記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

豊中市:法雲寺さまの『永代経法要』への出前

ファイル 1854-1.jpg
(法雲寺様へ出前一丁!)
 昨日、おとといと二日間。豊中市の『法雲寺』様の永代経法要へ[紙芝居法話]に行って参りました。(・・毎年の有り難いご法縁、有難うございます!)
ファイル 1854-2.jpg
(本堂にて)
 今回は、反戦僧侶の紙芝居と情熱女性の紙芝居を重点テーマにして、演じさせて頂きました。
 毎年、たくさんのご門徒さんでいつも圧倒されます。
 でも、だいふ『紙芝居法話』に慣れられたかなぁ⁉
ファイル 1854-3.jpg
(本日は『反戦僧侶』の紙芝居)
 今回は、こちらのご先祖さまとご縁の深い反戦僧[竹中彰元]師の紙芝居と、支離滅裂な情熱反戦僧[植木徹誠]師の紙芝居をさせて頂きました。
 そして後半は、女性歌人『九条武子』さまと『与謝野晶子』さまの紙芝居を観て頂きました。
ファイル 1854-4.jpg
(暇をみつけて『小林一三記念館』を散策)
 二日目は、暇をみつけて、お寺からもそう遠くはない『小林一三記念館』と『カップヌードルミュージアム』を見学。
 紙芝居の題材を見つけて来ました。
ファイル 1854-5.jpg
(続・暇をみつけて『カップヌードルミュージアム』も散策して来ました)
 そこで、オリジナル・カップヌードルを作って、お寺の出前一丁!と記念撮影。
 法雲寺の風雲児住職さま、坊守様、前住職様、前坊守、御門徒の皆様、今年もお世話になり、本当に有難うございました。合掌

紙芝居:「戦争は罪悪である」(その6:最終回)

ファイル 1853-1.jpg
 釈放されてから、彰元師はご自分のお寺の離れで、ひっそりと晩年を過ごされます。
 昭和20年八月十五日、敗戦。
 『・・この戦争は聖戦ではなかった。』と、手のひらを返したようにマスコミが訴えはじめたこの年の夏の終わり頃、ご高齢でずっと寝たままの彰元師に、ご家族は次のようにお話をされたそうです。
「おじいちゃんの言うた通りやったね。・・今に表彰されるかもしれんね。それまで頑張らんといかんよ。」と言うと、
彰元師は「うふふふ、そうかい。」と答えられたそうです。
 その昭和20年10月21日、彰元師は77歳で往生されました。
ファイル 1853-2.jpg
 ただ、「今に表彰されるかもしれんね。」と言われた、宗門からのお言葉は無く、宗派が『竹中彰元』師の処分を取り消し、謝罪を表明するまで、2007年まで(約50年間)待たねばなりませんでした。(完全に忘れられ取ったんやろなぁ。・・ああ、可哀想)
 現在、明泉寺山門前には、彰元師の言葉『戦争は罪悪である』と刻んだ石碑が建立され、非戦を訴えかけています。
おわり
ファイル 1853-3.jpg
(明泉寺本堂)
ファイル 1853-4.jpg
(明泉寺山門前の石碑)
ファイル 1853-5.jpg
(竹中彰元師の墓)

紙芝居:「戦争は罪悪である」(その5)

ファイル 1852-1.jpg
 昭和12年10月31日、竹中彰元師は、『陸軍刑法「造言飛語罪(ぞうげんひござい)」』で、警察に逮捕されました。
 そして、禁固四カ月の実刑を受けます。(が、控訴した為、最終的に禁固二か月20日間、執行猶予三年の刑となりました)
 さらに、この判決を受けて、宗派は[布教使資格]を取り上げ、僧侶の位を最下位に落としました。(身内からのこの罰則は、最も辛かったかもしれません)
ファイル 1852-2.jpg
(家族も何かと辛かったでしょう・・)
 拘留中、彰元師は家族から『反戦発言』を取り下げるように頼まれます。
 が、彰元師は「わしは自分の得手勝手を言うとるんじゃない。仏法を語ったんじゃ。間違ったことは言うとらん!」と、言い切ったそうです。
ファイル 1852-3.jpg
(お寺の前の[竹中半兵衛の居城跡])
 余談ですが、頑固で一徹なところは、彰元師のご先祖の豊臣秀吉の軍師『竹中半兵衛』に似てるかもしれませんね・・。
 つづく

紙芝居:「戦争は罪悪である」(その4)

ファイル 1851-1.jpg

・・それから一か月後、
 同じ宗派の僧侶が集まった大きな法要の後、彰元師はまたもや話し始めたのです。
「・・他の人は、どう考えるかしらんが、この戦争は侵略であると思う。
 莫大な予算を使い、多くの命を奪う。
 やはり、戦争は罪悪である。
 もう、ここらで戦争は止めた方が良いと私は思う・・。
 が、君らはどう思う?」と。
 それを聞いて、他の僧侶たちは激怒しました。
「何という事を言うか!この日本を侵略国というのか!この戦争は聖戦じゃ!!
 民を導く僧侶として、今のは恥ずかしい発言!
 言葉を撤回しろ!!」と、詰め寄りましたが、彰元師は反省しませんでした。
 それで、僧侶たちは警察に通報したのでした。つづく

紙芝居:「戦争は罪悪である」(その3)

ファイル 1850-1.jpg
 そして、昭和12年9月15日。
 ついに彰元(しょうげん)師は、戦争へ出征する兵士を見送る道中、軍隊を除隊した村人に対し、話し始めたのでした。
「僕は『戦争は罪悪』であると思う、と同時に人類に対する敵であるから、止めた方が良いと思うが・・、君はどう思うかね?」と。
 その村人は驚きました。
 なぜなら、この時、日本の政府は『暴れん坊の中国を懲らしめる、いわばこれは正義の戦争なのだ!』と、表明したばかりだったのですから・・。
ファイル 1850-2.jpg
 この村人は、彰元師の発言を他の仲間に言いました。
「あの坊主!今から戦争に行く若者を応援せずに、何という事を云うのだ!とっちめてやる!」と、仲間を伴い、彰元師を問い詰めました。
 が、この時はお互い村の者どうし、という事で、大きな騒動にはなりませんでした。
 が、しかし・・、彰元師は反省していませんでした。
 その一か月後。 つづく

紙芝居:「戦争は罪悪である」(その2)

ファイル 1849-1.jpg
 時代は、大正時代から昭和へと移り、日本の国は、軍国主義へと突き進んでいきます。
 それは、『不殺生(ふせっしょう)』=[殺すべからず]を説く《お寺の世界》でも他人事ではなく・・、
 『一殺多生(いっせつたしょう)』=[少し殺して多くが生きる]という、本来、仏教には無い言葉を生み出し、お寺が[戦争]に積極的に協力してゆくことになったのです。
 この状況に『これはおかしい⁈、間違っている!』と、竹中彰元師は悩まれるのでした。
 そして、日本はやがて、中国へ大規模な軍隊を派兵していったのでした。
 日中戦争の始まりです。 つづく

紙芝居:「戦争は罪悪である」(その1)

ファイル 1848-1.jpg
 日中戦争が始まった昭和12年。
 大多数の宗教が、戦争に協力してゆく中で、『戦争は罪悪である。・・この戦争は侵略戦争である。』と説いて、警察に逮捕されたお坊さんがいます。
 浄土真宗大谷派の僧侶、『竹中彰元(たけなか・しょうげん)』師です。
 彼は警察の追求にも信念を曲げす、本山からも[布教使資格]剥奪処分を受け、終戦の昭和20年、77歳でこの世を去りました。
 これは、平和を願った一人の反戦僧侶のお話です。
ファイル 1848-2.jpg
 竹中彰元師は、(幕末・慶応3年)岐阜県の『明泉寺(みょうせんじ)』というお寺に生まれました。
 そして9歳で得度、僧侶に成ります。
 そして、宗教の學校に通い、父の死によって、18歳でお寺の住職に成りました。
 さらに、布教使というお説教のプロになり、順風満帆、お寺の世界で出世していったのでした。
 が、しかし・・。
ファイル 1848-3.jpg
(岐阜・明泉寺さま)
 つづく

春の[ほろ酔い交流会]

ファイル 1847-1.jpg
 春の[ほろ酔い交流会]を開きした。
 観念寺と老人会のコラボで、二・三か月に一回行っているお楽しみ会です。
 檀家さんでない方も、全然OKです。
ファイル 1847-2.jpg
 近くのお酒屋さんから、今日も冷えたビール・チューハイ・ワンカップが届きました。
・・もちろん、ノンアルコールも。
ファイル 1847-3.jpg
 おつまみは、僕と坊守が近くのスーパーでおつまみセットを買いました。
ファイル 1847-4.jpg
 今回もとても賑やかな交流会になりました。

藤井寺:尊光寺さまの永代経法要

ファイル 1846-1.jpg

 昨日は、藤井寺市:興正派『尊光寺』さまへの出講の日。
 大雨情報で心配したが、永代経法要という事もあり、本堂は大満堂。
 でも、お話し易かったわ~。
 最初から、ドッカンドッカンと受けまくって、本堂は笑いの渦。
 そして、最後はご門徒のみなさんから、「感動したわ~。一時間半が短く感じました。もっと紙芝居を見たいわー。今日は最後まで寝ませんでしたよ!」と感想を頂き?嬉しい次第でした。

僕は紙芝居の主人公たちからエネルギーをもらってます

僕は、自分が描いている「紙芝居」の主人公たちから、生きるエネルギーを貰っています。
人間は、十字路に差しかったら、こっちを選べば良いのだ!とか。
この生き方をすれぼ、必ず後悔するだろうな、とか。
どんな頑張っても、最後は死ぬのだから、こう決断した方が良いな、とか。
紙芝居を描きながら、主人公たちに教えられるのです。
これは、どんな哲学書を読むより、説得力があります。
紙芝居を作ることは、僕にとって、凄い教授に教えを受けているのと同じ事なのです。