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紙芝居:「策伝さんの『醒睡笑(せいすいしょう)』」(その4 最終回)

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「さぁ、困ったなぁ・・。
『たいらばやし』さんか?
それとも『ひらりん』さんか?
はたまた『いちはちじゅうのもくもく』さんやろか?
それとも『ひとつとやっつでとおきっき』さんか?
 せや、これみんな言うて歩いたろ!・・そしたら、誰ぞ親切な人が、『定吉どーん、こっちでっせー。』と教えてくれるかもしれん。
 よっしゃ、大きな声で言うてこましたろ。・・『たいらばやし』さーん、『ひらりん』さーん、『いちはちじゅうのもくもく』さーん、『ひとつとやっつで、とおきっき』さーん。
・・・なんか、おもろなってきたな。・・せや、歌にしたろ!
『た~いらばやし』か、『ひらりん』か~。『いちはちじゅうの~もっくもく~』、『ひとつとやっつで、とおきっき~』。たーいらばやしか・・。
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 その時、その大きな声を聞いたホンモノの『平林(ひらばやし)』さんが現われました。
 「なんや、けったいな歌を唄て・・。誰かと思たら、定吉どんやないか⁈」

 「あれま、本町の『ひらばやし』さん。???
・・ちょ、ちょっと待ってくださいや。
 『たいらばらし』?・・『ひらりん』?・・
 おしいっ!
 あんたには、用はない。」
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 さぁ、どないでしたか?
 このように、私が書きました『醒睡笑』には、おもろく、(無理な)教えもちょっと入れ、そして『落ち』でまとめて、全一千三十九作の小話に、仕上げましてんで。
 この手法が、のちに芸能『落語』へと変わり、わてはいつしか、『落語の祖』と呼ばれるようになりましたんや。
 さて、そろそろ終わらなな。
 それでは、最後は掛詞(かけことば)で、まとめさいてもらいまひょ。

『策伝落語と掛けまして、策伝が終生愛した[椿(つばき)]の花とときます。
 その心は、
 どちらも、落ちて、麗しい。』 おそまつ

紙芝居:「策伝さんの『醒睡笑(せいすいしょう)』」(その3)

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そこで、丁稚の定吉どんは、手紙の[宛名]を、人に聞く事にした。
 「あの~ごりょんはん、すんません。ちょっとお尋ねしますが、この宛名、何て書いてありますの?」
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「へぇ、・・この上の字は『たいら』。下の字は『はやし』やね。つまり、この名は『たいらばやし』どすわ。
 ・・でも、間違うとったらあかんので、あそこの御隠居さんに聞いてみなはれ。」

 「へーい、おおきに。・・あの御隠居さんやな。
 あのー、この宛名は何と読みますんやろ?」

「何々、ふむふむ。・・この上の字は『ひら』やな。下の字は『りん』と読むんやな。・・つまり、この宛名は『ひらりん』さんや。」

 「へーい、おおきに。・・何や『ひらりん』さんか⁈・・あっ、あそこにもう一人御隠居さんが居てはる。聞いてみよ。・・すんまへん、この宛名、何と読みますんやろ?」
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「ふむふむ、・・これは『ひらりん』と読むのではない。
 分解するのや。
 ええか、上から『いち』、『はち』、『じゅう』と読む。
 下は木が二つで『もく・もく』や。
 つまり、『いち、はち、じゅう、の、もくもく』さんやな。わかったか?」

 「へーい、おおきに。・・なんや、ややこしなってきたな。・・もう、ついでや、あの御隠居さんにも聞いてみよ。あの~、この宛名、何と読みますんやろ?」

「・・これはな、『いち』と読んではいけません。『ひとつ』と読むんやな。つまり、『ひとつ』と『やっつ』で『とお』と読み、下の字は『きっき』と読むんやな。わかりましたか。」

 「へ~い、有難うさんです。ところで、その『ひとつとやっつで、とおきっき』さんの家を知りまへんか?」

「そんな、家。聞いたことないなぁ。・・それ日本人か?」

「へぇ・・?」  つづく

紙芝居:「策伝さんの『醒睡笑(せいすいしょう)』」(その2)

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 私の僧名は[策伝(さくでん)]と言います。
・・が、自称、つまり今でいう芸名みたいな、ペンネームみたいなモンは、『平林 平大夫(ひらばやし ひらだゆう)』と言いましてん。面白い名前でっしゃろ⁉
 この名前をなぁ、『たいら・ばやし』と読んだり、はたまた『ひら・りん』と読んだりする、ムチャクチャな(ワシより)おもろい坊さんがおったんや。・・ちゃんと『醒睡笑』に書いた、ホンマの話やで。
 それを、『とかく、当て推量では、何も当たらんねんでぇ』と、ちょっとした[教え]を入れて、ワテが小話にしましたんや。
 それが後世、『平林』という[上方落語]の名作に変わりましたんや。
 どいつや、ワテの名前をネタギャグにした奴は⁉ワハハハッ。
 では、今回は『上方落語バージョン』で小話を聞いてもらいまひょか。はじまり、はじまり~。
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 ここは、大阪のとある大店。
 主人が、丁稚を呼んだ。
「お~い、定吉。」

「へ~い。なんでんのん、旦那はん。」

「おぉ、お前は返事が大きいのがええ。ちょっと本町まで、使いを頼む。・・ええか、この手紙を『平林(ひらばやし)』さんに、渡してほしいんや。わかったか⁈」

「へ~い。」

「ホンマにわかったんか⁈」

「へ~い。」

「・・ほな、家の敷地の目隠し壁は何や?」

「へ~~い、塀~。」

「おほんだら!はよ、行ってこ~い。」

「へ~~~い。」

「大丈夫かいな⁈」
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「なぶったった。ああっおもろ。
 あっあっあかん⁈ 笑とったら、肝心の手紙の名前を忘れてしもた。困ったなー。ワテ、文字を読まれへんし・・。
 あっ、あそこに、ぎょうさん人がおる。聞いてみたろ。」
 つづく

紙芝居:「策伝さんの『醒睡笑(せいすいしょう)』」(その1)

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 「やぁ、みなさん、こんにちは。
 安楽庵(あんらくあん)策伝(さくでん)でおます。
 これから、私が書きました[落語]の基になりました『醒睡笑(せいすいしょう)』という本の中から、二つ、小話を聞いてもらいまひょう。
 きっと皆さん、『あぁ、それ、聞いたことある!』と思いはりまっせ!
  ・・そやそや、これも言うとかな。
 この書物『醒睡笑』は、『眠りを覚まして笑てまう』という意味があるんでっせ。
 又、本のネタは、ワテが小僧の頃から、耳にした[おもろかった話]を、メモした物なんです。まぁ、それをまとめてこの本にしましてん。
 では、一本目。『星取り竿』の小話のはじまり、はじまり~。
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 あるお寺の話です。
 夜更けに、庭の中で、長竿を空に向けて、振り回してる小僧がおりました。
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 和尚がこれを見て、「おまえ、長竿持って何してんねん?」と聞いたんです。
 小僧は「夜空の星を取ってるんです。・・でも、竿で叩き落そうとしても、中々落ちてこないんです。」と答えました。
 それを聞いた和尚。「さてさて、ドンなやっちゃ。そこからではとどかんぞ。」と言いました。
 「はぁ?」と小僧。
 そして、和尚は一言。
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 「屋根上がれ!」。
  
 こんな、話でんねん。

 弟子も弟子なら、師匠も師匠。
 これ、戦国時代のワテが見聞きしたホンマの話でんねんでぇ。
 ・・でも、これで終わったら、仏の教えが無い。
 わては『醒睡笑』の中で、最後に言いました。
 
『師匠の教えは、ホンマ有り難いもんや。』と・・。

 こっちの方が、ホンマの落ちみたいやなぁ。 つづく

親の仕事

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(披露宴会場:堺筋倶楽部)
六月三日、息子が結婚した。
 式と披露宴は、元銀行を改造したレトロな会場『堺筋倶楽部』である。
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 これが、最後の親の仕事か?。
 今年の三月に娘が式を挙げ、六月に息子が結婚し、これで親の仕事も一段落じゃ。
 寂しいと云うより、一安心と言う気持ちの方が大きい。
 子供たちの幸せそうな顔を見るのが嬉しかった。
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 披露宴では、息子がバイオリンを弾いて、ジブリファンの嫁が(カントリーロード)の歌を唄い、友達たちが演奏してくれて、会を盛り上げてくれた。(「おっお前たち、自分たちの結婚式で自分が唄い演奏するんかいっ⁉」と突っ込むと、『ハイッ!』と言われた。[笑])
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 宴での僕の最後の仕事は、スピーチが待っていた。『あっわわわっ、あの~その~』とならないように、ちゃんと(超短い)原稿を書いてゆっくり読んだ。・・一安心。最後嫁がご両親に手紙を読み、そして息子が挨拶して〆た。
 あー、今年のビックイベントがようやく終わった!
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 これは息子の嫁が描いてくれた僕の似顔絵。・・嫁はこんな仕事をしているのだ。似てますか⁈

今、制作中、二本の紙芝居

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 今、制作中の二本の『紙芝居』を紹介します。
 一本目は、『大石順教尼』さんの生涯を描いた物。
 これは、義父によって両腕を切断された『大石順教尼』さんが、高野山で出家をして尼僧となり、自分と同じような境遇の仲間の為に、福祉施設、兼寺院を作って生きぬく!生涯を描いたものである。
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 この紙芝居、両腕の無い順教尼さんが、口に筆を噛み、絵画や文字を描かれた場面を描くために、僕も筆ペンを口に噛み、写経をやってみたのだが、とても、難しくて出来るものではなかった。・・よだれが流れ落ち、口がすぐだるくなり、無理だった。・・順教尼さんは凄い人だと改めて思った。
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 もう一本は、浄土真宗の妙好人『赤尾の道宗』さんの紙芝居。
 この方の故郷は、富山県の五箇山。今月取材に行ってくる予定だ。
 この方は、少しでも阿弥陀仏が自分たちの為に、血を吐くようなような思いで修行して下さった有難さを、自分自身、味わい、少しでもそのご苦労と感謝の体験しようと、毎日、割木48本に念仏を称えて、その上で眠ったという伝説のある妙好人なのだ。・・ドМで決してない。・・ただ者では無い!
 僕も割木を集めて一度体験しようと思うのだが、ホームセンターに割木がまだ売ってない為に出来ていない。
 売り出せば、一度やってみる。・・僕もドМでは決してない・・たぶん。

紙芝居:「安楽庵 策伝・伝」(その4 最終回)

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(京都『誓願寺』様)
 策伝さんは、60歳で京都『誓願寺』の55世法主となります。
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 それと同時に、徳川幕府の御代官に頼まれ(御代官の世間知らずの息子の為に書いて欲しいと、友人の策伝さんに頼んだとの説がある)、『オチ』のある法話全集の執筆に入ります。
 その書物の名を『醒睡笑(せいすいしょう)』と言います。 それは『ねむりを、さまして、わろてまう』という意味なのです。(余談ですが、この『策伝・伝』の第二部で、その『醒睡笑』の中身を紙芝居で、少し見て頂くことにしましょう。)
 ・・この書物、ひょっとすると、戦さや不慮の事故で亡くなった人の親族を、『笑いの力』で慰めようと、策伝さんの願いが込められた物でもあったかもしれません。
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 江戸時代、初期。
 策伝さんは89歳で、誓願寺の茶室『安楽庵』で亡くなります。
 大往生でした。
 そして、策伝さんが亡くなってから、時代は江戸中期に移り、江戸・京都・大阪から、三人の[落とし噺(ばなし)]の芸人たちが、彗星の如く現れます。
 それは、まるで策伝さんの弟子のように・・、
 江戸の[鹿野武左衛門(しかの・ぶざえもん)]。
 京都の[露の五郎兵衛(つゆのごろべえ)]。
 大阪の[米沢彦八(よねざわ・ひこはち)]。
 これらの人たちが、策伝作の『醒睡笑』から、大なり小なり影響を受けて、今日の[落語]となってゆくのです。
 第二部へつづく・・。 
 ひとまず、おしまい

紙芝居:「安楽庵 策伝・伝」(その3)

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 豊臣秀吉公が亡くなってから、又、大きな合戦が起りました。
 働き盛りの男姓たちの多くが、そこで亡くなったのです。
 ・・次のエピソードは、筆者が、昔何かの本で読んだ、策伝記の小ネタを、少しアレンジしたお話です。
 この日、策伝さんは用事の為、戦場跡を歩いておられました。
 その時、一人の武士の遺体の前で、或る親子が大声で泣いていたのです。
 「わーんわーん、お父ちゃん、どうして死んじゃったのー!」、
 「あーっあんた~、私はいったい、この先どうすれば良いのー。この子たちをどう育てれば良いのー!」と。
 それを見て策伝さんは、居てもたっても居られず、手厚く遺体を埋葬しました。
 そして、読経しその親子を慰めました。
 が、親子は泣き止みません。
 そこで策伝さんは・・、
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 「・・お母さん、大丈夫! 仲良い夫婦のあんたらが、ふーふーと言うて、作った子やろ。子供は強いもんや。子供は『風の子』ともいう。ふうふ~、フウフ~~の子なんや。何かあったら、お父さんが極楽から『いつまでも夫婦のわしが守るでー』と、風吹いて守ってくれんでー。ふ~ふー、とな。」と言いました。
 「・・ん、お坊さん?・・それシャレか?へんなしゃれ。くすっ。・・でも、私らを慰めてくれてるんやな。おおきに、おおきに。・・いつまでも泣いてたらあかんなぁ。頑張らな!」と、親子は御礼を言って去って行きました。
 この時、策伝さんは改めて、『笑いが、人の心を楽にすることもあるんや!・・わしも、自分が楽になる為に、笑いのネタを書き溜めてきたんやった。・・これを法話に入れて仏さんの話をしよ!それで、皆も救われる力が大いに上がるはずや!』と、[笑いの力の大きさ]を感じたのでした。
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 それから、策伝さんの法話には、難しい仏の話にも、笑いのオチを必ず入れて、皆に肩の力を抜いて聞いてもらうようになりました。
 特に、夫や家族を亡くした女性、又その子供にも親しみやすく法話をしたのです。
 その笑いのオチの部分は、小僧の時から書き溜めていた[おもろい小話]のメモが、たいへん役に立ちました。
 又、絵を使ってわかり易く法話をする『マンダラ絵説法』という手法も考え出されたということです。(それって紙芝居法話と、ちゃうの?・・)つづく

紙芝居:「安楽庵 策伝・伝」(その2)

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 さらに[策伝(さくでん)]さんは、名人[古田織部]公に茶道を習います。
 こうして、策伝さんの心の修行も深く積んでいかれました。
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 やがて策伝さんは、西日本へ精力的に布教活動に出られます。
 そこで、多くの寺院を建立・復興させていったのでした。
 その後、再び、岐阜へ戻り、(得度をした)浄音寺の住職となります。
 その後、大阪堺のお寺から呼ばれて、そこのお寺で住職をしたり、再び岐阜へ帰ったりして、忙しい日々を過ごされました。(もはやこの頃、策伝さんは有名人!)
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 そしてその後、策伝さんは、天下を統一した[豊臣秀吉]公の相談役(=御伽(おとぎ)衆)の一人となりました。
 策伝さんは、秀吉公の前で、日頃、自分自身が感じた世相を面白おかしく、厭きさせないようにお話したと伝わっています。
 (やはり策伝さんの魅力は、やはり『話芸』のうまさだったのでしょうねぇ・・、今でいうタモリさんとNHkアナウンサーと一流の世相評論家を合体させたような感じだったのかな?)
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(今も残る『策伝さんの肖像画』:ハート形の頭が魅力です。ちなみに僕は、ウルトラセブンに出て来た[バド星人]を、策伝さんのモデルにして描きました。)
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(バド星人by円谷プロ)
つづく
 

紙芝居:「安楽庵 策伝(あんらくあん・さくでん)伝」(その1)

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 え~、皆さんは、落語(らくご)はお好きですか?
 『落語』というのは最後にオチがつく、日本の伝統的話芸の一つです。
 それでは、その落語の基(もと)を作ったのは、戦国時代のお坊さんやったって、知ってはりましたか?
 落語というのは、元々、お坊さんの説法の一つとして始まったんでっせ。
 そう言うたら、落語家も僧侶も、どちらも座布団に座って、扇子持って、ようしゃべる・・、何か似てまんなぁ。
 それを作ったのが、今からお話します『安楽庵 策伝(あんらくあん さくでん)』さんなんです。(有力な一説なんでっせ。)
 では、いったいなんで?[策伝]さんは、オチのある説法を考え出しはったのか?
 そのルーツと、策伝さんの紹介を生涯?、いや、生涯を紹介させてもらいまひょか。もう、ボケかましてまんなぁ。
 それでは、はじまり、はじまりー。
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 昔々の戦国時代の初期。
 今の岐阜県で、策伝さんは生まれました。
 父は、[金森定近(かなもり・さだちか)]という戦国武将。
 策伝さんは、次男であった為、七歳で、近くのお寺浄土宗[浄音寺]様で出家得度しました。
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 策伝さんは、頭が良く記憶力に優れておりました。
 師匠の教えを素早く吸収し、法話の達人へと成長してゆきました。
 又、本来、ユーモアのセンスもあって、何かおもろい事があると、忘れないように、紙にメモしていたそうです。
 これが、後年、落語の基に成ることも知らずに・・。(本来のお笑い好き坊主やったんでんなぁ・・。)
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(策伝さんが得度をした岐阜県[浄音寺]様。 10年程前に取材に行きました。・・紙芝居を作るのに構想から10年も掛かってしまった!)
つづく