住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

羽曳野市「元勝寺」様の報恩講

ファイル 986-1.jpg

 この時期(秋)、各(浄土真宗)寺院の報恩講法要が連日続いている。(ちなみに、うちの寺の報恩講は先週の日曜日に無事に終了しました。)
 さておとといは、羽曳野市にある『元勝寺(写真)』様の〔報恩講法要〕にお招き頂き、『紙芝居法話』をさせて頂いた。
 ・・ご縁というのは本当に不思議なもので、僕が毎月(講話クラブで)行かせて頂いている大阪市の『特別養護老人ホーム 甍』で勤務されているT君が、こちらのお寺の檀家さんという事で、偶然、僕のホームページを開いて(この日の)講演スケジュールを知り、お参りに来られた。・・いやはや、なんとも・・びっくりした。
 この日、T君は子供さんをつれてお話を聞きに来て下さった。(T君はこちらのお寺の近くに住んで居られ、又、彼の一族はこのお寺近辺に居を構える、昔からの由緒ある華麗なる檀家一族(笑い)らしい)
 僕としては、まったく知らない初めての場所で、顔見知りの人に遇うというのは、どんなに心強かったことか・・、うれしかった。

 又、こちらのお寺様の心からのご厚情にも甘え切り、この日は特にゆったりとお話させて頂くことが出来て、本当に嬉しく、かつありがたかった。
 元勝寺の住職さま、坊守さま、若住職さま、又ご母堂さま、T君と檀家の皆様、本当にお世話になりました。有難うございました。
 不思議な御法縁に感謝! 合掌

Sさんの綺麗な涙

 昨日の「特養:白寿苑」での事。
 僕は(夕方、)苑に早めに到着し、法話会の準備をしていた。
 すると、一人の職員さんが近寄って来て、おっしゃられた。
 「毎回、法話会を楽しみにされていたSさんの調子が悪いのです。・・もう90才を越えておられるので、何があってもおかしくないのですが、もうご自分ではまったく動けませんし、ずっと寝たきりです。・・何も召し上がられませんし、点滴も受け付けないようになってきました。・・でも、意識はしっかりとされているので、「法話会に行きたいわぁ」と、ずっと、かぼそい声でおっしゃっているのです。」とおっしゃった。
 それを聞いたので、僕は「じゃあ、法話会が終ってからお部屋までお見舞いに行かせてもらいますわ」と言ったが、「・・いや、もうその時には、寝ておられるかもしれないので、今から行きます。・・ちょっと今日の法話会の開始時間を遅らせてもらいます。」と言って、すぐにその職員さんとエレベーターで、四階に上がった。
 お部屋には、Sさんが休んでおられたが、職員さんがお声を掛けたら、すぐに目を覚まされ、僕の顔をじっと見て微笑まれた。
 僕は「こんばんわ。・・どうですか?・・しんどいですか?・・今日はちょっと、お見舞いに寄せてもらいましたよ。」と言うと、見る見る内にSさんの目に涙が溢れた。
 僕は、「しんどくなったり、寂しくなったりしたら、南無阿弥陀仏と称えてくださいや。仏さんが、側に来てくださいますからね。」と言って、布団を軽くめくって両手を合掌の形にさせてあげて、それを僕の両手で包んであげた。
 そしてもう一度、「苦しくなったら、南無阿弥陀仏ですよ」と言った。
 その時、Sさんはかぼそい声で「ありがとう・・ございます。ありがとう、ございます」と言われ、泣かれた。
 おそらく、心細くなっておられたのだろう。
 特養ホームの夜は、寂しい。
 ナースコールの音が響くだけだからだ。
 僕はSさんに、「又、来月お会いしましょうね」と、お別れを言って部屋を後にした。
 Sさんの目は、綺麗な涙でうるうるとされていた。
 ・・法話会終了後、後片付けをしていたら、先ほどの職員さんが、又来られて、「Sさんはあの後、安心したかのように今日はぐっすり眠られました。ありがとうございました。」とおっしゃってくださった。
 おそらく、お別れまでそう遠くはないであろう。
 しかし、その時が来るまで、できるだけSさんに寄り添える時間を持ちたい・・と思って帰路についた。

紙芝居:「因幡の源左さん」(その7〔最終回〕)

ファイル 984-1.jpg
 源左さんは、昭和五年二月二十日、八十九歳のご長寿で往生されます。
 が、そのご一生は決して平凡なものではありませんでした。
 五人の子供たちには先絶たれ、自宅は二度の火災にも遭いました。又、他人に騙されて大損をした事もありました。
 しかし、源左さんはお念仏の教えに支えられて、一家をガッチリ守り生き抜きました。
 そのお人柄から、村人たちの良き相談相手にもなり、人々に敬愛されました。
 又、夫婦喧嘩から、土地争いまで、様々な問題を見事に裁いてゆきました。
 ある時は、道行く人の荷物を持ってあげながら、お念仏のお話をされ、又ある時は、人の肩をもみながら、阿弥陀様の教えのお話をされました。
 まさにそれは、仏法を自ら信じ、人に教えて信ぜしむといった、稀有な『妙好人』の生き方でありました。
ファイル 984-2.jpg(大正時代の願正寺〔願正寺様所蔵〕)
 源左さんのお墓は、今も檀那寺の『願正寺』様の境内に、村民達とともに(共同で)納骨されております。
ファイル 984-3.jpg(源左さんのお墓:村民共同墓地)
 おしまい
ファイル 984-4.jpg(晩年の源左さん〔願正寺様所蔵〕)

紙芝居:「因幡の源左さん」(その6)

ファイル 983-1.jpg
 源左さんの逸話つづく・・。
 源左さんは、毎朝、必ずご仏壇の前で、お勤めをしました。
 最初に述べましたように、源左さんは文字の読み書きが出来ませんでした。・・・が、お経は丸暗記されていて、その声はとても澄んで、よく通る声だったそうです。
 又、夜もご仏壇の前でお勤めをしました。
 ・・が、途中、よく居眠りをされたそうです。
 朝早くから起きているのですから、当然かもしれませんが、中には「源左さん、ご仏壇の前で居眠りなんて行儀が悪いですよ!」と注意するものも居りました。(まぁ、それが普通やろうなぁ)
 しかし源左さんは、「いいや、阿弥陀(仏)様はこの源左の親様じゃ。だから、子供が親の前で居眠りしても何ともないだ。ようこそ、ようこそ、南無阿弥陀仏。」と言ったそうです。(まぁ、源左さんが言うから、納得してしまうねんけど・・。〔笑〕)
ファイル 983-2.jpg
 又、或る日のこと。
 源左さんは、田んぼから帰る途中、ずっと自分の手のひらを見つめ続けておりました。
 そして、家に帰って来た源左さんは、家族にポツンと言ったそうです。 
ファイル 983-3.jpg
(源左)「親からもろた手は、強いもんだなぁ・・。
 痛んだ草刈の〔鎌の刃〕は取替えねばならんけど、手のひらは何十年使うても、磨り減ることもなく、欠けることもなく、よう働いてくれる。
 ・・なんと有り難いことじゃろうか。ようこそ、ようこそ、さてもさても、南無阿弥陀仏。」と呟いたそうです。
 普段、我々が当たり前のように思っている事を、源左さんの目から見れば「なんと、もったいない(不思議で有り難い)こっちゃ」と、思われたのでしょう。 つづく(次回、最終回)

紙芝居:「因幡の源左さん」(その5)

 さて、この紙芝居の後半は、その後の源左さんの逸話をいくつかご紹介することに致しましょう。
ファイル 982-1.jpg
 ある日のことです。
 源左さんの家の〔柿の木〕の柿が、誰かにいくつか盗まれてしまう事件がおこりました。
 そこで源左さんの子供は、二度と盗まれないようにと、柿の木に〔茨(イバラ)〕を巻きつけました。
 それを見た源左さんは、「そんなことして、泥棒さんがケガをしたらどうするんじゃ。」と言って・・、
ファイル 982-2.jpg
 なんと、次の日、盗みやすいように〔ハシゴ〕を置きました。
 この行為に疑問を持った子供に対して、源左さんは、「なぁに、誰が何個盗っても、結局、わしらの方がたくさん食べることが出来るんじゃからエエじゃないか。ようこそ、ようこそ・・ナンマンダブツ」と言ったそうです。
ファイル 982-3.jpg(今も残る柿の木)
 もう一つ、(おもろい?)エピソードを。
ファイル 982-4.jpg
ある夏の盛り、源左さんは夕立に遭ってしまいました。
 全身ずぶぬれになって、田んぼから帰って来た源左さん。
 それを偶然見かけた願正寺のご住職は、「源左さんっ、よう濡れたのう。」と、声を掛けました。
 すると、源左さんは顔をほこらばせて、
ファイル 982-5.jpg
(源左)「はい、ありがとうございます。・・でも、鼻が下を向いとるんで有り難いぞな。ようこそ、ようこそ、さてもさても」と言ったそうです。
 鼻が上を向いていたら、鼻の穴に雨が入ってしまい息が出来ない。下を向いていればこそ、ずぶぬれになっても雨が入らない。
 なんと有り難い(顔を作りを整えられた)仏さまの計らいだろうと、源左さんは受け取ったのです。 つづく

紙芝居:「因幡の源左さん」(その4)

 大きな気づきを得た源左さんは、それからというもの、以前にも増して、阿弥陀(仏)さまに感謝しながら、よく働きました。
 早ければ、午前一時、遅くとも三時には起き出し一仕事終え、午前五時頃には御仏壇でお勤めをして、田んぼへと向かうのでした。
 源左さんがよく口ずさんだ歌に、『朝寝するなよ、勿体無いぞ。明けて下さる朝日さん』と、いうものがあったそうです。
ファイル 981-1.jpg
 又、源左さんは仕事に掛かると決して休むことなく働いたそうで、途中で眠たくなれば、田んぼに手を突っ込んだままの姿勢で、眠ることがよくあったそうです。
ファイル 981-2.jpg(現在の源左さん宅)
 さて、源左さんには『ようこそ、ようこそ。さても、さても。』という一つの口癖がありました。
 この意味は『なんとまぁ!よくぞ、よくぞ、阿弥陀さまは我々の為に、悟りを開いてくださったことか!ありがたい事だ。』という意味だそうです。
 源左さんは、どんな時にも、この口癖がよく出ました。

(・・余談ながら、僕はこの口癖の意味を間違って捉えていた。
 つまり、『ようこそ、ようこそ』とは、大阪弁でいう『いらっしゃい、いらっしゃい!(仏さんの話を)よう聞きに来てくれはった、おおきにおおきに』と、同意義に捉えていたのだ。 
 しかし、現:願正寺のご住職から、「この『ようこそ』とは、『よくぞ・こそ』というこの地方の一種の方言であり、『なんとぉ、まぁ!』と驚いたような《感嘆詞》なのです。
 だから源左さんは、毎時、我々の事を思って下さっている阿弥陀さんに、感嘆詞を上げて感謝されていたという事ですね。」と指摘してくださった。
 それで僕は、初めて間違った捉え方をしていたことに気づいたのである。・・この場をお借りしまして(どの場や?)、願正寺御住職さま、ありがとうございました・・と、御礼申し上げます。『おおきに、おおきに、さてもさても・・。』) つづく
 

紙芝居:「因幡の源左さん」(その3)

 ここでもう少し、余談を・・。
 前回、源左さんは、牛に草の束を乗せた時、『阿弥陀(仏)の我々への救済のお心=(親としての仏の御心)』が「ふいっと」解ったのであると(現:願正寺の御住職から教えて頂き)述べた。
 そしてそれは、『パッと』ではなく、『ふいっと』解ったのであると書いた。
 こう書いておきながら、この「ふいっと」という言葉の意味を、今ひとつ、自分でも理解できていなかったと思ったので、ここで改めて考えてみることにする。
 広辞苑で引くと『ふいっと』とは、『ふい=漢字で〔不意〕』であり、意味は「思いがけないこと。だしぬけに。突然に」とある。
 つまり、源左さんは「思いがけなく、だしぬけに」悟り(=確固たる信心というべきか?)を得たのだ。
・・この「思いがけなく」という言葉が大切で、これは自分自身の力で得たものではなく、苦しみ悩む源左さんへ、『阿弥陀仏の方から与えて(教えて)下さった悟り(気づき)』であると考えては良いのではなかろうか。・・僕はそのようにこの『ふいっと』を(今のところ)理解している。
 さて、紙芝居に戻る。
 ファイル 980-1.jpg(現在の願正寺山門)
 大いなる発見(お領解)をした源左さんは、もう嬉しくてうれしくて、その足で「院主さまー、院主さまー!」と自分の檀那寺である『願正寺』へと走って行きました。 
ファイル 980-2.jpg
 その大きな声に、院主さまはびっくりして出てこられました。
(院主)「これ源左、いったいどうしたんじゃ?!」と聞かれると、
(源左)「院主さま、解りました!・・『親様、頼め』とは、こんな源左が、阿弥陀様にもうすでに救い取って頂いとることに感謝し、大安心して生きろっ!という事ですよね。」と叫びました。
 それを聞いて、院主さまは「源左っ、そこだ!」と、ご自分も興奮して、喜んでくださいました。
(源左)「・・ああっ、これで世界が広うなった・・。」と、しみじみと呟きました。
 この時から源左さんは、〔親さま〕である阿弥陀仏と共に生きる新しい生活が始まったのでした。 つづく

紙芝居:「因幡の源左さん」(その2)

ファイル 979-1.jpg(昔の青谷町〔願正寺様所蔵〕)
・・余談になるが、今年の三月、源左さんの故郷〔鳥取県:青谷町〕へ、紙芝居の取材の為に行って来た。
 そして、源左さん所縁の檀那寺『願正寺』さまにお参りさせて頂き、ご住職に、今や伝説となった『源左さん』の様々な逸話の信憑性や、そのお人柄なども、興味深く(かつ深く)聞かせて頂いた。
(そのお話の中身などは、おいおいこのブログに書かせて頂く)
ファイル 979-2.jpg(願正寺御住職と)
 又、古い貴重な写真なども、許可を得て写させて頂いた。
 やはり、現地に行ってその土地の空気を吸い、現地の方がたのお話を直接お聞きするというのは、大切なことだと痛感した旅行であった。
ファイル 979-3.jpg(若き日の源左さん〔願正寺様所蔵〕)
 さて、そろそろ『紙芝居』に戻らねば・・。
ファイル 979-4.jpg
 悩み続ける源左さん(30才)に、ついに転機が訪れます。
 それは或る日、山へ牛と共に草刈に行った帰りでした。
 その日、四束を牛に担がせ、一束は自分が担いで帰っておりました。
 途中、あまりに重かったので、自分の束も牛にポンッと担がせました。
 その時です。
 源左さんは、フイッと気が付いたのです。
(・・余談ながら、願正寺住職から、「ここのところは(悟りを開くような)『パッ!と』ではなく、『フイッと』なのですよ。」とチェックが入った。・・そうなのです。真宗では『パッ』と悟るのではなく、長い時間を掛けて苦しんで来たことが、(氷が解けてゆくかのように)『フイッと』光に包まれるように、理解(=安心)できるのです)
ファイル 979-5.jpg
 (源左)「そうかっ!わかったぞ。この一束の重い草のような自分の悩みも、阿弥陀(仏)さまに、ポンッと背負ってもらえばエエンじゃ。・・いや、もうすでに阿弥陀様は、すべての人の苦しみを背負い、救って下さっている仏様じゃった。
・・そうなんじゃ、阿弥陀さまはすでに、この赤子のような源左の悩みや苦しみもご存知で、背負って下さっておられるんじゃ。
 ・・だから、後は安心して、親である阿弥陀様任せの生活をすれば良いんじゃ。
 ・・ああっありがてえ。これが『親様、頼め』っちゅうことだったんじゃ!」と、叫びました。 つづく

紙芝居:「因幡の源左さん」(その1)

ファイル 978-1.jpg
  妙好人(みょうこうにん)というのは・・・、
 言葉では言い尽くせない程、素晴らしい念仏者のことです。
 因幡(いなば)の源左(げんざ)さんも、そのお一人でした。
 それでは今から、その源左さんのお話を聞いて頂きましょう。
 尚、方言などは多少変えておりますので、ご了承下さい。
 それでは、はじまり、はじまり~ 
ファイル 978-2.jpg
 源左さんは、江戸時代の終わり頃、因幡の国(今の鳥取県・青谷町〔あおやちょう〕)の小さな村中で生まれました。
 源左さんは根っからのお百姓さんで、生涯、文字の読み書きが出来なかったそうです。
 その源左さんが、仏教を本気で聞くようになった機縁は、十八歳の時でした。
 この日、源左さんは、父親と一緒に田んぼの稲刈りを続けておりました。
 ちょうどお昼近くになった頃でしょうか、急に父親が身体の具合が悪いと言い出したのでした。
(父)「おら、どうも身体の具合が悪い。ちょっと先に家に帰るわ・・。」と言って家に帰って行きました。
 その日の夕方・・。 
ファイル 978-3.jpg
 父の容態は急変し、危篤となってしまいました。
 それは、今の病でいうコレラでした。
 意識が遠のいてゆく父親は、最後に源左さんにこう言ったそうです。
(父)「おらが死んだら、親様を頼め」と。
 その直後、40才の若さで父親は亡くなりました。
 熱心な浄土真宗の門徒(信者)であった父が言った『親様、頼め』とは、〔誠の人間の親とは、阿弥陀如来という仏様なのである。だから、自分が死んで困ったことが起ったなら、阿弥陀さまに相談せよ〕と、いう意味だったのです。
ファイル 978-4.jpg
 しかしながら、源左さんには、この意味が理解できませんでした。
(源左)「『親様が阿弥陀(仏)さまである』というのは、解るような気はする。・・しかしその仏さまは、オラの悩みには、実際何も答えちゃくれねぇ。・・おっとう、いったいわしに何が言いたかったんじゃ?!」と、源左さんは真剣に悩みました。
 
・・それから30才まで、源左さんは結婚もし、家族を養い、懸命に働きます。
 が、常にこの『親様、頼め』という言葉が気になっておりました。
 それで、近隣のお寺はもちろん、遠くは京都の本願寺までお参りして、一生懸命にお坊さまのお説教を聴きました。
 しかし、この言葉の意味はなかなか理解出来なかったのです。
 その源左さん、30才の時、ついに転機が訪れるのでした。
 つづく
 

京都:山城2組「正願寺」さまご一行の来院

ファイル 977-1.jpg
 本日、京都の「正願寺(お東のお寺)」さま御一行が、バスツアーで観念寺に参拝に来られた。
 僕は例によって、お寺の沿革や自己紹介などをお話した後、紙芝居二本を披露する。
ファイル 977-2.jpg
 紙芝居の中身は『三尺三寸のお箸』というお話と、『アミダ仏物語』の二本だ。
 この『アミダ仏物語』は、N添乗員さんのリクエストで、前回のツアーで見て下さった方に評判が良かったらしい。・・それと個人的な好みも入っているということだ。・・信心の篤い添乗員さんだ。(笑い)
ファイル 977-3.jpg
 最後は、皆で記念撮影。
 お帰りになられる時、何人かの方から握手を求められたのだが、その時可笑しかったのが、「握手してもらったら、何か良いことあるでぇ」と、笑いながらおっしゃってくださったことだった。(ビリケンさんみたい・・〔笑い〕)
 又、「今日は、本当に幸せな気持ちになりました。」とおっしゃってくださった言葉も深く心に残った。
 いろいろな方との出会いに感謝である。合掌
 正願寺のご門徒の皆さん&同朋観光さん、ありがとう!

上に戻る