・・法然上人の言葉は続きます。
(法然)「聖覚どの、阿弥陀さまの救いを信じて、『南無阿弥陀仏』とだけ称えれば良いのですよ。
お念仏には、学問も修行も要りません。
お念仏を称える事ができるなら、・・そう、僧侶であっても、結婚してもかまわないと私は思います。
阿弥陀様にすべてをお任せして、念仏を称えて生き抜くのです。・・そう、私たちは戒律一つ守れない、弱い人間なのですから・・。そんな我々を、阿弥陀様は救って下さるのですから・・。」と、聖覚様におっしゃいました。
聖覚様はその言葉の通り、結婚もされ、たくさんのお子様を持たれたそうです。 つづく
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紙芝居:「安居院 聖覚法印さま」(その4)
紙芝居:「安居院 聖覚法印さま」(その3)
聖覚様は、お山での修行に悩んでおられました。
(聖覚)「いくら厳しい修行をしても、一向に心の平安は得られない。」と、苦しんでおられたのです。
そんな時、京都の[吉水の草庵]という所で、聖覚様の兄弟子にあたる『法然(ほうねん)』上人という御方が、新しい[お念仏]の教えを説いているという、噂を耳にするのです。
それで、居ても立っても居られぬ聖覚様は、お山を下りて、法然上人を訪ねたのでした。
法然さまは、おっしゃいました。
(法然)「聖覚どの、今は末法の世じゃ。修行しても自ら悟りを開くことはできませんよ。(※この当時、そう考えられた)
・・お念仏をするのです。
念仏して、阿弥陀如来に救って頂くしか方法がありません。私はそう思うのです。・・南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」と、法然さまは言われました。
「そうだ、その通りだ!」と感動された聖覚様は、その場で法然上人のお弟子になったのでした。 つづく
紙芝居:「安居院 聖覚法印さま」(その2)
昔むかしの平安末期。
京都の貴族の家系に生まれた[聖覚(せいかく)]様は、天台宗の立派な僧侶になるべく、比叡山で厳しい修行を詰んでいました。
丁度その頃、聖覚様の後輩に、のち『浄土真宗』を開かれる[親鸞(しんらん)]聖人が居られました。
当時、親鸞聖人は、まだ[範宴(はんねん)]というお名前で、五才年上の聖覚様を慕い、ご一緒に修行に励んでおられたのです。
やがて、二人の別れの日が来ます。
それは、聖覚様が、比叡山を下りられてしまったからでした。 つづく
紙芝居:「安居院(あぐい)聖覚法印(せいかくほういん)さま」(その1)
皆さんは、『安居院 聖覚法印』という名のお坊さんを知っていますか?
『安居院(あぐい)』とは、お寺の名前。
『法印(ほういん)』とは、お坊さんの最高の位。
つまり、安居院というお寺に住む、『聖覚(せいかく)』という名の最高の位を持つお坊さま・・。
これは、そういう名前のお坊様のお話です。 つづく
診察の日
今日は定期的(病院の)診察の日。
「血圧も安定してます。」
「会話も(だいぶ)スムーズになって来ました。」
「意識して(人との会話)をしているという事が、良いリハビリになっているんでしょう。仕事冥利につきますね。・・お経をあげるのも良いリハビリになっているんでしょうね。」
「来月は発症して一年。血液検査をしましょう。」
「薬も今まで道理で良いでしょう。じゃ、では。」
と覚えている限り、以上のような事を言われた。
いつも何を言われるかドキドキで、病院での血圧測定は高めに出るのであるが・・、今日のところはルンルンな気持ちで帰って来たわい。
雪の金剛山へ挑戦

総代さんからお参りの時、雪の金剛山登山に誘われた。
「もの凄いゆっくりペースで登山しますので、一緒に行きましょうや!・・しんどくなったら、途中で中止しますから」と。
体調の心配もあったが、大病から丸一年。そろそろ、自分自身、どこまでやれるか挑戦してみたかった。
家内も(保護者みたいに)付き添ってくれるというので、雪山登山フル装備をして、出発した。
写真を見ての通り、金剛山の吹雪は凄かった。
が、ちょっと進んでは休憩してもらい、それの連続でなんとか山頂まで登ることができた。
途中の[霧氷]のなんと綺麗なことであったか。
「あぁ、自然はうつくしい!」と、柄にもないことを口に出し思った。
それにしても、たくさんの登山者がいて、賑やかで心細くなかった。
頂上の山小屋では、熱いカップラーメンをすすって甦った。(カップラーメンを食べるのは一年ぶりで美味しかった)
山頂で総代さんに「これで、もう大丈夫でっせ!」と、体調のことを言われた。
僕も、何かがふっきれた感じがした。自信も湧いてきた。
お寺の仲間に感謝である。
忙しかった時には、出来なかった事を・・
お医者さんに、「冬場は特に体調に気を付けるように!・・なるべく家の中で休んでおくようにね。」と言われ、その言葉を守っていると、どうも退屈で・・。
と言って、テレビも同じような番組ばかりで、あきてしまった。
それで、一念発起して(そんな大層なものではないのだが・・)、忙しかった時には出来なかった事をやろうと決心した。
取りあえず、僕はコーヒーが好きなのだが、インスタントばかり飲んでいたので、先日、コーヒー専門店のマスターに尋ねて[コーヒーミル・スケルトン]を初めて買ってみた。
これは皆さんよくご存知の、ハンドルをグルグル回して、コーヒー豆をゆっくり砕いていく機械だ。
最初は「邪魔くさ」と思ったが、案外やり出したら、面白く無心になってやっていると、いつの間にか、はまった。
ハングルを回して、ガリガリとコーヒー豆を砕いてから飲むコーヒーは格別な味だ。・・ひとつ勉強になったわい。これから、今まで出来んかったことを、色々とやってみるぞ!
紙芝居『聖覚法印さま』、70パーセント完成!
元気な時に書くスピードに比べれば、三倍の時間は掛かっているが、ようやく紙芝居『聖覚法印さま』の完成のめどがついた。(後は、色を塗ったら完成だ。)
・・それにしても、時間が掛かったこの紙芝居。
調べる資料が多すぎた。
聖覚さまが余りメジャーな人ではない為、歴史に登場する資料が極めて少なくて、探し出して読むのに時間が掛かったのだ。
その一つが『沙石集』。
これも『徒然草』のように、有名な本ではないのだが、面白いものだ。
このぷっとい本のなかで、何か所か聖覚さまが(好人物として)登場される。(その逆もあるのだ)
だから、紙芝居を作るだけの事でも、買って読まざるを得なかった。・・この高っかい本を!(五千円近くもしたわい)
そして、聖覚法印といえば、浪曲や落語のルーツとなった『節談説教』の発明者。これも外せないので、範浄文雄先生の節談説教のCDを買って聞き、どうにか聖覚さまの雰囲気をつかんだ。
そして、外すわけにはいかない紫式部の『源氏物語』。
『源氏物語』を書くことによって、地獄に落ちた紫式部を聖覚さまが救い出すのだ。(当時、好色な話を発表した者は、地獄へ落ちる原因となったそうだ。・・今やったら、どないなんねんやろ⁈)
これも、お芝居などを観て勉強させて頂きました。
たった十一枚の紙芝居を描くのにも、これほど調べものをしたものはないだろう。
・・あと、色を塗るだけで完成だ。ほんとに手間がかかったわい!
マッサージチェアが来た日
息子が、マッサージチェアを買ってくれた。
結構、大きいモノで、畳半畳ほどあり、手も足もマッサージしてくれる最新式のやつだった。(ボーナスが出たから買ってくれたらしいが、無理しよったなぁ・・)
この前、[紙芝居法話]の出講に付き合ってくれた帰り、運転しながら息子が一言。「お父さん、あれは肩こるなぁ・・。紙芝居をめくりながら喋るのは、」と。
だから、買ってくれたらしいのだが。
父親の仕事?の現場を見てもらうのも、たまには良い。
それにしても、結構マッサージチェアって気持ちの良いものだ。
これから、お風呂屋で小銭を入れて使っていたこのチェアを、おもいっきり使えるわい。ありがたや、ありがたや。
観念寺新年法要
一月十日、今年も「観念寺新年法要」を、盛大に行うことが出来た。
ご門徒の皆さんと一緒に本堂でお勤めをした後、場所を一階のホールに移し、後半は[新年会]へ。
皆さんと共に[お善哉]を頂き、恒例のビンゴゲームへ。(今年も盛り上がりました)
そして、(これも恒例になってきた)ミニ演奏会。
今年は、息子の音楽仲間の友達・k君がゲストに来てくれた。
そして、珍しい中国の楽器[二胡]と、モンゴルで買ってきたという(あの教科書にも載っていた「スーホーの白い馬」の)[馬頭琴(ばとうきん)]を引いてくだった。
馬頭琴は、馬の尻尾の弦を使っていて、音はチェロのような響きをしていた。
そして、最後は珍しい二胡による浄土真宗の締めの歌「恩徳讃」を皆さんと斉唱し、新年会を無事に終えることができた。
K君、息子よ、みっちり、演奏曲を練習してくれたんやろなぁ・・本当に有難う!
さぁ、今年も一年が始った。合掌





