・・だから、讃岐=うどんなのかぁ・・だが、あくまでも伝説である。)
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 そして和歌山県の高野山も、空海さまが〔密教〕の根本道場の地として、開かれた聖地です。
 この高野山にて、62歳で、空海さまは亡くなられます。
 その時、朝廷からも多くの弔辞が贈られ、国を挙げて、空海さまの死(入定)を悲しまれます。
 その86年後、醍醐天皇から『弘法大師』という号を賜るのです。

 話は変わりますが、今尚、空海さまを慕って、高野山にはたくさんの方がお参りに来られます。
 お参りの人が称える『南無大師遍照金剛(なむだいし へんじょう こんごう)』というのは、
 空海さまが若い時、太陽が満遍なく照らすのを見て、自分は(ダイヤモンドのような光の輝き=金剛)太陽みたいになりたいと思った、まさに『太陽のように遍(あまね)く照らす空海さま、ありがとう!』という意味なのです。(あったかハイムさんみたい・・)
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 空海さまは、あらゆる分野で活躍されました。
 あの『色は匂えど散りぬるを 我が世 誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず』という、『いろは歌』も、空海さまが諸行無常という仏教の教えを、子供にもわかり易く伝えようと、作られたものだと伝わっています。
 医療・教育・建築・土木など、あらゆる分野でその才能を発揮された、弘法大師:空海さま。
 そして、今、流行の『四国遍路八十八ヵ所霊場めぐり』も、空海さまの足跡を慕ってめぐる旅でもあるのです。 おしまい 
 

紙芝居:「弘法大師 空海さま」 (中編)

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真魚青年、いや、もう〔空海〕様とお呼びしましょう。
 空海さまは、滝に打たれたり、狼のいるような恐ろしい森の中で、幾日も修行を続けられました。
 百日もの間、百万遍の真言を称え続けるという『虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)』という行を修められたり、又、室戸岬に回り、同じ行を繰り返されました。
 その室戸岬の御蔵洞(みくらどう)という洞窟で、この行をしていた時、不思議なことが起こりました。
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 ある朝、谷がこだましたかと思うと、明けの明星が、空海さまの口の中に飛び込んだのです。
 「何じゃ、これは!・・この身体中、みなぎる不思議な力は!(アリナミンVXが効いたのか!・・とは言わず)」と、空海さまは感動に身を震わせました。
 この時、空海さまは、今まで見えてなかった物がはっきりと見えたような気がしたのでした。
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 四国で不思議な体験をした空海さまは、都に戻ると、『秘密仏教=略して〔密教〕』に関心を持たれ、猛勉強を再び、開始されました。
 そして、「もっと深く『密教』を学ぶには、やはり正統:密教の伝わる唐の国へ渡って学ぶしかない!」と、一大決心をします。
 運良くその頃、遣唐使船が嵐に遭い戻って来ていて、新たに乗船する人を募集していました。
 「今しか、機会はない!アタックチャーンス!」と、空海さまは頭を剃り正式な僧侶(仏弟子)となり、縁を頼って、遣唐使の一人に加えてもらうことになったのでした。
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 こうして空海さまは〔遣唐使〕として、唐の国に渡ることになりました。
 長崎の港を出た〔遣唐使船〕は、途中、たいへんな嵐に遭い、海を漂いながらも、なんとか無事に大陸に到着しました。
 こうして、空海さま一行は、それから徒歩で唐の都:長安に入ったのでした。 
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 長安に着いたのち空海さまは、インドのお坊様から〔インドの古語:サンスクリット語〕を学び、さらに密教の正統を継ぐ〔青龍寺〕の『恵果(けいか)』和尚のところに入門しました。
 そして1000人を越す弟子の中から、恵果和尚は、なんとっ、空海さまを選び、密教のすべてを伝授されたのでした。(こののち、中国仏教は、時の権力者によって滅ぼされます。・・ひょっとすると、恵果和尚はその事を予知していて、すべて丸ごと、日本へ移したのかもしれません。・・余談でした。)
 こうして空海さまは、密教の正統を受け継ぎ、日本へと帰国するのでした。 つづく 

紙芝居:「弘法大師 空海さま」 (前編)

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 『おだいしさま』と親しまれる〔弘法大師 空海〕様。
 この〔弘法大師〕というのは、醍醐天皇から贈られた〔おくり名〕です。
 お坊さまとしての名は〔空海(くうかい)〕とおっしゃいます。
 それでは、この〔空海〕様とは一体どのような御方だったのでしょうか?この紙芝居を通して、(前半生を中心に)見て頂きましょう。
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 空海さまは、今からおよそ1000年以上も前、四国は讃岐の国(今のうどん県、いや香川県)の『佐伯(さえき)氏』という豪族の御子として生れました。
 幼名は『真魚(まお)』といい、小さい頃から大変利発な少年だったそうです。
 真魚少年は、一族の大きな期待を背負って、11歳の時、京の都に出ます。
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 都で真魚少年は、おじさんから勉強を教わりました。
 そして猛勉強の末、18歳で当時の日本でたった一つの大学に入学しました。
 真魚少年は、地方豪族の子としては、まずは無難なエリートコースに乗ったのです。
 しかし授業に飽き足らず、大学を抜け出して、いろいろな所に勉強に行き出しました。(今と一緒なんやなぁ・・。)
 その内、だんだんと仏教に興味を持つようになりました。
 又、自然の中にこそ、学ぶべきものがあると思い、あちこちの山の中を散策して周りました。
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 真魚青年が、大学に行かなくなったので、おじさんは怒りました。
 しかし真魚青年は、『大学の学問がいったい何の役にたつのか・・?』と毎日、悩んでいたのです。
 そしてついに大学を辞め、真魚青年は一修行者となって、故郷の四国に帰り、山の中で厳しい修行を始めたのでした。
『悟り』を求めるために・・。
 ところで、真魚青年が『空海』と名を変えたのは、この四国での修行時代であったと伝わっています。 つづく

豊中市仏教青年会主催「成道会の集い」への出前

ファイル 815-1.jpg(不動院)
 昨日、豊中市仏教青年会主催による「成道会の集い」が、真言宗の『不動院』さまで行われ、紙芝居法話に寄せて頂いた。
ファイル 815-2.jpg(会長挨拶)
 まず、青年会会長が、ギターを持って歌と挨拶をされる。(こんな『歌付き挨拶』見たことないわ・・。〔笑い〕)
 おちゃめな会長の独特の雰囲気によって、会場は和やかな雰囲気に・・。
ファイル 815-3.jpg(住職法話)
 そして、当院ご住職の(ゆるキャラ『こうや君』の詳しい~説明の付きの)御法話を頂戴する。(こうや君が高野山霊場一帯をうろうろ歩き回って、キャンペーンすることを提案されたのは、こちらのご住職なのだそうだ。)
ファイル 815-4.jpg(後ろはご本尊のお不動様)
 その後、『成道会の集い』ということなので、僕は『お釈迦さま』の悟りの話(12月8日がお釈迦さまが悟りを開かれた日で、これを〔成道(じょうどう)〕と呼ぶ)を中心にお話させて頂いた。
 そして後半は、『稲むらの火』の紙芝居をして、(この集いのもう一つの目的である)東日本大震災復興の為の募金の宣伝もちょっとさせて頂いた。
 豊中市仏教青年会の皆様、昨日はいろいろとお世話になり、本当にありがとうこざいました。
 打ち上げ、参加できずにすんまへんでした。 合掌

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