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今年一年を振り返る(寺内編)

 今年も後わずか・・。
 そこで、今回は二回(寺内編)・(出前編)に分けて、今年を振り返ってみたい。
(お寺の一年)
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今年も一月は、新年法要から始まった。
 お勤めの後、お善哉を食べビンゴゲーム。その後、息子の友達が演奏会を披露してくれた。
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 五月は、永代経法要。今年は、交流のある『河内長野観光ガイドボランティア』のメンバーの方達が音楽付「紙芝居」を披露して下さった。
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 そして、二か月に一度のペースで観念寺婦人会が、『フラワーアレンジメント教室』や『ちぎり絵教室』、『パッチワーク教室』、『歌声サロン』などを開催して下さった。
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 そして、今年のバス旅行は『奈良の吉野』へご門徒の皆さんと旅した。
 又、近場では『観念寺大人の遠足』と題して、みんなで『富田林寺内町雛めぐり』をして歩いた。
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 でも、やはり今年の一番思い出に残る行事は『寺カフェ』であろう。
 この行事は、ご門徒だけではなく、地域一帯を巻き込み、来年も続けることになった。
 さて、来年は何をしようか?
 又、みんなで考えよう。合掌

寺カフェの効果

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お寺でコーヒー・紅茶を飲んで、みんなにくつろいでもらう。
 これをコンセプトに始めたのが『寺カフェ』という。
 この「くつろぐ」という効果が、もう出てきている。
 たとえば、奥さんを亡くされ、泣き疲れたご年配のご門徒がいる。
 「寺カフェに来ませんか?」と何度も誘ってみたが、なかなか行動に移されない。
 そこで、先日、無理やり(笑)電話を掛けて車で迎えに行った。
 すると、すっと来られた。
 僕は、すでにおしゃべりに夢中なお客さん達に「○○さんという方が初めて来られましたー。イェーい」と言う。
 すると、お客さんのお一人が「こっち、こっちへおいでや。・・ここ座って。(すでに座っておられるお客さんに対して)『もう、あんたはそろそろ帰る時間やろ!』」とみんなに笑いを飛ばし、無理やり席を空け仲間に入れて下さった。
 そしてそのご門徒さんは、寂しい身の上話を、コーヒーを飲みながらいろいろと語り、そしてみんなもそれを聞いて下さり、初めてにも拘らず一杯お話をされ、喜んで過ごされた。
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 その帰りの車の中で「楽しかったですわ。又、来月も来ますわ」とおっしゃった。
 コーヒーを飲みながらワイワイと喋る。
 これは、お寺で無くても出来るかもしれないが、『南無阿弥陀仏』とお名号が掛かっている中で、皆で『くつろぐ』というのは、又ちょっと違った、心が優しくなれる雰囲気ができる。・・と思うのである。
 寺カフェは、良いものである。

干支ちぎり絵教室、開催

 今年も、《干支ちぎり絵制作教室》の季節がやって来た。
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 お寒い中、15名ほどのご門徒さんが午後7時にお集まりになって、制作開始。
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 のりとハサミで、来年の干支《トリ》のちぎり絵を一生懸命に制作されました。
 ご準備下さいました婦人部の講師Y先生、本当に有難うございました。
 そしてお疲れさまでした。合掌

娘の前撮り

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 結婚式より前に、新郎新婦の二人で記念写真を、色々な場所で先に撮ることを《前撮り》というらしい・・。
 娘が来年に結婚するので、その前撮りを昨日、うちの近辺で行った。
 場所は紅葉のきれいな場所が良いということなので、近くの[弘川寺]の御住職に無理を言ってお願いし、境内で撮らせて頂いた。
 もちろん、プロのカメラマンが同伴で撮ってくれるので、自然とマッチさせ、又被写体たちを上手く載せて撮り、見て居てたいへん面白かった。
 さすが、プロのカメラマン!
 そして弘川寺の御住職、ご協力有難うございました。

泉南市:善照寺さまの報恩講

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 おととい、昨日の二日間、泉南市の浄土真宗本願寺派『善照寺』様の報恩講法要に、紙芝居法話に行かせて頂いた。
 風靡な自然の残る(トトロの居そうな)小山の鎮守様が近くにあるお寺であった。
 一日目は、快晴。二日目はくもりのち雨。
 お天気は気まぐれだ。
・・が、二日間、本堂は満堂! ご門徒様もノリノリで、凄くお話しやすかった。
 ご住職さま坊守様、そしてご門徒皆さま、たいへん御世話になり有難うございました。合掌
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(境内に建つ親鸞聖人像:綺麗なお花を、ご門徒の皆さんがお供えされていました。)

紙芝居:「ただ、ただ人の為に・・、行基さま」(その3:最終回

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 しかし、やがて《民衆の超人気者、行基さま》の噂を聞いた時のミカド『聖武天皇』は、「一度、行基とやらに会ってみたい」と思われ、自ら、行基さまにお会いに行かれるのでした。
 そして、行基さまのお話を聞き、行基ファンになられた天皇は、「行基菩薩よ、巨大なる盧舎那仏(大仏)を私と共に作ってはくれぬか?」とおっしゃられたのでした。
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 初めは大仏建立に、躊躇した行基さまでしたが、「大仏建立は、必ず民衆の心の大きな支えになるにちがいない!」と決心されたのでした。
 そして朝廷でさえ、集める事の出来なかったお金や人手を、『行基さまの為なら喜んで!』と、民衆は大仏制作に、惜しむことなく力を貸したのでした。
 この大仏建立開始時期は、行基さま76才でした。
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 が、行基さまは『大仏完成』を待たず、82歳でお亡くなりになります。
 奈良の大仏さまが完成したのは、行基さまが亡くなって、わずか三年後でした。
 仏の教えを伝え、苦しむ民衆を救うことに、生涯を掛けた男[行基菩薩]。
 その功績跡は、今も日本各地に残されています。
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(行基墓:生駒市[竹林寺])
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(行基像)
おわり

紙芝居:「ただ、ただ人の為に・・、行基さま」(その2)

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「道路を作り、川に橋を架け、池を作る土木工事こそが、まず、民衆を貧しさから救い出す第一歩なのだ!」と、行基さまは仏の教えを説きながら、民の生活し易い環境作りのために、土木事業を行い始めました。
 民衆も、欲のない行基さまに賛同し、皆で工事を手伝い始めました。
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 行基さまたちが、作った橋や池は、現在解っているだけで、木津川に架かる[泉大橋]、淀川の[長良橋]、大阪狭山市の[狭山池]、岸和田市の[久米田池]、伊丹市の[昆陽池]など、エトセトラ、エトセトラ・・。
 『橋の数・六つ』、『池の数・十五ヵ所』、『港の数・二つ』があります。
 又、旅人が安全に休める無料宿泊所『布施屋』なども多く設置しました。
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 そして、仏の教えを説く道場[=お寺]も多く作りました。
 近畿地方だけで、その数『行基四十九院』と呼ばれたお寺があります。
 行基さまは、それらのお寺を拠点にして、貧しくとも《仏の教え》が心の拠り所になるような教えを、民衆に説いて回りました。
 『行基さまが来た!』という噂が、一つの村で流れると、そのお説教の時間は、村の中に誰も居なくなってしまう程、お寺に人が集まったそうです。
・・がしかし、これを見て『面白くない・・』と嫉妬したのが、時の朝廷のお役人でした。
 役人は「貧乏人に、高尚な仏の教えなどは無用!」、「行基とやらは、民衆の気持ちを煽って、国への反逆を企てている!」と、行基さまを何度も逮捕しました。
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(行基菩薩の墓のある生駒市:[竹林寺]) 
つづく

紙芝居:「ただ、ただ人の為に・・、行基さま」(その1)

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 ある時は、荒れ狂う川に橋を架け・・、
 又ある時は、水に困る人あらば、池を作り、
 悩める人には、寄り添って仏法を説き、
 そして、最後には奈良の[大仏]を作った僧侶。
 彼の名を[行基(ぎょうき)]と言いました。
 これは、ただただ、人の幸せの為に生きた男の物語です。
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 なぜ、行基さまは、そのようなボランティアスピリットを持っていたのでしょうか?
 それは、彼の生まれにあるかもしれません。
 西暦668年(飛鳥時代)、行基さまは、河内の国(今の大阪府堺市)の貧しい村に産まれました。・・当時、裕福なのは一部の豪族だけだったのです。
 行基さまの両親は、貧しい百済系の渡来人でした。
 そして、彼は苦しい環境で懸命に働く、多くの人々を見て育ちました。
 『いつの日か、貧しい人々を僕の手で救いたい!』と、少年[行基]は心に誓いました。
 そして、15歳で『お釈迦様のように、苦しむ人々を救いたい』と思い、出家したのでした。
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 行基さまの師匠は、『道昭(どうしょう)』と言う名の、超エライお坊さんでした。
 道昭さまは若き日、遣唐船で中国(唐)に渡り、あの(西遊記の)三蔵法師(玄奘)の直弟子となり、新しい知識を多く学んで帰国した僧でした。
 行基さまは、その弟子になったのですから、彼もラッキーでした。
 行基さまは、道昭さまについて、『仏法』の他に、『貯水池や橋づくりの技術』なども学びました。
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 そして道昭さまが亡くなったのち、行基さまは一度、山に籠って修行を積まれます。
 それから「お師匠さまの後を継ぐぞ!」と、優れた知識と技術、そして仏の心を持って、各地を巡る旅に出たのでした。つづく
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(行基さま誕生の地、堺市[家原寺])

愛犬ポッキーの夢

 昨日、愛犬だったポッキーの夢を見た。
 もう、ポッキーが亡くなって、何年経つのだろうか?
 毛は黒色。それに白の「わらわは麻呂でおじゃる」のような眉毛の入ったメスの中型柴犬だった。チョコレートのポッキーみたいなので、息子がそう名付けた。
 最後は、肝臓がんで推定14歳(捨て犬だったのだ)で亡くなった。
 夢の中で、・・ポッキーが雨に打たれ、庭でじゃれている。
 僕は「ポッキー、風邪ひくぞ!こっちへ来い。」と言うと、右後ろ脚を引きずって、ポッキーがこっちにやって来る。
 「足、どうしたんや?」と言って、顔を両手で挟んでこすってやると、ポッキーはつぶらな瞳で嬉しそうにハァハァと舌を出して喜んだ。
 家内が「病院につれて行かなあかんなぁ・・。」と言うと、ここで目が覚めた。
 あぁ、ポッキー・・。極楽浄土で又会えるのやろか?
 やっぱり、次の犬はまだ飼えない。
 

今月の『寺カフェ』

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 今月の寺カフェは、満員御礼!盛況だった。
 心配していた『男組』もたくさん来て下さった。
 初めての御方も多かったなぁ。
 ・・今回は、童話『ないた赤おに』の真似をして、宣伝文句の看板を書いた。(いっぺん、やりたかったのです!)
 こういう看板文字でした。
『心安らぐお寺のカフェです。
 どなたでもお出で下さい。
 おいしいコーヒーございます。
 お菓子もおまけについてます。住職』と。

 ちなみに童話は・・、
『心の優しい鬼のうちです。
 どなたでもお出で下さい。
 おいしいお菓子がございます。
 お茶もわかしてございます。』(原文は、カナ文字)
 ・・まぁ、ぱくりです。

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 ひきたてのコーヒー豆が足らなくなるのでは心配もしました。
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 いつにも増して、賑やかな寺カフェでした。
 又、よろしくお願いします!ごひいきに。