住職のつぼやき[管理用]

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宗教の違い、『アッシジのフランチェスコ』の話をもう少し・・

 もちろん、僕は仏教の僧侶なのだが・・。
 『アッシジのフランチェスコ』を調べれば調べるほど、[宗教]というものは(大局からを見れば、語っていることは)、仏教もキリスト教も「よく似ているな」と思った。
 フランチェスコは、キリスト教圏に生まれたから、キリスト教になったのだろうが、仏教圏に生まれれば、仏教徒になっていたかもしれない。

 話は変わるが、おそらく(僕のそんな性格を)知っていてだろうが、大阪の[キリスト教病院]のホスピス病棟から[紙芝居法話]を依頼されたことがある。
 その時、連絡を下さった担当の看護師さんに「キリスト教の病院に仏教の坊主が、法話に行っても良いのですか?」と聞いたことがある。
 その時は「はい、結構です。キリスト教の病院ですが、入院をされている方は[仏教]の方ばかりなので・・。好きにしゃべって下さい。信頼してますので。」と答えられた。(信頼してますと云われたので、アホなことは言えんかったが[笑い])
 そんなものだろう・・と思う。
 キリスト教と仏教、確かに違うが、目くじらを立てて睨むのはたいてい宗教者だけで、「心の安らぎ」を求めておられる方は、何宗でも何教でも良いのだ。
 確かに、そこに付け込む[悪い宗教団体]や[霊感商法]のやからはあるが、そこは、お互い信頼関係が一番大切なのだろう・・と思う。
 そういう・・ものだろう。

紙芝居:「アッシジの聖フランチェスコ」(その7:最終回)

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 いよいよ、(フランチェスコ達の)ローマ法王との拝謁が始まりました。
 フランチェスコは、今までのいきさつを一生懸命に述べました。
 そしてその後、
「・・法王様、私の行ってきた事は間違いだったのでしょうか?」
 と、泥まみれの服装で裸足のフランチェスコは、真剣に法王に尋ねたのでした。
 その姿をじっと、見られた法王はやがて、
「おぉっ・・、お前たちは、そんな服装で貧しい人達に奉仕し、イエス様の教えを説いているのか⁈
 それに比べて、私たちは反省せねばならぬ事が山ほどある・・。
 ああっ、私はそなたたちの清貧さに恥じる。
 フランチェスコよ。そなたこそ、真の宗教者じゃ。
 故郷に帰って、末長く教会を繁栄させよ!」
 と、フランチェスコたちは、法王からお墨付きを頂いたのでした。
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こうして、アッシジに帰ったフランチェスコたちは、多くの人達の協力を得て、又立派に教会を再建し、布教に励みました。
 その生涯は、わずか44歳で終わりますが、彼の生き方こそ真の宗教者であると、『聖フランチェスコ』と呼ばれるようになります。
 
 そして700年後、彼の生き方にあこがれた一人に、[ノーベル平和賞]を受けられた『マザー・テレサ』が生まれるのです。
 
 大金持ちに生まれながら、財産を捨て、イエス様につかえるお坊さんになられたフランチェスコ。
 そして、貧しい人、病気に苦しむ人の中にこそ、神様が居られると悟り、愛の教えを実践し、伝道されたフランチェスコ。
 
 我々は、彼の生き方からもう一度、『人間の愛』の教えを学ぶべきでしょう。
 それでは最後に、もう一つ、フランチェスコの教えをご紹介して終わりましょう。
 
 『野の花のように、美しく咲きなさい。
 そして、人々に愛を与えなさい。』 聖フランチェスコ

 おしまい

紙芝居:「アッシジの聖フランチェスコ」(その6)

 [ドノバン]という、自然を愛した『現代の吟遊詩人』と呼ばれた、スコットランド生まれのフォーク・シンガーがいる。
 フランチェスコを描いた『ブラサー・サン、シスター・ムーン』という映画の音楽を担当したのは彼であり、音楽も世界中で大ヒットした。
 しかし、彼と映画会社との意見の相違があったらしく、この映画のサウンドトラック版は、非常に残念なことに発売されなかった。
 それでも、是非、サントラ盤が欲しいという人が多く居た為、ドノバンの歌は入っていないイタリアバージョンの『サントラ版』は出た。
 もちろん、僕はツテを頼り、長い事探してこのイタリアサントラ版を手に入れた。
 今でもこのアルバムは、僕の宝物である。
 うちのお寺の中でも、この(キリスト教会の讃美歌)の入ったようなアルバムは、大音量でよく流している。(隣近所の人は何と思っているだろうか⁈・・ここは寺か?教会か?と、その内、苦情がくるかもしれない。[笑] しかし、今の混迷の時代、キリスト教とか、仏教とかにこだわるほうがおかしいと僕は思っているのである。絶対なる宗教とは普遍的なものなのである。これは僕の持論だ!)
 また僕が入院中、眠れない夜も、よくこのアルバムを聞き続けていた。この音楽にどんなに助けられたか!・・もちろん、この紙芝居もこのアルバムを聞きながら作った。それほど、この映画音楽が好きになのである。
 つまり、フランチェスコが大好きなのだ。
 この紙芝居も、本当は前編・後編の長編になる予定だったのだが、他宗教のものが、長々と描いて、キリスト教関係の方に迷惑を掛けてもいけない?と思ってやめた。
 だから、初めの予定で描こうと思っていた、フランチェスコの仲間たちや恋人?も描けていない。又、その若き晩年のフランチェスコのエピソード、他国への布教エピソードの話、インテリの弟子たちの裏切り、イエスと同じ聖痕の後の話・・それらは描けていない。・・それがちょっと心残りだ。
 余談が長すぎた。・・本編に戻る。 
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 フランチェスコの教会は、兵隊に襲撃され、燃え上がりました。
 それを見て、フランチェスコは自らに問いました。
『・・私のやってきた事は、間違いだったのだろうか?
 ・・その答えを知っておられるのは⁈・・そうだ!
 一番、神に近いあのお方!
 ・・ローマ法王に直接、私の行いは間違いだったのかと、お聞きしてみよう!』と、(突拍子もないことを)思いつき、仲間たちとローマに向かって旅立ったのでした。
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 そしてフランチェスコたちは、ローマ法王庁に、何とかツテを頼って入ることが出来ました。
 そして、いよいよ、キリスト教トップの御方に拝謁することになったのでした。 つづく(次回、最終回)

紙芝居:「アッシジの聖フランチェスコ」(その5)

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 フランチェスコと仲間たちの教会は、ついに完成しました。
 優しい言葉で、神様の話をするフランチェスコの人気もあり、老いと若きも、いつも教会は満堂になりました。
 それでは、ここで『聖フランチェスコの祈り』の言葉をご紹介しましょう。

 『神よ、私をあなたの平和の道具としてお使い下さい。
 憎しみのあるところに、愛を、
 罪のあるところに、許しを、
 争いのあるところに、平和を、
 疑いのあるところに、信仰を、
 絶望のあるところに、希望を、
 暗闇のあるところに、光を、
 悲しみのあるところに、喜びをまかせて下さい。

  おお、神よ、
 慰められるよりも、慰めることが、
 理解されるよりも、理解することが、
 愛されるよりも、愛することができますように。

 なぜなら、与えることによって、与えられ、
 許すことによって、許され、
 死ぬことによって、永遠の命を与えられるからです。』
 このように、解り易い言葉を使って、フランチェスコはお話やお祈りをしたのです。
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 しかし、町にある昔からの教会は、嫉妬しました。
 信者をみんな、とられてしまったからです。
 そして[司祭]は、ついに権力を使い兵隊を動かして、フランチェスコの教会を襲撃し、火をつけたのでした。
 つづく

紙芝居:「アッシジの聖フランチェスコ」(その4)

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 フランチェスコは、出家しました。
(フランチェスコ)「私は自由だ!
 何も私を束縛はしない。
・・イエス様と同じように私は生きるのだ!」と、その日から粗末な小屋に住み、毎日托鉢をしながら、難病の人たちを助けて生きる道をえらびました。
 伝説では、時には動物たちにも話掛けて、お説教をされていたそうです。(これも、同じ伝説がお釈迦さまにもある。)
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 そしてやがて、たった一人でフランチェスコは、潰れかけた『教会』の立て直しに取り掛かりました。
 それは、フランチェスコがお祈りをしていた時、イエス様から直接、「私の家を治しておくれ」と、メッセージを受けた為だと伝わっています。
 はじめは、そんな姿をあざわらっていた町の人々でしたが、やがて、一人二人と賛同者が増えていきました。
 そしていつの間にか、たくさんの仲間が増えて、ついに教会は完成したのでした。
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 つづく

紙芝居:「アッシジの聖フランチェスコ」(その3)

・・又また、余談ながら、昨年の2013年3月、バチカンで新しいローマ法王を選ぶための『コンクラーベ(=投票選名)・・なんか、日本の当て字[根競べ]と書いても楽しそう。』が行われ、アルゼンチン出身の[ホルヘ・ベルゴリオ枢機卿]が、第266代新ローマ法王に選ばれた。
 そして、『フランシスコ一世』と名乗ることになったのは、まだ皆さんの記憶には新しいと思う。
 『フランシスコ一世』、つまり、この紙芝居の主人公『聖フランチェスコ』の名前を継承されたのである。
 ではなぜ、今まで『聖フランチェスコ』の名を継承するローマ法王が、誰一人として現れなかったのか?
 それは、聖フランチェスコが、カトリック権力構造からいって、[異端]の存在であったからなのだ。
 どんなところが、異端なのか?そして、はたして異端とは何なのか?
 それは、この紙芝居を最後まで観て頂いて考えて欲しい。
 以上、余談おわり。・・本編へ
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 フランチェスコの奇行⁉が始まった。
(フランチェスコ)「物(物質)は心の重み!財産は捨てよう!人間にとって大切なものは[心]なのだー!」と、フランチェスコは突然、自宅の窓から、家の財産や商品などを投げ捨て始めました。(これって、日本の高僧[一遍]上人の行動にそっくりや!)
 その行いに激怒したのが、父親でした。
(父)「むっむっむっ、戦争の後遺症だと思って、怠けている姿を黙って見逃して来てやったが、もう許さん!わしの血と汗で築き上げた富を捨てるとは!!教会の司祭さまに裁いてもらう!」と、父はフランチェスコを引きずって、教会までつれて行ったのでした。
 この当時、教会が[(家庭)裁判所]のような役割もしていたのです。
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(司祭)「フランチェスコ、お前はどうして、父親を悲しませるのか?なぜ、財産を窓から投げ捨てたのか?」と、教会の司祭は問い質しました。
(フランチェスコ)「はい、司祭さま。私は人として大切なものは、[富]ではなく[心]だという事を、自然に生きる小鳥から学びました。
 財産があればあるほど、人は返ってそれを心配し、不幸せになります。
 何も持たない事が、幸せの道なのです。
 ・・でも、父にはそれが解りません。
 だから、私はすべてを父に返して、親子の縁を切り『出家』いたします。・・イエスキリストのように・・。(もう一つ付け加えるとお釈迦さまのようにとも言って欲しかったなぁ・・。)」と言いました。
 そして、みんなが唖然とする中、真っ裸になって、すべてを父親に返して、町から出て行ったのでした。 つづく

紙芝居:「アッシジの聖フランチェスコ」(その2)

 余談ながら、アメリカ合衆国の都市『サンフランシスコ』は、この紙芝居の主人公[聖フランチェスコ]から『都市名』を取ったものだということはご存じだろうか?
 日本でも、偉人の名前が都市の名前になったところはあるが、アメリカとなると、それはたいへん規模が大きいものだと思う。
 それだけ、アメリカ人に尊敬されていたのだろう。
 さて、本編に戻ろう。
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 やがて18歳になったフランチェスコは、華やかな鎧に身を固め、隣の国に戦争に出発します。
 父は「フランチェスコ、立派に戦って来い!・・そして、手柄を立てて、隣のお城から宝石や財宝を奪って来い!」と言いました。
 「はい、わかりました!」とフランチェスコは、意気揚々と出発したのでした。
 しかし・・、
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 凄惨な戦いに敗れ、隣国の捕虜となったフランチェスコ。 やがて熱病に侵され、莫大な身代金を払って帰還したのでした。
 そして、自宅のベットに横たわり、生死の境を彷徨ったのでした。
(フランチェスコ)「あぁっ・・、なぜ、同じ人間同士が、殺し合わねばならないのだろう。」と、悩み続けました。
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 ある日のことです。
 フランチェスコは、窓辺の小鳥の声に目を覚ましました。
(フランチェスコ)「小鳥はわずかなエサと水だけで、何の不満も言わず、毎日、楽しげに歌い空を舞う。・・そうだ!人間も小鳥のように生きれば良い。
『欲を捨てて生きる。』・・これが大事なのだ!」と、フランチェスコは、この時をきっかけに、生き方を一遍したのでした。 つづく

紙芝居:「アッシジの聖フランチェスコ」(その1)

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今から、イタリアは「アッシジ」という町の[フランチェスコ]という聖人のお話をしたい。
 時代は、[中世]である。
 ・・なぜ、『仏教徒』である僕が、『キリスト教徒』のお話をするのか?
 答えは宗教を超えて[好き]な、お坊さんだからである。
 いや、ただの好きではなく、めちゃめちゃ好きなのだ。
 彼の活動内容こそ、僕の『お寺の出前』の原点なのだ。
 だから、映画『ブラザーサン・シスタームーン』や『フランチェスコ』や『剣と十字架』や『神の道化師、フランチェスコ』(全部、聖フランチェスコを描いた映画)を観るだけでは飽き足らず、(ついに)紙芝居化させて頂いた。
 前置きはこれぐらいにして、それでは、はじまり、はじまりー。
 
 昔々、これは13世紀・イタリアのアッシジという町で生まれた[フランチェスコ]というお坊さんのお話。
 聖フランチェスコは、『自然の中に、愛や平和』を見出し、『本当に、人間らしく生きたい!』と願い、それを実践されたお坊さんです。 
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 フランチェスコは、裕福な[毛織商人]ピエトロの一人息子として生まれました。
 お金持ちの子して、何不自由なく育ったフランチェスコは、誰に対しても、礼儀正しかったそうです。(まぁ、ええトコのボンボンやね)
 ・・が、気前の良い散財家で、享楽的な青春時代を送っていたそうです。 つづく

夢のはなし

 これは、あくまでも僕の『夢の話』である。

 僕は、今年の三月に『脳内出血』のよる緊急手術をした。
 それは、四時間掛かった手術だった。
 全身麻酔をする直前まで意識があったので、今でも『その事』は、はっきりと覚えている。
 麻酔をして意識を失った僕は、夢を見た。
 砂漠を歩いているのだ。(後で思ったのだが、花畑ではなく、三途の川もなかった)
 その内、目の前に『万里の長城』の規模を小さくしたような壁が見えた。
 僕は、まっすぐに行かねばと思った。
 が、壁が邪魔である。
 「右側から行けば良い」と思って行くと、上から『丸太ん棒』が落ちて来て邪魔をする。
 僕は「危ないなぁ・・」と思って、今度は左側に行くと、又同じこと。
 それで上を見ると、僕の小学校の時に死に別れた『お爺ちゃんとお婆ちゃん』と知らないおっちゃんの三人がいる。(なぜか、父は居なかった。[笑])
 祖父母は、何も言わないで笑っている。
 僕は「お婆ちゃーん、お爺ちゃーん」と大きな声で呼ぶが、笑っているだけ何も言ってくれない。
 僕は、もっと大きな声で呼んだ。
 その内「おばあちゃーん!」という声が、「宮本さーん!」という声に変わって、僕は『うるさいなぁ』と思って、目を開けたら、そこは手術室で、五・六人のドクターが居て僕の名前を呼んでいたのである。
 そして「ああっ良かった。手術は成功しましたよ」とドクターは言ってくれて、その続きの話は、このブログにも書いてきた。
 もう一度言う。
 これは夢の話なのだが、ご先祖様というものは、(有り難いことなのだが)ずっと子孫のことを心配しているのであろうか?・・又、もう一人いた謎の人って誰?
 そして、あの壁の向こう側には、何があるんや?(僕が良くお話してる極楽浄土か?)
 それとも・・?
 

 

思えば、色んな事をやり過ぎたか・・

 ふと、『なぜこんな大病になったのかなぁ?』と、思ったのだが・・(息子にも言われたのだが、)考えてみたら、いろんなことをやり過ぎたのかもしれない。
 『お寺の出前』は、『呼ばれれば、断らない!』と、いうことをモットーとしていたので、・・とにかく、仕事以外の時間は、みんな『出前』に使った。

 老人ホームや地域の老人会などへは、紙芝居「二つの墓穴」や「三尺三寸の箸」などを持って、『老いても生きがいを持つ』をテーマにお話し、

 病院やホスピスなどへは、紙芝居「子供を亡くしたゴータミー」などを持って、『生きること、そして死ぬという事』をテーマに(患者さんや看護師さんなどへ)お話してきた。

 会社の研修には現役のサラリーマンへ、紙芝居「サイオウの馬」などを持って、『運命なんてクソくらえ!誰がなんと言うと、人間らしく自分らしく生きる』をテーマにお話し、

 学童保育には、紙芝居「幸福の王子」や「でんでんむしの悲しみ」を持って、『命の教育やいじめ』について、子供たちにお話した。

 そしてもちろん、お招き頂いたお寺には、紙芝居「おしゃかさま物語」や「アミダブツ物語」などの仏教説話をお話し、『宗教の基本は、皆が幸せになることである』と主張してきた。

 また、最近では、お寺に観光バスで来て下さるお客さまにも『仏教説話』の紙芝居もしていた。

 そしてその間、お寺の法要行事や檀家参りに人生相談、法事・お葬式、寺の掃除に運営会計計算と、全部一人でやって来た。
 おお、そして『紙芝居』の新作も作ってた作ってた。その数、140本!(今、141本目を作っている)
 こりゃ、病気になるわぁ。(息子に言わせると、「一人で五人分働いている」と言われた)
 妻には「それだけ働いているんやから、いつ死んでも悔いはないよね。私は諦めているよ」と言われてきた。

 でも、仏さまから『むちゃすんな。ここらでストップ、ザモーメント!おまえにはもうちょっと生きててもらわなあかん』とお声がかかって病気になったのであろう・・と思う。

 あと、どれぐらい生きれるかわからないが、自分自身の生き方を、もうちょっとここらで方向転換して考え、そして見つめなおしてみたい。
 
 

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