住職のつぼやき[管理用]

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南九州旅行~『隠れ念仏』の取材(後編)

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(今、パネル展を開催している鹿児島別院)
 薩摩藩は、江戸時代初期(一説では室町末期)から、約300年もの長きに渡って、親鸞聖人を開祖とする浄土真宗を禁止した。(代わりに、真言宗・曹洞宗や時宗の教えが流行ったそうである。・・だが、現代は、浄土真宗の信者が一番多い。)
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(『隠れ念仏』パネル展)
 それは、「仏の前では支配者も民衆も同じ」、という浄土真宗の考えが、藩主の権力を否定することにつながると危惧したからだと考えられている。
 しかし、禁止されても《信仰》は下級武士や農民の間に、ひそかに受け継がれていた。
 信者は、小さな仏像を作り、又、宗祖の御影像を描き、柱に埋め込んだりして隠して信仰した。
 又、自然の洞窟を改装して、信者たちの集会所(お寺)にしたのだ。
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(別院内にある[涙石])
 しかし、浄土真宗の信者であると発覚すれば、筆舌に尽くし難い『拷問』が待ち受けていた。
 別院内に、今も残る『涙石(なみだいし)』は、その拷問に使われたという巨大な石である。
 僕は、現実に『涙石』を目の当たりにすると、身体が震えた。
 我々の先輩たちは、文字通り「隠れて念仏」をして、命がけで、信仰を守ってきたのだ。
 「果たして、お前にもそれができるか?」と涙石に問われているような気がした。
 「・・とうてい、気の弱い僕にはできません。・・僕がやれることは、それを伝える拙い『紙芝居』を作るだけです。・・でも頑張ってつくります!」と、合掌した。 
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 そして、旅行三日目。
 鹿児島市内から、タクシーで約三十分。どうしても、今回行きたかった『花尾念仏洞』へ向かう。
 ここは、花尾山の下部に位置し、200メートルほど上がった山の傾斜にある、天然の洞窟である。
 僕と坊守は、汗を掻きかき登った。
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 ここは現在も、ご本尊が安置されていて、念仏信者たちの心の拠り所となっているらしい。
 でも、はっきり云って狭い。行くのもしんどい。
 「ここが、念仏の拠り所になっていたのか!」と思いながら、「よくぞ、こんな所に集まったな・・」と思い、「ここでは、足の悪い年寄りのお参りは無理だったろうに。」と思った。
 ここでは、何と[明治元年]に、その『信者集会』が発覚されて、(誰かが、ちくったのか?)信者たちの多くが処罰されたということだ。(結果的に、念仏禁止令は、明治9年まで続く。・・何が文明開化やねん!)

 長々と、全三回に渡って、書いて来たこの『南九州旅行記』。途中、(中編)で脱線したが、最後は『隠れ念仏取材記』で、ちゃんと、まとめれたと思う。
 正味、「現地取材をしたら、『紙芝居』は簡単に作れると思っていた」のだが、
 今回の、濃い歴史の重さを感じ、これは、どうまとめて作ったら良いのかと、改めて悩みが深くなってしまった。
 でも、何とか、作ってみましょう!・・悩んでいてもしょうがない。
 そう、薩摩ではこんな言葉(格言)が残っているのである。

「泣こかい、翔ぼかい。・・泣くよっか、飛っ翔べ!」(=泣いているより、思い切って、その崖から、飛び立ってみろ!)と。
 おしまい
 

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