
昨日、観念寺から、西本願寺へ『第25代専如門主・伝灯奉告法要』の団体バス参拝に行って来た。
観念寺から総勢21名。
法要は午後からなので、午前中は本山近くの『京都水族館』へ。
大型連休の初日でもあり、水族館は大賑わい。
オオサンショウウオやペンギン、そしてイルカなど、童心に帰って見学させて頂きました。
楽しかったー。
そして、お昼は本山前の旅館で昼食。
お腹一杯で、目は半分うつらうつら・・ええっ気持っちや~。そして、本山へ。
本堂は満堂。席は真ん中の前の方。エエ席やー。よーく、法要全体が見えて有り難かったです。
天気は朝は快晴。のち、曇り。のち、(参拝中)突風でかみなりの大雨の大嵐・・だったそうです。(添乗員さんにお聞きしてびっくりしました。本堂内は解らなかったのです。)
法要が終わって外に出てみたら、快晴で、うそみたいでした。
そして、お土産を買いに行く途中、本山でバイトしている娘たち新婚夫婦と合流。
二人仲が良いので安心もしました。(本音です)
大法要に、水族館巡りに、娘たちにも会えて楽しい一日でした。合掌
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(西本願寺)伝灯奉告法要参拝&京都水族館を巡る
共命鳥、富士に羽ばたく!

(作品名『赤富士と共命鳥』、by下河邉(しもこうべ)糸江さん:最優秀賞)
今日、『大阪府ねんりん美術展』に行って来た。
(大阪国際交流センター)
主催は、大阪府。後援は、一般財団法人大阪府老人クラブ連合会である。
こちらの美術展に、(今年の二月に)紙芝居法話で呼んで頂いた『蓮浄寺』様の御門徒さまの[下河邉糸江]さん(95歳)の絵画が出展されていると聞いたので、見に行かせて頂いたのである。
そう、絵は極楽鳥の『共命鳥』!・・富士の周りを飛んでいる。
しかも、なっなっなんと、最優秀賞だ!おめでとうございます!
この作品は、僕の『共命鳥』の紙芝居を観られて、インスピレーションを感じ描かれたのだそうだ。
しかも、なっなっなっなんと、95歳の作品なのだ。・・凄いバイタリティだ!
会場で、下河邉さんご本人にお会いしたので、いろいろと聞いてみた。
下河邉さんは「紙芝居に感動し、これをテーマに是非、絵を描いてみたいと思いました。そして生きているパワーを注ぎました」と言われた。(僕の拙い紙芝居が、生きるエネルギーになったと、お聞きして嬉しかったわぁ。)
で、ちなみに、この作品は、大阪府代表作品になって、今年は全国大会『あきた大会美術展』に飛び立つらしい。
翔べ!共命鳥っ!
シュッとしてる・・?
息子たち夫婦が遊びに来た。
息子の嫁は、ちゃきちゃきの大阪娘。
とにかく、明るくて面白い。
言葉が面白い。
忘れていた大阪弁の面白さを思い出させてくれる。
「わっ、この人、シュッとしてる!」と昔の写真を見て息子と話している。
思わず僕は、「なぁ、[シュッと]」ってどういう意味?」と聞く。
息子の嫁は「シュッとは、なんというか・・、身体にぜい肉が付いてないというか、細いスタイル、カッコいいというか、・・とにかく、シュッとしてるんです。」
僕は「ということは、今の僕はシュッとしてないんやね。」と言うと、
嫁は「・・まぁ、シュッではなくて・・」と、笑っている。(そこは否定するとこやろ。正直なやっちゃ・・[笑])
僕は「シュッではなくて、ジュッやろか?グジュッか?・・どれやろなぁ?」と笑って答える。
嫁は笑いながら、「私も母も、今、シュッと写真うつるよう目指して、ダイエット頑張ってます」と言う。(お母さんもシュッを目指してるんかい?)
僕は「これからみんなで、今年の目標は[シュッと見える]でいこな?」と、新しい家族の誓いを立てたのだった。
でも、シュッて、やっぱりようわからん言葉やなぁ(笑)
」
雨の『寺カフェ』
橿原市:浄土真宗『西応寺』様にて[花まつり]
お約束の紙芝居

十年ほど前から、「必ず、この紙芝居を作って持って行きます」と、ある(落語好きの)お寺の御住職とお約束していた紙芝居がある。
落語の祖『安楽庵 策伝(あんらくあん さくでん)』の紙芝居である。
戦国から江戸初期に掛けて活躍した(浄土宗の)おもろいお坊さんの物語である。
策伝さんの自称(芸名みたいなもの、本名でない)は[平林平太夫(ひらばやし・ひらだゆう)]という。
有名な落語『平林』は、自分の名前の読み方の勘違いを使って作った小ネタである。(つまり自虐ネタの走りだ)
戦国時代に実在した、正におもろいおっさん住職だ。
・・まだ、紙芝居は出来ていない。
策伝さんの書かれた落語のネタ本『醒睡笑(せいすいしょう)』の原本は、すでに手に入れている。
また、策伝さんの故郷、岐阜にも行き、又京都にも行き、取材は済んでいる。
が、まだ、紙芝居は出来ていない。
第一部は『策伝、伝』とその生涯を描き、第二部で『醒睡笑』から、小ネタ『星を取る話』と『平林』を描こうと思っている。
が、まだ出来てないのです。
すいません、〇〇ご住職!・・おそらく、今年も間に合いません。恐らく持って行けないと思います。
が、魂を込めて、今、作らせて頂いてますので、もうちょっと・・、願わくば、来年まで(来年という出番があるならば)待ってください。合掌 ~たいらばやしか、ひらりんか、いちはちじゅうのもっくもく、ひとつとやっつでとうきっき。 楽しい紙芝居になりますよー。
富田林:「明尊寺」様の永代経法要
この頃、ボ~ッとし過ぎている。
僕が・・である。
初めて、富田林の[明尊寺]さまに呼んで頂き、紙芝居法話をさせて頂くことになったので、記念写真を是非撮ろうと思っていたのだが、(カメラの電池も代えて用意していたのに)家に忘れてしまった。
出発するギリギリまで、新しい紙芝居を描いていたので、こんな間抜けなことをしてしまった。
そんなことに、向こうのお寺に着いてから気が付いた。
「あっそうだ、携帯電話のカメラを使えばいいのだ!」と出して見たのだが、今度はカメラが不具合で作動しない。
これは写真を撮ってはダメなのだ、と自分に言い聞かせ、美しい桜が似合う本堂を、目に懸命に焼き付け、無念の気持ちを抱いたまま帰って来た。写真が無い・・。
・・あぁ、でもちゃんと紙芝居法話はさせて頂いたので、まぁええか。そちらの方は後悔がないのだが、・・ホントこの頃、僕はボーとしてます。しっかりせなっあかんわ!
12年間続く『紙芝居法話』in堺市:極楽寺
堺市深井にある『極楽寺』さまは、現在、浄土真宗本願寺派のお寺であるが、創建されたのは、飛鳥・奈良時代の[行基(ぎょうき)]菩薩であると伝わっている。
そう、この町の地名になっている[深井(ふかい)]とは、その昔、行基さまが深い井戸を掘り、水不足を解消させたので、この名になったのだそうだ。
そして、行基さまの生誕地近くに、この極楽寺を建ててお説教の場とされ、町は発展していった。(極楽寺ご住職談)
こちらのお寺・御住職と、僕とのご法縁は深く、紙芝居法話を(永代経法要を縁として、)もう12年間、続けさせて頂いている。
檀家さまとも、「今年の仏教紙芝居は何ですか?」と気楽にお話できる間柄だ。
「あぁ、今年の紙芝居はこちらの極楽寺を創られた行基さまの話です。」と僕は、昨日、答えた。
「それは楽しみ!私らはここに住んでいて、行基という名を、忘れた事は無いけど、さて、どんな人か?というのは解らんですからねぇ⁈」と言われた。
案外、地元の方も知らぬというのが、本音なのであろう。
行基さまの紙芝居をした後、皆さんのご自分の檀那寺を見る目が、少し変わられたような気がしたのは、私だけだったろうか⁈・・な?。 合掌
和歌山県九度山『大石順教尼記念館』
(実際に、順教尼さんと親しかったという記念館の館長さん。いろいろな順教尼さんの秘話を教えて頂きました。感謝です)
おととい、和歌山県の九度山にある『大石順教尼(おおいし・じゅんきょうに)』記念館へ行って来た。
日本のヘレンケラーと言われた「大石順教尼」さんの紙芝居制作の取材の為である。
明治生まれの大石順教尼さんは、大阪は道頓堀育ち。本名は大石よねと言い、舞妓を目指すが、17歳の時、養父の狂乱により、両腕を斬り落とされる。
いわゆる『堀江六人斬り』の犠牲者である。
一命は助かるが、両腕の無い彼女は絶望する。
が、カナリヤがくちばしで雛を育てている姿を見て、口に筆をくわえて『写経』や『写仏』を描き、才能を開花させる。 やがて、結婚、出産、離婚を経て、高野山で出家得度。『順教尼』となる。
そして、身体障がい者相談所を設け、心の拠り所と自立教育・厚生に力を注いだ。
1968年4月21日に80歳でお亡くなりになる。
・・という凄い御方だ。
このお方の紙芝居化制作の話を、館長さんにすると、「是非、作って下さい!制作の為の資料はお貸ししますので、完成したら持って来て披露して下さいね。」と言われた。
今の時代からこそ、求められている偉人『大石順教尼』。
是非、紙芝居を作らせて頂きます。合掌
大阪教区スカウト指導者会会報『ともしひ』に載りました
大阪教区スカウト指導者会・会報『ともしひ』に、先日の『紙芝居法話』の様子が載りました。
抜粋して読んでみます。
『・・「報恩の集い」を本願寺津村別院(北御堂)にて開催いたしました。(中略)・・第一部に引き続き、宮本直樹住職(石川南組観念寺)に、紙芝居を披露いただき、阿弥陀さまのおはたらきなどを学びました。・・(中略)、来年も親鸞聖人のお心をいただく中で、スカウト活動を進めていきたいと思います。』
と、いう内容でした。
スカウトの皆さん、これからも慈光照護のもと、世の為人の為に頑張ってくださいね。応援しています。合掌








