おそらく一年で一番忙しい期間、お盆ウィークが終わりました。
早朝のお墓参りから始まって、全檀家さん宅参りに終わる恒例の行事、お盆参り。
今年も暑かった。・・年々、体力の低下が身に沁みます。
が、今年は、娘夫婦が手伝ってくれたので、すんごく助かりました。
よっしゃあ、これで今年も、無事に乗り切ったぞ!
紙芝居描こ。
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お盆が終わりました・・
紙芝居:「常識」(その4:最終回)
紙芝居:「常識」(その3)

猟師の放った矢は、仏様の胸に命中しました。
その時です。
バリバリバリバリッと、地が裂けたような音がして、一瞬にして、仏も霧も消えて無くなりました。
「なっなっ、何ということをしてくれたんじゃ!この罰当たりな奴め!」と、和尚さんはカンカンです。
すると猟師は、「まあ、落ち着いてください。あれはおそらく仏様ではありませんよ。」と答えました。
和尚さんは「なぜじゃ⁉」と問うと、
猟師は「常識で考えてみてください。
和尚様は毎日、厳しい修行をされている。
・・それで、仏様がお姿を現されるのは解ります。
がしかし、お経もまだ読めない小僧さんや、信心も超薄いこの私までもが、なぜ、クッキリハッキリ仏様が見えるのでしょうか⁉
・・あれは間違いなく魔物です。臭いで解りました。
きっと、機会があれば、和尚さん達を食い殺そうと、そのチャンスをうかがっていたんですよ。」と言いました。
そして、次の日、弓矢を放った所をよく調べてみると、点々と、獣の血の跡がついていました。
そして、その後を追っていくと・・、 つづく
紙芝居:「常識」(その2)
紙芝居:「常識」(その1)

小泉八雲原作 『常識』より
昔々、
京都の愛宕山(あたごやま)のお寺に、大変まじめで、修行熱心なお坊さんが住んでいました。
ある日、このお坊さんのお寺に、一人の知り合いの猟師が、野菜やお米を持って訪ねて来ました。
和尚さんは、猟師に向って言いました。
「おうおぅ、いつもながら、すまんこっちゃのう。
・・おお、お前さんに話したい事があるのじゃ。
この前、お前さんが来てから、この寺で不思議なことが起るんじゃよ。
知っての通り、わしはこの寺で、熱心に修行に励んで居る。・・その功徳か?どうかは解らぬが、最近、毎晩、ゾウに乗った普賢菩薩(ふげんぼさつ)様が、お姿を御見せになるんじゃ。
わしの弟子の小僧も、毎晩見ておる。
お前も今日は泊まって、一度拝ませてもらってはいかがかな?」と。
猟師は、「それは有り難い!是非拝ませて下され。」と言いました。
がしかし、『果たして、信仰心の薄いこのわしにも、仏様のお姿が見えるのじゃろうか?』と思い、
お寺の小僧さんに、尋ねてみることにしました。
すると小僧さんは、「はいっ!このお経も読めぬ、修行も出来ておらぬこの私にも、有難いお姿が毎晩見えます!」と答えました。
それを聞いて、猟師は『ほぉ~ぉ』と言いながら、少し疑いの気持ちが沸きました。
その晩・・。つづく
真夏のクリスマスベル
富田林:教蓮寺さまの[盂蘭盆法要]
大石順教尼を追う

(京都・山科[勧修寺])
先週、現在制作中の[大石順教尼]の紙芝居取材の為、京都山科[勧修寺]内の『可笑庵』と、順教尼の墓のある高野山に行って来た。
(勧修寺内/可笑庵)
こちらは、順教尼さんが晩年を過ごされた庵で、順教尼さんのお孫さん『大石晶教』様にお会いし、取材をさせて頂いた。
貴重なお話を、たくさん有難うございました。・・紙芝居の中で生かさせて頂きます。
(高野山)
次の日に、順教尼の墓のある和歌山県[高野山]に行き、お墓参りをさせて頂いた。
結構、ややこしい場所にあったような・・。
でも、きっちりお参りさせて頂き、順教尼さんの御心とお話させて頂きました。
(奥の院参道)
これで、生の大石順教尼さんの息吹きを確かに感じたぞ。
これで、紙芝居は近々完成する!・・予定⁉
(大石順教尼の墓)
日野原重明さんを偲ぶ・・
聖路加病院名誉医院長『日野原重明』さまが、行年105歳で亡くなられた。
以前、個人的にお会いしご無理をお頼みしたこともあり、ショックだった。
それは今から15年ほど前、僕が(今は辞めたが)『日本ホスピス在宅ケア学会』の会員だったころ、大阪でその大会があり、仏教紙芝居を発表させて頂いた時、日野原さんがわざわざ見に来てくださったのである。
その時はすごく御元気で、発表が終わったら、僕の所まで、わざわざ感想を述べに来て下さり、その後、裏階段からバットマンのように去って行かれた。
その後、お付き合いは続き、のち出版した『平成版・看病用心鈔』の推薦文まで書いてくださった。
・・有り難いことだった。
日野原先生は、僕に「これからは、私は子供たちに命の話をせねばならないと思ってます。・・紙芝居を使っての法話、頑張ってくださいね。」とお電話でおっしゃられた。その時の感激を思い出す。
日野原先生、本当に有難うございました。合掌
・・しょんぽりしていたら、突然の電話⁉
「あの、出前お願いします!餃子と・・」と女性の声。
「あの、うちは『お寺の出前』です。」
「すみませんっ、間違えました!」ガチャ。
もの凄い、間違えやわ⁉ (苦笑)
見方を変えれば‥
「・・住職さん、最近、一人で[寺カフェ]に来られている、あのご年配の男の方はどこの方ですか?」と、今日、あるご門徒の奥さんに聞かれた。
「あの方は、新興住宅地に引っ越して来られた方です。・・奥さんを亡くされて四年。・・毎月お参りの時に、仏壇の前で泣いておられるので、『コーヒーでも飲みに来て下さい』とお誘いしたら、お孫さんに車で送ってもらい来られるようになったのです。」と、僕は答えた。
「あぁっ、そうなんですか⁉・・・でも、幸せな方ですね。」と、そのご門徒さんの奥さんがおっしゃられた。
僕は『えぇ⁉』と、いう顔をすると、それを見て、
「ああっ・・はい、亡くなった奥さんが。そんなに泣いてまで、いつまでも想われて、お幸せやなぁと・・。」と付け加えられた。
生きている夫から考えると、(一人ぼっちになって)不幸なことかもしれないが、
見方を変えて・・、仏様となられた奥様から考えると、いつまでも泣いてくれる夫で居てくれて、有難く幸せなことなのかもしれない。
見方を変えて考えることは、案外、生きている人間にとって、大事なことなのかもしれないなぁ・・。
今度、このご主人にお伝えしてみよ。









