住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「因幡の源左さん」(その3)

 ここでもう少し、余談を・・。
 前回、源左さんは、牛に草の束を乗せた時、『阿弥陀(仏)の我々への救済のお心=(親としての仏の御心)』が「ふいっと」解ったのであると(現:願正寺の御住職から教えて頂き)述べた。
 そしてそれは、『パッと』ではなく、『ふいっと』解ったのであると書いた。
 こう書いておきながら、この「ふいっと」という言葉の意味を、今ひとつ、自分でも理解できていなかったと思ったので、ここで改めて考えてみることにする。
 広辞苑で引くと『ふいっと』とは、『ふい=漢字で〔不意〕』であり、意味は「思いがけないこと。だしぬけに。突然に」とある。
 つまり、源左さんは「思いがけなく、だしぬけに」悟り(=確固たる信心というべきか?)を得たのだ。
・・この「思いがけなく」という言葉が大切で、これは自分自身の力で得たものではなく、苦しみ悩む源左さんへ、『阿弥陀仏の方から与えて(教えて)下さった悟り(気づき)』であると考えては良いのではなかろうか。・・僕はそのようにこの『ふいっと』を(今のところ)理解している。
 さて、紙芝居に戻る。
 ファイル 980-1.jpg(現在の願正寺山門)
 大いなる発見(お領解)をした源左さんは、もう嬉しくてうれしくて、その足で「院主さまー、院主さまー!」と自分の檀那寺である『願正寺』へと走って行きました。 
ファイル 980-2.jpg
 その大きな声に、院主さまはびっくりして出てこられました。
(院主)「これ源左、いったいどうしたんじゃ?!」と聞かれると、
(源左)「院主さま、解りました!・・『親様、頼め』とは、こんな源左が、阿弥陀様にもうすでに救い取って頂いとることに感謝し、大安心して生きろっ!という事ですよね。」と叫びました。
 それを聞いて、院主さまは「源左っ、そこだ!」と、ご自分も興奮して、喜んでくださいました。
(源左)「・・ああっ、これで世界が広うなった・・。」と、しみじみと呟きました。
 この時から源左さんは、〔親さま〕である阿弥陀仏と共に生きる新しい生活が始まったのでした。 つづく

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