住職のつぼやき[管理用]

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「院主さん、おもろい話ありまんねんでぇ・・」

 僕が毎月、〔お参り〕に行かせて頂いているお家に、(自称)オモロイ人がいる。
 定年退職をされ、今は悠々自適に暮らして居られるIさん(男性)である。
 この方は、根っから明るい。
 おとといもお参りに行くと、玄関の所で待っておられたIさん。挨拶すると、間髪おかずに「院主さん、おもろい話ありまんねんでぇ」と言われた。
 いつもの事なので、家の中に入って(半笑いながら)僕は「じゃ、お勤め終ったら聞かせてくださいね」と言った。(言っておくが、僕はいつもおもろい話を期待している訳ではない。・・まぁ、ちょっと、楽しみにしている所があるかもしれんが・・。)
 お勤めが終ったら、待ってましたとばかり、仏間に入って来られるIさん。(「一緒にお勤めしましょ」と言おうとするが、いつもうまく逃げられ、かわされ言えない・・。なかなかの達人である。でもちゃんと隣の部屋でお経の終る瞬間を聞いてるんやなぁ・・)
 それで、本題の今月のおもろい話。
 もう、しゃべる前から笑っておられ話し始めるので、こっちもそれだけでつられて笑ってしまっている。
 「院主さん、この前なぁ、お客さんが来よってん。それで、えらい寒かったから、あまりわしも入らんこの仏間に(毎日入りぃや!〔僕の心のつっこみ〕)入ってもろてん。わし、それで急いで暖房のスイッチ(ルームエアコン)を点けたんや。・・なんか、町内の大事なお役を頼む話みたいで、わし、断ったろかと思てんけど、どっしり座りよるんで、こっちも『どうやって断ったろか』と腹すえたんや。・
 そしたら相手が、しばらくして、もぞもぞし出し震え出し、『又、来ますわ』と言っていそいそ帰りよったんや。
 わし、おかしいなぁと思って、エアコンの表示見たら《冷房》になってんねん。又、お客の席に直撃や! ははん、こら堪まらんわと思たら、笑えて笑えて・・。おもろいでっしゃろ、院主さん!」と、御まくしたてられた。
 僕は、おもろいというよりも、何か(相手さんが)ちょっと気の毒にもなったので、笑いながら「ご主人、僕にはその作戦を使わんといて下さいや」と言った。
 Iさんは、「わかってまんがな、そう来ると思たで院主さん。・・これを使う時は、『一緒にお勤めしましょか』と、誘われそうになる時や。」ときた。
 この言葉に『読まれてるわ』と思いながら、又、違う作戦を練らなと思い、笑いながら、そのお家を後にした。
 Iさん、それじゃ又、来月おもろい話頼みます!(そんなに期待してないけど・・。)

皆、こない成りまんねんでぇ

 おおといの特養ホーム「白寿苑」での法話会の時のこと。
 始まる15分程前から、最前列で二人のお年寄りが待っておられる。
 一人は男性、もう一人は車椅子の女性。
 「紙芝居法話」の準備をしながら、僕はお二人に話し掛けた。
 「今月の節分の日には、苑内で〔豆まき〕やりはりましたか?」と僕。
 それに答えて、その男性が「はい、やりましたよ。豆は〔乳ボウロ〕でしたけど」と答えて下さった。 
 それを聞いた隣の女性が、「はい、やりましたよ。そうそう、豆は乳ボウロでした。・・そう言うたら、昔、私の家でも・・・・・」。
 そこで話が止まる。
 しばらく待つが止まったままなので、僕は又話掛ける。「そうですか、昔はよく『鬼は外、福は内』って、家の中で豆、巻きましたよね」と。
 すると、その話が止まったままの女性が又、話し始めた。「そうそう、『鬼は外、福は・・・』、あかん、何言うか忘れてしもた。」と言われた。
 しばらく又、沈黙が走る。 
 すると隣の男性が、僕に話し始める。「こんなもんでんねんで、年を取るっちゅうことは。・・今話そうと思ってたことも、忘れてしまいまんねん。皆、こない成りまんねんで。・・住職さんもやで。30年、40年先のはなしや。」と言われた。
 それを聞いていた隣の女性が、「そうそう。」とおっしゃった。
 ・・そうなのだ。僕はよく家の中で「あっあかん。今話そうと思ってたこと忘れてしもた」と妻に言うが、年を多く取るとそんなもんじゃなく、話している最中にも、〔その内容〕を忘れてしまうのだ。
 「皆、こない成りまんねんで」と、(寂しそうに)言われた男性のその言葉が、今も胸に響いている。
 皆、他人事ではない。・・生きるということは、老いてゆくということでもあるのだ。
 
 

滝畑地区で、「滝畑に磨崖仏あり」の紙芝居披露

ファイル 852-1.jpg(滝畑老人会館)
 本日、このプログでも(先日)紹介した「滝畑に磨崖仏あり」という紙芝居を、本家本元の舞台地「滝畑地区」で披露させて頂く機会を得た。
 それは大変光栄なことであった。
 なぜかといえば、この滝畑地区に現在お住まいの皆様、又(あまり良い言い方ではないが)村がダムに沈み、現在〔新滝畑台〕という地区に引っ越された皆さん、又、滝畑ダムの所長様、河内長野市行政の皆さん、そしてこの場をセッテングして下さった「かわちながの観光ボランティア倶楽部」の皆さん方が一同に会して、この紙芝居を見て頂く機会を頂戴したからである。
 驚くべきことは、この紙芝居の最後方で登場する『落慶法要』の場面の、〔餅巻き〕に、実際参加されたお方が名乗りを上げられて、びっくりするやら(僕の拙い絵と表現方法に)恐縮するやらで、まいってしまった。
 又、観音磨崖仏像のお写真を、間近で撮ったものが、「(仏壇の上に飾ってあり)うちにあるので、今、取って来ます!」と言って、走って持って来てくださった方もあって、嬉しいやら驚くやらで、これも恐縮しっぱなしだった。(本当にありがとうございました)
 やはり、現地の人の話が、一番説得力があって凄い!と思った今回の「紙芝居披露」であった。
ファイル 852-2.jpg(チョコレート贈呈の一幕)
 最後に、今日はバレンタインデーなので、観光ボランティアさんからチョコレートを頂き、「仏教の坊主が、西洋の風習の贈り物を頂戴して良いのでしょうか?・・でも、正直嬉しいです!」といらん事を言ってしまい、会場は爆笑であったが後で反省した。(Mさんすんませんでした)
 でも、今日はとても勉強になりました。
 このようなご縁(ご仏縁)を頂き、私は幸せ者です。
 ほんま、ありがとうございました。合掌
ファイル 852-3.jpg(観光ボランティアスタッフの方と共に)

喜びと、悲しみと・・

 先日、ご自宅で「お葬式」をされた方があった。(今はほとんど葬儀会館で行う)
 それで、そのお葬式をする隣のお家が、〔僧侶控え室=(法衣に着替える部屋)〕となった。
 その〔控え室〕で、僕が着替えていた時のこと。
 突然の隣の部屋から、「やったー!やった、やった、超嬉しいー!」と悲鳴のような声がした。(当然、葬儀会場にも聞こえたであろう)
 「お母さん!推薦入試、合格や!」と引き続き、そのお家の娘さんの声がした。
 お母さんは間髪おかずに「しぃー!今、隣のお婆ちゃんのお葬式やで!大きな声出したら失礼やろ!常識考えなさい!・・・でも良かったなぁ。」と、聞こえた。
 合格の「速達」が、今届いたのだろう。
 人生、待った無しに「悲しみ事」が起これば「喜び事」も来る。
 「別れ」もあれば、新たな「出会い」もある。
 僕も心の中で小さく「お嬢さん、良かったなぁ・・」とつぶやきながら葬式会場に向かった。
 
 

ふと、思ったこと

 ふと、思ったのだが、・・四六時中、僕は『紙芝居』製作の事ばかり考えている。
 お経をお勤めした後も、自転車で檀家参り移動中の時も、ご飯を頂いている時も、テレビを見ている時も、お風呂に入っている時も、布団に入った時も、・・考えてみたら、次に作る『紙芝居』の事ばかり考えている。
 ・・どんな絵にしようか? 何枚で次の話は終らそうか?
 主人公にどんなセリフを言わせようか?方言はどうする? 説明書きが多すぎるのでどこかをカットしようか? 
 今度の空の色は何色を塗ろうか?青にするか?青に白を多く混ぜて薄くするか?いや、いっそのこと、赤にするか?黄色も混ぜ込み、濃い夕焼け色にするか?
 場面は朝が良いか?いや、雨を降らすか? 脇役は出すか?動物は出すか?犬にするか?そうしたら、犬の種類はどうする?
 ・・真面目一辺倒で話を進めるか?ギャグを挟むか? 
 宗教的な話にするか?いや、説教臭くしないようにするか?

 ・・考えてみたら、いつも考えている(笑い)。
 昨日も晩御飯を食べてる時、突然、僕は妻に「日本の江戸時代後期の牛は何色やろか?」と言った。
 妻は、いつもの事ながら「何色でもええんとちがう」と言った。
 僕は「田んぼの作業を手伝う牛は、黒か?それとも濃い茶色か?」と続けた。
 そんな事どうでもええやんか、邪魔臭いなぁというような顔をしてテレビからこっちを見ずに、「茶色でええんとちがう」と言った。
 「そうや、こげ茶に黒を混ぜてみるわ」と僕が言ったら、「そうしい」と言った。 
 一時が万事こんな調子で、僕の毎日は過ぎてゆく。

 そう、このブログを書いている今も、次のストーリーの構成を考えている。
 楽しいのだと思う。・・きっとそうに違いない。
 幸せなのだと思う。・・こんなに打ち込めることがあって。
 先日、友人が「120作も作ったら、もう作るネタも無いでしょう」と言った。
 そんな事は無い。・・まだまだ作りたい話が一杯ある。
 おそらく、仕事がなかったら、朝から深夜まで作り続けているだろう。
 又、ある友人が「紙芝居を作っている時と、会場で演じている時とどっちが楽しいですか?」と尋ねて来た。
 僕は、間髪おかずに言った。「作っている時。話を構成している時」と。
 さらに、僕は続けた。
 「もっと楽しいのは、完成した時より、完成間近な時。真っ白な場面が、色付いていく時。」と答えた。
 友人は「それって、プラモデルを作るのと同じやん」と言った。 そうかもしれない。
 僕にとって、紙芝居は「プラモデル」作りのようなものなのかもしれない。
 でもこの「紙芝居」というプラモデルは(そうだ!『紙モデル』と呼ぼう!)、部品も設計図も完成図も何もない、極めて想像力と根気がいる作品である。
 さて、『つぶやき』はこのへんにして、そろそろ、紙モデルの世界に戻りましょうか。
  
 

「くすのきデイサービス」でのハプニング

 先ほど、羽曳野市にある「くすのきデイサービス」に、お寺の出前に入って来た。
 (三度目の訪問となる)こちらでは、今回「ねずみのお経」と「くもの糸(続・くもの糸付き)」の二本の紙芝居をした。
 それで、・・ハプニングというのは、たまに起こるものなのだが、今回は「くもの糸」の時に起こってしまった。
 続編の「パタパタ変身カード紙芝居」の紐が突然切れてしまい、肝心の変身ができなくなってしまったのである。
 それで、急いでアドリブで何とか繋いで、無事に終らせたのだが、はてさて皆にはバレてしまっただろうか??
 まぁ良いわ。・・いろんなハプニングは、思いもよらない時に起こるものだ。問題は(ハプニングが)起こった後、どう対処するかだ。
 慌てふためかず、照れて「ちょっとしたミスさ」と、知らん振りして誤魔化し話を進めるか?・・はたまた、堂々と「えらぃ、すんまへん!」とあやまって話を進めるか。
 どちらも、(良いか悪いか?解らんが)場の雰囲気を見て、臨機応変に出来るようになってきた。
 場数を踏むというのは、ある意味『度胸』が付くという事かもしれない。(厚かましくなってきたんやなぁ・・)
 『度胸』よりも『読経』を大事にせねばならない(僕の)仕事なのに、へんな力が付いてしまったような・・、ちょっと反省。それより早よ、修理せな。

『中外日報』「人生ジャーナル」に掲載されました

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 昨日、宗教新聞『中外日報』の「人生ジャーナル」欄に、「お寺の出前」が掲載されました。
 内容は〔医療福祉の最前線〕というコーナーに、「お寺の出前 紙芝居屋亭」のはじまりから、現在に至るまでを(中外記者さんがうまくまとめて)書いて下さっています。
 
 最後に「ボランティアは私を育ててくれる。まだ作りたい話がたくさんあります。人間(の物語)っておもしろいなぁと思います。・・後10年で(紙芝居)200本が目標です。」で、掲載をまとめて下さっているので、(自分自身、言い出しっぺの)プレッシャーと共に、新たな製作意欲もふつふつと沸いてくるような、そんな感慨を受けました。
 

連日の二つの法要

 先週の土曜と日曜の連日、東大阪市の「善林寺」様の『新年法要』(夜の法座)と、羽曳野市の「願行寺」様の『報恩講法要』(昼と夜の法座)にお招きいただき、「紙芝居法話」に行かせて頂いてきた。
 又両日共、そのお寺の法要前に、うちの檀家さんのご法事を承っていたので、(車を運転している時と、お経をあげている時以外は)ほとんど早足で移動としていた。・・で、さすがに昨日はぶっ倒れてしまった。(一日寝てました。一月は忙しかった。)
 でも、よく寝たので今日は元気です。(笑・・単純な男です)
 その二つの法要で、共通して面白かったは、話が終って帰り際、どちらもお檀家さんから、「思い出したわ!おじゅっさん、この前テレビに出てはりましたやろ?!・・そやそや、人間国宝さんや!」と言われたことであった。
 その言葉に、周りの人達も「ああっ、そやそや、どっかで見たことあるような気がすると思っててん。」とざわめいた。(改めて、あの番組は人気番組やってんなぁと思った)
 僕はおちゃらけて「・・そうでんねん。ホンマもんでっせ。『隣の!』が付く人間国宝やけどね。」と冗談で言うと、会場は大爆笑で、楽しい雰囲気を醸しながら本堂を後にした。
 昨年の夏のテレビ放映やったのに、今も覚えていて下さっている方が多く居られたことが、とても嬉しかった。 

河内長野「下里地区:元気アップ教室」への出前

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今日、河内長野市〔下里地区〕にある「下里元気アップ教室」へお寺の出前に行って来た。
 いわゆるこの教室は、河内長野市がバックアップする「高齢者いきいきサロン」のようなものを想像して頂いたら解りやすいと思う。
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 河内長野市といっても、はなはだ広うござんして、こちらの下里地区へ来て欲しいと頼まれても、最初は(どのへんなのか)ピンとこなかった。
 例によってカーナビに住所を入れて、本日出発したのだが、(例によって)ナビは「目的地周辺に着きました。運転お疲れ様でした。ちゃんちゃん」で案内が終るので(「ちゃんちゃん」は無い。あったらおもろいが、怒りがマックスにくるかも〔笑〕)話を元に戻す。・・目的地周辺かもしれんが、その周辺範囲が(田んぼばかりで、失礼、自然が豊富で)広すぎてまったく解らず、途方に暮れてしまった。
 後は(地図と)カンだけが頼りで、何とか着けた。・・まぁ、いつもの事ながら良かった。
 お話はいつもように、時間一杯しゃべりまくって(これが良いかは解らんが、僕はしゃべりなのでつい喋りすぎてしまう・・)楽しんで皆さん(元気アップされた)と、しておこう。
 うちの寺の周辺も田舎だけど、こちらも負けず劣らずの田舎だったと思う。・・でも、何か自然が一杯だと落ち着くなぁ。時間が迫っても余りイライラせんかったわ。これって田舎の良いトコやなぁ。

紙芝居:「滝畑に磨崖仏(まがいぶつ)あり」 (後編)

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 「磨崖仏」は、はじめに『聖(しょう)観音菩薩像』から、彫り始められました。
 この仏さまは、災難や恐怖を取り除いて下さる御方です。
 庄吉さんは、近隣のお寺さんからいろんなアドバイスを頂きながら、旅人の安全を願う気持ちを大事にして、この仏さまを彫り始められたのでしょう。
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 『聖観音菩薩像』完成後、庄吉さんは次に、その隣に『地蔵菩薩像』を彫り始められます。
 地蔵菩薩様は、〔死後の世界〕でも救い取って下さる仏さまです。
 滝畑の崖で、亡くなられた方の鎮魂の気持ちを込めて、この仏さまを彫ろうと思われたのでしょう。
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 昭和六年、六年間余り掛かった二体の磨崖仏は、ついに完成しました。
 そして完成とともに、京都から僧侶をお招きし、お祝いの〔落慶(らっけい)法要〕が開かれました。
 又、お手伝い頂いた地元の方達に、感謝の気持ちを込めて『餅巻き』も行われたということです。
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 その後、大仕事を成し遂げられた〔夏目庄吉〕さんは、磨崖仏完成から六年後の「昭和十二年」に、六十一歳でお亡くなりました。
 晩年、お孫さんとご一緒に写された、この絵のようなお写真が、今も残っています。
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 「磨崖仏」完成から、三十六年の月日が経ちました。
 この場所に、大阪府は昭和四十八年から九年間掛けて、『滝畑ダム』を建設しました。
 このダムは、〔農業用水〕の他に、大雨の際は〔洪水〕を防ぐ役目も果たしています。
 この巨大なダムの北側の岩肌に、今も二体の仏さまが優しく微笑み、我々を見守って下さっています。 おしまい

 〔参考資料〕
 河内長野市「生涯学習情報紙」(平成19年3月№22号)より、
 「かわちながの観光ボランティア倶楽部」招集資料、
 河内長野市「児島写真館」より古写真、
 図説 河内長野市史、
 郵政省郵政研究所付属資料館より「制服の移り変わり」など。

(あとがきに代えて)
 ・・この紙芝居が完成した今も、まだ「悩んでいる」。
 (滝畑地区の歴史も、そして夏目さんが磨崖仏製作に掛けた篤い想いも)ろくに解らない僕が、果たしてこの紙芝居を作って良かったのか?・・と。
 又、紙芝居製作に関して、(もうちょっと調べ上げてから作れば良かったのに)「見切り発車」し過ぎてしまったのではないか?・・などと悩む。
 この紙芝居製作に関しては、なぜ?何故?ナゼ?・・ばかりで随分、迷い、完成した今も「これで良かったのか?」という思いが強い。
・・というのは、まず、磨崖仏製作に対しての夏目さんの「動機」が(いま一つ)はっきりしていない、と言う点。
 これは(これだけの大事業をするに当たって)夏目さんの信心の篤さと、旅人を思う優しい気持ちだけで作ったとは、とても理解できない。
 ご自分の日々の生活の中で、やむにやまれぬ「苦しい心情」、いや出来事があったに違いない。(想像であるが。)
・・でないと、これだけの大きな仏像を(お金と時間と命を掛けて)六年間費やして、(一般の素人さんが)一人で彫り上げるのは無理であろう。
 僕は僧侶という仕事をする上で、身内(お子様など)を亡くされたので、お地蔵さまを彫られた方を何人も知っている。・・しかし、これだけの規模での彫刻は知らない。
 「なぜ、庄吉さん、こんなデカイ磨崖仏を彫ったのですか!?」と、(高所恐怖症でもある〔笑〕)僕が、何度も滝畑ダムの上から身を乗り出し、問いかけた。・・が、解らず終いだったが。
 あまり書きすぎると、あとがきにならないので、これで止める(実はもっとある)が、今挙げた一点だけでも、随分迷って書いた。・・だから完成した今も、夏目さんの心情にうまく触れていないような気がして、(上っ面ばかりの紙芝居でなんか申し訳なくて)反省ばかりなのだ。
 
 では何故「製作を急いだか?」というと、パソコンで『河内長野滝畑ダム』と打ち込んで検索した時、そこに数多くの、『滝畑ダム:大阪の心霊スポット』(エトセトラ)などと題する「軽いワイドショー的」興味本位な項目が一杯出て来たからだ。
 「こんな項目が上位にランクされるようでは、夏目さんの苦労が水の泡だ。又、地元に人に対して失礼ではないか」と腹立たしく思い、一刻も早くマイナスのイメージを払拭する為(微力ながらも)作品を作って、観光ガイドボランティアの皆様方に《滝畑には磨崖仏あり!》とハッスルして宣伝して頂きたかったからである。
 ・・本当に微力なのだが、この作品を(うまく好きなように利用して頂き)、夏目さんの志を観光客の方がたに、強く発信していただければ、(正月休みを返上して急いで作った〔笑〕)作者としてこれほどの幸せはありません。ガイドの皆さん、後はよろしくお願い致します。(何か僕で協力できることがあれば、何でもしますのでおっしゃって下さい。)そして、これを読まれた読者の方は、是非一度、(かわちながの観光ガイドボランティアさん等をご予約し)河内長野『滝畑』地区へお越しください。そして《生》の『磨崖仏』を、是非ご覧になって下さい。合掌
 
 

 

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