三月は、娘の結婚式やら、お彼岸法要やらが続いて、ひどい風邪をひいてしまいました。
声がガラガラ声に成った為、本当に御門徒さんにはご迷惑を掛けてしまいました。・・すみませんでした。
もう大丈夫です。
又、出講に行かせて頂いたお寺さんからは、『大丈夫ですか?』と、優しいお声を掛けて頂き、もう恥ずかしくて、つい、(漫才師『スリムクラブ』のギャグみたいに、親指を前に出し(ハスキーな声で)「い゛い゛よ~」と言ってしまい、苦笑いされて)、いろいろとひんしゅくをかってしまいました。・・返す返すお詫び申し上げます。
もう、風邪も治りました。 本当に身体の具合は『い゛い゛よー!』。
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風邪をひいてしまいました。
藤井寺市:[妙楽寺]様の春季彼岸法要
昨日、藤井寺市の[妙楽寺]さまへ、紙芝居法話に行かせて頂いた。
こちらのお寺は初めてであり、お寺の場所は、車のナビに入れて行かせて頂くのだが、近くまでになると、ナビは『目的地周辺です。案内を終わります』と流れてしまい、僕は途方に暮れてしまう。
「近くには来ているんだ。絶対にお寺はあるはずだ。・・でも場所が解らない。・・車をどこかで止めて、歩いて探そう。」と、今度は車を一時的に止める場所を探して、ドンドン目的地から離れてゆく。ドツボだ。
昨日も、そのドツボにはまり掛けたが、最後は時間までに無事に着けた。
まず、事前に地図で目的地を探して、その後、ナビに入れて、時間はゆとりをもって毎回、出発する。が、思った通りには行かないものだ。
毎回、まず目的地まで時間までにちゃんと着けたら、いつも「これで今日はうまくゆく」と思ってしまう。
どうしようもない方向音痴の私なのです。
でも、昨日も『紙芝居』は大うけでした。良かったよかった。妙楽寺の皆様、こんな小心者の私をあたたかく受け入れて頂き、有難うございました。合掌
河南町[善秀寺]さまの『彼岸法要』での紙芝居法話
河南町介護者家族の会会報[さくらんぼ]に載りました

河南町介護者家族の会『さくらんぼ』の、会報に載りました。
この前の[新年交流会]の模様です。
この時は、さくらんぼの会長さんから「日頃、家族の介護で疲れている会員の為に、楽しい、そして元気が出る紙芝居と話をして欲しい」と頼まれたもので、そんな『紙芝居』を探し出し、倉庫から引っ張り出してさせて頂きました。
会員の皆さんの、楽しげに『紙芝居ワールド』に浸って下さったお顔が、今でも忘れられません。
有難うございました。合掌
観念寺:春季彼岸法要・紙芝居法話
ボツにした『紙芝居』
僕の作る紙芝居に(構想したが、)『ボツにした幻の紙芝居』という物がある。
それは、昔、隣町で実際起った事件『河内十人斬り』をモデルにした紙芝居だ。
これは明治時代に起こった、痴情と怨恨が絡む残虐な事件を題材にした話だ。(今では多々ありそうな話ではあるが?・・)
僕は、人情ものの心温まる話も好むが、人間が起こす悪業の話(何でそんな事するねんなぁ、しゃあない奴ちゃなぁという話)も好むのだ。
この、当時の大事件。世間は(デリケートなところがあるにも関わらず)タブーにせず、『河内音頭』の元(歌詞)にもして、何度も(この殺人者たちを)芝居小屋など劇場でお芝居の主人公にしている。(今ならテレビワイドショーが黙ってない話題なのだ)
なぜだ!・・残虐な事件なのに、不思議すぎる?
これは人間のどうしようもない(仏教でいう)[業]が絡む何かがある。 そんな匂いがする。
この二人の極悪な殺人者たちは、地元ではなぜか?「・・あれは悪いあほな奴やっちゃ、どうしようもないバカ者や。・・けど、どこか気の弱いあほやったそうやで。・・わしのお爺さんから聞いた話やけどな。」と、なぜか?好意的ともとれる部分をぼやかしてお話される。
僕がインタビューした人のほとんどが、そうであった。
けど、この話、今からそう遠くはない明治時代の話でもあり、事件の被害者の方々の子孫も居られるのだ。
この事件をフィクションにして、脚色し紙芝居にして、人間の(やってはいけない)[業]をテーマにした作品を作ろうと思っていたのだが、・・やっぱり止めた。
この紙芝居の構想を、或る檀家さんに話していたら、「住職さん、その紙芝居は作るのを止めた方がええで。その話を聞かれて嫌な思いをする人も居るかもしれん。又、住職さんの紙芝居は『人を助ける』・『人の気持ちを救うもの』やとわしは思うから、その話は住職さんが作るものと違うとも思うねんで。」と言われたからだ。
そうこう、いろいろ考えた上で、この紙芝居はボツにしたのである。
昨日の『寺カフェ』
昨日は、月一『寺カフェ』の日。
・・昨日もまだ準備の段階から、多くのお客さんが来て下さった。
檀家のお客さんから、「娘さんのご結婚おめでとうございます。結婚式の写真を見せて下さい」とのお声があり、まだ[スナップ写真]も出来ていなかった為、急遽、写真をブリントして、皆さんに見て頂くことになった。
「わぁっ、新郎さんの身長の何と高いこと!・・在家のお方でっしゃろ。・・何とっ、頭、剃りはってお坊さんに成りはったんですか?」と驚きの声があちこちから上がった。
「はい、そうなんです。得度してくれました。有り難いご縁です。・・でも、お寺には入らずに、退職までサラリーマンを続けてもらう予定なのですよ。」と僕は言った。
今日は、コーヒーどころではなく、娘たちの結婚式のご報告会になってしまった。
・・恐縮しっぱなしで、汗をかいて喋るの疲れてしまった。
西本願寺での娘の結婚式

本日、京都の西本願寺にて、娘が結婚式を挙げた。
『第25代専如門主 伝統報告法要協賛行事』の記念行事の一環として、阿弥陀堂にて式を挙げさせて頂く事が出来たのだ。
晴天にも恵まれて、無事に式を終え、本当に幸せな一日であった。南無阿弥陀仏。合掌
浄香さま、来院
紙芝居:「黎明(れいめい)のくろまろ」(その5:最終回)

時の天皇は、くろまろを呼び出して言いました。
「くろまろ、海の向こうの[新羅(しらぎ)]=(今の韓国)という国に行ってくれんか。
彼の国の領土問題がこじれて、助けを求めておるんじゃ。
行って、見て来てくれ。」
と、くろまろを『遣新羅使(けんしらぎし)』として、派遣させました。
一年後、無事、任務を終えて帰って来たくろまろに、又もや時の天皇は、
「くろまろ、今度は『唐』の国にいってくれ!」と、言われました。 
「はっはい・・、わかりました。向こうの国には、まだ、私の知り合いもおりましょう。・・ヤマトの国の為、力を尽くしますまろ、まろろろろっ・・。」
と、今度は『遣唐押(おう)使』という、最高責任者となって、国どうしの難問を解決する為に、旅立ったのです。
・・がしかし、もう、くろまろは高齢で、この時心身ともに過労のため、限界にきておりました。
無事、唐の国に到着し、長安(ちょうあん)の都で、皇帝に会い、仕事を果たしたのですが、・・その地で倒れて、そのまま唐の国で亡くなってしまいました。
その年、西暦654年。・・推定で、くろまろは65歳前後でなかったか?と伝わっております。
・・考えてみますと、くろまろの一生は働き通しでした。
おそらく、10代の後半、留学生に選ばれて、たった一人で親元から離れ・・、
そして海を越え、古代中国で、32年間に渡る勉強。
帰国後は、その知識を生かして、日本の制度の改革に挑み・・、
そして、日本の代表として、正々堂々と外国と渡り合い、平和を摸索し、交渉に命を注ぎました。
正に、くろまろは、日本の夜明けの為に、生まれて来て仕事を果たしたと云って、間違いないでしょう。
今、大阪は河内長野市の『高向(たこう)』という、くろまろの故郷に、その顕彰碑が建っています。 おしまい
(河内長野市:高向『くろまろの郷』)
(河内長野市:高向 河内長野市立『くろまろ館』)
※紙芝居制作にあたり、『くろまろ館』の館長様、学芸員さま、職員さま、マロン観光ガイドボランティアさま、いろいろとご指導とご鞭撻、資料提供、ご教授有難うございました。この場を借りまして、厚く御礼申し上げますマロ。合掌








