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大阪:中之島界隈をぶらぶら

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おせち料理を食べ過ぎたので、運動の為に大阪の『中ノ島界隈』をぶらぶらと歩きまわって来ました。
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 この辺はおしゃれなレストランが多いです。ここでランチを食べました。
 この前、慈雲尊者の紙芝居の取材の為に、この辺りを回りました。今回で二度目。
・・慈雲さんの頃(江戸時代)も、この辺りは賑やかな商業都市やったんやろな・・。慈雲さんのおしゃれなセンスのルーツがこの界隈にありそう・・、そんな事を思いながら歩きました。
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(大阪市立東洋陶磁美術館)
そして、東洋陶磁美術館を見学。
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 この美術館は写真を撮っても良いのですね。
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 心の洗濯が出来ました。・・ついでにお腹の洗濯も。

謹賀新年・熱海と箱根へ

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(熱海から見た日の出)
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
熱海と箱根へ旅行して来ました。
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観光客でいっぱい!僕らもその一人ですが・・(笑)
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(МOA美術館)
熱海では[МOA美術館]で、聖徳太子立像を鑑賞し、
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(芦ノ湖・箱根駅伝記念碑)
そのあと、箱根駅伝のコースを車で見物しました。(あの急な坂を駆け抜けるなんて人間業じゃないな、と改めて思いました。やはり、彼らは韋駄天!・・今は見る影もないけど、僕も昔は陸上選手だったんです・・(苦笑))
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(芦ノ湖観光船)
最後は、観光船で芦ノ湖を回って、無事帰還しました。
今年もいろんな所へ行きたいな。

多賀大社と『なばなの里』に行ってきました

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(多賀大社内『寿命石』)
 滋賀県の多賀大社と、三重県のなばなの里に行ってきました。
 多賀大社内には、重源和尚がお参りして、20年寿命が延びたという[寿命石]があるのです。
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 ここで重源和尚は、60歳前後の時にお参りをして、20年の寿命を授かり、奈良の東大寺を無事に再建したという伝説があります。  
・・僕もまだやりたい事があるので、(あやかりたく)延命を願いました。
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(なばなの里)
 そのあと、三重県の『なばなの里』へ。
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(チャクラのような光のトンネル)
 ここは、イルミネーションで有名ですよね。
 夜遅くまで、すごい数の車とたくさんの人でした。
 それと、若いカップルばかり。
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(イルミネーション・ジャパン)
 迫力満点のイルミネーション!
 日本の情景というテーマでした。
 大阪に帰ってきたら、午後の11時を回っていました。疲れました・・。
 
 

12月のほろ酔い交流会

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昨日、お寺で今年最後の『ほろ酔い交流会』を開いた。
寒さにも関わらず、たくさんの方がお出で下さり、楽しい時間を過ごせた。
 今年もお世話になりました。又、来年!

今年の『寺カフェ』が終わりました

 今年も無事に観念寺『寺カフェ』が終わりました。
 今年最後は、新しいお客さんが二名ほど来てくださり、今日も約20名程最後までにぎやかに、コーヒーとおやつで楽しい時間を過ごしました。
 さぁ、明後日は今年最後のイベント『ほろ酔い交流会』です。
 今年もお寺で『忘年会』を盛り上げ楽しみます!

人間ナンマンダ佛

不思議な夢を見た。
 老賢人が僕の前に来て、自分の仲間の前で僕に向かってこう言い始める。
「このミヤモトの教えは、彼の所属している宗派の教えとは少し違う。
キリスト教でもなくイスラム教でもない。又、神道でもない。(この時、周りにいる人間は、うんうんと首を縦に振り納得している)
 わかりやすく言えば、すべての日本人が持っている宗教観・仏教観のような教えを説いている。(この時、又周りの人たちは『その通り!』という目をしている)
 ・・だから、わかりやすいのだ。
 ミヤモト、お前は『人間ナンマンダ佛』になれ!親鸞聖人もそうだった。」
 というところで目が覚めた。
・・不思議な夢であった。
 『人間ナムアミダブツ』とは、いったいどういう意味か⁈僕にはわからない。
 が、この言葉が目が覚めても、はっきりと頭に残っている。

干支の『ちぎり絵』色紙教室、開催

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 今年も来年の干支の『ちぎり絵・色紙教室』を開きました。
 毎回、ご門徒さんがボランティアで開催して下さるので、本当に助かります。感謝です!
 今回は、21名のご参加でした。
 夜の七時から開始だったのですが、六時にすでに来られた方があって、暖房の調整も間に合わず申し訳ございませんでした。
 みなさん、今年も楽しい『ちぎり絵』色紙が完成したようで、少女のようにワイワイお喋りしながら、帰られました。

今年の『観念寺団体参拝バス旅行』は三重県行きでした

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 今年の『観念寺団体参拝バス旅行』は、三重県に行きました。
 総勢31名。大型バス(トイレ付です)
 今回は私たち(宮本)家族の[観念寺入寺20周年記念ツアー]でちょっと贅沢なのです。
 目的地は国宝『高田派本山・専修寺(せんじゅじ)』。
 立派なお寺です!同朋観光添乗員の永峯先達のお寺の内覧解説も素敵でした。
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 雨が心配されましたが、何とか無事に切り抜けられました。(仏様の思し召しです!)
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 そして、食事は[磨洞温泉『涼風荘』]。
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 なんと、ここは洞窟の中で料理が食べられるのです。
 皆さん「和気あいあいと山海賊バーベキューが楽しめて良かったわー!こんな食事もええねぇ。ええ思い出になるわ」と言っておられました。
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 そして、帰りは伊勢の『おかげ横丁』で買い物もしました。
 今年も楽しい団参でした。合掌

紙芝居:『夜泣き石』(その6 最終回)

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 そして現在。
 この夜泣き石は、今、岸和田市の『慈光寺』様の門前に祀られています。
 最近は、地元の小学校などからの見学会が多くなっているそうです。
 こちらのお寺のご住職は、この『夜泣き石』について、子供たちに次のようにお話しされています。
 「人間だけではなく、犬や猫、すべての動物たちに心があるように、・・ひょっとすると、石にも心があるかもしれません。
 (地球にある)すべての物を大切にすることは、とても大事なことです。
 生き物だけでなく、我々の周りにあるものを、みんなも大切にしましようね。
 さぁ皆さんも、この『夜泣き石』に耳をつけてみて下さい。・・夜泣き石がいろんなことを語りかけてくれるかもしれませんよ。」と。
 おしまい
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(夜泣き石)
 あとがき、
 以前からこちらのお寺の山門横にある『夜泣き石』のことが気になって、お話に行かせて頂く度に、紙芝居にしたいと思っていた。
 僕も『石』にも心があるような気がしているからだ。
 又、ご住職から聞いていた村人たちの大量夜逃げ『逃散』のことも気になり、無理やり『夜泣き石』の話と合体させて(フィクションとして)紙芝居化にした。
 逃散した村人たちは、一説によると、九州の五島列島にたどり着き、そこで新たな村を築いて生き延びられたらしい。
 そして、その新たな村の名前に『作材(サクザエ)』によく似た名を付けて住んだということらしい。
・・が、僕も調べてみたがわからなかった。
 この完成した『紙芝居』を持って、先日『夜泣き石』のところに行って報告してきた。
 そして、石に耳をあてたら、ゴゴゴッと反応したように感じた。
 又、手でなぜなぜしたら温かく感じたのだった。
 本当におしまい


 

紙芝居:『夜泣き石』(その5)

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 やがて月日は流れ、この石橋のお役目も終ろうとしておりました。
 それは、新しい水路が生まれ、橋が必要でなくなったからです。
 それで、皆でこの石橋を移動させることになりました。
 が、しかし、又この石は重くなって動きませんでした。
 そこで、皆でこの石橋に向かって、こう言いました。
「夜泣き石や。もうお前は、お城には連れて行かへん!
 お前はこれから、お寺に連れて行ってもろて、そこで祀ってもらうんや。・・だからな、心配せえへんでええ。そやからええ加減動いてくれ!」と。
 こうして、夜泣き石はようやく動きました。
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 こうして、この夜泣き石は、お寺の山門の横に祀られることになりました。
 が、いつの間にか、この夜泣き石は、『石を削って煎じて飲めば、夜泣きの赤ん坊が治る』という噂がたちました。
 その噂は、昭和の頃まで続き・・、
 赤ん坊の夜泣きで困っているお母さん方が、遠くからお参りに来られ、石を削って持って帰られたそうです。
 (余談ながら、こちらのお寺の総代さんに「その話は本当や。わしも飲まされた一人や。」と僕は聞いた。
 僕は「よく、石が体にたまりませんでしたねぇ」と笑いながら答えた。
 今もこの夜泣き石は、削られた跡がある。つづく(次回最終回)