住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

トラウマからの脱出

 ・・時々、『トラウマ』と言っていいのだろうか?
 病院の中にいるような錯覚、そんな夢を(まだ)見る。
 お医者さんから「君は退院したら、身体障害施設に入所してもらわねばならんようになる。まぁ、デイサービスに通っても良いかもしれんが・・」と、僕に言っている夢だ。
 それをまるで、他人のように聞いている僕。
 でも、それは僕のことだ。
 まだ、医者の話は続く。
 「退院しても、右腕は効かないだろう。正座も出来ない。言語障害も残るだろう。・・つまり喋れない。覚悟せねばならない。」と説明が続く。
 今はリハビリのお陰で運良く、すべてが軽く済み、普通の生活に戻れたので、こんなことが書けるのだろうが、やはり、こう言われた場面を夢で思い出すのだ。
 右腕が動かなかったら、もう『紙芝居』が書けない。
 正座が出来なかったら、もうお参りができない。つまり仕事ができない。
 言語障害も、お経もあげれないし、紙芝居も読めない。
 僕のすべてが、無くなってしまう。
 今日、ひとりの檀家さんから「住職さんが、こうして私の家に来て、仏壇の前でお参りをしてくれる事は、奇跡やと思っているんでっせ。」と言われた。
 ホンマに助けてもらった命。
 又、動けて喋れる幸せ。
 大事にせねばならん。
 その檀家さんから帰り際に言われた「住職さんが経験しはった事を、皆に伝えて欲しいわ。・・それが仏さんに対する恩返しとちがうやろか?」という言葉。
 僕の背中にドッとのし掛かった。

『出前』初出講と再発の怯え

 昨日、茨木市にある『善照寺』さまの[仏教婦人会新年会]へお招き頂き、初出講に行って来た。
 講演時間は、休憩を挟んで、約一時間。
 仏教紙芝居は、四本させて頂いた。
 講演する体力は、ほぼ戻って来たと思う。
 しかし、お医者さんに言われた「左の脳出血は直っても、次は右が切れるかもしれないので、(仕事の)無理はダメですよ。・・これは珍しいことではないのでね。」と、言われた言葉が耐えず、頭の中で走る。
 講演中、喋っている時は『ここで又(脳出血を起こして)死んでも本望!』と、思うのであるが、支えてくれている家族や、檀家さんの事を思うと、「やっぱ、今年も無理はあかんなぁ・・」と思ってしまう。
 ・・と思いながら、今年も『紙芝居講演』を、体調と相談しながら、なるべくカンパリたいと思うのでありました。・・おわり
 

明けましておめでとうございます

 ・・ちょっと遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
 年末は、風邪を引いてしまいました。
 早め早めで、直ぐに医者に行って、処方箋を出してもらいましたので、重くはなりませんでした。
 さて、今年のお正月は、初めてお寺での『元旦法要』を休みました。(体調を考えて)
 それで、(檀家さん抜きの)家族だけのお勤めをさせて頂きました。・・楽でした。
 その分、十日に『新年法要』を、賑やかにさせて頂こうと思っております。
 今年もよろしくお願い致します。合掌

人の仕事の価値について

 僕は『人の(仕事の)価値』について、勝手な基準を持っている。
 僕の『人の価値基準』は、「自分の仕事が好きでたまらん!」と言う人が、人として『最高得点を持っている!』と思っているのだ。
 自分の仕事を好きでやっている人は、見ていれば解る。
 そういう人が(他人がどう評価をしようが、)僕は好きなのだ。
 自分の仕事に、情熱を持ってやっている人は、仕事内容に工夫がある。情熱がある。そして、自分が一番喜んで楽しんでやっている。
 そういう人とお話していると、こっちも嬉しくなり、生きる力が沸いてくる。
 ・・どんな内容の仕事でも良いのだ。
 僕は、そんな誇りを持っている人たちと、お付き合いしてより好く生きていきたいのだ。
 

『紫式部ダイアリー』と聖覚法印の紙芝居

ファイル 1379-1.jpg

 昨日、『紫式部ダイアリー』というお芝居を観て来た。
 それは今、『聖覚法印(せいかくほういん)さま』という、紙芝居を作っていて、そのラストの場面に、紫式部(・・の厳密にいえば幽霊)が登場するからで、彼女のことをもっと調べたかったからである。(・・結果的にはこのお芝居、あまり参考にはならなかったが・・(苦笑))

 『源氏物語』という卑猥な読み物?を書いた罪により、地獄に落ちた紫式部。(当時は、恋愛モノを地獄への要因と、そう解釈したのであろう。・・誰が言い出してん?)
 それを聖覚法印さまに、なんとか助けを乞う場面として出てくるのだ。
 そして聖覚さまは、それを聞き入れ、新たな[表白(ひょうびゃく)=お経みたいな、まじないの言葉のようなモノ]を作って称え、紫式部と[源氏物語]の登場人物たち?を地獄から救い出す。
 そんな場面で、この紙芝居は終わる。・・こんなストーリーなのだ。

 ・・笑うなかれ!今もこの法要は、紫式部のお墓のすぐ近くにある聖覚法印のお寺、京都の『西法寺』様で毎年、行われているのである。
 この西法寺のご住職から、紙芝居が完成したら、このお寺の(聖覚さまと紫式部の)法要の日に、是非初披露して欲しいと頼まれたのである。
 いやはや、・・紫式部の霊をまじめに、美人に?描かないと、それこそ僕の所へも、『紫式部アングリー』と怒って出て来るのでは・・⁈

久々に、ブログを・・

 久々にブログを書く。
 実は、きつい風邪をひいてしまって、寝込んでいた。
 今年前半の[長期入院生活]を送るまでは、[僕は(永遠に)病気などしない]と、本気で思っていた。
 が、一度、大病をしてしまうと、薬を飲みすぎて身体が弱るせいか、どうしてもすぐ風邪をこじらしてしまうようだ。

 でも、なかなか休めない・・のが、僕の仕事。
 奈良県吉野のお寺の法要や、豊中のお寺の総代会などへの紙芝居の出講があったため、完全休養はできず、病態に鞭打ちながら(家族に助けられながら)『出前』に出た。
 それで、風邪が長引いてしまったようだ。

 でも、無事に今年の『出前』は、なんとか終えた。
 退院以後、20回の出前をこなしたことになる。(主治医には内緒だが・・)

 家内に言わせれば「ようやるわ!」と怒られつつ、こなした『出前業』。
 仏様の思召しのお陰で、なんとか出講できました。合掌
 でも、もうすでに、来年の11月まで、予定が入っている。
 本当に身体がもつのだろうか?

京都四条南座『吉例顔見世興行』

ファイル 1377-1.jpg

 檀家さんから、「歌舞伎の『顔見世興行』のチケットが、二枚余っているので行きませんか?」と、頂き、昨日、京都『南座』まで行って来た。
 恥ずかしながら、歌舞伎を生で観るのは初めて。
 藤十郎の『仮名手本忠臣蔵』や、又、橋之助の『鳥辺山心中』など、花道のすぐ横の席で観ることが出来た。 
 当たり前だが、歌舞伎はすべて男。宝塚の反対だ。・・歌舞伎の(上手な)女型と、宝塚の(凛々しい)男型が、組んでお芝居を作ったら、面白いものが出来るのではないか、と思った僕はやっぱりおかしな人間だ。(笑)
 でも、歌舞伎の男の立ち振る舞いやセリフが、どうしてあぁも、女性的になれるのか、「凄いなぁ」とも感じた。
 しかし、やはり、歌舞伎のセリフはお経と同じ?(笑)何言うているか、もうひとつ解らん。そこで、『イアホン案内』を借りて観るとよーくわかった。
 それと、途中で食べた『観劇弁当』。休憩時間の30分で食べるのは、もったいなかった。(もっとゆっくり、ゆったりとした席[縦も横も狭い]で食べたかった。)
 でも、舞妓はんも、芸者さんも、すぐ近くで生で見れて、別世界との遭遇ができ、少し元気が出た。

ドライブ・レコーダー、装着

 田舎は、車が無ければ、行動するのに不便な所だ。
 年を寄れば、尚更だ。
 ・・よって、うちの近くでは、年寄り(仮に80歳以上としておこう)の農作物収穫の為に、軽トラ運転が、非常に多い。
 年を取っているため、当然、運転に対する判断ミスが多いようだ。
 昨日も、うちの檀家さんが、高齢者の軽トラにぶつかり掛けた・・そうだ。
 話によると、相手は、横に曲がる(左折)指示器をだしたまま、まっすぐ直進したらしい。
 「直進しようとしてた私は、もうちょっとで、ぶつかる所でした。・・でも、こわかったのは、相手が、自分が指示器を出した事も忘れて、私を睨みつけてきたことでした。・・高齢者の運転は怖いです。認知症予備軍かも知れない人も、平然として運転しているのですから。・・住職さんも気をつけてくださいや。」と、檀家の奥さんは僕にお話された。
 前にも、同じようなことを聞いた。
 『これは他人事ではない』と、今日、オートバッ○スに行ってドライブレコーダーを早速、取り付けて来た。
 ドライブレコーダーとは、運転中、ずっとビデオが、目の前の景色を録画し続けてくれる装置である。
 事故の回避にはならないが、その時の(証拠映像)にはなる。
 あんまり、良いこととは思えないが、コンビニにアクセルとブレーキを間違って突っ込んでしまう超高齢化車社会。
 装着するに越したことはない。
 
 

フラワーアレンジメント教室

ファイル 1375-1.jpg
お花好きのご門徒さんを講師に招き、おととい、お寺で『フラワーアレンジメント教室』を開いた。
ファイル 1375-2.jpg
 切り花が揃うと、お寺のホールが、一遍にパーッと華やかになった。
ファイル 1375-3.jpg
 みんな、楽しみながらも一生懸命。
ファイル 1375-4.jpg
 世界に一つだけのコーヒーカップに入った自分のお花を、嬉しそうに抱いて、皆さん帰られました。
 講師のTさん、ボランティアでの講習会、本当に有難うございました。合掌

話のネタ

 今日は『紙芝居法話』のネタについてお話する。

 だいだい、初めて寄せて頂くところでの[紙芝居]のメニュー(これを『話のネタ』と言おう!)は、決まっている。
・・『三尺三寸の箸』、『アミダブツ物語』、『嫁脅しのお面』、そして『共命鳥のはなし』などである。
 そして、二度目、三度目になってくると、もっと専門的になって、その法要内容に違って(善と悪のはなしや専門的な宗教・歴史のはなし)とか、男・女(恋愛のはなし)や年齢層の違い(昔話など)によって、行う紙芝居を変えている。
 だから、どの年齢層やあらゆるイベントにも(一応)対応できるつもりなのだが、・・やはり、もっともっと、話のネタが欲しいと感じていた。

 そんな時、先日のバス旅行のバスの中で、『やすしきよしの漫才全集』のビデオを(けっこう長く)見た。
 そう、たいして漫才のネタは無かったのだが、少ないネタを[アドリブ]や時事(やっさんの事件など)やらで、さらに笑いを創り出し、生み出していたのだ。(そこが凄いのだが。)
 それを観て、僕は思った。
 「あぁ、ネタの多さにこだわる必要はない!・・一期一会を大事にしてその場を仏の世界にすれば良いのだ。」と。
 
 話は変わるが、おととい、泉佐野市にある『元成寺』さまの永代経法要にご法縁を頂き、紙芝居法話に行って来た。
 今はまだ、体調が万全ではない為、短い時間のおはなしとなったが、ネタをいつも通りさせて頂いて、ちょっとアドリブを入れて、「やすきよ」方式でおはなしさせて頂いた。だから案外、楽に終えることが出来た。
 漫才一つでも、学ぶことが多い。・・僕はまだ[小さい]と思った。やすきよに、感謝の気持ちでまんまんちゃん、アン!合掌
 
 

上に戻る