
(滋賀県高島市「泉慶寺」さま)
昨日は、今年の『観念寺団体参拝バス旅行』の日。
お天気にも恵まれ、総勢30名が、滋賀県の高島市(近江今津)へ向かって出発。
目的地は、蓮如上人ご旧跡であり、[婦人会による『おはつ』紙芝居で有名な、]浄土真宗本願寺派『泉慶寺』さまである。
(ご住職による(熱のこもった)ご挨拶)
到着時には、すでに婦人会の皆さまが、本堂にて待機してくださっていて、ご住職の熱のこもった(ユーモアたっぷりの)ご挨拶を頂き、その後、婦人会による『おはつ』紙芝居を披露して頂いた。
(泉慶寺本堂前で、婦人会の方々とご一緒に記念撮影)
うちのご門徒は、「あまりに皆さんが上手で、涙出そうになったわ~」と、大好評だった。(よいしょでエエから一ぺん僕にも言うて!?)
(バイキング中!)
その後、バスは[サンブリッジホテル]の昼食バイキングに舌鼓。
そして、最後は韓国ドラマ「冬のソナタ」の舞台に似ているという、マキノピックランドのメタセコイア並木を見学。
バスの中で、すでに「冬のソナタ」のサントラが流れ続けていた為、現場に着いた時、男はみんな[ヨン様]に、女性はみんな[チェジュウ]嬢になりきっておられたような・・。
でも、それはやはり無理があったような・・・。(笑)
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今年の観念寺団参バス旅行
紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その5)

仙崎は、信仰の篤い町でした。
町の中に、今でもたくさんのお寺があります。
みすゞも子供の頃から、毎日、仏様に手を合わせていたそうです。
又、自宅の二階が『歎異抄』という宗教書の勉強会場になっていて、みすゞもよく講義を聞いていたと伝わっています。
みすゞに、次のような「お仏壇」を歌った詩があります。
『お仏壇』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「お背戸でもいだ橙も、
町のみやげの花菓子も、
仏さまのをあげなけりゃ、
私たちにはとれないの。
だけど、やさしい仏さま、
じきに、みんなに下さるの。
だから私はていねいに、
両手かさねていただくの。
家にゃお庭はないけれど、
お仏壇にはいつだって、
きれいな花が咲いてるの。
それでうち中あかるいの。
そしてやさしい仏さま、
それも私にくださるの。
だけどこぼれた花びらを、
踏んだりしてはいけないの。
朝と晩とにおばあさま、
いつもお灯明あげるのよ。
なかはすっかり黄金だから、
御殿のように、かがやくの。
朝と晩とに忘れずに、
私もお礼をあげるのよ。
そしてそのとき思うのよ。
いちんち忘れていたことを。
忘れていても、仏さま、
いつもみていてくださるの。
だから、私はそういうの、
「ありがと、ありがと、仏さま。」
黄金の御殿のようだけど、
これは、ちいさい御門なの。
いつも私がいい子なら、
いつか通ってゆけるのよ。

(金子みすゞ家の墓所:「遍照寺」さま)
又、みすゞはよくお寺にお参りに行っていたようです。
このようなお寺の法要の詩が残っていますので、これもご紹介しましょう。
『報恩講(ほうおんこう)』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「「お番」の晩は雪のころ、
雪はなくても暗(あん)のころ、
くらい夜道をお寺につけば、
とても大きな蝋燭と、
とても大きなお火鉢で、
明るい、明るい、あたたかい。
大人はしっとりお話で、
子供は騒いじゃ叱られる。
だけど、明るくにぎやかで、
友だちゃみんなよっていて、
なにかしないじゃいられない。
更けてお家にかえっても、
なにかうれしい、ねむれない。
「お番」の晩は夜中でも、
からころげたの音がする。
つづく
紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その4)

金子みすゞの故郷は、昔から[鯨捕り]の町でもありました。
みすゞの父の実家の青海島では、捕った鯨を供養する『鯨法会(くじらほうえ)』という、法要が行われていました。
それは、命を捕って生きる悲しみを、誰もが、深く心に留めておくためのものだったのです。
(産まれる事が出来なかった、子鯨の供養墓)
みすゞの、すべての命に対する愛おしさは、おそらく、幼き頃、母や祖母、そして父から聞いた[鯨捕り]の様子から生まれたものかもしれません。
『鯨法会(くじらほうえ)』(「金子みすゞ全集・Ⅲ」より)
「鯨法会は、春のくれ、
海にとびうお 捕れる頃、
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたる時、
村の漁師が羽織着て、
浜のお寺へ急ぐ時、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘を聞きながら、
死んだ父さま、母さまを
恋し、恋しと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。」
(青海島[鯨資料館])
つづく
紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その3)

(再現された『金子文英堂』)
・・余談ながら、今年の夏、この紙芝居の主人公[金子みすゞ]さんの事を調べるために、山口県の仙崎まで行って来た。
こちらは、今もゆっくり時間が流れているかのような穏やかな町であり、町中どこにいても海の匂いがした。
又、信仰の篤い町ともいわれるように、たいへんお寺とお墓が多かった。
この日、僕は汗をかきながら『金子みすゞ』さんの足跡を大急ぎで散策した。(一泊二日しか日が取れなかったので)
・・『金子文英堂』、『金子みすゞ資料館』、『金子みすゞさんのお墓』、青海島の「王子山」、みすゞさんの父親の実家の近くの『くじら資料館』と「鯨墓」などを回った。 毎回思うのだが、やはり、現地に実際、取材をするのとしないのでは、絵のタッチが違ってしまうような気がする。
やはり、絵にも文にも、魂って宿るものだろうか?取材をした方が気持ちが籠るような気がするから不思議だ。
以上、余談終わり。
さて、金子みすゞさんのお話の続き。
(お店の中)
みすゞは、頭の良い子に育ちます。
学校では、常に優等生であったそうです。 
(2階のみすゞの部屋)
そして、たいへん感受性豊かな少女で、お話を作ったり、詩を書くことが得意でした。
彼女の心の優しさを表す詩に、次のようなものがあります。
『わたしと小鳥と鈴と』(「金子みすゞ全集・Ⅲ」より)
「わたしが両手を広げても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地べたをはやく走れない。
わたしが体をゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、
たくさんな歌は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんな違って みんないい。」
・・この世の中にあるものは、何一つ同じものはない。
だからこそ、みんな尊く素晴らしい!・・と、歌っているようですね。
つづく
紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その2)

金子てる・・、いや、この紙芝居では、彼女のペンネーム『金子みすゞ』さんで通させて頂きます。
彼女は、山口県仙崎(せんざき)[現在の長門市]で生まれました。
当時、仙崎は大きな漁師町でした。
それではここで、金子みすゞさんがご自分の町を対岸の青海島から謡った詩を一つご紹介します。
『王子山(おうじやま)』(金子みすゞ全集・Ⅲより)
「公園になるので植えられた、
桜はみんな枯れたけど、
伐られた雑木(ぞうき)の切株にゃ、
みんな芽が出た、芽が伸びた。
この間に光る銀の海、
わたしの町はその中に、
龍宮みたいに浮かんでる。
銀の瓦と石垣と、
夢のようにも、霞んでる。
王子山から町見れば、
わたしは町が好きになる。
干しかのにおいもここへは来ない、
わかい芽立ちの香がするばかり。」
(現在の王子山から見た仙崎の町)
みすゞの父は、仙崎の向かいにある青海島の出身で、漁師でした。
が、金子家に養子入り。
みすゞの兄、けんすけ。みすゞ、そして弟、まさすけ。の三人の子供に恵まれます。
しかし、妻の妹の夫(つまり、みすゞの叔父)が、下関で大きな本屋を開いていて、みすゞの父に、中国大陸で本屋の支店を開く事を勧めます。
そして、父は単身、中国に渡るのですが、その地で急死。
責任を感じたみすゞ叔父は、お金を出して、
みすゞの母に、仙崎で本屋を開くことを勧めます。
この本屋が、『金子文英堂』です。
みすゞの本好きの要因は、この影響が大なのです。
・・そして、ここでもう一つ、重要なこと。
みすゞの弟、正祐(まさすけ)は二歳の時、子供の居なかった叔父夫婦の元へ、養子に出されます。
しかしこの事は、正祐本人には秘密でした。
この秘密が、のち、みすゞの身に大きな影響をもたらし、悲劇を生むことになるのですが、それはまだ、先の事・・。
(現在の再現された『金子文英堂』)
つづく
一か月後の白寿苑

昨日は、「特養老人ホーム白寿苑」の法話会の日。
先月の初旬にテレビの撮影があって、その後放映があり、今日が、あれから一か月後の「法話会」である。
今日は、先月と違って、ギャラリー(見学者)が少ない。(そんなもんやろ・・と思う)
でも、入所者の皆さんの顔ぶれは前と変わず盛況である。
今日も、紙芝居の後、先月の撮影の話で盛り上がった。
「私はテレビに映ってませんでしたでぇ」。
「そらそうやろ、あんたの席はテレビに映ったらあかん人の席やってんから」とか。
そう、老人ホームでは顔を映しては困るという人がおられるのだ。
だから、初めからそんな人の席を作っていたのである。
この方は、テレビに映ろうと思っていたのに、間違ってここに座ってしまったのだ。(笑)
だから、結局放送では、半分ほどの方しか映らなかった。(これも仕方がないなぁ)
でも、こんな人もあった。
「私、『いつもの服で良いから』と職員さんに言われたので、パジャマ姿で映ってましてんよ。・・住職さんに恥かかせたんと違うかと思って、悪くて悪くて・・。ほんますんません。(そんなことは何も気にしてませんよ。)・・でも、偶然、その姿をテレビで見た娘が、あれから施設に訪ねて来てくれるようになって、うれしかったわぁ」とか。
あの後、いろんなドラマがあったようである。
又、こんな人もあった。
「私は、坊さんというたら、お葬式か法事の時以外は、法話なんかしないとずっと思ってました。・・でも、ここの施設に入って、毎月、葬式でもないのに、坊さんが解りやすく法話してくださるから、ほんま嬉しいんです。院主さんみたいな坊さんが増えたら、世の中もっと良くなると思いますで。・・こんなん、今日初めて言いますねんで。」と、言って下さった女性があり、これも照れくさいやら嬉しいやらだった。
ほんま、人数は少ないが、皆さんが発言をされ、盛り上がった法話会であった。合掌
紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その1)

童謡詩人「金子みすゞ」。
本名、金子てる。
彼女は大正時代、彗星の如く、日本の童謡世界に現われました。
詩人「西條八十(やそ)」は、彼女を『若き童謡詩人の中の巨星』と称賛されました。
しかし、わけあって彼女は26歳の若さで自ら命を絶ちます。
が、現在、易しい言葉で、これだけ深い[人生の摂理]を表した詩はないと、彼女の詩は日本を超え、世界中の人々に深い感動を与えています。
たとえば、このような詩があります。 
『こだまでしょうか』 (金子みすゞ全集・Ⅲ『JULA出版』より)
「『遊ぼう』っていうと、「遊ぼう」っていう。
『馬鹿』っていうと、「馬鹿」っていう。
『もう遊ばない』っていうと、「遊ばない」っていう。
そして、あとで、さみしくなって、
『ごめんね』っていうと、「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか。
いいえ、だれでも。」
・・いかがでしょうか。
『人は誰でも、皆同じ』だと、こだまにおきかえて、表わされています。
さて、この紙芝居は、このような詩を綴った彼女「金子みすゞ」さんの生涯と、その詩をご紹介するのが目的です。
つづく
コイズミ(株)グループユニオンへの出前
昨日、小泉産業グルーブユニオン・入社10年目組合員研修会へ出前させて頂いてきた。
こちらは、(いつもの)病院や老人ホームとは違い、現役バリバリの30代企業戦士たちへの「お寺の出前」法話なので、勝手が違う。
みんな、(何というか)ピリピリしているというか、会場の空気が違って、いつもダラダラしている僕としては、たいへんやり難い。
やはり、僕はダラ~~~ッとしている雰囲気の方が合うのかもしれない。
それに、僕は一度も会社に就職したことがない男なので、社内の人間関係の大変さや仕事の厳しさなどが解らないのだ。
・・それでも、組合長さんは、僕に喋れという。
何か、社員の方々に(精神的に)得るものがあると思われるから、僕を呼ばれるのだろうが、講師の僕自身としてはやっぱりよく解らない。
いったい、僕の話から何が得られるというのか??
毎回、組合長さんから、「宮本さんの思っていることを、そのまま話してくださったら、社員の研修になりますので。」と(たいへん光栄な有り難い言葉を)掛けて下さっているのだが・・。
やはり、僕は思う。「ほんまに、僕でエエの?何かお役に立ってますの?」と。
番組の反響が続いています・・・
先月に出た、テレビ(NHK旅情報番組『ええトコ』)の反響がいまだに続いている。
自転車でお参りに行っている途中にも、「テレビ見ましたで!」とか、「テレビと同じ顔したはりまんなぁ(これは当たり前や)」とか声を掛けられる。
又、「テレビを見て、お寺にお参りさせて頂きました」などの突然のお客様も、引っ切り無しに来られる。
・・それは、照れくさくもあり、嬉しくもある。
が、亡くなった父が僕によく言っていた。「マスコミというものは、悪いことは大きく取り上げるが、良い事はあまり取り上げない。・・しかし、それは人間社会としては当たり前のことなんや。お前は幸運にも、良いことで大きく取り上げられた。・・しかし、一つ間違えて悪い事をしたら、この反動がより大きいものになって、お前にのしかかってくることになるから、これからが大事やぞ。心して物事に取り掛かれ。謙虚な姿勢は忘れるな。」とよく言われた。
確かに、不思議なもので、みんなから声を掛けられていると、逆に声を掛けてくれない人に対しては、どこか、つっけんどんな気持ちが沸いてくるから不思議だ。
おそらく、これが[驕り]というものの種なのだろう。
悪い種は、今のうちに枯らさねばならない。
自然体で、謙虚で、初心を忘れず、今まで通りの態度で進みたい。合掌
ストーリー・寺(てら)~
「金子みすずと仏さま」という(ストーリーにたいへん苦しんだ)紙芝居の完成後、ノンストップで「石山合戦始末記~東西本願寺分裂秘話」という紙芝居に取り掛かり、今日ようやく完成した。
これも、史実を取り上げた作品なので、たくさんの資料を読み込み、それを慎重に吟味しつつ、解りやすく描いたものにしたのだが、11年間のドラマチックな人間模様をわずか14枚でシンプルに書き下ろしたので、作品を読み返してみても雑になっているような気がする。
ほんま、ストーリーを考えて、絵に描くというのは、面白いけどしんどい。
描いている時、自分の頭の中で、信長が叫び、顕如上人が悩み、教如上人が歴史に振り回されて苦しむ。
人間の愚かさと悲しさと一途さが、自分の頭の中で堪えず大波小波のように揺れ動く。
『ああ、お上人、なんでこんな選択をしてしまうねんなぁ?!』と、思わず独り言を言いながら、最後まで描いた。
毎回こんな調子で描いているから、しんどいけど楽しい。
これを演じる時、又、違う感覚を覚えるから、そこに新たな新鮮さを覚えて、また面白い。
・・だから、描いて演じて、又、描いて演じる繰り返しがずっと出来るのかもしれない。
しかし、そんな感傷に浸っている時間はない。
すぐに、次の作品に取り掛からねばならないのだ。
僕の手元には、膨大な次の作品の為の資料が寄せられている。
次は現代もの。・・大阪府河内長野市の滝畑ダム湖に沈んだ村のお話だ。
これは、魂を込めてストーリーを考えねば。
滝畑の土地の魂よ、どうか浅学な僕に力を与えたまえ!
