
そして伊勢神宮の叔母の元に寄り、草薙の剣を無事に返しました。
(草薙の剣を祀る熱田神宮)
しかし、この神の剣を早々に返してしまった事が、ヤマトタケルの油断になりました。
タケルの命を狙う者がまだ居たのです。
それはヤマトタケル達が、滋賀県の伊吹山まで帰って来た時、タケルを怨む山賊達が突然襲って来たのです。
もう戦さは無いと油断していたタケルは、この戦さで大怪我をしてしまいます。
一説には、この敵をうまく誘導しタケル達を襲わせたの、タケルが無事帰って来る事を知った父や弟の仕業ではなかったか?と言われています。
結局、ヤマトタケルは家族からあまり好かれていなかったのでしょうね。‥と思います。知らんけど。
この大怪我が元でヤマトタケルは(三重県亀山市の)[のぼの]という所で死んでしまいます。
伝説によると、ヤマトタケルが亡くなった時、白鳥に生まれ変わり、奈良の都へ飛び立ち、そして河内の古市(大阪府羽曳野市)で一度舞い降り休まれたと言われています。今も羽曳野市にはヤマトタケルの墓があります。現代の大阪の『羽曳野(はびきの)市』とは、「白鳥になったタケルが羽を曳(ひ)くようだった」と(まるで見て来たかのように?)言われる伝説が残り、今も『羽曳野市』という町の名前になっています。
又、白鳥が休んだ場所は実はもう一つあり、奈良にもタケルの墓があるのです。‥ヤマトタケルは奈良の都までどうにか生き延びて帰って来たのかも知れない‥と思いました。
それでは、悲劇の英雄ヤマトタケルが亡くなる時に、故郷奈良の大和を慕って歌ったと言われている詩を紹介して紙芝居を終わるとしましょう。
『ヤマトは国のまほろば、たたなづく青垣、山ごもれるヤマトしうるわし』(意味)「奈良のヤマトの国は素晴らしく良い国だ。重なりあう青い垣(かきね)山々に囲まれたヤマトの国よ、なんと美しい国なのか!」 おしまい
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