住職のつぼやき[管理用]

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湖東の蓮如上人ご旧跡と近江八幡へのバス旅行

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今年も、観念寺門徒(研修)バス旅行に行って来ました。
 今年は24名の参加でした。
 最初、今年は僕の病気もあったので、中止にしようかと随分悩んだのですが、総代さんから一言、「今年も行きましょう!」と後押しされて、ゆったりと行けるコースを添乗員のNさんに作ってもらい、実施できたのです。
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 今年のメインは、滋賀県守山にある『聞光寺』さま。
 こちらで、坊守様から、蓮如上人・一休禅師の直筆の掛け軸などを見せて頂きました。(正に、かぶりつきの近さで見せて頂き有り難かったです。)
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 そのサービス精神旺盛な、お優しい坊守様との記念写真。(右から三人目)
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 そして、[陶芸の里]という所で、近江牛のしゃぶしゃぶなどの付いたおいしい昼食を頂きました。
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 この日は、ぽかぽか陽気の良いお天気でした。
 それでその後、びわ湖観光船で長閑な水郷めぐりをして、最後はご存じ『たねや』のバームクーフェンを(ちょっと並んで)一杯買って、楽しく無事に研修旅行は終わりました。

 あぁ最後に、添乗員さんっ、本当にやんちゃでおもろい門徒さんを、迷子にもせず、うまく誘導して下さって有難うございました。
「・・Yっちゃん、聞いてますか?」の声が帰ってからも頭から消えませんでしたよ。合掌

中村小学校、来院

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今日、地元[中村小学校]の生徒たちが、お寺に来院された。
 「歩こう会」という名目で、地元のお寺や古墳・神社を回られるイベントらしい。
 実は、今年は大病をしたので、最初はお断りをした。
 しかし、「お寺というモノを知らない子供たちに、どうしても紹介したい。・・そして、地獄・極楽の紙芝居を見せて頂きたいのです。」と口説かれて、「・・では、30分だけなら。」と、引き受けたのだ。
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 子供たちは、元気いっぱいだ。
 お寺を見るのも、初めての子ばっかりだ。
 僕は、阿弥陀様という仏さまの説明をして、そしてお焼香の実践教室などを少し実施した。
 その後、先生ご希望の紙芝居『三尺三寸のお箸』を演じた。
 子供たちは、喜んだというより、阿弥陀様に熱心に手を合わして、口の中でモゾモゾ何かをつぶやき、声を合わせて御礼を言って、次の目的地へ去って行った。
 何か、心の勉強になったかな・・?

ぼちぼちと、観光バスが来られています。

 今年は、大病をした為、すべて計画がくるってしまった。
 ・・が、今年の後半期になって、ちょっとずつ、又元に戻りかけている。
 観光バスの拙寺来院イベントも、その一つである。
 団体参拝の方々が、又、あちこちから来てくださっているのだ。
 お寺が賑やかになるのは、嬉しいことだ。

 今、体調の事もあって、[お寺の出前]にあまり遠方に行けない。
 そんな時、向こうから、来て下さるのだ。
 「・・わざわざ、来てくれんでも、よかったんやがな~。・・言うてくれたら、こっちから行きますのに~。」に、某漫才師のギャグも、マジで言えない『お寺の出前』の今日この頃。
 ほんま、有り難いことである。
 往生しまへんでー。
 

 
 
 

新しいパターン

 昨日、生駒市の西教寺さまにご法縁を頂き、お参りさせて頂いて来た。
 まだ、僕一人での車の運転は危ないという事で、昨日は坊守に運転してもらい行ってきた。
 お寺に到着すると、ご住職さまが気を遣ってくださり、「・・ずっとお話して下さるのは、しんどいでしょう。だから私が話の前座と後座の途中に、30分ほど時間をとって、つなぎの話をさせて頂きます。・・その間、ゆっくり休憩してくださいね。・・新しい法座のパターンやね。はっはっはっ」とおっしゃってくださった。
 僕は恐縮しながらも、そのお言葉に甘えた。
 そして、前座と後座の間、ご住職のお話を伺いながら、ゆっくり休憩することができ、最後まで無事に話することが出来た。
 皆さんが僕の身体の為に、何かと気を遣ってくださっている。
 有り難いことだ。・・僕は幸せものである。合掌
 

坊守の勤務幼稚園

 昨日、吹田の西福寺さまにご縁を頂き、息子に車を運転してもらって、お参りさせて頂いた。
 ところが、道に迷ってしまい・・、グルグルと車で回っている内に到着したのが、30年ほど前、(僕と結婚する前に)坊守(=妻)が勤めていた岸部第一幼稚園の門の前だった。
 ・・更に『ご縁だな』と思ったのは、この日が結婚記念日。
 30年ほど前の結婚する前、僕は妻の幼稚園勤務が終わる時間を見計らって、よくこの門の前で待ち合わせて、よくデートに出かけたものだった。
 ・・ほんと、車で迷う事がなかったら、そんな記憶などとっくに忘れて掛けていた。
 これは、仏様からのメッセージという他ない。
 結婚記念日を、夫婦のご縁を大切にしよう・・と思った出来事だった。
 

気になっている人・・その名は[聖覚]法印!

・・気になっている人がいる。
 今の時代の人では無い。
 平安時代末期の人だ。 
 名を『聖覚(せいかく)』法印(ほういん)という。
 親鸞聖人の兄弟子にあたる御方だ。
 この方が居なかったら、おそらく親鸞聖人は、法然上人にも出会っていない。・・ゆえに、今の浄土真宗はない。
 もうちょっと詳しく述べると、親鸞聖人がまだ自分の心の悩みに苦しんでいた時、偶然、聖覚さまと京の町中で出会う。そして当時、(聖覚さまの)師でもあった法然上人を紹介してもらい、法然門下になり、心の悩みは消えるのだ。(これは伝説という説もあるが、僕はこの話が好きだ。)
 又、聖覚さまは、親鸞聖人より先に、堂々と結婚されていて、子供もたくさん居られた。
 親鸞聖人は、この比叡山時代からの兄弟子から、何らかの影響を多く受けているに違いないのだ。
 又、この方は貴族の出ではあるが、文字の読み書きも出来なかった庶民の為、節談説法という、身振り手振りをつけた浪曲のような説法を編み出し(父の代からの手法を更に新たなものにし)、念仏を庶民のものにした。(安居院[あぐい]流)
 ちょっと書いただけでも、凄い高僧だが、あまり知られていない。
 この人を紙芝居にしようと思う。
 先日、縁あって、聖覚法印をおまつりしている京都の西方寺さまにお参りさせて頂き、インターネットでは見る事のできなかった、その肖像画をご住職に見せて頂いた。
 ・・実に優しそうなお顔であった。
 今、僕の頭の中は、この『聖覚』法印でいっぱいだ。
 ストーリーの構想は沸いた。
 聖覚さまのお話をもっと親しみやすく紙芝居にしたいと思う。

 

紙芝居:「妙好人 大和の清九郎(後編)」その6(最終回)

清九郎は、寛延二年、72歳の時に[中風=脳血管障害]にかかります。
 翌年、髪を剃り、法名『浄玄(じょうげん)』と名のり、ひたすら念仏三昧の日々を送ります。
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 娘・こまんには、先立たれますが、娘婿・久六が、最後まで看病をしてくれたそうです。
 臨終もせまり、久六が「・・苦しいでしょうから、口で念仏を称えず、心で称えられたらどうですか?」と言うと、
 清九郎は、頷いて、念仏を一度止めます。
 が、しばらくすると・・、又、念仏を称えました。
 そして、息を引き取ったということです。
 寛延三年(1750)、八月四日のことでありました。
 法名『釋 浄玄』、行年73歳。 おしまい 
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(現在もお花の絶えることのない、清九郎さんのお墓)

紙芝居:「妙好人 大和の清九郎(後編)」その5

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 もう一つ、清九郎さんの面白いエピソードをご紹介しましょう。
 清九郎は、阿弥陀仏が、『[極楽浄土]へ(特別な修行などせずとも)そのままの姿で、お念仏を称えてココまでやって来い!』という、教えが大変好きでした。
 それで時々、清九郎は自分の家に、近所の子供たちを呼び集めて、
「お前たち、このじいちゃんの言う事を聞いてくれたら、お駄賃をあげるぞ。・・木の上やら、高い所に登ってな、『清九郎、そのままじゃぞー!(=そのままの姿で、良いぞという意味)』と、わしの方を向いて言うんじゃ。・・そしたら、お駄賃をあげるぞ。」と、言いました。
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 それで、子供たちは「わーい!」と、木ノ上に登って、
『清九郎、そのままじゃぞー!』と、みんなで叫びました。
 すると、清九郎は「おぉっ、阿弥陀様のお呼び声のようじゃ・・。有難うございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」と、涙ぐんだそうです。(変わった趣味です・・こと) つづく(次回、最終回)

紙芝居:「妙好人 大和の清九郎(後編)」その4

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そんな清九郎の評判を聞いた、大和の国の殿様が、「その清九郎に是非、会ってみたい。」と或る日、お城に呼び出しました。
 「・・そなたが、泥棒を改心させたという清九郎か。親孝行のことなど、いろいろと聞いておるぞ。・・褒美をとらす!」と、殿様が言いました。
 すると清九郎は、
「・・はい。私はそんなに立派な人間ではございません。若い頃は、どれだけ多くの人々に迷惑をかけてきたか・・。褒美など、もったいのおございます。」と、固辞しました。
 それを聞いて、益々、殿様は感動され、金子を是非にと与えられました。
 そして、清九郎の仕事であった芝刈りの[柴]も、領内では思いのままに刈っても良いとの、許可が与えられたということです。

 ・・さて、頂いたその金子ですが、これは、後になって解ったことですが、すべてお寺に寄進したということです。あぁ、うらやまし・・(笑) つづく
 
 

紙芝居:「妙好人 大和の清九郎(後編)」その3

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 清九郎の家に泥棒が入ったのです。
 泥棒は、寝たふりをしている清九郎に気づかず、金目の物を探しました。
 ・・が、何も無いので、土間から米俵を盗もうとしました。
 それを見た清九郎は、がぱっと起き上がって、
「・・泥棒さん、そんな重い物は大変だろう。
 明日、もう一遍来なせぇ。その米をお金に変えておいてあげるから。」と、言いました。
 びっくりした泥棒でしたが、
「本当だな・・」と言って、何も盗らずに帰って行きました。
 次の夜、(その間抜けなというべきか、)その泥棒は案の定、やって来ました。
 (余談だが、これと似たようなエピソードが、この前観た映画『不思議な岬の物語』にあったなぁ・・。)
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 清九郎は「待ってましたぞ!」と言って、お金を揃え、その上、ささやかな御膳まで用意していました。
 ・・驚いた泥棒は、
「なぜ、ワシの為にそこまでするんじゃ。」と言うと、
清九郎は「前世で、ワシがお前に借りていた借金を、今、このように返す機会を、阿弥陀様から与えてもろたと思うと、ワシはうれしゅうて仕方がないんじゃ。」と言いました。
 それを聞いた泥棒は、両手をついて、謝ったということです。 つづく
 
 

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