住職のつぼやき[管理用]

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宗教に操られた男、富樫泰高

 今、一人の男のことを調べている。
 男の名は、富樫奏高(とがしやすたか)。
 『応仁の乱』の頃の、加賀の国(石川県)の[殿様]だ。
 この殿さま、波乱にとんだ人生をおくっている。
 大名の(次男)で生まれたがゆえに、若き日は京都の真言宗[醍醐寺]に預けられ出家。僧侶となる。
 がしかし、後を継いだ兄(長男)が、室町将軍から疎んじられ、大名を失脚。
泰高は、急遽、[還俗(げんぞく)]=[坊さんを辞める事]して、帰還。富樫家の大名となる。
 が、応仁の乱が勃発。日本中が、東軍・西軍に別れての大戦争が起こり、富樫家([泰高])も巻き込まれる。そして、再び、長男筋(兄)との大名相続争いが始まる。
 その頃、蓮如上人の元、超急成長していた宗教教団[一向宗=浄土真宗]が、この内紛闘争に参加。
 そして、浄土真宗教団(主にお百姓門徒)は、片一方の[富樫家]勢力を攻め滅ぼしてしまう。
 でもさすがに、大義名分が必要と感じたのであろう。
 旗頭に、もう一方の[富樫泰高]軍を取り込むことに成功する。
 こうして、富樫泰高は、浄土真宗の[操り人形国守]となるのだ。
 こうして、加賀の[百姓と僧侶]が持ちたる国の持続は、織田信長の登場まで続くのだ。
 この操り人形大名、富樫奏高は、自分の人生をどのように味わいながら生き抜いたのであろう。
 一説によると、絵が上手であったらしい。(有名な『雪舟』とも交流があったらしい。)(それは、現実逃避術として趣味の世界に逃げたのだろうか?・・いや、元々の才能だったか?)
 泰高は「宗教は怖い!人間を操る。」と、もちろん思ったのであろう。・・しかし、それだけだったのか?宗教を通して善い世界観を見つけることはできなかったか?
 この人物に、非常に関心がある。
 来月は、この人物を探りに、石川県まで行って来ようと思っている。
 又、この話の続きは、いずれ・・。
 
 
 
 
 

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