住職のつぼやき[管理用]

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依頼を受けた装丁画(そうていが)

今、知り合いの方の出版される装丁画(本の表紙画)の依頼を受けて、思案している。
なんせ、題材が難しい。
原稿はすでに読ませて頂いたのだが、ノン・フィクション物で、三本の全く違う話の連作になっている。
一本一本、関係無い話と思っていて読んでいけば、最後で全てが繋がっていたという話なのである。
この話の表紙画なので、どう繋げた絵にすればインパクトがあるかを思案しているのである。
 僕はプロの絵描きでは無い。・・それを知りながら依頼されたのだから、僕らしい絵で良いという開き直りの心が少し。でも期待に応えたいという欲もある。
 さぁ、どうするか。締め切りは二月末・・考えよう。

紙芝居:『新・身代わり泣き不動さま』(その4 最終回)

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「押すなよ!絶対に押すなよー、三途の河に落ちるからな!」てな事を言いながら、証空に化けた(燃えない着物を被った)お不動様は、鬼達に連れられて閻魔大王の前にやって来ました。
 閻魔大王は言われました。
「これ、証空とやら。そちは何故、ここに来たのか?さぁ答えてみよ!」と言って、その着物を剥がしてみると・・
「あっちゃー!」とびっくり!
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「これは、なんと!お不動様ではございませんか!・・申し訳ございません。何かの間違えで!・・えっ〜、『証空の身代わりになってここまで来た』と、それはそれは、涙ぐましいお心持ちで!・・ええい、このバカ鬼どもめ、ずが高い!すぐにお縄をお解きし、皆で土下座じゃ!申し訳御座いませんでしたー。そしてお茶、お茶じゃ!」と、てんやわんやです。
 鬼達は叱られ損で「俺たち、聞いてないよ〜」と嘆いています。
 そしてすぐにお不動さまに、仏の世界に丁重に帰って頂きました。
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やがてこのお話は、広く世に伝わり、掛軸のお不動様は『身代わり泣き不動』というお名前で呼ばれるようになりました。
さらに、このお不動さまをモデルにした仏像も作られ、今も京都の清浄華院というお寺にまつられています。めでたし、めでたし。おしまい
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(清浄華院で頂いてきたお不動さまの御絵の写し)

紙芝居:『新・身代わり泣き不動さま』(その3)

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弟子の証空は、高熱にうなされて倒れてしまいました。
そのあまりの苦しさで、証空は思わず自分の信仰しているお不動さまの掛け軸に向かって、
「ああっお不動さま・・。私はお上人の身代わりになった事に後悔はしていません。
・・しかし、これほどこの病いが苦しいとは思いませんでした。
お不動さま、どうか早くこの命を終わらせて、あの世に連れて逝って下さい。お願い致します。」と呟きました。
すると不思議な事に、お不動さまの掛け軸が、バラリッと落ちました。
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そしてその瞬間、証空の熱はいっぺんに下がり、彼は元気を取り戻したのです。
不思議に思って、証空はその落ちたお不動さまの掛け軸を見てみると、
 するとなんと、お不動様が泣いていらっしゃるのです。
 その時、不思議な事にそのお不動さまは、証空に話しかけてこられました。
『証空よ、お前のその優しい心掛けに、私は猛烈に感動した。
 お前は智興の身代わりを引き受けたから、今度は私が、お前の身代わりになってやろう!』と、言われました。
 そして、掛け軸からお不動さまは消えました。
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 こうして、智興上人も証空も、病いを克服して元気になり、その後も長生きされ、世の為、人の為に尽くされたという事です。
めでたし、めでたし・・、いや、ちょっと待ってください。
大事なお方の事を忘れていました。
そうです。証空の身代わりになったお不動さまです。
掛け軸から消えたあのお不動様は、いったいどうなったでしょうか?!
その証空達が元気をになったその頃・・、つづく

紙芝居:『新・身代わり泣き不動さま』(その2)

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安倍晴明はお寺にやって来て、何やら不思議な呪文を称えお祈りを始めました。
そしてやがて口を開きました。
「うーん、これは私にも治すことは出来ません。
この病気には、身代わりが必要なのです。
・・智興上人のご病気を、私の呪文で誰か他の人に移します。
この方法でお上人は治ります。
・・ただし、移された身代わりの人は、同じ病気になって苦しんで亡くなります。
この方法しかありません。」と晴明はきっぱりと言いました。
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弟子達の会議が又始まりました。
「さぁどうする?誰かお上人の身代わりになる者はおらぬか?」と一番弟子が言いました。
・・が、皆は同じ病気で苦しんで、亡くなるのが恐ろしくて、誰も手を上げません。
見るに見かねた一番弟子は、「・・では仕方がない。私が身代わりになるとしよう。」と言うと、
二番弟子が、「いやいや兄弟子、私が身代わりになりましょう。」と言いました。
 それを見た三番弟子、四番弟子も同じ事を言います。
 すると、末席に居た[証空(しょうくう)]という新米弟子が、そぉっと手を挙げて、「この中では、私が一番若い弟子なので、私が身代わりになります。」とボソッと呟きました。
すると皆は・・、
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「どうぞ、どうぞ、どうぞ!」と、身代わりの役を喜んで譲りました。
「ちっくしょう、」
こうして証空は、智興上人の身代わりになったのでした。

※余談ですが、この紙芝居を企画していた昨年の春に、ダチョウ倶楽部の上島さんが亡くなったとニュースが流れた。ファンの僕は悲しくて、誰も傷つけず、いつも自分が犠牲になってお客を笑わせてくれたこの芸人さんのギャグを紙芝居の中でも使いたいと思い(そういえば、以前も紙芝居「ダンテの神曲」で[くるりんパ]を一度使わせて頂いたが、)不謹慎ながら今回も使わせてもらいました。上島さんのご冥福をお念じ申し上げます。合掌
 
そしてその後、安倍晴明が呪文を掛けて、智興上人はみるみる内に元気を回復しました。
が、しかし・・、つづく

紙芝居:『新・身代わり泣き不動さま』(その1)

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「お不動さん」の名で親しまれる不動明王(ふどうみょうおう)。
 炎を背負い、悪を許さぬ剣を持ち、怒りの表情で我々をしっかり守ってくださる仏様です。
 おや?・・このお不動さま、目に涙を溜めて泣いていらっしゃる。
 何故でしょう?
 実はこのお不動さま『身代わり泣き不動明王』という名で、滋賀県は三井寺のお話に登場される仏様なのです。
 そして現在では、京都の清浄華院に(絵が)祀られています。
 それでは、この不思議なお不動さまのお話を聞いて頂きましょう。
はじまり、はじまり〜
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 昔むかし、滋賀県の三井寺というお寺に、「智興(ちこう)」という名の偉いお坊さんがおられました。
 このお坊さんがある時、重い重い病気になりました。
そこで、お弟子さんが集まって「どうすれば良いか?」という話し合いが始まりました。
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まず、一番弟子が口を開きました。
「これだけ我々がお祈りをしても治らないのだから、ここはひとつ、あの評判の陰陽師「安倍晴明(あべのせいめい)」殿に来て頂き、ご祈祷としていただこうではないか!」と言いました。
 皆はこれに賛成し、安倍晴明はやって来ました。つづく
 
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(京都市『清浄華院(しょうじょうけいん)』)

悲しい話の中にも、クスッと一瞬笑えるエピソードはある・・

悲劇の中にも、クスッと笑える喜劇的要素は探せばあり、又その逆もあると思う。
人間は悲しみに耐えられないから、喜劇を作ったのではないだろうか?
 たかが、12枚程の紙芝居の世界でも、その要素は入れようとすれば、入れることはできる。・・いや、人間ドラマなのだから、入れるべきではないだろうか。・・と、思いながら少し感動できる話を今年も作ります。
次回作は「新・身代わり泣き不動さま」です。この作品はもう完成してます。近々アップします。その次は「泳げ!夢応の鯉魚」です。
どちらも、悲喜劇です。お楽しみに!

紙芝居:『新・中将姫』(その5 最終回)

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「なんと!素晴らしい極楽浄土の世界が織られた曼荼羅でしょう!私が求めていたのはこの世界だったのよ!」と中将姫が思っていると、いつぞやの年老いた尼さんが又現れました。
 そしてみるみる内に、尼さんは「阿弥陀様」の姿に変わっていったのでした。
「あっ、貴方様は『王子様』では無く阿弥陀さま!・・仏様だったのですね。」
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「そうだよ。そして、曼荼羅作りを手伝った25人の尼たちは、観音菩薩たちだったのだよ。」と、尼さんたちは観音さまの姿に変わっていきました。
阿弥陀様は中将姫に言われました。
「中将姫、お前が会いたいと願っていた仏が私だよ。
 さぁ、極楽の世界を表した曼荼羅は完成した。
 これはのちの世の人々を極楽世界へ導く為の指針となるだろう。
・・では、これからお前をこの曼荼羅のような本当の極楽浄土の世界に連れて行ってやろう。いざっ行かん!」と言って阿弥陀様と菩薩たちは、中将姫の手を取って旅立ちました。
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こうして、中将姫は29才で極楽へと往生しました。(おそらく、亡くなったんやろねぇ)
そして、今もこの『當麻曼荼羅』は奈良県の當麻寺で拝む事ができます。
 我々に極楽世界を絵ではっきりと表して下さって。・・、おしまい

終わりに〜
何年か前に、當麻寺の近くのお寺に紙芝居法話で呼んで頂いた。そこで是非、我々の町のヒロイン「中将姫」の紙芝居を作って欲しいと頼まれた。・・が、僕流のどういう話が良いか?なかなか決まらず、何年も完成までに掛かってしまった。そしてようやく完成したのが、この作品でこんなコメディタッチ作品になってしまい今、すごく力不足を感じている。
中将姫の古典を読んでいると、どうしても西洋の「白雪姫」を思い出してしまう。ウォルトディズニーの映画が甦るのだ。で、この紙芝居の新しい母親には不思議な魔法の鏡を持ってもらい、最後は死んでもらい、それをきっかけに中将姫の出家動機にさせていただいた。これは全てぼくの創作なので、中将姫ファンの方には申し訳なく思っている。すんませんでした。これを最後に書かせていただきたかったのです。ハイホー!合掌

紙芝居:『新・中将姫』(その4)

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父の許しを得て、出家得度した中将姫は尼になり、懸命に當麻寺で修行をしました。
そして姫は修行の中、「私、本当の阿弥陀様に会いたい!そして極楽浄土の世界が見てみたい。」と思うようになりました。
そんな時、一人の見知らぬ年老いた尼さんが、突然尋ねて来ました。
そして彼女は「本当の阿弥陀様に会いたいなら、蓮(ハス)の糸を集めて、想像して、仏の曼荼羅世界を織りなさい。」と言って消えました。
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それから、姫は何かに憑かれたように、蓮の茎を集めて曼荼羅を織り始めました。
「でも、とても手が足りない。一人では無理だわ」と、思っていたら、どこからともなく、7人の小人ではなく、25人の尼さんたちが歌いながら現れました。
『ハイホー!ハイホーハイホー!・・じゃ無くて、お寺参りは奉拝(ほうはい)だわ!じゃみんな歌うわよ!ほうはいー、ほうはいー、お寺参り〜、私たち手伝うわー、ほうはーい!・・姫っ、曼荼羅作りを私たちにも手伝わして下さ〜い。」と明るく賑やかな尼さん軍団が、中将姫を手伝いはじめたのでした。
 そして、當麻寺の曼荼羅(マンダラ)は、ついに完成しました。ハイホー!ではなくほうはーい。つづく
※御朱印帳に、書く言葉は「奉拝(ほうはい)」と書くのです。ハイホー!ではなく、ほうはーい!つづく 次回最終回
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(中将姫が曼荼羅を編んだ場所といわれる二上山)by大阪府太子町
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(ハスの糸を掛けた木の跡)by奈良県葛城市「石光寺」

紙芝居:『新・中将姫』(その3)

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そして家来は、中将姫を自分の妻に頼み、奥深い山の中に内緒で匿ってもらう事にしました。
・・やがて月日は流れて、中将姫は16才になりました。
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一方悪?妻から「中将姫は、良からぬ家来と駆け落ちして居なくなりました」と聞いていた父の豊成は、寂しさを紛らわす為に、山へ狩に出掛ける事が多くなっておりました。
そんなある日、偶然、豊成は狩の途中の山小屋で中将姫と再会したのでした。
「姫!そなたは生きていたのか?!」と、豊成が言うと、中将姫はこれまでのいきさつを全て話しました。
 そして父は娘に謝り、親子は一緒に屋敷に帰る事にしたのでした。
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この知らせに、豊成の妻は驚きました。
「なっ何!中将姫が帰って来ると!?・・もはやこれまで、私は逃げるわ!」と言って、荷物をまとめて屋敷を急いで飛び出したのですが、誤って転び、あの不思議な鏡が割れて、胸に刺さり命を落としてしまいました。
 帰って来た中将姫はそれを見て、命の無常さ、因果の応報を悟りました。
 そして、父の豊成に思いきって告げました。
「お父さま、私は出家して尼になります。そして、仏様に一生使えます!」と。
 そして中将姫は、奈良の當麻寺(たいまでら)で得度し、尼になりました。
この時、中将姫は17才でした。つづく
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(當麻寺)
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(得度をしたと言われる當麻寺内、中の坊)

紙芝居:『新・中将姫』(その2)

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新しい妻(母親)は、中将姫を嫌いました。
それは、中将姫が自分より美しかったからです。
そうです。この妻は自分がこの世で一番綺麗だと思っていたのです。
 さらに、この妻には秘密があって、毎晩こっそり不思議な鏡に向かって話しをしていたのです。
「鏡よ鏡、教えておくれ。この世で一番美しいのは誰だい?」と。
すると、今までは『はい、それは貴方さまです。』と答えていたのに、最近は『それは貴方様ではありません。貴方の娘、中将姫です。』と答えが返ってくるのでした。
おそらく鏡の声は、中将姫の美しさに対する妻の嫉妬心から出たこころの声だと思われるのですが、この新しい妻は許せませんでした。
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「中将姫め!あの子が居なくなれば、この世で一番美しいのは私になるはず!」と、夫が出張で遠方に出かけた後、妻は家来に命じて、
「あの娘を遠くの山まで連れて行って、殺しておしまい!・・この毒リンゴを使って・・ではなく、この太刀を使って!」と言って、一本の刀を渡したのでした。
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家来と中将姫は「遠くの山で薬草を取りに参りましょう。」という名目で草深い山の奥に入って行ったのでした。
※(余談ですが、中将姫は薬草マニア、いや薬草研究家博士ちゃんであったとか?これがのちの『中将湯(とう)』という薬の名になったそうです。さらに、お風呂に入れる薬湯にもなっていきました。)
中将姫は頭の良い娘です。
すぐ、家来の様子がおかしい事に気がつきました。
そして、家来がそっと刀を抜いた時、中将姫は言いました。
「貴方は私の母の言いつけで、私の命を奪おうとしているのね。貴方は母の家来だから仕方がないわ。・・でもちょっと待ってちょうだい。私、最近『称讃浄土経』という極楽で阿弥陀様に救われるお経を毎日読んでいるの。このお経を後一回読んでから私を斬ってちょうだい。」と言いました。
 そして、中将姫はお経を読み始めました。
 その姿を見た家来は、涙ながらに「どうして、貴方様のお命を奪う事ができましょうか。」と刀を納めたのでした。
つづく
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(中将姫の墓)by奈良県葛城市

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