住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

滝畑ダム「紙芝居」の完成と大掃除

  今年も後わずか・・。
 が、僕にはまだ『お寺の出前』が、(学童保育クラブの)二か所残っている。(夏休みに行けなかった分が、冬休みの今、回ってきているのだ。)
 それは仕方がないとして、今月中にやらなくてはならないことが、後二つあって、その一つが何とか終わった。
 それは、『滝畑ダム湖に沈んだ村』の紙芝居の完成だった。(来年早々の、滝畑地区新年会に間に合わせるためだ)
ファイル 1231-1.jpg
 これは、河内長野市滝畑地区に、戦後、大きな貯水湖建設計画が起こり、その為に村の大部分が水底に沈んでしまうまでを描いた作品だ。
ファイル 1231-2.jpg
 人口増加により、市は滝畑地区にダム建設を計画する。
ファイル 1231-3.jpg
 そのために、七つ中、三つの集落が水底に沈んでしまうことになり、村人の多くは引越しを余儀なくされ、歴史ある一つの故郷が消えてゆく。
 そこに至るまでを描いたドキュメンタリーチックな作品である。
ファイル 1231-4.jpg
 この作品、はっきり言ってたいへん制作が苦痛であった。
 それは、まるで絵を描いている時、自分の故郷が水に沈んでゆくような、そんな辛さと悲しみを(それは錯覚なのだが)覚えたからだ。
 が、もう一応完成した。
 あとは、来年早々の[新滝畑台]地区での披露を待つだけだ。(・・なんとか、間に合いました。滝畑の皆さんは、この作品をどう感じてくださるだろうか?・・心配でもあるが。)
 まぁ、良い。
 残る大仕事はあと一つ。
 お寺の大掃除である。・・こちらも全力で急がねば。

 

寒波と忘年会と

 年末が近づき、寒波と忘年会が一緒にやって来ている。
 昨日、お参りの帰り、車が大雪をかぶっていて、これはタイヤをスタットレスタイヤにせねばと、急いでタイヤ交換をした。
 また、今日は、近隣のお寺どおしの恒例の忘年会。
 これも仕事と(笑)、お酒をたらふく飲む。
 あぁ、今、頭が廻っている。
 早く、休んで明日の法事に備えねば。
 二日酔いにならないように。
 あぁ、そして寒波よ、明日はおとなしくしていてくれ。
 
 
 

『中外日報』社の取材と甍の講話クラブ

 昨日は、特養老人ホーム『甍』の月例講話クラブ(法話会)の日。
 その前日に、超宗派の宗教新聞『中外日報』社から、(寺を離れて法話をしている僧侶の)取材の依頼があり、直接、現地の甍さんで取材をして頂いた。
 さて、その結果・・、けっこうグタグタな法話会になった。(取材とは関係ありません。あしからず)
 こうである。

 場所=四階の人の行き交うフロアー、エレベーター前。
 人数=十人前後。(認知症の方多し。)
 時間=午後二時半より30分間。(眠たくなる時間。すでに始まる前から寝てはる人も居た。はははぁ)

 こうして、「紙芝居法話会」は始まった。
 僕は、まず心の中で、『こら、まずいなぁ』と思った。
 それは、仲の悪いお婆ちゃんどおしが(お一人を挟んで)隣通し座っておられたから。
 そして、導入の話ののち僕は、今回の[紙芝居]を読み始めた。

 僕「・・と、いうことで、この土地には、昔から続く古い伝説があるのです。それは・・、」

 Aさん「それっ、知ってます。そこに私、昔住んでいましたもん。」

 天敵Bさん「黙っていっ!・・聞こえへんやないの!」
(AさんはBさんを睨む。・・僕、無視して話を続ける)

 僕「・・と、いうのは、この地には源平の合戦ののち、」

 Aさん「それっ、知ってますよ。その合戦は・・、」

 宿敵Bさん「もうっ、うるさいなぁ。なんとかしてよ!」

(Aさん、ちらっと又、Bさんを見る。僕、内心びくびく。紙芝居どころではない・・がそのまま話続ける。)

 まぁ、こんな調子が、最後まで続いた。
 喧嘩はおこらんかったけど、僕は、今日まとめてお話したかった事はすべてカットしてしゃべらず、「みんな、自分の話をしたいという欲求は自然なことである」とか「静かに聞くことも又、大切なこと」などのお話をした。
 こうして、なんのこっちゃ、ようわからん今年最後の法話会は無事に終わったのである。
 まぁ、喧嘩が起らず良かったとしょうか。

 取材の新人記者さん、驚かれましたか?
 福祉施設での法話会現場は、いつもこんなもんなんっすよ。はははぁ。
 合掌
 
 
 
 

昨日の「白寿苑」法話会での反省

 昨日で、特養ホーム白寿苑での「法話会」は206回目を向かえた。
 もう、18年間もやっている。
 紙芝居も、130作を越した。
 おそらく来年には、140作を越すだろう。
 
 しかし、最近、どうも疲れた顔で法話会を、そして紙芝居をしているようだと言われる。
 又、やけにテンションを上げすぎて話をしているのではないか?とも言われる。
 ・・すべて当たっていると思う。
 なぜか?
 それは、「お寺の出前」をする場が増えすぎて、疲れが出ているのだ・・と思う。
 何でもかんでも依頼を引き受け過ぎて、限界がきているのだ。

 18年前は、月に一回だけの「老人ホーム」ボランティア法話活動であった。
 が、今では、毎月7・8回の(老人ホーム・お寺・学童保育・地域の老人会・小学校・看護介護者の研修会への)出張法話会になっている。

 慣れもあるから、やれているのかもしれないが、このままではダメになるだろう。
 来年は考えねば。
 昨日の帰り、弟子に言われた。
 「いろんなことに振り回される事なく、宮本先生の心が虚しくならない環境を、先生ご自身が選びながら、素敵な紙芝居を作り続けられることを願っています。」と。
 その通りだと、その言葉に感謝し、そして反省した。

 出前をする場、本当に僕がつぶれずに喜びを持ってやれる場を選んで、来年も進みたい。
 昨日はそんな事を感じ、そして言われた法話会だった。
 
 
 
 

紙芝居ボランティア「うさぎ座」の来院

ファイル 1227-1.jpg

 昨日、堺市より、紙芝居ボランティアの会「うさぎ座」の皆さんが、観念寺へ来院された。
 こちらのグループは、地元の老人ホームなどに、紙芝居だけではなく、ヨガ体操なども含め、様々な出張ボランティア活動をされているそうだ。
 そして、僕のことは、テレビや新聞を見て、一度会いたいと思われ、今回のお出会いとなった。
 さて、こちらの皆さんの紙芝居は、中央図書館などで借りられ披露をされているそうなので、どうしても老人ホームなどでは、その子供向け紙芝居に限界があり、願わくば「貸して欲しい」とのご希望だった。
 しかし、観られたのち「・・これは、住職さんがされる紙芝居ですわ。私たちには無理です。」と、笑いながらおっしゃられ諦められたようだ。
 ・・そんな大層なものでもないけど、僕の作る紙芝居は、どうしても宗教の匂いがするのかもしれない・・と思った。
 
 

「ダム湖に消えた村」という紙芝居の取材

ファイル 1226-1.jpg
 今、『ダム湖に消えた村』という紙芝居の制作に入っているのだが、これがなかなか、やっかいな仕事なのだ。
 ・・と、いうのは、「昔々大昔」のお話と違う「現在」、もう少し厳密に言うと「少し前(昭和の中頃)」の実話で、現地取材や、地元の方などにいろいろと実際に起こった事を聞かないと出来ないストーリーなのだ。
ファイル 1226-2.jpg
 これは、河内長野市滝畑(たきはた)という地区のお話で、平家の隠れ里伝説もあり、古いしきたりの今も残るこの地区が、河内長野市の人口増加(飲料水確保や洪水防止整備)の為に、村そのものに水を溜め、(つまり村を沈めて)人口的な湖にしてしまったというお話なのだ。
ファイル 1226-3.jpg
(『新滝畑台』の皆さんと)
 で、たくさんの資料を読んだり、現地に取材に行ったりしたのだが、やっぱり、実際にそのことを経験された人の話を聞かせて頂くのが一番と、昨日の晩、(河内長野市観光ガイドボランティア[滝畑班]の前会長さま)の仲立ちを得て、現在、村が沈んだために、引っ越しをせざるを得なくなった、「新滝畑自治区」の皆さんと、さらに、今も昔の滝畑にお住まいの生き証人のようなお方にお会いし、その時の生々しいお話を聞かせて頂いて来た。
 今回のこの調査(取材)は、僕にとってたいへん貴重なものとなった。
 この聞かせて頂いた貴重なお話を生かし、紙芝居完成まであと少し、急ピッチで進めたい。

今、創りかけの「紙芝居」

ファイル 1225-1.jpg

 今、『ダム湖に消えた村』という題名の、[河内長野市滝畑地区]の紙芝居を創りかけているのだが、それを終えたら、すぐに次の作品郡に取り掛からねばと思っている。
 ・・その控えの一つが、『ジキル博士とハイド氏』。
 これは、有名な二重人格者のおはなしだ。(・・これは、僕自身の性格?(笑い)に照らし合わせながら作りたいと思っている。・・原作はすでに二回読んでいるが、自分流に解釈しシンプルに描きたいと思っている。)
 そして、その次に『懺悔の聖者 覚鑁上人』の制作も控えている。
 これは、すでに今年、和歌山県の(覚鑁上人所縁の)根来寺にお参りし、どんな話にするかは、頭の中で描き終えている。(来年、覚鑁上人出生地の佐賀県での取材を終えたら制作を開始したい。)
 それが済んだら、『修験者 役小角』、『大和の清九郎』、『楠木正成ここにあり!』と、(地元のヒーローたちの話を)続けて制作を開始したいと考えている。
 これでは、来年も目いっぱい、健康に気をつけながら、描きまくらねばな・・。
 
 

認知症サポーター養成講座in観念寺

ファイル 1224-1.jpg
 おとといの晩、観念寺で『認知症サポーター養成講座』を開いた。
 現在、[認知症](初期症状の方も含めて)800万人とも言われているこの日本で、何か、お寺もこの問題に取り組まなくてはと考え(今年の春から準備をし)この講座の開催に至った。
 この日、(檀家さんのお友達の方も含めて)全員で32名のご参加を頂けた。・・たくさんのご参加有難うございました。

 さて、「認知症サポーター」とは何か?
 それは、何か特別なことをする人ではなく、その症状について正しい知識を持ち、認知症の方やその家族をあたたかく見守る応援者として、自分のできる範囲で活動する理解者のことだ。
ファイル 1224-2.jpg
 そして、その講師は、研修を受けられ、役場から任命された『キャラバンメイト』さんたちがお話して下さる。
ファイル 1224-3.jpg
 うちのその講師(キャラバンメイト)は、寺の総代の原さんと、役場から『高齢障害福祉課』の職員さんたちがお出で下さり、ご講演くださった。
 その中身は、認知症についての種類や対応方法、又その予防法などのお話と、職員さんたちの俄(にわか)芝居や体操なども挟みながら、(優しく、具体的に)お話を進めて下さった。 
ファイル 1224-4.jpg
 認知症は、誰でもなる可能性がある。
 僕が、檀家さんの家にお参りに行かせて頂いた時、「もう、ボケてまんねん・・あきまへんわ。」というお声を最近よく聞くようになったのだが、それは冗談として受け取るのではなく、心の底の不安として、真剣にこれからも対応し、ご一緒に考えていかねばならないと思っている。・・難しいことだけど。

 最後に、御講師の方が教えて下さった認知症の方へ対応として『お・せ・じ』という三つの心得を挙げて終わりたい。
 認知症の方には、
 お・・・、おどろかせない。
 せ・・・、せかせない。(急がせない)
 じ・・・、じそんしん(プライド)を気づ付けない。
 ・・とのことであった。
 「お・も・て・な・し」のついでに覚えておこう。(笑い)

出前先でのアンケート結果

 先日、出前させて頂いた「(株)さくらの杜」様から、前回のケアセミナー講演時の(医療・福祉従事者の方々の)アンケート結果が送られて来た。
 多少、こっ恥ずかしい所もあるが、いくつかピックアップしこの場をお借りして、載せさせて頂くことにする。
 
 『お寺の出前 出張紙芝居法話』を聞かれての感想

 ○日頃の不満や愚痴をつらく感じていましたが、仕方がないものと認め、なるべく笑顔で和やかに過ごしたいと思います。
 ○大変おもしろく、又、考えさせられる内容でした。死の準備を心穏やかにできるよう支援していきたいと思いました。
 ○わかりやすく、又、楽しく聞かせて頂きました。素直な気持ちになれました。私も不安な気持ちで過ごす事があり、この法話で開き直りの心を持ち、少し自信が付きました。
 ○今も昔も変わらず、通じるものは、皆心に深く残ります。良い時を過ごせました。こんな機会はめったにないので良かったです。
 ○子供のころに戻ったような感じで聞かせて頂きました。勉強になり、家族に話してあげようと思いました。
 ○たいへん楽しく聞かせて頂きました。細工もあり『わくわく』しました。楽しくてわくわく~、でも深いお話で心にストンと入って来ました。
 ○「笑いあり」「感動ある」紙芝居をたのしく勉強することが出来ました。・・「心」がきれいになってゆく話が聞けてとてもよかったです。
 ○大変楽しくお話を聞かせて頂き有難うございました。今後の看護に反映させて頂きます。
 エトセトラ・エトセトラ・・。
 
 ・・皆さん、素敵な感想を有難うございました。 
 ここに載せれない、さらに恥ずかしく(脇の下がむず痒くなるような)とても嬉しい感想も(まだまだいっぱい)あるのですが、(鼻の下が伸びまくりそうなので)あえて、割愛させて頂いております。
 ・・願わくば、今回のこのお出会いが、今後の皆さまの看護・介護のお仕事の上にて、何かお役に立つことが出来れば幸いでございます。

 僕は褒められて伸びる・・おっさんなので、このアンケート結果、大変うれしかったです!かつ、元気がいっぱい出ましたよ。(うちの嫁さんは、「皆さん、(僕の)裏の顔?を知らんから、エエことばっかり書いてくださったんやで。」と、くさしましたが・・、どんな裏の顔やねんな⁉[笑]) 合掌
 
 

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その11・最終回)

ファイル 1222-1.jpg
(金子みすゞの墓)
 「自分は死んでも、必ず(見えぬけれども在る)仏様の国に往ける。そして、そこから娘を守ってあげる事が出来る!」と・・・、
 金子みすゞは、夫と両親と弟に『娘の養育は母に任せたい』と遺言状をしたためました。
 そして、睡眠薬を多用接種し、26歳で自ら命を絶ちました。
 そしてその通りに、娘さんはみすゞのお母さんによって育てられる事になります。

 それでは最後に、みすゞの代表作の一つとなりました『星とたんぽぽ』と詩をご紹介致しましょう。
ファイル 1222-2.jpg
 『星とたんぽぽ』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「青いお空の底深く、
 海の小石のそのように、
 夜がくるまで沈んでる。
 昼のお星は眼に見えぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ。
 見えぬものでもあるんだよ。

 散ってすがれたたんぽぽの、
 瓦のすきにだぁまって、
 春のくるまでかくれてる。
 つよいその根は眼に見えぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ。
 見えぬものでもあるんだよ。」
ファイル 1222-3.jpg
 ・・金子みすゞ。
 本名、金子てる。
 行年、26歳。
 法名 釋尼妙春信尼。

 お墓は、仙崎の遍照寺さまの境内にあります。
ファイル 1222-4.jpg
 『繭(まゆ)と墓』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「蚕(かいこ)は繭に入ります、
 きゅうくつそうなあの繭に。
 けれど、蚕はうれしかろ、
 蝶々になって飛べるのよ。

 人はお墓に入ります。
 暗いさみしいあの墓へ。
 そしていい子は、羽が生え、
 天使になって飛べるのよ。」

 おしまい

上に戻る