寒い日が続いております。
僕は毎日、自転車で檀家宅のお参りをしておりますので、ホンマ寒さが堪えます。
さて、そんな或る日の事。
「こんにちは、観念寺から参りました。お参りさせて頂きます」と、この日もいつもおもろい「掛け合い漫才」をする、陽気なお爺ちゃんのお家に、僕はお参りに行ったのであります。
仏壇の前に座った僕は、「○○さん、寒なりましたねぇ。風邪引いてはりませんか?」と聞く。
すると、後ろに座るそのお爺ちゃん(=○○さん)は、「はい、外へはめったに出かけませんので風邪引きませんねん。それに、寒いから誰も遊びに来まへんし。そやから悪い菌が入ってきませんねん。だから、大丈夫でんねんわ。」と言う。
「・・・。」と、ちょっと僕は沈黙。
そして、「・・と、いうことは、○○さんがもし風邪を引いたとしたら、僕が読経をして、悪い菌を撒き散らしたらということになりますねぇ。」
○○さんは「・・まぁ、そういうことでんなぁ。」と笑いながら言われた。
そこで僕は、「ということは、今日は声を出さんと、口ぱくで読経したらベストでんねんなぁ。・・僕も楽やし。」と言ったら、
○○さんは、「まぁそう言わんと。ほな、わしは向こうの部屋でコタツに入って、つらいけど耳だけで聞かせてもろて手を合わせますから、思いっきり隣の部屋まで聞こえるように挙げてください。」と返してきた。
それで、僕は大笑いしながら、「・・今日は負けました。・・ほな、このへんで矛を収めて読経しますからよろしく。時間ももったいないし・・」と言ったら、「はいはい、有り難いとこだけ、ちゃっちゃっと挙げて、風邪の菌を撒かんように頼みますわ。ロウソクももったいないし・・」と言って、○○さんも笑われた。
今年最後の対戦は、完全に僕の負けとなった。が、来年は必ず勝率を上げて、リベンジしたいと思っている。
・・何しに行ってんねんやろ。(笑)
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風邪を引いたら、住職さんのせいでっせ
今月の「吉本百年物語」を観てきました

昨日の夜、「なんばグランド花月」へお寺の仲間たちと一緒に、『吉本百年物語〔12月公演〕日本全国、テレビで遊ぼ』を観て来た。
この公演は、吉本興業の創業百周年を記念して、一年を掛けて100年に渡る吉本の歴史を振り返る壮大な物語である。
ちなみに、出し物は毎月変わり、昨日は『1970年 大阪のテレビ番組、全国へ!』と題して、1970年頃の吉本お笑い芸人の担い手たちが、人気者となり、全国進出し、やがてテレビ界の人気ものとなってゆくという、涙と笑いのストーリーだった。
そして出演は、西川きよし役(西川忠志)、横山やすし役(矢野勝也)、桂三枝役(なだぎ武)、西川へレン役(瀬戸カトリーヌ)、小林プロデューサー役(石田靖)などで、今の売れっ子吉本芸人たちが、若き日のお笑い芸人たちを熱演した。はまるで、しかし・・。
では、なぜにお寺の仲間たちとこの公演に行ったかというと・・、(僧侶有志で)来年の2月に行う『東日本大震災三回忌法要&チャリティイベント』のゲストとして、西川きよしさんが来て下さり講演してくださる、その御礼の意味として、ささやかながら、我々も先に演劇を、見に行かせて頂こうと(イベント協賛者の方がチケットを取って)企画して下さったからなのだ。
さて、僕個人としても、新しくなった〔なんばグランド花月〕は初めてだったので、(昔はよく行きました・・)そのあまりの立派さと綺麗さにちょっと戸惑ってしまった。およよ・・。
お芝居も面白かったが、お客をとことん楽しませる大阪(よしもと)魂のようなものから、多くのものを学ばせていただいたような気がする。
充実した一時でありました。感謝の気持ちでまんまんちゃん、あん。あっりがっとさ~~ん。
今年最後の『白寿苑(月例)法話会』
昨日の晩、今回で192回目となった『特養白寿苑:月例法話会』に行って来た。
例年の事だが、12月の平日の夕方になると、阪神高速は毎年大渋滞をする。
それで、昨日も法話会が始まる二時間前には、お寺を出たのだが、案の定、途中で渋滞プラス事故渋滞にも引っ掛かってしまい、当初の予定が完全に狂ってしまった。
それで、急遽予定のコースを変更し、大阪市内の北をほぼ半周する迂回コースを取って、なんとか間に合った。(あせったわ。・・毎年こんなんやなぁ)
まぁ、それで無事に会を始めることが出来、今回は、今年の締めくくりということで、『地獄のはなし』と『極楽のはなし』という紙芝居の二本立てをさせてもらった。
いつもは、12月は苑内に大きなクリスマスツリーが飾ってあるので、西洋の紙芝居(マザー・テレサの話やら、イエス・キリストの話)をしたりしているのだが、今年の締めは(たまには)仏教的な話でいってみようと趣を変えて演じてみたのだ。
結果的に、(職員さんを含め)皆さんから拍手喝采を浴び、会場が一つになったような雰囲気になって、たいへん良かったと思う。
又、終り近くになって一人の女性から、「私も一度、手術で死に掛けて、夢の中で、閻魔さんにお会いし、極楽行きを命じられ、そこのハスの葉の上に立つ亡くなった主人に会って来たんですよ。」と言う話など飛び出し、(それって「紙芝居のお話と一緒ですね。奥さんがこのお話のモデルやったりして」と言って、皆で笑い合って)大変充実した「法話会」になった。
来年、いよいよ200回を迎えることになる『白寿苑:法話会』。
すでに、17年前の第一回目から出席して下さっている方は、Nさん一人だけになってしまったが、(後のお方は皆さん、お浄土に還られた)まだまだ、(やれる所まで)来年も続けてゆきたいと思っている。 白寿苑の皆さん、来年もどうぞよろしく!合掌
「運があった」と言い、亡くなった人
先週、95才のある檀家のお爺さん(仮にMさんとしておく)が、お亡くなりになり、お葬式をさせてもらった。
お参りの時、よくMさんは僕に太平洋戦争時の軍隊でのお話をして下さった。
その中でよく「自分は運があった」と言っておられた。
その話を、改めて斎場まで行く途中のタクシーの中で、家族さんとお話して懐かしんだ。
掻い摘んで言うと、それはこんな話だ。
Mさんの家は、飲食店をされていたので、Mさん自身も明るい人柄で話好きで、皆から好かれていた。
しかし、戦争で父親を含め、男兄弟は皆戦死し、Mさんだけが唯一の(男の)生き残りだった。
しかし、Mさんも終戦間際に軍隊に召集されて、南方の激戦地へ船で出航することとなった。
その船に乗り込む日、Mさんは突然上官から部屋に来るように呼び出された。
何か怒られるのかと思いきや、その部屋に行くと上官は居らず、廊下で二時間ほど待たされたそうだ。
その間に船は出港してしまい、Mさんは結局乗り込めなかった。・・が、その船はすぐに、敵艦に発見され、魚雷で沈没させられたそうだ。
Mさんの話によると、そんな『突然の上官の呼び出し』が二度もあり、自分は船に乗らず助かったらしい。
そして、終戦を迎えMさんは無事に自宅に帰って来た。
その後、Mさんは、亡くなった同僚の分まで一生懸命に生きねばと思い、必死に働いたそうだ。
が、Mさんは、自分を呼び出した上官のことがずっと気になり、(一言御礼を述べねばと)ずっと探していたら、何年か経って、その方が、偶然自分のお店に立ち寄られ、その訳を話してくれたそうだ。
実は、その上官は昔、Mさんのお店の常連さんだったそうで、Mさんの家族構成を聞き知っていて、Mさんが男兄弟の唯一の生き残りだということも知っていたらしい。
それで、Mさんが戦死したら、この店の家族は生活が成り立たなくなるだろうと思い、先の『突然の上官の呼び出し』を実行されたそうだ。
Mさんは、それをよく『自分は運があったので、良き上官に恵まれ戦死せずにすんだ。だから、助けてもらった分、人に親切にして、運(恩)返しする』と言っておられた。
そんな、人に親切で『運の良かった』Mさんにも寿命はある。
最後、病院で『看護師に内緒で酒を飲ませてくれ』と駄々を捏ねながら、95才の天命を全うして、お浄土へとお還りになったのであった。
東日本大震災物故者追悼三回忌法要/復興支援チャリティイベントvol.3 予告
来年の2月9日(土)午後12時半より、富田林すばるホールにて、『東日本大震災物故者追悼三回忌法要/復興支援チャリティイベントvol.3 ~大切なあなただから~』を開催することになりました。
主催は今年も(石川南組の若手僧侶を中心とした)『浄土真宗本願寺派僧侶有志』です。
今回も、スライドショーあり、追悼法要あり、法話あり、吹奏楽あり、トークショーありの盛りだくさんです。
又、今回の法話の時間は、僕が紙芝居を使って『稲むらの火(津波編)・(復興編)』を演じお話させて頂きます。
そして、なんとっ、今回の(正に)目玉は!タレントの『西川きよし』さんに来て頂き、「大きな目で見た震災復興」と題したお話をしていただきます。(ほんま、有り難いことですっ!)
尚、チケットは無料ですが、「整理券」が必要となりますので、ご参加ご希望のお方は当寺『観念寺』まで、ご連絡下さいませ。 又、申し訳ございませんが、チケット枚数に限りがございますので、浄土真宗の門徒さまを最優先させて頂く所存でございます。
そこのところ、何卒ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。合掌
『社団法人 大阪中国帰国者センター』からの出前依頼
平成七年にNHK放送局が、山崎豊子さん原作の『大地の子』という大河小説をドラマ化し、放送して大反響となった。
これは、太平洋戦争の敗戦によって、満州で残留孤児となった主人公が、中国の養父母への愛情と日本の実父への愛憎に揺れ動きながらも、文化大革命の荒波を乗り越えてゆくドラマだった。
再放送もされたので、僕も何度も見て心を揺り動かされた。
では現在、大阪に『社団法人 大阪中国帰国者センター』という組織があり、ここでは、中国残留邦人の肉親探しや、帰国援助、日本語教育、生活相談等を行なわれていて、彼らが立派な社会人として自立できるよう運営されているのはご存知だろうか。
恥ずかしながら、僕はまったく知らなかった。(・・反省)
そんな折、突然、こちらの団体から、日本文化の一つの紹介方法として、『紙芝居法話』をしてもらえないかと、依頼が来たのだ。
もちろん、中国語の通訳の方が僕について下さり、訳して頂きながら話を進めるということだ。
僕の作った紙芝居の中でも、中国が舞台のお話が何本かある。
それを日本仏教の紹介とリンクさせながらお話したら、少し何かお役にたてるのではなかろうかと、今思っている。
期日は来年の2月に予定している。・・まだ時間はある。ゆっくりと話の筋を考えたいと思う。
ちなみに、大阪中国帰国者センターホームページはこちら
http://www.ock.or.jp/
大阪の川の流れを変えた男「中 甚兵衛」のこと

大阪には、現在二本の大河が流れている。
その一本は、京都から大阪湾へ(北東から南西へ)流れ込む「淀川(よどがわ)」。
そしてもう一本が、奈良を越え柏原市から堺港へ(東から西へ)一直線へと流れ込む「大和川(やまとがわ)」である。
では、その現在の「大和川」は、人工的に作られたものだというのはご存知だろうか。
江戸時代初期、奈良から流れて来た「大和川」は、現在の柏原市を境に(北西の)大阪市へと、何本も川が分かれて、大阪城あたりで「淀川」と合流し、大阪湾に流れ出たのである。
ゆえに大雨が降ると、これらの何本もの川は、大阪平野で耐え切れず、大洪水を起こし、住民にとって大きな被害を出していたのである。
そこで、「(旧)大和川」を(現在のような流れにして欲しいと)付け替え工事を幕府に願い出て、反対意見にも負けず(50年近くも嘆願書を出し続け、粘りに粘って)ようやく、付け替え工事を完成させた男が、誰あろう『中 甚兵衛(なかじんべえ)』その人なのである!パパン、パンッ!(ハリセンを叩いた音)
彼は、庄屋(お百姓さんの代表)出身でありながら、たぐいまれな粘り強さで、人生のほとんどをこの事業に費やし、みごとに大和川の流れを現在のように変え、大阪平野を見事に豊かな土地へと生まれ変わらせたのである。
現在の大阪の発展は、彼のお蔭であると言っても良い。(しかし、新しき川の流れを作るために、(提案された流れの上に住まう人々は)土地の立ち退きを強いられ、彼らは間違いなく『甚兵衛』を怨んだ。・・ゆえに、現在でも『甚兵衛』をアンチヒーローと呼ぶ土地の人々もいる。・・それは当然かもしれない。
彼は、自分が行った事によって、多くの人の運命を変えてしまったを悔やんだに違いない。(ひょっとすると、上の(ちらしの)出家した後の『甚兵衛』の肖像画の、おでこから目の上にある傷跡のようなものは、怨みを持つ誰かに襲われて出来たものかもしれんと僕は思っている。・・あくまでも想像だが)
だから、『大和川付け替え工事』が終った次の年、彼は突然『出家』をして、浄土真宗の僧侶となる。
うまくやれば(その晩年)栄誉を欲しいままに、出来たにも関わらず、彼は一人の僧侶となったのである。
それが又、すがすがしいではないか。
長々と書いてきたが、僕は今、『中 甚兵衛』の紙芝居製作に取り掛かっている。
きっかけは、今年の三月、甚兵衛さん生誕地近くの(東大阪市今米の)お寺で、甚兵衛さん所縁の子孫のお方と出会い、お話を聞かせて頂いたからだ。
その時、甚兵衛さんの逸話をいろいろと聞かせて頂き、いつか、紙芝居にしたいと思ったのである。
それから、機会があれば、甚兵衛さんゆかり土地を歩き、又資料を集め、今、ようやく製作開始までこぎつけたのである。
(大谷本廟)
そして、昨日、京都に行く用事があったので、大谷本廟にある『中 甚兵衛』さん夫婦のお墓にお参りをして、紙芝居がちゃんと出来ますようにと手を合わせて来た。
順調にいけば、来年の2月までに完成させたいと思う。
お浄土で、甚兵衛さんにお会いしても、恥ずかしくないものを作りたいと思っている。頑張ります。
願立寺さまの『婦人会報恩講』への出前
(願立寺山門。葵の御紋の入った移築されたという徳川家所縁の屋根瓦)
昨日の晩、八尾市にある浄土真宗(大谷派)の「願立寺」さまの『婦人会報恩講』にお招き頂き、お話させて戴いてきた。
こちらは、初めての処なのだが、婦人会の皆さんはみんなノリが良く、とても初対面とは思えなかった。(ガンガンのって下さった。やり易かったわ~)
これが、庶民の町:大阪の良い処なのだろうが、決してそれだけでは無く、おそらく、お寺と檀家さんとの日頃の御付き合いの深さが、大きいのであろう。
(芳名帳に記帳。ちょっと落書きも・・)
この日の夜はとても寒く風の強い日でもあったが、たくさんのお参りの方がご聴聞に来て下さっていて、大変有り難かったです。
又、再来年の『出前法話』の御予約まで頂きまして、何と御礼を申し上げたら良いか・・。ほんま、ありがとうございました!合掌
願立寺様、山門の紙芝居製作のお話は、又いずれ・・。
ちなみに、この日の模様は願立寺様の(下記)のホームページ「願立寺日記」で見れます。
http://blog.zaq.ne.jp/ganryu-ji/article/63/
エンドレスQ&A(最寄の駅編)
昨日、今年最後の『特養老人ホーム甍』への〔出前法話〕に行って来た。
僕はまず、会場にお集まりの皆さんにご挨拶をする。
「さて、今年の『月例:紙芝居法話』は、今日が最後になりました。・・振り返れば、今年もいろいろな事がありましたね。」と話始め、その後紙芝居をして最後に「来年は一度、皆さんでうちのお寺にお参りに来て下さいな。施設長か事務長に頼んで、マイクロバスをチャーターしてもらえば、こちらから一時間ぐらいで来れますよ。お寺で直接お参りするのもエエもんですよ。」と言った。
すると、前列の一人のお婆ちゃんが、「電車やったら、どうやったらお寺に行けますか?・・最寄の駅は何ちゅう駅名ですか?」と尋ねられた。
それで僕は「・・こちらからやったら、まず地下鉄で『天王寺』駅まで行って、近鉄線に乗り換えて、それから『河内長野』行きに乗って『富田林』駅で降りる。そしてそこから金剛バスに乗って約20分ほどで『寛弘寺』バス停で降ります。そこから歩いて三分ほどです。『観念寺』というお寺です。」と、一息で流すように言った。
すると先ほどのお婆ちゃんから一言。
「あぁ、ありがとうございます。・・それで、最寄の駅は何という駅名ですか?」と聞かれた。
僕は『こらあかんわ。もっとシンプルに言わな通じないわ』と思い、「天王寺(阿倍野)駅から、近鉄線が出ているのは知ってますか?」と聞き、頷かれたので、「そこから、電車に乗って『富田林』という駅で降ります。そこからバスです。」と言ったら、「はい、解りました。・・遠そうですね。・・これはバスで連れてってもらった方がええなぁ・・。」と云われた。
その時、付き添いの職員さんが「○○さん、来年一度、施設長に頼んでみましょか?」と言われた。
それを聞かれ、嬉しそうにそのお婆ちゃんは、「その方がエエ出ようですね。・・ところで、住職さん、お寺の最寄の駅は何ちゅう名前ですか?」と又、スタートに戻ったので、職員さんが「そやから、バスで連れてってもろおと、言うたやんか」と言った。
それを聞いて、そのお婆ちゃんは、ムッとされたみたいだったので、気まずい空気を換えようと、僕は又、「ここから地下鉄に乗って『天王寺』駅まで行きます。そこから近鉄線に乗り換えて・・。」と、今年最後の講話クラブは、時間一杯まで延々と、僕のお寺までの行き方をしゃべり続けたのであった。
最近、こんなんばっかりや。(笑い)
エンドレス会話(お手拭編)
先日、出前法話で行かせて頂いた、と在る『老人ホーム』のおやつの時間でのこと。
テーブルの上に、お饅頭とお茶とお手拭(小さな紙ナプキン)が一つ置いてある。
お年寄りの方がたは、もうすでに席についておられる。
僕も座る。
皆で合掌ののち、お手拭で手を拭いてお饅頭を食べようとする。
すると、僕の隣のお婆ちゃんが一言、「あんたの(使った)お手拭がシワクチャになってるから、たたんで上げる」と、さっと取り、キレイに四角く畳んでくださった。
僕は「ご丁寧にありがとうございます。」と言って、お饅頭を食べて又、手を拭く。
すると、先ほどのお婆ちゃんが「あんたのお手拭がシワクチャになっているから、たたんで上げる」と、又、さっと取り、四つ折にしてきれいに畳んでくださった。
僕は「あぁ、ありがとうございます。」と言って、お茶を飲んだり、他の人と雑談をしていると、先ほどのお婆ちゃんが、「あんたのお手拭をたたんであげる」と言って、もうきちんと畳んであるお手拭を再度広げて、又、四つ折にされきちんと畳んで下さった。
僕は笑いながら「ありがとうございます。・・ところで、お婆ちゃんは、何の仕事をされていたんですか?・・キチッとされてますねぇ。何か、接客のお商売をされていたのですか?」と聞くと、
「はい、昔、難波で昆布の店頭販売をしておりました。」と答えられた。
僕は「ああ、それで商品の包装とかをされていたのですね。だから、畳むのが上手いのや」と言うと、そのお婆ちゃんは微笑みながら、「ほほほっ、そんな、上手いやなんて・・、毎日包装してましたから」と言って、又、僕の(結構ボロボロになってきた)紙のお手拭を又さっと奪い、又広げ、又元通りにきちんと畳まれた。
そして「昔は忙しいかったんよ~~」と言って、今度はみんなの使いかけのお手拭を取りに行って、同じ事ように又広げて、又畳んで、皆の元に戻された。
皆さんも、よく解っておられるようで、「いつも有難う。ご丁寧に」と言って、されるがままに見ておられる。
僕は、『皆、よくこの人の親切さを理解しているんや』と思って、微笑ましく眺めていたら、又、このお婆ちゃんは僕のお手拭に気がつき、「あんた、よく手を拭いたなぁ。ボロボロになってるやん。私がちゃんと畳んであげる」と、又僕のお手拭を手にとって、畳み始めたのであった。

